22話「不毛な会員談義」
「うわぁ、本物の人魚だぁー!」
地下の水槽に着たのは、あれ以来だった。相変わらず暗くて、尾ひれを丸めているアトル様だけ黄金に発光しているように見える。彼はやっぱり、私たちを見て奥に逃げていってしまったけれど。
懐かしい。そして同時に安堵して、同時に合わせる顔がなかった。
すいすい泳ぐお姿から、体調はかなり回復したのだろう。だけど、その額には焦げ付いたような跡がくっきりと残っていた。
私のせいだ。私が何も知らなかったから。私のせいで――
「大丈夫ですよ」
気が付けば、リカ様が私の顔を覗き込んでいた。にこっと満面の笑みを向けてくる。
「あんな火傷? ぱぱっと聖女が治してきちゃいますからね」
そして「どうすればあの水槽に中に入れるんですか?」と聞かれ、「上の階に……」とだけ答える。するとリカ様は大股で駆け出して行き。
この暗い部屋から出ていくと、ミハエル様が苦笑した。
「今日は『はしたない!』て怒らないのか?」
「え?」
「昔はよく怒っていたじゃないか。淑女たるもの、挙動の一つ一つに慎みを持つべきだと」
あぁ、そんなこともあったわね……。
ふとあの頃を思い出して、私は視線を落とした。
「次期王妃に……私ごときが指図できませんよ」
「そんなこと言わないでくれ。母上も彼女の教育には頭を抱えているんだ」
「でしょうね」
リカ様は、昔から無邪気だった。よく笑い、よく怒り。とても聖女や淑女として立派とは言えないけれど……それでも心優しい、素直な子。
だから、何も言えないのよ。今も彼女が無茶を通し走っているのは、私のためなんだから。
「……こうして二人で話すの、久しぶりですね」
「そうだな」
「リカ様は、何も思わないのでしょうか?」
元婚約者が、自らの夫と二人きり。新婚間もないのだ。嫉妬したり、不安に思ったりしても何もおかしくないだろう。私だったから、下手な邪推をしてしまうかもしれない。
それなのに、ミハエル様は吹き出した。
「まったく気にしてないだろう。今は君のことしか頭にないさ」
むしろ私が嫉妬してる、と口元を隠したミハエル様は笑う。
それに私が「なぜ――」と言葉を返そうとした時だった。
目の前の大きな水槽に、ドボンッと飛び込んでくる聖女様。白いスカートが捲れるのも気にせず、思いっきり頬を膨らませた顔でキョロキョロと辺りを見渡している。
「リカ様⁉」
「リカっ‼」
私とミハエル様が同時に声をあげても、リカ様は意図ともしない。聞こえていないのだろう。むしろ、奥に隠せているアトル様を見つけて、手で掻き、足をばたつかせて泳いで行ってしまう。下着がばっちり見えて、ミハエル様が再び頭を抱えていた。
「あらぁ、可愛いピンク。あれ、アンタの趣味?」
と、ミハエル様の肩に手を置くのは、化粧ばっちりのマルス様。
反応に困っているミハエル様を押しのけて、私はマルス様に詰め寄る。
「マルス様! リカ様が! 水槽の中に‼」
「そんな慌てないで大丈夫よぉ。あの子、アンタと違って溺れないから」
「そんなのどうして――」
「だってあの子、魔法で自分のまわりに空気の膜を張っているし。一見ただのアホな子かと思って不安だったけど……聖女ってだてじゃないのねぇ」
飄々と褒めるマルス様に、私は目を丸くするしかできないけれど。
「ほらぁ、なんか意気投合したみたいよ」
指差すマルス様に促され、私は再び水槽を見やる。
薄暗い水の中で、聖女と人魚の少年が楽しそうに談笑していた。
「わかってないなぁ! やっぱりヴェロニカ様の良さと言ったら、あのはにかんだときの可愛さでしょ!」
「いーや。わかってないのはそっちですな! ニカの良さはふと出る悪い顔にこそあるっ!」
「悪い顔って……確かに『てへぺろ♡』な所も可愛いけど、その言い方じゃヴェロニカ様が性格悪いみたいじゃん⁉︎」
「デュフフ……これだから素人は。ニカの腹の中は『てへぺろ♡』みたいなお茶目なものではないですぞ。三流にもほどがありますな」
ここはアトル様のお屋敷の応接間。
その絨毯の上にペタンと座り込んだ十代の若者たちが、よくわからない談義で白熱していた。
そうよ、わからないのよ……。水槽の中で仲良さそうに話していたと思いきや、出てきた途端喧嘩してるんだもの。
しかも喧嘩の原因、私ですか? 私ですよねぇ⁉
「このお茶美味しいですね。海で飲まれる物なんですか?」
「いんや、普通に陸で買った物よ〜。ただ抽出する時間がもったいなかったから、魔法で時間短縮しただけ」
「なるほど……魔法は生活にも応用できると……」
「まあモノも技術も使い方次第よねぇ。そもそも海じゃお茶とか飲まないし」
「ほう。そのお話、詳しくお伺いしても?」
一方ミハエル様とマルス様は優雅にソファに座り、それらしい交流を深めている。私も一応同じソファに座らせてもらっているのだけど……あっちの会話が気になってしょうがないわ。
そんな私に、向かいに座るマルス様がジト目を向けた。
「あんな不毛な会話を気にしているの? 馬鹿ねぇ、気にしてもどうしようもないわよぉ」
「そうだぞ、ヴェロニカ。ああなったリカは止まらない。時が経つのを待つしかないだろう」
いや、ミハエル様もそんな達観しないでくださいまし……。
私も嘆息してから、カップと手に取る。やはり横目で気にしてしまうのは、アトル様の額にある火傷の跡。
「しかし……早くアトル様の火傷を治さなくて良いのですか?」
「別に、そこの一時間や二時間焦る必要はないでしょう。あの子があんなに楽しそうなの、久々だし。ほっときましょ」
そして、マルス様もお茶を一口。そう言われてしまえば、これ以上私がとやかく言える立場ではない。今も床の二人は、「ヴェロニカ様ファンクラブの規則を決めましょう!」などとよくわからない、わかりたくない話題で盛り上がっている。
どうしてこうなったのかしら……。
私が少し温くなってしまったお茶を口にした時、隣のミハエル様が言った。
「ところで、数日前の海に出現した魔物に関してですが」
「ああ、あれ? いきなり驚かせてごめんなさいねぇ~。ちょ~っとアトクルィタイを驚かせたら、変身が解けちゃったみたいでさぁ。アタシが謝罪に行った時はあっさり帰されたけど……実は大問題になってたり?」
「まぁ……正直な所、やはり海との親交を非難する声は増えましたね」
「あはは~。そうよねぇ。それで、国王陛下はなんて?」
それは、まるで言葉を選ぶようだった。
「……ヴェロニカ次第だと」
ガタッと動いたのは、私ではない。床に座って談笑していたアトル様が急に立ち上がり、またたく間に逃げ出そうとして――転ぶ。だけどすぐに立ち上がり、赤面を隠しもせず部屋から飛び出して行ってしまった。






