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透明な世界をもう一度  作者: 伊草 推
第一章 疑問に思う
3/3

本日と残り17日

 残り本日と17日

 いつも通りの朝を迎え、いつも通り朝ご飯を食べ、いつも通り出勤をする。流れには逆らわない人生かの如く、いつも通りを繰り返していたらすでに勤務が始まっていた。

 今日は搬入がなければ、来客もない。本当の意味で立っていることだけが仕事という何とも残念な状況だ。

 今日も千倉さんのことを考えようと昨夜の時点では思っていたが、下手に千倉さんのことを考えると”疑問に思う”に引っかかってしまうのでは、と思ってしまい思考が停止してしまった。それに、千倉さんについて考えるということにも少し飽きてしまった。

 だから、いつもよりも真面目に仕事をしようと意気込み、搬入作業が適度にあれば嬉しいと願ったのだが、結果は散々。

 来客、搬入一切なし。

 やることがなくて仕方がない。

 まぁでも、こんな暇な仕事だが、あと数時間でこの仕事が終わってしまうと思うと少し感慨深いものがあった。

 思いかえしてみれば、初日は忙しい職場なのではないかとソワソワしていた。

 初日は、大量の弁当を買うという大変重要で面倒な仕事に追われたことは事実だが、それ以外は暇そのもの。

 次の日からは、特に忙しいこともなくここまで来てしまった。そう考えると、本当に初日はソワソワし損だったと思う。

 そうだ、次の担当者が不安を抱えないように引き継ぎを作ろう。

 そうすれば、作業員の人も弁当の話とかもせずに済むだろうし、作業員の皆々様は楽できるであろう。

 作ってる間の時間も有意義に潰せるはずだ。


 引き継ぎの内容を箇条書きし、一通りやることをやり、時計を見ると昼休憩の30分前。

 何とも絶妙な、時間の使い方の上手さに感動した。そして、引き継ぎ内容の確認をしながら要望を聞いて回り、引き継ぎ内容通りスーパーへと赴いた。

 道中、特に変わったことはなく、皆に弁当を配った後はいつもと変わらぬ団欒の時間を過ごし午後の勤務に就いた。

 主な引き継ぎ内容である昼の弁当購入の確認も終わってしまったため、本格的にやることがなくなった。

 やることがないため、千倉さんのことでも考えようかと思ったが、どうにも“疑問に思う”が邪魔をする。

 頑なに千倉さんのことを考えていない現状ではあるが、もし“疑問に思う”が千倉さんのことなのであれば、いずれ根負けして千倉さんのことを考え始めるということだ。

 だから、考えないようにしてること自体が無駄なのかもしれない。

 だが、小学校のころから気になっている“疑問に思う”が千倉さんについてというのは嫌ではないが味気ない。

 やっぱり、少し嫌かもしれない。

 なので、この暇な時間を何も考えることなくただただボーっとするという無為な時間に充ててもいいのかもしれない。

 誘導するときの棒で遊ぶわけでもなく、読み物をするわけでもない。

 ただただボーっとする。

 いつもと変わらないのかもしれないがそれがいい。


 そんな無駄な時間を2時間ばかし過ごしていると、遠くから龍平さんに呼ばれ、体に電流が走った。

 呼び出された理由は何なのか。自分の職務態度が原因でないことを祈りながら小走りで龍平さんのところに向かった。

 呼び出された先に行くと、そこは完成しつつある一軒家だった。

 先に龍平さんは、屋内に入ったようだった。ほぼ新築ということもあり、失礼しますと小声で呟き屋内へと進むと、そこには歩さんが少し痛そうにしながら座り込んでいる。

「何かあったんですか?」

「歩の足を骨折したみたいなんだ。肩を貸して病院に連れてってくれないか?」

 それを聞いた歩さんは足をさすりながら、恥ずかしそうにしていた。

「足場が悪くて挫いちゃったわ。これぐらいなら平気だと思ったんだけどさ...」

 と言ったところで、龍平さんが怒り気味で話を遮った。

「何が平気だ。歩き方も変だっただろ。俺がお前の将来予測を見てなくても、お前の歩き方に違和感を覚えた誰かが将来予測を確認して仕事を辞めさせただろうよ。怪我した足が悪化して長期間、現場に出れないことの方が困るんだからそれぐらい考えろ。それにものを整理していないから...」

