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序話 廃嫡

伊織いおり、このれ者めが!!」


 閉ざされた狭い御堂みどうの中に、激しい怒声が響いた。

 灯された無数の蝋燭ろうそくが、大音声に揺らめく。


「も、申し訳ありません、父上!」


 手厳しく叱責された少年――堂間どうま伊織は、父の前に平服する。

 暗がりの中、十二歳という年相応の未成熟なからだは、哀れなほど縮こまっていた。


「今一度、手本を示す。よく見ておれ」


 父の堂間右京(うきょう)はそう言って、蝋燭の一本に向き直った。

 掲げた右手の人差し指と中指を伸ばし、剣印けんいんの型を取る。


りんぴょうとうしゃかいぢんれつざいぜん――」


 口訣くけつを一息に唱えつつ、右京は素早く右手を走らせる。

 指先が空中に縦横の格子模様を描いた。


「――ぎょう


 静かな気勢と共に放たれた、目に見えない『力』――呪力の波動が、蝋燭を掻き消した。

 いわゆる早九字はやくじの術である。


「やって見せよ」


「はい」


 右京に命じられるまま伊織は立ち上がり、蝋燭の一本と向き合う。

 幼さを残しながらも凜々しく引き締まった顔立ちは、今は焦りと怖れで引き攣っていた。


りんぴょうとうしゃかいぢんれつざいぜん――」


 紡ぐことも、四縦五横の剣印も、先ほどの父を正確に模していた。

 口訣と結印により、己の中で呪力が高まるのを、確かに感じ取る。


「――ぎょう


 だが、そこまでだった。

 高まった呪力はかたちを為すことなく霧散し、跡形もなく消え果ててしまう。

 眼前の蝋燭の灯りは小揺るぎすらせず、伊織をあざ笑うように燃え続けていた。


「り、りん・ぴょ――」


「もう止めよ、伊織! これ以上はただ、見苦しいだけだ」


 焦りながら早九字を繰り返そうとする伊織を、右京が止めた。

 不意に沈黙が訪れる。


「なぜなのだ。なぜ堂間の嫡男ともあろう者が、このような初歩の術すら使えぬのだ」


 ややあって、父が力なく呻く声を、伊織は聞いた。


  ○  ●  ○  ●  ○


 広大な中央大陸の辺縁、東海に浮かぶ扶桑ふそう皇国こうこくという島国がある。

 遠き神代かみよにまで連なるみかどいただくこの国は、古来よりサムライと呼ばれる戦士たちによって守られてきた。


 サムライの戦うべき敵は、海の彼方の異国や、扶桑を荒らす叛徒・匪賊のみではない。

 穢土えどより溢れ出す化外の魔性――妖物あやかしから帝と民を守ることこそ、本来の役目なのである。


 人ならざる妖物あやかしを討つには、剣や弓といった現世うつしよの武術だけでは事足りぬ。

 それらのわざに加え、智を磨き徳を養い、術を修めねばならない。

 遥か西域の異人が言う万能職マルチクラスの力を得て始めて、只の雑兵や端武者はむしゃでなくサムライと認められるのだ。


 代々サムライを輩出する武家は扶桑に数多く存在するが、堂間どうま家はその中でも屈指の名門である。

 堂間伊織(いおり)はその嫡男として生まれ育った。


 当主である父は、真名を正厳まさよしと言う。

 右京うきょうの通り名は、帝より賜った従四位じゅしい右京大夫うきょうのだいぶの官位にるもの。

 宮城きゅうじょう奥院おくのいんへの昇殿を許された、歴とした貴族である。


 堂間家の麾下には数千騎とも言われるサムライが従っており、右京自身も天嶺てんれいの鬼斬りや未瀬みせ川の大蛇おろち狩りといった妖物あやかし退治で名を上げた強者つわものだ。


