005 修行②
師匠との修行が始まって、早くも八ヶ月が過ぎようとしていた。
血を吐くほど苦労した鬼の筋トレも今ではなんなくこなせるようになり、一番辛かった食事も一日五食に分けてなんなく食べれるようになっていた。
姿見の前で筋肉の付き具合を確かめながら、筋肉を膨張させる。
もやしだったあの頃が嘘のように逞しくなった肉体。
バキバキに体が変化したとはいえ、果たして強くなったかと問われれば、正直わからない。
ただ、わかっているのは一つだけ。
「……ふゥ……ッッ」
強化系魔術の究極たる《天鎧強化》を己にかけても、肉体が壊れることなく纏えるようになったこと。
全身にのしかかる凄まじい重力が、今は心地いい。
試しに拳を突き出してみると、百メートル先の壁が衝撃波でえぐれた。
「わずか八ヶ月で《天鎧強化》に耐えられるとは……。悔しいが……天才は、いるな」
遠くで、師匠が潤んだ瞳を俺に向けていた。
「だがまだだ……まだ足りンぞ。まだ越えられてはやらん。まだ参段階しか重ね掛けができないようでは、まだな」
師匠の言う通り、俺はまだ《天鎧強化》を三つしか重ね掛けできない。それ以上は、肉体がミシミシと悲鳴をあげて、動くことすらままならなくなる。
「参段階では精々が二級魔人レベル。一級や特級、魔王の側近レベルになると心許無い」
「師匠は……何段階までいけるんですか?」
強化を解いて、俺は師匠のそばまで近づいた。
「拾段階」
「て、テンス……ッ」
参段階ですらようやく肉体が耐えられるようになったというのに……さすがは師匠だ。
「貴様ならもっと上を目指せるだろうよ。俺より肉体を大きく、さらに図太い筋肉を凝縮させればな」
「いや……それはちょっと」
確かに、もっと筋肉はつけたいし、筋肉のおかげで気分はいいしポジティブにもなれた。風邪をひきやすかったのに、ここ最近は一切体調に変化はない。疲れにくくなったし、気分は爽快だ。
だからと言って、筋肉の宇宙を目指そうとは思わない。流石にカッコいいと呼べる体つきを凌駕して、もはや〝山〟としか思えない師匠の肉体には、なりたいと思わなかった。
「あらかた武術も叩き込ンだ。冒険者として、生き残るための技術も叩き込ンだ。戦うための知識もな」
「……ん? 聞き捨てならないことを聞いた気がします、師匠」
武術……? 近づいて思いっきり殴るだけのアレを、果たして武術と呼べるのか?
技術……? 正しいフォームでの筋トレや筋トレの種類はたくさん教わったが……技巧と呼べるものはなにも教わってないぞ。
知識……? 筋肉と栄養学については教わったが……戦うための知識を教わった覚えはない。
「これからは、《天鎧強化》を使用しての実践に移る。纏えるようになったとはいえ、いつも通りに動くのは難しいはずだ。使用時の感覚を身につけるのだ」
「それで……何をするんですか?」
「一時間以内に一階層から百階層にまで下がってこい。無論、ボスが出現した場合は討伐も忘れるなよ」
「無論の意味がわか――」
「ほれ行ってこい。もうカウントは始まってるからな」
背筋に挟めていたのかは知らないが、取り出した転移石を掴み砕きつつ俺に投げてよこした師匠。
転移石が起動し、俺は光に包まれた。
そして、
「……ああ、久々の太陽だ」
約八ヶ月ぶりか。
長かった……いや、あっという間だった。
思えば、魔術学園に在学していた頃と同じぐらいに、充実していた。
「突拍子もなく始まったが、まあいつものことだ。気合入れて頑張りますか。――つっても、時計がないから、どれだけ時が進んだのかわからないぜ、師匠」
屈伸しながら悪態をついて、準備運動を終わらせる。
目眩がするほどにまぶしい日光から逃げるようにして、俺は百層に向けて走り始めた。
「《天鎧強化》――参段階」
火花が散るようにして、俺の肉体に黒紫色の雷がはじけた。
刹那――俺は階段を一瞬で駆け抜けていた。
続く通路を突き抜け、わずか十秒で二階層へ。
「――これは……思った以上に速い……ッ」
まるで自分の肉体にだけ凄まじい重力がのしかかっているような感覚は変わらず――
それと矛盾するように、俺の速度は跳ね上がり、道を阻む魔物に感知されることなく横を吹き抜ける。
ただそれだけで、魔物の体は壁に叩きつけられ粉砕した。
光のように速く、黒紫が線を描く。
この埒外の身体強化こそ、天鎧強化。