 少し説教モードに入った龍平さんを歩さんはハハハともう訳なさそうに話を聞き所々ですみませんと謝った。

 だが、この説教のおかげで大体のことは理解できた。

 足を踏み外し、着地しようと思ったところに色々と散らばっていたため、避けるようにして無理に着地。結果的に不時着で足を挫く損害を招いた。

 状況が想像できたのはいいのだが、小言程度で終わると思われていた龍平さんの説教が意外に長く、ただただ直向きに、それを聞いていた。

 内容自体の言っていることは至極真っ当であり、反論するのも適当に切り上げるのも難しい。ましてや当事者でない自分が途中で口を出すこともできない。

 これを聞かされ、自分も誰かの迷惑にならないよう自己の周辺環境の管理等はしっかりしなくては。と心に誓った。

 そして、3分もすると説教の大部分は終わった。

 怒るところを探すべく、少し言葉につまったのを歩さんは見逃さなかった。

「本当にすみませんって。龍平さんも、まだ次の仕事あるでしょ。しっかり、瑞樹君と病院行ってくるんで安心してくださいよ。」

 この謝罪と相手を気遣う心を持った言葉が龍平さんに通じたのか、はたまた説教に満足したのか、あぁそうか。といい説教モードに終止符が打たれた。

「それじゃあ大塚君、歩を頼むよ。」

 そういうと、龍平さんは自分の仕事に戻ろうと歩いて行く。

 はい、わかりました。と言って、この話は終わり。

 そう思ったが、よく考えれば、俺が抜けたら警備の仕事に就く人がいなくなる。それは問題になるのでは?と思い龍平さんを呼び止めた。

「すみません、龍平さん。歩さんを病院に連れていきたいのは山々なんですが、警備が一人なんでいなくなったら問題ですよね」

 そう疑問を呈すと、言うのを忘れてたと言わんばかりにこういった。

「大塚君1ヶ月間色々頑張ってくれたでしょ。だから、歩を病院に連れてってくれればそれで今日の仕事終わりでいいよ。警備の方は、大丈夫。今日誰も来る予定ないし、人通りもないから警備いなくても問題ないからさ。」

「本当ですか。ありがとうございます。」

 龍平さんが良いと言うのだから問題ないと2つ返事で歩さんを病院送りにすることを受託した。

 すると、龍平さんは続けてこう言った。

「いやー本当にごめんね。みんなのお昼ごはんといい、こいつの骨折といい業務外のことばっか頼んじゃって。本当に助かったよ。」

「いやいや、いいんですよ。警備の仕事は基本的に暇なんで大丈夫ですよ。それに、みんなと仲良くできて楽しかったです。」

 暇ではあったが、コミュニケーションが取れて楽しかったという本音をそのまま告げた。

「ならよかった。歩のことよろしく頼むよ。ホント短い間だったけどありがとう。」

 龍平さんはそう言うと、手を振りながらその場から消えていった。

 屋内が一瞬静かになったところで、肩を貸すべく歩さんに近づいた。

「じゃあ、病院行きますか歩さん」

 そう言い歩さんに肩を貸そうとすると歩さんは、ちょっと待て、と言いこう続けた。

「龍平さんには挨拶したかもしれないけど、他の人には挨拶できてないだろ。俺もまだ準備とかあるから、他の人んとこいって挨拶してこい。そのぐらいの暇ぐらいあるから。」

 正直、ありがたいなと思ったが、足を怪我しているのに一人で準備ができるのだろうか。

「足怪我してるのに一人でも準備とかできますか?」

 心配に思いそう声をかけると思わぬ返答が返ってきた。

「さっきまで、バレないように仕事してたんだから準備ぐらい大丈夫だわ。」

「あ、そういえばそうでしたね。わかりました。皆さんに挨拶してきますね。15分ぐらいで終わらせるつもりなんで、それぐらいまでには準備終えといてください。お願いします。」