 武門の棟梁の一角として揺るぎない立場にある右京だが、唯一の泣き所が嫡男の伊織だった。

 なぜなら伊織は生まれつき、術を全く使えなかったのである。


 発覚したのはおよそ二年前、数えで十歳になった伊織が本格的に術を学びだした時の事。

 術の指南に当たっていた郎党が、真っ青な顔で右近に報告したのだ。


 そもそも呪力というのは人のみならず、野の鳥獣や草木、果ては路傍の小石に至るまで万物が帯びるもの。

 故に己の内なる呪力を練り上げ高め、それを用いて外界の呪力に働きかけ、変容させる。

 ――これが術の基本的な仕組みだ。


 伊織も呪力を感じ取り、それを高めることまではできる。

 だがその先、呪力を術という具体的なかたちへと編み上げるための感性が、全く欠けているのだ。


 無理を承知で例えるならば――『脚にも体にも異常はないが、歩き方というものを理解できず、一歩も動けない状態』――のようなものだろうか。


 予想外の凶事に驚愕しつつも、右近はできる限りの手を打った。

 陰陽道、神通力、法術――分野や流派を問わず高名な術者を次々と招き入れ、伊織を師事させた。

 時には深山幽谷に住まう偏屈な老術者の庵を自ら訪ね、頭を下げて教えを乞うたこともある。


 招いた術者の大半が伊織の非才に匙を投げた後も、右近は最後まで諦めなかった。

 自ら伊織に付きっきりで手取り足取り、術の何たるかを伝えようと心血を注ぐ。


 その挙げ句が、今日この顛末である。

 伊織と右京の二年間は、全て徒労となり果てた。


「万策尽きた……。認めざるを得まい、我が子に術の才がないということを……」


 呻く右京の声は、怒りよりも嘆きに震えていた。

 初めて見る父の弱々しい姿に、伊織も言葉を失う。


 だが、それも一瞬のこと。


「もはやこれまで。この上は儂も堂間の当主として、断を下す必要がある」


 一切の感情を削ぎ落とした声で、右近は言った。

 その顔もまた、木彫りの面を思わせる無表情と化している。


「術を修められず、サムライとなれぬ未熟者に、堂間家を継がせる訳にはいかぬ。貴様にもそれくらいは分かっていよう」


「お、お待ちください父上! もう一度、もう一度だけ僕に機会を――」


「堂間伊織よ。貴様を廃嫡し、堂間家の跡取りから除く。あらたな嫡男には弟の志津真しずまを立てる故、左様に心得よ」


 息子の懸命な懇願を、父の無情な一言が断ち切った。


  ○  ●  ○  ●  ○


 伊織いおりたちが御堂みどうから出た時、日は既に沈みかけていた。

 堂間どうま家の屋敷も、夕陽で赤く染まっている。


「ずいぶんと遅かったですね」


 黄昏の庭で、一人の少年が庭で伊織を待っていた。

 顔立ちも、年格好も、驚くほど伊織と似通っている。


 堂間志津真(しずま)

 伊織と同じ日に、今は亡き母のはらから共に生まれ落ちた、双子の弟だ。


「一応は聞いておきますけど、どうなりました?」


「それは……」


 志津真の問いに、伊織は言葉を詰まらせる。

 だが傍らに立つ父の右京うきょうは、沈黙したままだ。

 どうやら伊織自身の口から、志津真に事の次第を語らせるつもりらしい。


 無言の圧力に耐えかねて、伊織は重い口を開く。


「いつも通り、失敗した……。僕は何一つ、術を使えないままだ……」


 うつむいたまま切れ切れに、辛うじて言葉を絞り出した。

 噛みしめすぎた唇の端が裂けて、赤い血の一筋がしたたり落ちる。

 文字通り、血を吐くような声だった。


「父上から、は――廃嫡を言い渡された。志津真、今日からお前が堂間の嫡男になる……」


「承知いたしました。謹んでお受けいたします」


 悲憤と屈辱に顔を歪めた伊織と対照的に、志津真は気負いも感動も全く現わさないまま一礼する。

 そのまま、立ちつくす伊織を見やった。


「念のため言っておきますが、変な逆恨みは止めてくださいよ。俺が兄上を蹴落としたんじゃない。兄上が一人で勝手に転げ落ちただけなんですから」


「――――っ!!」


 無情の一言に肺腑を抉られ、伊織は呻くことしかできない。

 そんな兄の姿を一顧だにせず、志津真は背を向ける。


「全く、拍子抜けもいいところです。兄上、あなたには失望しました」


 立ち去る弟がどんな表情を浮かべているのか、伊織からは見えなかった。

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