俺を追放した勇者へリィンですら、一秒も耐えられなかった強化魔術を、あの俺が使いこなせている実感に歓喜が漏れた。
「うぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
『!?』
叫びと共に、十階層のフロアボスを一撃で屠る。
勢いを殺さず、二〇階層、三〇階層、四〇階層と進んでいき、フロアボスを一撃の元に倒していく。
強烈な爽快感。
ガンガン消費されていく魔力に比例して、俺の幸福度は天井知らずに跳ね上がっていた。
「ぶっ飛べええええええええええええええッッ!!!!」
『!!?』
五〇階層のサイクロプスをワンパンで穿ち、攻略に苦労させられた六〇階層のフロアボスを、もはや飛ぶ勢いで進む俺の蹴りで鏖殺する。
道中の魔物なんて路傍の石に過ぎず、全力で疾る俺を感知できた魔物はここまで皆無。
かろうじて、九〇階層のフロアボスは俺の接近に気がついたようだが、
「今さら気づいても遅いッ!!」
『――!?』
気づいた時にはもう、死んでいる。
悲鳴すらあげる隙を与えず、師匠から教わったただ一つの技――〝全力殴り〟を叩きつけ、百層に至る穴を穿つ。
「……おいおいおい……おいおいおいおいおいおいおい」
「――あ、師匠」
勢いに乗り過ぎてショートカットしてしまった。
ズタズタになった九〇階層フロアボスの上に立つ俺は、引き攣った顔の師匠に笑顔を向ける。
「師匠、間に合いましたか!?」
「あ、ああ……うん、まあ」
「もしかして……だいぶ、ギリ?」
「いやあ……ちょっと想定外すぎただけ、ウン。全然オッケー」
なぜか喋り方がおかしかった。
それはまあ今に始まったことではない。
この八ヶ月間で、師匠の引き攣った笑みは何回も見てきた。
「まだ開始五分……儂でも無理」
「? 何か言いました?」
「いや……そ、そうだ……儂、これから買い出しに行く予定があって……何か欲しいものはあるか?」
話を逸らすように、師匠は言った。
「それなら、この魔石を換金してきてくれませンか? ここまで来る途中に、フロアボスから根こそぎ取ってきました。それと、仕送りもできれば……」
「う、うむ……いつも通り、おまえの故郷の両親に仕送りすればいいンだな?」
「はい。すみません、ホントは自分でやれればいンですけど……」
一度、仕送りの手続きをするために外へ出たことがある。
街では、俺が勇者パーティを追放されたという噂が広まり過ぎて、指名手配犯でも見たかのような目でみられた。
受付も犯罪者を扱うように適当で、ほとぼりが冷めるまで俺はダンジョンから出ないようにしていたのだ。
メラクだけで噂は留まっていてくれればいいが……。
あまり親には心配かけたくないし、親が被害にあうのだけは、なんとしてでも食い止めなければならない。
「まあ、一年も経てば噂も無くなるだろう。それまではただ強さだけを考えろ。強くなれば、誰も貴様に歯向かえん」
「はい。……その、今さらなンですけど」
「なんだ?」
「どうして、俺を鍛えてくれるンですか? 同じ付与魔術師だから……とか、そういう理由だけじゃ、ないと思って」
「……」
ずっと思っていた疑問を、この際だから尋ねてみる。
少し、バツが悪そうに頬を掻いた師匠は、真剣な表情で言った。
「二ヶ月後……卒業試験を行う」
「え?」
「もし卒業できれば……卒業できるだけの力があるのなら……儂は、小僧に頼みたいことがある」
「頼みたい……こと?」
「受けるもよし。断るもよし。それは小僧に任せる。要は、あれだ。なンの打算もなく貴様を無償で鍛えていたワケじゃ、ないということだ」
それだけを言うと、師匠は俺が空けた穴を跳んでいった。
《天鎧強化》ではなく、ただの《身体強化》だけを纏い、この尋常ではない高さの穴を跳んでいった。
やはり、並外れた身体能力だ。まだまだ追いつけそうにない。
「転移石を使わないあたり、さすがストイックの極地……」
師匠を見送った後、ひとりになった俺は大きく息を吐いた。
……頼みたいこと、か。
「俺にできることであれば、なんだってしますよ」
俺を、ここまで鍛えてくれたのだから。
もはや二人目の親父と言っても過言ではない。
「よっし、俺も早く師匠に追いつけるように、このまま二〇〇層まで突き進むか!」
再び《天鎧強化》を纏い、俺は颶風と化した。
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