 歩さんは、任せとけと言わんばかりの顔と手ぶりをし、準備を始めた。

 できる限り、15分以内に終わらせられるようにまたもや小走りで、現場を駆け回った。


 みんなへの挨拶を終わらせ、準備も整った。

 歩さんに肩を貸し、現場を出る直前、改めて現場を見てこの1ヶ月間のことを思い起こした。

 まず思ったことは、1ヶ月もここに拘束されていたのか、ということ。こんな考え方をすると随分と長い期間だったなと、気が滅入った。

 だが、初めはほとんど何もなかった場所に完成途中にしろ建物が建った。何もなかった場所に物ができた。その様は壮観であり、ここまで完成するのに微力ながらも一役買えたのか。と感傷的になり、思わず、長いようで短い間ありがとうございました。と心の中でお礼した。

 心の中にしろ現場にお別れを済ませたところで、歩さんと一緒に現場を後にした。

 そして、現場を出て数分後、少し肩を貸して歩くのに慣れてきたなと思っていたあたりで、自分の気の利かなさからくる申し訳なさでいっぱいになった。

 貸してる側としては多少慣れてきた。

 だが、怪我をしている歩さんが歩きづらそうに足の引きずっていることには変わらない。

 その姿を隣で見て感じているのに、タクシーを呼ぶという選択肢を出せなかったのかという遣る瀬無さが込み上げてきた。

 現場を出てすぐにでも提案できたはずだったはず。なんなら、現場を出る前にも思いついて提案ができたはずだ。

 だから、申し訳なさそうにして、タクシーを呼ぶかを打診することにした。

「そういえば、足引きずってるの辛いですよね。タクシー呼びますか。」

「タクシー代がもったいないからいいよ。それに病院って言っても数キロも離れてるわけじゃないし、普段から鍛えてるからそれぐらい大丈夫だよ」

 それを聞いて少し自分の気が晴れた。

 まぁ確かに少し離れただけの整形外科に行くのにタクシーに乗るのはもったいないか。

 そう言われればそうだと思い納得し、雑談を交えながら、牛歩で整形外科へと向かった。

 話す内容は、美味しいラーメン屋の話や歩さんの人生譚など、昼休憩の延長戦のような会話をしていた。

 その話も結局は、10分程度話すと話すネタが無くなるもので、二人とも口を紡ぎ静かに歩き続けた。

 無言の時が流れ気まずさが増すと歩さんが口を開いた。

「瑞樹君はさ、最近気になることとかないの?」

 あ、そういう会話の持たせ方もあったな。そんな思いながら最近、頭をフル回転させて考えていた2つのことを挙げる。

「そうですね、、、次の勤務先の千倉さんのことと、今日将来予測に書かれてる“疑問に思う”が気になりますね。」

「へぇー、“疑問に思う”なんてのがあるんだね。聞いたことも見たこともないや。」

 珍しいものを見たかのような雰囲気で静かにそう言われた。

「そうなんですよ。歩さんは疑問に思うってどんなのだと思いますか。今まで、先生とか両親とかに“疑問に思う”って何?って聞いてきたんですけど、誰一人とて、明確な答えがわからなかったんですよ。」

