045 愛のカタチ
「——似ているな、卿は」
今まさに消えゆく残り火となったフレア・イグニスが、懐かしむように穏やかな声音で言った。
「昔、卿と同じ目をした人間に挑まれたことがある。返り討ちにしてやったが、ついぞ仕留めることができなかった。紅を纏う拳士……酷似しているな。——ああ、もしや、あの小僧の系譜か」
「……師匠もアンタとやりあってたんだな」
「師か。カカッ、長く生きてきたが、やり損ねた系譜に仇なされるとは、はじめての経験だ」
風前の灯火という言葉があるように。
吐息でかき消えてしまいそうな密度のフレア・イグニスは、愉快そうに笑った。
「誇れ、人の子よ。卿は名実ともに、師を越えた」
「……アンタは本気じゃなかった」
「同じことよ」
間断なく鋭い言葉が差し込まれる。
「勝敗は決した。胸を張れい。そして謳え、誇り高き拳士よ。余を屠ったその一撃——モノにしてみせよ」
その言葉を最期に、フレア・イグニスは消失した。
同時に、フロアの中央に転移陣が発現する。
勝った……のか。
拳を握り、感触を確かめる。
理屈はわからない。
ただ、あの瞬間に握りしめていた感触の残り香が、まだ手のひらにある。
「モノにしろ……か。言われなくともやってやる」
他の誰かにお膳立てされ、あわよくば決着の一撃すらも横槍を入れられたような気分だが。
「これをモノにできれば、俺はさらに強くなれる」
そんな確信があった。
「先輩、お疲れ様デスっ」
「……シャル」
頬を紅潮させ、興奮を押し隠せぬ喜色満面のシャルルが俺の二メートル手前で止まる。
「お身体にどこか異常はありませんか? デス」
「いや、どこも」
限界を越え、さらに酷使した肉体も、今では元通り。
いや……それより幾分も体調がいい。
疲労感は半端なく押し寄せてくるが、それを相殺するくらいに気分が良かった。
俺は、この感覚を知っている。
筋肉痛にも似た陶酔感——即ち、この肉体が、天鎧強化の新たなギアに適応しはじめている。
「それは良かったデスっ! ささ、先輩っ! こんな暑苦しいダンジョンなんかとっとと出て、シャルたちの愛の巣へ帰りましょう! デス!」
「シャル。俺は、おまえのように優秀な後輩をもてて嬉しいよ」
「……? どうしたデスか、先輩?」
右手首に刻まれた契約の楔が光となって消失する。
契約が果たされたことの証明。
これで俺とカティアを引き裂く要因は、なくなった。
シャルルを除いて。
「先輩?」
「………」
こいつは、危険だ。
猛毒だ。
彼女以上に優秀な魔術師を、俺は見たことがない。
と同時に、彼女以上に危険な人物を、俺は見たことがない。
歴史に名を残す犯罪者が矮小に、取るに足らぬ小者に成り下がるほどには、シャルルという少女は、危険すぎる。
『——先輩は、どうしてシャルを放っておいてくれないんデスか?』
初めて出会った日の、あの黄昏を思い出す。
『貪って喰らって舐って愛して、殺してアイしてアイしてシャルを――殺してほしいデスっ!!』
記憶の中のシャルルが、囁く。
殺して。殺して。シャルを殺して。他の誰でもない、先輩の手で。
そしてシャルという存在は完成される。
永遠に、先輩の中で生きられる。
シャルを殺した手の感触と、咽び泣く灰色の記憶の中で——
「———」
「——ぁ」
シャルルの首に、手が伸びる。
指先が、そっと白い柔肌に食い込んだ。
脆くて、繊細で。
すこし力を入れれば、すぐにでも折れてしまいそうな、細首。
事実、俺の腕力なら容易いことだった。
へし折ることなんて、簡単だ。
赤児をあやすよりも簡単な行い。
「———」
頬に、涙が伝った。
視界が、濡れる。
「うれしい……先輩」
シャルルの色濃い青碧の瞳が、俺の手を受け入れた。
待っていたと言わんばかりに。
そうして欲しいと恋焦がれていたかのように。
俺の手に彼女の手を添えて、咲う。
俺に、殺されることを———夢見るように————
「——首輪」
「…………え?」
「買って、やらないとな……約束……だから」
「———」
絶句するシャルルの首を指でなぞって、瞬間俺は——天鎧強化で強化した右腕を自身の顔面に叩き込んだ。
勢いよく、鼻血を撒き散らして吹き飛ぶ俺。
三人の絶叫が鼓膜を掠める。
おうとつの激しい地面を滑走し、ようやく壁に激突して止まった俺は、もう指一本うごかすこともできなかった。
代わりに、嗚咽が喉の奥から這い上がる。
「ちくしょう……ちくしょう……ッッ」
殺せなかった。
殺せなかった。
俺は、シャルを殺せなかった。
「くそ……ふざけんな……ふざっけんな……ッッ!!」
殺す? 殺すだと?
