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1話「誰も悪くない婚約破棄」

「婚約を破棄させてくれ、ヴェロニカ」


 私の婚約者であるミハエル様が、宰相の娘である私、ヴェロニカ=スーフェンにこうべを垂れた。

 ミハエル=ダイアモンドはジュエリア王国の見目麗しき王太子様だ。年齢は私と同じ二十四歳。魅惑的な甘い声音。長身痩躯。どこにいても目を引く銀髪。精悍な顔つきの中でも特に美しいのは、宝石のような蒼い瞳。王族正装であるきらびやかな白い衣装をここまで着こなせる若者は、彼以外にいないと思う。

 彼は文武に長けていた。少し前まで世界中の問題だった『瘴気戦争』で最前線で戦い、聖女を守っていた。名実ともに、彼は誰もが認める次期国王だ。世界で一番魅力的な婚約者。彼を生涯支えるべく、自分も幼少期から勉学に励み、出来うる限りの努力をしてきたつもり。


「ヴェロニカ様……。ごめんなさい、本当に……」


 その隣で、王子と共に頭を下げる少女がいた。震えた声の間に漏れる息遣いは荒い。おぼつかない足元。ミハエル様の腕に捕まって、なんとか立っている状態なのだろう。寝間着姿なのは……きっと着替える体力すらないのでしょうね。

 部屋に入ってきた時の顔色からしても、体調の悪さは一目瞭然。青黒い文様が、肌のいたる所に浮かび上がっている。これは『瘴気』に侵されている証拠。

 この小柄で痩せっぽっち――元は長い黒髪と同色の瞳以外何の特徴がない少女こそ、この世界を救った聖女だった。


 リカ=タチバナ。


 異世界から転移してきた彼女は、瘴気に覆われようとしていたこの世界を、神より授かった特別な力で浄化した英雄だ。

 年齢は十七歳。いきなり親も友達もいない世界の浜辺に流されてきた彼女の英雄譚を、この国で知らない者はいない。

 私も王族最上位の貴族令嬢として、世界の危機を救う英雄を出来る限りサポートしてきたつもりよ。彼女が傷だらけで帰ってきた時には誰よりも心配し、世界の瘴気を晴らした時は誰よりも称賛を送った。彼女も友達の域を超えて、慕ってくれていたと思う。私も本当の妹が出来たような気がしていたの。


 そんな二人が、私に懇願している。

 私とミハエル様の婚約を破棄してほしいと、宰相令嬢の私よりも遥かに地位の高い王太子と聖女が『お願い』してきている。


 ここは王城内で私室のように使わせてもらっている客間。ヒールでも歩きやすいように毛足の長い絨毯も、細かな刺繍が美しいカーテンも、黄色い花弁の美しい私の好きな花が飾られた花瓶も、私が座っている座り心地のよい椅子も、柑橘系の香りが爽やかな紅茶も、全部私のためにあつらってもらっていたもの。

 その部屋で座ったままの私に、彼らは『婚約破棄してくれ』と頭を下げている。

 私は薔薇色の長い髪を掻き上げて、極力いつもどおりに話した。


「それで……リカ様の体調はどのくらい悪いのですか?」

「……このまま何もしなければ、余命は三日だと」


 ――もう、本当に馬鹿。なんて馬鹿な少女なのかしら。


 世界の瘴気を晴らした代わりに、その小さい身体に瘴気を取り込んでしまった聖女。

 神はこうなることを見越した上で、彼女に天啓を与えていたという。


『好きな異性からのキスで、どんな呪いも癒せるだろう』


 そのことを彼女が漏らしたのは、一週間前。

 彼女が瘴気の呪いに苦しみ出したのは、三ヶ月前。

 なんでずっと黙っていたのか。問いただした私に、彼女は苦笑するだけだった。

 今なら理由がわかる。この王国で接吻は『永遠の愛を誓う行為』とされているから。

 呪いを晴らすために接吻するということは、永遠の愛を誓うということだから。


 だから……わかっていた。

 いつか、こんな日が来ることは――


 だってそばにいれば、彼女がミハエル様に好意を抱いていることがわかっていたから。そして、それを必死に隠そうとしているのもわかっていたから。

 人の秘めた感情を咎められる?