 話題を引き延ばすためにも、質問をした。

 う~んと悩みながら、数十秒悩んだ末に、はっと閃いた顔をしてこう言った。

「美味いラーメンを食った末に自分なら更に高みを目指して成功することができるんじゃないか、みたいな感じの疑問を持つんじゃない。」

 流石は、週5レベルでラーメンを食べるラーメン大好き人間なだけあって、例にまでラーメンを出してくるとは恐れ入る。

 でも、あれだけ“疑問に思う”について考えを巡らせたにもかかわらず、自分ではたどり着けなかった考えを出してくれたことに内心喜んだ。

「歩さん本当にラーメン好きっすね。まぁ確かに、ラーメンを食べた瞬間に自分のほうが美味しく作れるのでは?なんて自意識過剰な疑問がわくこともあるかもしれませんね。」

「そうそう。まずいラーメンとか食うと、この程度のラーメンなら俺のがうまく作れるわ。とか良く思ったりするからね。」

 そう感じたことは幾度とあると言わんばかりに頷き、間髪を入れずに同意をしてくれた。

 そして、そう考えればといわんばかりに続けて、予想の訂正を行った。

「もしかしたら今日食べるのは、美味いラーメンじゃなくて不味いラーメンを食して疑問に目覚めるのかもしれないな。」

 まさかの不味いラーメン屋に行くかもしれないという方向転換。

 美味しいラーメンを食べて感動するならまだしも、不味いラーメンを食べることが、人生の転換点というのは目覚めが悪い。

「いや~でも、ラーメン食べる予定はありませんし、歩さんの予想は外れかもしれませんね。」

 面白い予想だったけど、ラーメンを食べる予定はないから、予想は外れだろう。

 すると、そうか。という少し残念そうな返答がきた。

 少し悪かったなと思っていると、楽しげな声で思わぬ追申がきた。

「じゃあ、この辺とかお前の住んでる家の近くにあるあんまり美味しくないラーメン屋を教えてやるよ。それを食べに行けば当たる可能性はある。」

「いやいや、歩さんそんなに自分の予想当てたいんですか。わざわざ美味しくもないラーメン屋に行きたいとも思わないですよ。」

「そうだよな。俺もわざわざ行こうとは思わないな。」

 といって二人で笑いあった。

 それにしても、あんまり美味しく無いラーメン屋まで記憶しているとはすごいなと感心した。

「んで、瑞樹君は、今まで将来予測で疑問に思うっての自体には疑問に思わなかったの?」

 と、歩さんが話を切り替え、疑問に思うについて聞いてくれた。

「小学校の頃は疑問に思って先生、両親とかに聞いたんですけど、詳しいことはわからなかったんですよ。そのころ自分でも調べたんですけど、結局わかりませんでしたね。」

「でもそれって、小学生のころの検索能力不足が原因なんじゃない?」

「たぶんそうですね。でも、徐々に興味も失って能力があるころには興味すらなかったですね。思い出したのも一昨日ですし、調べる暇もなく色々考えても何も出ずって感じです。」

 疑問に思うについての自分の過去と近況を打ち明けた。

「そっか、そんなもんか。まぁ俺も今日骨折することを骨折した後に思い出したからな。」

「将来予測なんて普段見ませんもんね。忘れてても仕方ないですよ。」

 歩さんも骨折すること自体を忘れていたという事実には少し驚いたが、自分も忘れていた手前、共感することしかできなかった。

「でも、色々考えてわかったこともあるんですよ。」

「おっ、何かわかったことあるんだ。」

「そうなんですよ、日常的に疑問に思うことはあるでしょう。だから、将来予測に載るほどの“疑問に思う”ことってのは、相当な衝撃を受けるような疑問が生まれるってことですよね。」

「う~ん、確かにそうかもね。でも、お母さんもお父さんもに覚えてないんでしょ?」

「そうですけど、、、」

 確かに、うちの両親は覚えていない。その理由もわからない。

 ただ、考えられることはあった。

「でも、両親とも覚えてないのは時が経ったからだからだと思うんですよね。30年も前のこと鮮明に覚えてる方が珍しいでしょ。」

「確かにそうかもね。俺もお前も、未だ30年も生きてないからわからないけど、俺なんかは15年前のことだって思い出すのが危ういことがあるから言えてるかもしれないな。」

 そう歩さんは納得してくれた。

「だから、きっと“疑問に思う”ことに直面した時は、相当な衝撃を受けたと思うんですよ。ただ思うのが、家に帰り、ご飯を食べて、風呂に入って、寝るっていう日常生活の中で、そんなにも衝撃を受けるような疑問が果たして生まれるのだろうか。ってことが、はなはだ疑問なんですよ。」

「ハハハ、確かにそうだね。今からの日常生活の中で、そんな衝撃的なことが起こるのかは疑問に思うよね。まぁ今思っている、はなはだ疑問が“疑問に思う”の答えじゃないといいね。」

