最終話「人間の使える唯一の奇跡」
あの日から、私とアトル様は触れ合えるようになった。
キスはもちろん、手を繋いでも、顔に触れても……実験のため、数日に渡りあちらこちら触れたが、アトル様はくすぐったがるだけ。火傷が出来ることはなかった。
実験後、今日も服を着たアトル様はお茶を淹れに席を外していて。
その間にと実験結果をまとめながら、マルス様が「なるほど!」と感嘆する。
「やっぱりこれが人間の魔法なのね! アタシの想像以上よ。凄いわ、さすが年増の執念っ!」
「……人間の魔法?」
褒められているような、侮辱されているような。
そんな疑惑は置いておいて、私は話の論点だけを気に留める。
「人間のいう『神の祝福』って光るやつ。あれが、一種の魔法にあたるのよ」
「結婚式などの誓いの口付けのことですよね? でもあれは『永遠の愛の誓い』なのでは?」
私は説明する。
陸では、キスをすると神の祝福を受けられること。そのため、人間は初めてキスした相手と添い遂げる必要があること。
その常識を、マルス様は大笑いした。
「あっはっは! アンタ本当に可愛いわねぇ~、じゃあ何? 子供はシロナガスクジラが運んでくるとか信じているクチ?」
そして、教えてくれる。
「あれは、アンタの魔法よ」
神の祝福とされている光は、人間の体内にもわずかに含有される魔力が他人の魔力に反応して起こる現象なのだと。一人では奇跡を起こせないけれど、二人の共通する想いが呼応して、魔法が光として発動しているのだとか。しかも、一人の人間が抱える魔力量じゃ、使えても人生一度がいいところらしい。
たいていは『幸せになれますように』とか、そんな目に見えない願いのため特別な効果はないという。だけど、私の場合は――種族を超えた、奇跡を起こした。
そこで、私に一つの疑問が浮かぶ。
「では、ミハエル様たちの結婚式での光は?」
「まぁ、相手はあの聖女様だからね。『キスしたら光るんだぁ~』て思い込んで、それが具現化したんでしょ。一応国王陛下に頼まれて、アタシも演出出来るよう裏でスタンバってたんだけど。出番なかったわ~」
このオネエは……裏でどれだけ暗躍を……て、ちょっと待って?
「それなら……私たちの今度の結婚式ではどうするのです?」
神聖なる結婚式の体面、来賓の手前もある。『神の祝福』の演出は必須だろう。
そのことを心配すると、マルス様は「んふふ~」と笑った。
「任せなさいっ! アタシがアンタの執念深いしわを吹き飛ばすくらい輝かせてあげるわ!」
「…………」
話を聞きながら、私は部屋の中を見渡す。いつもの執筆部屋ではマルス様と二人きり。アトル様は替えのお茶を用意しに席を外している。さすがに今からすることを愛しの婚約者様に見られたくないわ。
確認してから――私は容赦なくマルス様の長い足の間を蹴り上げた。ひょっ……と口を尖らせ見たことない顔をしているマルス様。これは私の口角も上がって仕方ないわよね?
「ごめん遊ばせ。足が滑りましたわ」
「こんの……本当いい性格しているわね……」
「年増の執念をお褒めいただき光栄ですわ」
結婚後も、この姑のごときオネエとは仲良くやっていけそうだ。
「ねぇ、ニカ。本当にこれでいいのかな?」
空がとても青かった。手を伸ばせば、すぐ届きそうなのに。だけど触れることができない。なんか不思議ね。こんなにも近いのに。
「きちんと陛下の許可はもらったじゃありませんか」
「そうだけどさ……街の人々、びっくりしているよ?」
私たちは空を飛んでいた。正確にいえば、竜の姿になったアトル様の背に乗って、空を泳いでいる。その大きな背にまたぐ私が眼下を見下ろしても、豆粒のようで表情までわからないわ。ただ、皆が唖然と空を見上げているみたいね。
今日はとても良い天気だ。上から見下ろすジュエリアの王都は本当に綺麗。丘に作られた赤や白の建物。そして緑々しく空に背を伸ばす木々。行く先の丘の上には丸い屋根から金の十字架を伸ばした特徴的な城。振り返れば、息を呑むくらいに雄大な海の青に太陽の光がキラキラ反射している。
これが、私の生きてきた街。そしてこれからも生きていく街。
風に白いウエディングドレスが大きくなびいている。片手でそれを押さえながら、私はアトル様に応える。
「いいじゃありませんか。どうせなら大勢の人にお祝いされたいですし」
「お祝いねぇ……方便もいいところだけど」
呆れた声で口を挟んでくるのは、アトル様の大きく揺れる尾に足を組んで横座りするマルス様。今日はいつにもまして豪華絢爛な衣装に身を包み、派手な化粧を今も施していた。
付き人とは? 今日の主役は? それを聞いたらいけないわ。今チョップを食らったら、頭に乗せた真珠のティアラが壊れてしまうもの。
だけど、軽口くらい許されるでしょう?
「ごちゃごちゃうるさい人たちに、私は異種族とこんなにも仲良いんですよーとわかりやすく演出してあげている私、とても優しいと思いますの」
それに、マルス様はコンパクトを閉じて肩を竦めた。
「まったく~。うちに図太いお嫁さんが来てくれて嬉しい限りだわぁ」
「だてに年増じゃありませんからね」
「身体も図太くなるんじゃないわよ」
「善処します」
そして、いよいよ城に着く。屋根の上にそびえる十字架のまわりを旋回していると、バルコニーでリカ様が大きく手を振っていた。藍色の落ち着いたドレスを纏うその手には、光る珊瑚の棒。何度もぴょんぴょん飛び跳ねていたその隣には、当然正装のミハエル王太子殿下の呆れる姿。
ふふ、ミハエル様。斜に構えていられるのは今のうちですよ。披露宴での『舞』、楽しみにしてますからね。リカ様から、嫌々ながらの特訓の様子は聞き及んでおりますから。婚約破棄や『性格が悪い』と言い切ってくれたことへの復讐です。理由はどうであれ、婚約破棄に関して私に非はありませんでしたからね。その苦難の乗り越えて、この幸せを手に入れたのです。当然、私が望む『お祝い』をしてくださるでしょう? お礼の『ファンサ』も用意してありますからね。
私が二人に手を振り返すと、アトル様は「じゃあ」と中庭に降下していく。そして、地面が近づくとパッとその巨体が消えた。二階くらいの位置から落下する私を、優しい腕が抱きとめてくれる。その相手は、もちろん私の結婚相手。金色の髪と瞳が美しい、少し面長の可愛い顔をした少年だ。今日は白と青のタキシードを身に纏っている。
「アトル様」
「ニカ」
そして地面に足を着けるよりも先に、私たちは笑い合って。キスをして。顔を離しても、アトル様は火傷なんかしない。それは、私の起こした執念の結果。
そんな私たちの傍らには、派手なオネエ。優しい顔で苦笑して――いるかと思いきや、
「さぁ、イチャコラはあとあと! アンタたちはこれからなんだから! ひとまず、大勢の前で異種族でも愛し合えるってこと見せびらかしてきなさいっ!」
澄み渡る青い空の下に、マルス様の両手を叩く音が響く。
その空があまりにも綺麗で、私は思わず笑みをこぼした。
【完】
数多くある中、本作をお読みいただきありがとうございました。
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また定期的に連載や短編を書く予定もありますので、お気に入り作家のひとりに入れていただけたらこの上ない幸いです。
重ねてになりますが、最後までお読みいただきありがとうございました。






