表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

13話「海の世界」



 苦しい。苦しい。息が出来ない。目が見えない。痛いの。全身が痛い。特に足が痛いの。助けて。死んじゃう。このままじゃ死んじゃう。むしろ殺して。苦しいの。どうかお願い。誰か。誰か。


 暗闇の中で、もがいて。あがいて。それでも苦しくて。

 この感覚に、覚えがある。そう、あれは水槽で溺れた時。あの時はアトル様が助けてくれて。

 でも、今は溺れていないはずなのに。水の中に飛び込んでもいないのに。どうして?


「……ニカ」


 苦しい。もうだめ。もう……。


「ニカ、落ち着いて。ゆっくり息を吸って……そう、吐いて。もう目を開けて大丈夫かな」


 その落ち着いた声に誘導されるがまま、私はゆっくりと目を開く。

 ゆらゆらと揺れる視界。私が呼吸をすると、ぷくぷくと小さな泡が空へと上がっていく? 空? 違うわ。空はこんなに近くないし、こんなにキラキラ輝かない。空はもっと高くて、澄んでいて――見上げるたびに、なぜか胸が苦しくなるものなの。


「ニカ、大丈夫かな?」


 聞き覚えがある口調、だけど塞がれたような声音に、私はそっと視線を向ける。隣には金髪の綺麗な少年の姿があった。


「アトル……様?」


 彼は服を着ていなかった。一瞬ぎょっとしかけるも、下肢を見て納得する。彼の下肢が人魚になっていた。尾びれがひらひらと動いている。


 あ、ここは水の中……?


 そう認識した瞬間、私はぎゅっと彼にしがみついた。そして口を噤む。また溺れてしまうと思ったからだ。だけど彼は眉間を寄せながらも、微笑んだ。


「大丈夫。力を抜いて。ゆっくりと尾ひれを動かしてごらん?」


 尾ひれ?


 私に尾びれなんて――と迷った視線の先には、赤いひれ。無意識なのに左右にひらひらしているのは、波のせいかしら? わずかに浮かんでは沈む感覚。そして左右に揺れる感覚。視界にはいやでも小さな魚が入り込み、木々のように生えている光る枝には見覚えがある。あれはアトル様と出逢った初めての日、歓迎の舞として踊っていたアトル様が両手に持っていたものだ。


 え? えええ? これはどういうこと?

 そもそも私、なんでこんなに薄着……下着より心もとない格好なのですか⁉


 上は貝殻の胸当てだけ。下なんて何も……あぁ、やっぱりこの赤い鱗が付いた下肢は私のなんですか⁉


 待って。待って、ちょっと待って、本当にどういう――


「アンタねぇ……いい加減、人魚になったこと認めなさいよ!」


 ズシンと脳天にチョップを受けて、私の赤い髪が大きく揺れる。その髪の先に見えた悪気もないオネエの人魚は、やっぱり海の中でも派手だった。




「だからぁ、アタシは謝らないわよぉ~。ちょうどいい機会じゃないのぉ。海のこと知ってもらうにはさ」


 アトル様が珍しく怒っているものの、マルス様は素知らぬ顔。


 私が人魚になってしまったのは、どうやらマルス様が魔法の薬を飲ませたせいという。マルス様は海で魔法薬の最高権威らしく、その効果や安全性はお墨付きなのだとか。


「大丈夫だってぇ。現に、陸のお嬢様もピンピンしているじゃないのぉ~」


 いや、はちゃめちゃ痛かったし苦しかったですけどね? もう二度とごめんです。本当に死ぬかと思ったもの。


 それが顔に出ていたのだろう。マルス様がぐいっと私の顔を掴んでくる。人魚の姿だからか、珍しく素手だ。あ、爪が虹色に輝いてすごく綺麗。


「アンタねぇ……あのくらいでメゲて、実際に稚魚産む時どーするのよ。その痛みより軽くなるように、ちゃんと調整したんですけどぉ?」

「う……マルス様。その冗談は面白くないですよ?」

「まったくー、出産時に『マルス様ごめんなさぁーい』って謝っても、手加減してやらないんだからねっ」


 え、手加減ってなんですか? もしや出産時の取り上げをマルス様がする気じゃないですよね? そうですよね⁉


 だけど「こっちは人間の身体の勉強、頑張っているのにさぁ」とプリプリ怒るマルス様が、すいーっと泳いで行ってしまう。以前図書館で借りていた医学書の量からしても、その発言は本当なのかもしれない。で、でも出産時マルス様に色々見られるのは嫌なんですけど?