「いやぁ、もし疑問に思うの答えがこんな屁理屈をこねた様な疑問なのは嫌ですね。」

 二人で笑いあいようやく話も盛り上がって来たところで、もう一つの話題である千倉さんのことを話そうとしたその時、目に見える距離に整形外科が見え始めた。

「瑞樹君ここまで肩貸してもらっちゃって本当にごめんね。あとちょっとだから。」

 そう言って、100mぐらい手前にもかかわらず、お礼を言われてしまった。

「いいんですよ。これも半分仕事のうちですし、歩さんを届ければ、合法的時短営業ができるんですから。歩さんもここまで本当にお疲れ様です。あとちょっと頑張って下しさい。」

「おう。」

 そして、温まった空気がまたしても凍り付き、無言でスタスタと歩き続けた。

 歩きなれたこともあってか、100mという距離は大したものではなく、すぐに目的地の病院前に到着した。

「お疲れ様です。歩さん。受付とかも一緒に行きましょうか。」

「いや、ここまで外まででいいよ。そこまで付いて来られると恥ずかしいしな。」

「そうですか、、、わかりました。本当にここまでお疲れ様です。大した役に立てなくてごめんなさいホント。」

「何言ってんだよ。良い肩貸しだったぞ。プロの肩貸し屋になれるレベル。」

 思わぬギャグにフッっと笑ってしまった。

「じゃあ、プロの肩貸し屋として開業しますかね。」

「開業したら教えてくれや。また、肩貸してもらうことにするよ。」

「その時はお願いします。。。いやっでも、本当にここまでお疲れさまでした。しっかり治して、現場戻ってバリバリ働いてくださいね。」

「そうだな。頑張って早く治してくるわ。暇なときあったら、あいつらも呼ぶから呑もうや。」

「そうですね是非ともご一緒に。それじゃあ医者との闘い。頑張ってきてください。」

「おう、頑張ってくるわ。じゃあな。」

 そう言い残すと、歩さんは、整形外科へと入っていった。

 姿が見えなくなったあたりで、

「近く死ぬらしいんで、、、飲みに行けるといいですね」

 そう呟いて帰路についた。


 無事、病院に送り届けたことだし、帰ろう。

 病院前ではそう思っていたが、時間もあることから知らない街を少し散策してみたい。

 そう思いつき、真っ直ぐ駅には向かわず、適当にぶらぶらと歩き街並みを見てまわった。

 少し歩いたところで、東中山商店街という看板を見つけた。

 道路を挟み、屋根付きの歩道部分と商店部分が並行して立ち並ぶよく見る商店街だった。

 自分の町とは、違うもののよく見る商店街であり、どこの町もそんなに大きく変わるもんじゃないんだな。

 などと思いながら歩いていると、フィクション作品でしか見たことの無い様なコロッケを店頭で売っているお肉屋を見かけた。

「これは買い食いをしなくては。」

 思わず声が出て、するりと肉屋でコロッケを買って歩きながらコロッケを食べた。

 出来立てとは言えないものの暖かく、美味しいコロッケを食べながら知らない街並みを見て堪能する。

 次は、反対側の歩道に行って散策してみるか。そう思いながら、自分を抜かしてゆく車を右手にゆっくりと歩いて行くと赤信号の交差点が見えてきた。

 その赤信号が、丁度よく青信号に変わることなく、十字路交差点で立往生をさせられた。

 交差点には、真っ直ぐの順路と反対側へと向かう右側に数人、斜め向こうにお母さんと男の子一人の親子が1組、自分の周りには誰一人待ち人はいなかった。

 自分の周りに人がいないのもあってか、止まった時から食べる速度は上がり、アッという間にコロッケが無くなっていた。本当に美味しいコロッケだった。

 さて、斜め前へと渡った先にゴミ箱はあるだろうか。そんなことを思い、顔を上げて向かう先を見渡していると、車両用信号が赤に変わり、全ての歩行者用信号が青へと変わる。

 交差点にいた人のほとんどがゆっくりと動き出した。斜め向こうにいた男の子は、はしゃぎながらお母さんの手を引き、こちら側に向かって走ってくる。

 他の横断者よりを一歩リードした好調な滑り出しであるといえる。

 一方の自分は、顔を上げて前を向き、その他大勢と同じく、斜めにゆっくりと動き始め横断歩道への一歩目を踏み出した。

 そう、しっかりと前を向いていた。

 だから、目の先にある止まる気配のない一台の乗用車にも気づいていた。

 声を上げて、親子を引き留めようと思った瞬間には、既に親子は車に接触して飛ばされていた。

 自然と後退り、目は跳ね飛ばされた男の子と車を追いかけた。

 男の子は自分のすぐ右横に飛ばされた。

 車は親子以外の人に接触することなく、停止している対向車の横を擦り、2台目と正面衝突をする形で停止した。

 凄惨な現場というと過剰ではあるが、人生で初めて事故現場に遭遇した。

 車が停止した後は、思考機能が一瞬停止し、全てが静止しているようにも感じた。

 頭の整理がつき、母親の方はどうなったのかを確認した。

 母親はまっすぐ飛ばされ、やや横断歩道の中心あたりで倒れこんでいた。

 接触位置と母親の位置から見て、この子が如何に強い力で飛ばされたのがよく理解できる。

 自分のすぐ隣には、跳ね飛ばされた子供がいる。

 そして、自分の周りには誰もいない。自分が何とかして、救護しなくてはいけない。

 初めて尽くしで、何をすればいいのかということに焦りが積もった。

 そんな時、学校や会社で習った緊急マニュアルを思い出した。

 緊急マニュアルは、Aシステムの機能の一つで、緊急マニュアルを選択して救急車などを手配し、手配が終わると実行フローが表示される。それに従い相手の様態などを確認して、表示されている通りに応急処置法などを行う。