 そんなの無理よ。ましてや、彼女は見知らぬ世界の運命を背負った聖女。そんな彼女に、それ以上の負荷を強いる人がいたら……それこそ、この私が許さないわ。

 ミハエル様も私の手前、一線を引いていたけれど――王太子として――いいえ、王太子だからこそ、世界を救った聖女をみすみす見殺すなんて、そんな不義理が許されるはずがない。彼女を見捨てたことが国民にバレたら、それこそ暴動が起こるかも。


「本当……馬鹿な人たち」


 私は低い声で吐き捨てて立ち上がった。

 そして、飲みかけのぬるい紅茶をおもむろに聖女にかける。


「……っ!」


 ふらふらの足で立っている彼女は、それでも顔を上げない。「ごめんなさい……ごめんなさい……」と、顔が濡れたことも厭わず、謝罪の言葉を繰り返す。

 私は唇を噛み締めて、ミハエル王子に向き直った。


「……今見ていらしたように、私は世界を救ってくださった聖女に不敬を働くような女です。こんな女、とても王太子殿下の婚約者として、相応しくないですよね?」

「ヴェロニカ……」

「存分に、私を悪役に仕立ててくださいまし。私と王子との婚約は、それこそ他国にも知れ渡っております。如何な理由があれど、それを破棄することに難癖つける輩はいるでしょう。全ては国益のために。ジュエリア王国のために――如何に公表すべきか、ミハエル様なら間違いませんよね?」


 私はね――

 ジュエリア王国の国母となるべく、今まで生きてきたのよ。

 たとえ、その夢が破れようとも……その矜持だけは失ってなるものか。


 決意の色を浮かべた私の顔を見て、ミハエル様はどこまでも透き通る蒼い瞳に涙を浮かべた。この瞳が、私はずっと大好きだった。


「……それだけは断る。そうすれば、君の今後に悪評がついて回ってしまう」

「ですが――」


 口を挟んできたのは、今にも倒れそうな聖女リカだ。


「そんなこと、わたしは絶対に許しません! ヴェロニカ様が悪役令嬢になるなんて……そんなこと死んでもさせない。聖女の名にかけて、絶対に許さないっ!!」


 叫ぶだけ叫んで、彼女は苦しそうに咳き込む。吐き出すのは真っ赤な血。ミハエル様が慌てて支えた彼女の小さな背中を、私も慈しむようにそっと撫でる。


 ところで『アクヤクレイジョウ』って何かしら?

 ……まあいいわ。彼女が元気になってから訊けばいいことよね。


「世界を救った聖女を亡くすことも、ジュエリア王国の評判を落とすことになる。何より……あなたを失うなんて悲しいこと、私が御免だわ」

「ヴェロニカ……さ、ま……」

「ミハエル様に惚れるなんて、見る目あるじゃない。いい男よ、この私が保証する」


 ――泣くな。泣くんじゃない、ヴェロニカ=スーフェン。今まで培った社交技術を、ここで使わないでどうするの。


「でもね、私はもっといい男を掴まえることにするわ。羨んでも、もう知らないからね」


 私は笑っていられるうちに距離をとる。そして、何か言いたげな目をした二人の横をさっと通り過ぎた。


「ミハエル様、早く口づけしてあげてくださいね。どのみち早く着替えさせてあげなくては、聖女様が風邪を引かれてしまいます」

「あ……ああ、ありがとう。ヴェロニカ」


 ミハエル様の声を、背中で聞いて。

 さすがに、二人の接吻シーンは見たくない。


 私は一人、部屋を出る。扉を閉めると、中からまばゆい限りの光が溢れてきた。あたたかく、優しい光。きっと二人が口づけを交わしたのだろう。神が二人を祝福しているのだ。

 その光に導かれるように、人払いされていたであろう多くの人が集まってくる。



 ――お慕いしておりました。



 心の中で、別れを告げて。

 その波に逆らうように、私はその場をあとにする。


 今日はとてもいい天気だった。窓の外には、どこまでも澄み渡る青空が広がっている。その色があまりに綺麗で――私の目から涙がこぼれた。



数ある小説の中からこの作品をお読み頂き誠にありがとうございます。

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