24話「悲劇のヒロインをやめる時」
夫婦げんかの種にされるのは、もうたくさん。
「元婚約者に対してずいぶんと評価してくださっていることは感謝いたします――が、お二人に一言言わせてください」
二人の喧嘩の原因は私だ。正確に言えば、私への罪悪感だ。
「私のこと、勝手に決めつけないでくださいませ」
私には伝わらないとお思いですか?
「ヴェロニカには幸せになってもらわなきゃならない? ヴェロニカのことが大切? お気持ちに大変ありがたいですよ。ですが、お忘れですか? リカ様は私から婚約者を奪った泥棒猫ですし、ミハエル様は私を捨てた薄情者です」
もちろん、それは仕方なかったことだ。
だって二人が結ばれないと、リカ様は今こうして生きていなかったのだから。世界を救った聖女が愛を叶えられないために命を落とす――そんな悲劇を、世界は望まない。私も望まなかった。
だからこそ、私は婚約破棄された。今までの私の人生を捨てた。
そう――それは、誰も悪くないこと。誰も悪くない。私ひとりだけの小さな悲劇。
だけど、馬鹿にしないで。
「そんなお二人が、今更どのような顔で私の幸せを叶えると? 私を馬鹿にするのも大概にしてください。偽善者のおもちゃにされるのは御免こうむりますわ。」
きっと二人の気持ちは本物の善意だ。私への償いを、本気でしようとしているのだ。
そのために、私が幸せになるように。もう私が泣かないために。
お二人は、それぞれの立場で最善を尽くしてくれようとしている。
徹夜で二人は相談したのだろう。疲れた体を押して全力で駆けてくれたのだろう。私のために。あの婚約破棄の償いをするために。
黙っていたリカ様の目から、またポロポロと大粒の涙が溢れている。
可愛い、可哀想な、まだあどけなさも残る聖女に、私ははっきりと告げた。
「自分でやります。年増を舐めないでくださいまし」
そして、リカ様はペタンと床に座り込んだ。ふにゃっと泣いている顔が緩む。
「さすが……わたしの憧れるヴェロニカ様です」
彼女の気持ちが嫌なわけではない。むしろ嬉しい。そこまでして、気まずいのを押して、私を好いていてくれるのは、すごく嬉しい。
だけど今は、そんな本心教えてあげないわ。もう少し待っていてちょうだい。
「だったら、もう少し慎みを持つべきね」
言い捨てる私に、リカ様は「ごめんなさい」とこぼす。何度も何度も悲しい顔で笑いながら「ごめんなさい」と。世界を救った、これから幸せになるべき少女を、私が泣かした。
そんな自分に苦笑して、私はミハエル様に向き合った。
そして驚く。てっきり険しい顔かと思いきや、彼も苦笑していたから。
「君の涙を、私は初めて見たんだ」
「え?」
「そんなに彼のことが好きなんだね。僕の時は、涙ひとつ零してくれなかったのに」
いつになく優しい声に、私は視線を逸らす。
「昔の女に嫉妬ですか?」
「あぁ。さっきもそう言っただろう?」
「奥様の前で、最低ですね」
「否定はしない。だが……もう全部過去のことだ。私は今を、後悔していない」
「私もです」
そう――昔のことなのに。それをぐずぐず引きずって、本当に馬鹿な子。せっかく好きな人と結ばれたんだから、さっさと自分が幸せになればいいのに。
えっぐえっぐと嗚咽を続けて座り込む少女に肩を竦めて、私は問う。
「ミハエル様……私って性格悪いんでしょうか?」
「昔から……よくはないんじゃないか? そんないい子だったら、嫌がる僕に無理やりスライム討伐させようとしないだろう」
「嫌がってましたっけ?」
「あぁ、全力で。正直、今でもスライムとだけは戦いたくない。ケルベロスと対峙する方がよほど気がラクだ」
「そうですか」
うーん、正直あまり記憶にないけれど……昔なじみがそういうのなら、きっとそうなのでしょうね。今も、本当に私の性格がいいのなら、リカ様を宥めて励まして感謝を述べるべきだわ。今はその余裕もないけれど。
「あと、今の罵倒もなかなかのものだった。泥棒猫……どこでそんな言葉を覚えたんだ? ぜひ私に慎みある淑女の定義を教えてもらいたい」
「……お花を摘んできますわ」
それはもちろん、長年の創作癖がゆえ語彙が増えているのですが。
貴方に語る必要はないわ――それを知るのは、私が本当に愛すべき婚約者だけで十分だもの。
だから私は、嫌味な元婚約者に踵を返すの。
「私が戻ってくるまでに、奥様を泣き止ませておいてくださいね。夫婦げんかはスライムも食わないと思いますので」
「あぁ、任されよう」
吹き出すミハエル様に一礼して、私は部屋を後にする。
さて、あそこまで言い捨ててやったのだ。ここで怖気づいたら、それこそ格好が付かないわ――と意気込む私に、
「ひっどい女ねぇ~。聖女泣かすとか、まるで悪役令嬢じゃない」
扉のすぐ横にもたれる長身のオネエは苦笑する。
あぁ、この人も私の趣味を知ってたわね。除け者にしたら怒るかしら……別にいいけど。
「盗み聞きですか?」
「あら、堂々と聞いていたつもりよ。部屋の外から」
「ひどい殿方ですね」
「お褒めいただきどうもありがとう♡」
ウインクを飛ばしてくるマルス様に肩を竦めて、私は聞いた。
「ところで、アクヤクレイジョウってなんです?」
「あらぁ、陸の言葉じゃないのぉ?」
確かそれは、婚約破棄された時にリカ様が言っていた単語。いつか聞こうと思っていたのに、聞きそびれていたわね。
マルス様は言う。
「言葉どおりみたいよ。ヒロインの女の子をいじめる悪いお嬢様のこと。物語の中では、その悪事の結果不幸になるみたいね」
そんな物語、私は見聞きしたことがない。マルス様の言葉によれば、海でもない。そしてリカ様が知っていた言葉。
――なら、その言葉の発祥は?
今までの些細な違和感の答えを、私はまとめて笑い飛ばした。
「そんな悲劇、私は好きじゃないですね」
「それなら、この悪役令嬢はどう物語を綴るのかしら?」
その挑発的な質問に、私は口角を上げた。
「もちろん、悪役のハッピーエンドで終幕ですよ」
そして、私の額はピンッと弾かれる。
「わっるい顔~」
それは、やっぱり痛くない。