 という、緊急時の対処を補助する機能である。

 あらゆる事故、応急処置などに対応し、最適な対処法を提示してくれる。

 これを使えば、文字通り、この事故への最適な対処が行える。

 自分の周りには誰もいない。男の子の問題を処理できるのは自分しかいない。

 Aシステムがあれば簡単だ。手順に従って行動するだけだ。マニュアルの通りにやればいい。近くには誰もいない。

 そう自分に言い聞かせて、Aシステムを起動した。

 緊急マニュアルの交通事故・人身事故を選択すると、救急車の手配は自動的に手配された。

 そこから、被害者の救護を選択すると実行フローが表示された。

 フローによると、まずやることは「被害者の外観チェック」だという。

 明らかに助かる見込みがない、死んでいる場合は、他の人を助ける時間を無駄にしてしまうからだという。

 男の子の外観は、服や体が擦れて腕があらぬ方向に曲がっている。

 しかし、男の子が助かる見込みがないとは言えない。また、他の負傷者は母親、運転手、接触された車の搭乗者らと少人数で、どこを見ても既に救助の手が足りている。

 だから、多少酷い状態でも救護は可能と考え、次のフローを確認した。

 次のフローは「Aシステムで相手の健康状態・心拍数を把握し、意識と負傷個所の詳細な確認をする。」と示された。

 書かれている通りにAシステムから健康状態の心拍数を確認する。

 すると、正常な値であるか否かはわからないが心拍数が表示された。人工呼吸などの項目に移動しないことから心拍数は問題ではないのであろう。

「き、君。大丈夫?意識はある?」

 続いて、フローに従い男の子に意識の確認をとるが返事はない。

「おーい、意識あるかー?おーい。祐樹くーん」

 と頬を軽くはたき、Aシステムで確認した名前を呼びかける。

 しかし、返事も反応もない。気絶しているのだろう。

 これらの確認をしながら体全体を見渡した結果、外傷などが概ね把握できた。

 腕の骨折と擦り傷からの出血、それに頭部からも出血しており、頭をぶつけたのだろうと見て取れる。

 そして、次に表示されたフローは「Aシステムから相手の本日の将来予測を確認する」というものだった。

 指示通り、祐樹君の将来予測を確認した。

 将来予測には「交通事故で死亡」と明記されていた。

 それを確認し、状況選択をすると、実行フローには「救護の必要はありません」と表示され自動的に次の実行すべきことを表示した。

 そこには「通行、交通などの妨げにならないよう道路の端などの邪魔にならない場所へ移動させる。」と書かれていた。

 どうやら、将来予測で死亡するとわかっている人間を救護する必要はないということらしい。

 この「救護の必要はありません」を見た瞬間、なぜかはわからないが心がほっとした。

 表示された実行フローに従い、祐樹君を人通りの少ない歩道内の道路寄りの場所へと移動させた。

 移動を完了させると、実行フローには「被害者の移動、お疲れさまでした。他の被害者の救護を行いますか」という表記と「はい、いいえ」の選択肢が出てきた。

 再び、周りを見渡すと既に母親、車の双方に救護活動が十分と言える人数を確認できた。

 だからこれ以上、救護活動に参加する必要はないと感じ、いいえを押して救護活動に終止符を打った。