 マルス様の尾ひれは、私やアトル様の元のは違い、たくさんあるように見えた。ひらひらとまるでドレスの裾をはためかせているみたい。


 改めて、アトル様が私に謝罪する。


「本当にごめんなさい……魔法薬の効果は一日で切れるみたいだから。少しだけ我慢してもらえるかな?」


 しゅんとしたアトル様が可愛らしい……。まるで子犬のような少年に、どうして怒ることが出来ようか。


「なってしまったものは仕方ないですし……いい機会だから、海の案内お願いしてもいいですか? アトル様のこと、もっと知りたいです」


 私がにっこり微笑むと、アトル様の表情がぱあっと華やぐ。だけど、その花はすぐに萎れてしまった。


「……あまり面白いものじゃないと思うけど」




「ほら、いっちにー、いっちにー。アハハッ、本当にアンタ人魚になっても泳ぐセンスの欠片もないのねぇ」


 うるさいやい。


 足元には砂の地面があり、見渡せば草木の代わりに珊瑚という淡く光る枝が生えている。だけど、そこに着くべく足がない。


 アトル様にゆっくり手を引かれながら、私は懸命に足――尾ひれを動かそうとする。上半身は人間のままなのに、海の中でも呼吸は出来る。そして聞こえ方が違うけれど、話すことだって普通に出来る。だけど、どうしても思うように身体を動かすことが出来ない。


 初めての環境で懸命に頑張る私を、マルス様は容赦なく笑い飛ばしていた。人として最低よ。人魚だけど。


 そんなマルス様をジト目で見て――ふと気づく。


「歯抜け……」

「ん?」

「マルス様……いつものギザギザの歯はどうしたんですか?」


 マルス様も、アトル様も。いつも笑った時などには、獰猛な歯を覗かせていた。それが、ない。むしろ普通の歯すらない。


 マルス様がムッとした顔をした。対して、アトル様が苦笑する。


「僕ら、陸では入れ歯をはめてたんだよ」

「入れ歯?」


 初めて聞く単語。言葉の通りならば、口の中に入れる歯のこと。え、なにそれ。何のために?


 そんな私の疑問符を、アトル様は解説してくれた。


「海で僕らは小魚を丸呑みしていることが多いから、歯が必要ないんだ。でも、ニカたちと食事をするのに、それは良くないでしょう? 魔法薬で人間に姿変えていても、歯は生えなかったから。だから自分たちで石を削って、歯を作っていたの」


 魚を……丸呑み?


 私は奥歯を噛みしめる。人魚になった今も、きちんと歯があることに安心した。正直、歯抜けなんて老人みたいで嫌だわ。それに丸呑みしろと言われても、出来る気がしない……。


 私の内心を悟ったのか、アトル様が肩を竦める。


「ニカの食事は、あとで僕たちがちゃんと陸の食事に近い物を様子するから、大丈夫かな」

「あ、いえ……」


 本当なら、アトル様たちが普段を食べているものを、と言うべき所だろう。だけど、魚を丸呑み? 骨は? 内臓は? どんなサイズかわからないけど、飲み込めるものなの?


 その困惑を誤魔化すべく、私はずれた質問を返した。


「人間の歯を真似ているなら……どうしてあんなに尖っていたのですか?」

「あ、そうしようって言ったのアタシ~」


 私のまわりを厭味ったらしくスイスイ回るマルス様が、ニヤリと口角を上げる。


「平らな歯より、あの方がアンタたちビビるかなぁ~って」

「ビビるって……」

「第一印象で舐められたおしまいだからねぇ」


 ケタケタ笑っていたマルス様の視線が動いた。大きな岩の後ろから、こちらを覗いている顔が二つ。


「ギュールグルグル」

「グググギューゲゲグエル」


 何か言っているようだけど、正直気持ち悪い鳴き声にしか聞こえない。これが人魚たちの言葉なのかしら? 


 それに「はあ~⁉」とこめかみを引きつらせたマルス様が鳴いた。


「ギュギュグルグッゲグキュギュギジュレッ⁉」

「キャギョットギュギュギグキーキキイキ!」

「ギョギュギョッギレッ⁉」

「ギレッ⁉」


 えーと……喧嘩をして、いるのかしら……? 


 私が呆然としていると、アトル様が私の腰に手を回した。


「ごめんね。ちょっと場所を移動しようかな」

「え――」


 私に拒否権はなかった。私を抱きかかえたアトル様が、尾ひれを大きく動かして海の底をすいすいと泳いでいく。つまり私もそれに連れられるしかない。水の中を高速で進む肌の感触は嫌じゃなかった。

 大きな音がしたと思って振り返ってみれば、大岩が木っ端微塵に割れている。破片がふよふよと浮かんでいた。マルス様が、殴ったの? マルス様の横目と目があった。自慢げに親指を上げられる。褒める……ところなのかしら?

 そんなマルス様は、また他の人魚たちに何かを喚いて、今度は中指を立てていた。だんだんと距離が離れていく。私を抱きしめるアトル様の腕しか頼れない。その腕は、しっかりと男の人の腕だ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらの作品が気に入ったなら、絶対好きだと思います!
新作『ど底辺令嬢に憑依した800年前の悪女はひっそり青春を楽しんでいる~猫系天才魔術師さま、惚れても無駄よ。1年後に私は消滅してしまうから~』

【コミカライズ】ステキコミックで配信スタート!!

fv7kfse5cq3z980bkxt72bsl284h_5m4_rs_13w_9uuy.jpg
こちらから「ステキコミック」をどうぞ

【書籍全2巻発売中!】 100日後に死ぬ悪役令嬢は毎日がとても楽しい。

fv7kfse5cq3z980bkxt72bsl284h_5m4_rs_13w_9uuy.jpg
公式ブログはこちら
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