ふざけるなよ。
ふざけんなよ、なんでそういう考えになるんだよ。
シャルは俺の後輩だぞ。
あの魔境を、苦楽をともに乗り越えてきた大事な——大事な、後輩なんだ。
どうしてそんな……殺すなんて……!!
どうしてそんな考えに至るんだよ!!
望まれていたとはえ、どうして……!!
「くそ……ッ!! くそ……ッ!!」
殺そうとした。
首を絞めて、殺そうとしていた。
あわよくば、最後の一瞬まで——強化した右腕で、シャルルの首を刎ねてやろうとすら思った。
そんな自分が、ひどく醜い。
俺が成りたかった英雄像とは、こんなものなのか?
俺が憧れた憧憬とは、こんな卑劣な行為を行うのか?
俺が真に求めていたのは、こんな強さだったのか……!?
「ふざ……けんな……っ、俺はッ!! 俺は……逃げねえ! 受け止めるって決めたんだ、テメエの全てを受け止めるって、なのにここで殺しちまったら俺は——」
「——いいんデスよ、先輩」
「シャ……ル」
涙と血でおぼつかない視界の中で、シャルルがにっこりと……困ったように微笑んだ。
ゆっくりと丁寧に俺の頭を持ち上げ、膝の上に乗せて。
シャルは、俺の髪を撫でた。
「意地悪が過ぎました。先輩を、泣かしてしまうなんて思わなかったデス。そんなにも……シャルのことを想ってくれていたんデスね」
シャルの瞳から落ちた涙が、俺の涙を包み込む。
「シャルは、先輩のことが好きデス。大好きデス。でも……先輩の泣く顔なんて、見たくないデス。そんな顔を、させているシャルが許せないデス。——シャルは、先輩に笑っていてほしいデス。……そのことを、忘れていました」
涙で濡れた頬に口づけをして、シャルが笑った。
混じり気のない無垢な笑顔。
慈愛と潔白さが溢れる……猛毒の影もない、微笑。
「シャルは……先輩が幸せになってくれれば、それでいいデス」
上擦る声を抑えて、涙を堪えて。
シャルは、微笑を維持する。
「シャルの愛おしい先輩……気高く強い先輩を、シャルごときが貶めていいはずなんてない。だって先輩は……シャルにすべてをくれた人だから」
初めて出会った頃のシャルは、周囲に人を近寄らせないタイプの、孤独な女の子だった。
「楽しいも、嬉しいも、悲しいも苦しいも、初恋も……先輩がくれたデス。そんな先輩に好きな人ができたなら……応援、してあげなくっちゃ……デスね」
悲しい目をしていた。だから近づいて話しかけてみたら、睨まれたんだ。余計なお世話デスって。
「先輩のこと、困らせてごめんなさい……シャルは、あなたのことが何よりも大切で……愛してるから……そのことを……おぼえていてくれてたら、うれしい……デス……——っ」
——なんだよ、その語尾。おもしろいな、おまえ。きょうから俺のダチだ。
——馴れなれしく頭撫でないでください、呪い殺しますよ。デス。
「シャルも、幸せになりますから。先輩も、幸せになってください。シャルは、先輩が笑っていてくれれば……それで幸せデスから。だから、先輩——」
——ホントに卒業しちゃうんデスか先輩っ!?
——先輩と一緒に卒業したかったなあ、デス。停学になってなかったら先輩の晴れ姿も見れたのに……デス。
——何か困ったことあったら、すぐに呼んでくださいデス。シャルは、先輩のためならなんでもやりますよ。デス。
「次に目を覚ましたら、シャルと先輩はただの友達。後輩と、先輩——あなたのことちょっぴり大好きな、ただの……後輩デス」
意識が、遠のいていく。
俺の手を握り、祈るように目を伏せて。
その隙間から、最後の雫があごを伝う。
「これからもよろしくお願いします。どうかおそばに、シャルルを置いてやってください」
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