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5話「初めての口付け」

 そして階段を戻り、「失礼します」と隣の扉を開けてみる。あんな風に勧められたのだから、入っていいのよね?

 中は同じように薄暗く、下の部屋と同じ……いや、それよりも広く感じた。だって下の部屋では当然水槽から奥に行けなかったけれど、この部屋では眼下に大きな湖があるようなのだから。なるほど、本当に上下の部屋が繋がっていて、上のこの部屋から水槽の海の中に入るかたちになっているのね。

 本当に大きな水槽だ。その中は、潜ったことはないけど本当に海のよう。水面が揺れて、目を凝らしても奥まで見えない。だけどほんのり輝く黄金の光がゆらゆらと揺れていて。


 多分、あれが王子だわ。


 何か声をかけようと、息を吸う。手をのばす。


 だけど、こんな遠くからなんて声をかければいいの? 私が彼に話すべきことは何?


 その答えが出ない私は――気が付けば、水槽の中に飛び込んでいた。どうやら体勢を崩して落ちてしまったみたい。それだったら、あの光のそばに行ってみよう。彼のそばまで行ってみよう。

 だけど、その安易な考えはすぐに霧散した。水がとても冷たかった。一気に身体がこわばり、手足が思うように動かない。全身がどんどん重くなっていく。沈んでいく最中、目を凝らそうとしても目がしみるように痛い。すぐに息苦しくなった。


 怖い。苦しい。助けて。誰か。助けて……。


 もがく手が、誰かに引かれた。薄く目を開けると、浮かぼうとする私のドレスの裾と金色の光が見えた。たくましい何かに包まれる。そして上から圧力を感じたかと思えば――


「っふぁっ!」


 息が出来るようになっていた。床に四つん這いになり、はぁはぁと呼吸を繰り返す。水に濡れたドレスが嘘みたいに重い。全身がベタベタして、顔に張り付く自分の赤い髪が気持ち悪かった。

 だけど苦しい。どんなに呼吸を繰り返しても苦しい。目の前が暗くなってくる。

 そんな時、口が何かに覆われた。

 ――あ、食べられた。そう思ったのは直感。

 けれど、それは柔らかくて、冷たくて、心地よくて。なのに呼吸がうまく出来なくて。それすらも、なんだか心がスーッとほぐれていく。


「大丈夫?」


 落ち着いてきた時、それは私から離れた。目の前には、金色の少年。裸の上半身には思いの外筋肉が浮かんでいる。そして半分水槽に投げ出されている魚の下半身がゆらゆらと動いていた。そんな彼の手が、私の頬に触れたまま。心配そうな彼の金色の瞳が、どこか憂いおびている。

 何が起きたのか理解するよりも前に、私は誰かに無理やり引き上げられる。そしてパシンッと頬を叩かれた。


 え……何が起こったの?

 頬が熱いと認識すると、今度飛んできたのは怒声。


「バッカじゃないのっ⁉」


 そこには、険しい顔したオネエの顔。相当な迫力。社交界ではまず見ることがない気迫に、私は圧倒される。


「海をナメるんじゃない! そんな重っくるしいドレスのまま飛び込むなんて、アンタ死にたいの⁉ アトクルィタイが助けてくれなかった溺れ死ぬ所だったのよ⁉ あげくに過呼吸にまでなっちゃって。アンタまともに泳いだことすらないんでしょう⁉」

「死ぬつもりなんて……なかったのですが……」

「ですが、何よっ⁉」


 初めて顔を叩かれた。初めてこんなに怒鳴られた。

 怖いと思うよりも、唖然とする中。反射的に答えるのは子供じみたこと。


「水槽の奥に、行きたいなぁと思って」

「はあああああああ、バッカじゃないの⁉」


 はい、ぐうの音も出ません。

 でもそうか。海で溺れたら、人間は死ぬのね。人魚が泳げるからって、人間は泳げない。よく覚えておかなくちゃ。


 呼吸を整えながら、横から視線を感じて顔を向ける。すると、水槽の縁から顔を出した金色の少年がいた。


「あの……もう大丈夫、かな?」

「え、あ、はい。おかげさまで助かりました……アトクル……アトル様」


 先程とは違い、いたって普通の口調の彼。私もきちんと名前を呼ぼうとするも、やはり発音に自信がなく。誤魔化すように愛称で呼んでしまう。

 失礼だったかしら……とおそるおそる彼を見やると、彼は眩しいばかりに破顔していて。だけど、すぐに真っ赤な顔になって。途端、またするすると水槽の奥へと泳いで行ってしまう。

 それを見て、私も今更顔が熱くなる。


 そうだ……人命救助だったとはいえ……私、あの人と口づけしたんだ……。


 あの時や結婚式で見る『誓い』の時とは違い、何の神の恩恵もなかったけれど。まぁ、愛も何にもないしね。彼は私を助けるために口を合わせただけ。私と彼は、ただの政略結婚のお見合い相手。そこに気持ちなんてない。気持ちなんて、ないはず……。


 頬を押さえて固まる私を見下ろし、「はあ」とマルスコーイが頭を抱えていた。


「ほんと、若者の考えることなんてさっぱりわからないわぁ」


 ~~~~


 拝啓、親愛なるリカ=タチバナ様


 追伸

 初めて、男性とキスをしてしまいました……。

 よく『キスは甘い』と言いますが、実際はなんの味もしないのですね。


 ~~~~

 

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