 すると、Aシステムには「救護活動お疲れ様でした。あなたは最適な事故処理を行うことができました。」と華々しく、表示された。

 それを見ると、自分の仕事が役に立ったであろうことを実感し、誇らしいという気持ちもわいてきた。

 それを見終わり、次のページに進むと「救急車及び事故処理会社が来るまで時間はおありでしょうか?もし時間に余裕があるのであれば、救急車等の到着を待ち、救急隊等に簡単な事故状況の説明と緊急マニュアル通りに従い被害者を人通りの少ない所に退けた旨をお伝えください。」と少々長い文章が表示された。

 この後、特段やることがある訳でもなかったので、しばらく待つこととした。

 到着まで5分10分待つと思っていたのもつかの間、待ち始めて1分も経たないうちに救急車が到着し、隊員がこちらに駆け寄ってくる。

「そちらの子供はどのような状況でしょうか。」

「骨折しているみたいで、息はあるのですが、気絶しています。あ、あと、緊急マニュアルに従って将来予測を確認して、死亡日が本日だったので人通りの少ない場所へ移動させました。」

 緊張で色々と飛ばして容量の得ない説明してしまったが隊員は、その説明で理解できたらしく、しっかりと頷いたいた。

「わかりました。救護活動お疲れさまでした。私は、車同士が接触した方の救護に行ってきます。事故処理会社が来ましたら、同様の説明をしていただけると幸いです。」

 そうハキハキと喋り、車同士が接触した現場の方へと向かっていった。

「わかりました」

 既に他所へと向かった隊員に了解し、ただただ呆然と立ち尽くす。

 周りをよく見まわすと、救助者と救急隊員は慌ただしく、動いている。そして、事故現場を見て立ち尽くす人、横目に見てそそくさと現場から去っていく人、様々な人がいる。

 一方の自分は、大体のことが終わり、倒れている男の子の横でただただ何もせず立っている。すると

「ここで何があったんですか?」

 野次馬の1人から話しかけられた。

 やはり、異常なものは気になるというのは普通のことなのだろう。

「ここで交通事故があって、親子が跳ねられたんですよ。跳ねた車は、停車してた2台の車と接触して停止しました。」

 ほうほう、としっかりと聞いてくれている。そして、足元にいる男の子についても少し気になるような素振りをしていたため、手のひらを祐樹君の方に向けて、話をつづけた。

「この子は跳ねられた子供の方で、緊急マニュアルに沿って処置をしようと思ったのですが、将来予測を確認したら本日死亡となっていたので、主だった処置をすることなく、最初に倒れこんでたあそこからここに運びました。そして、あそこで処置を受けてるのが母親です。」

 手振りを使って丁寧に説明をした。

「あぁそうなのか、かわいそうだねぇ。本当に事故なんて珍しいからつい足が止まっちゃったよ。教えてくれてありがとう。」

 そういうと、野次馬さんは別の角度からみるためか、他の場所へと歩いて行った。

 一方の自分は変わらず立ち尽くすだけだったが、さっきの救急隊への説明見たく緊張せず、丁寧に説明ができ内心嬉しくてたまらなかった。

 こんな感じで、事故の内容を聞いてくる野次馬に対応しながら事故処理会社を幾何か待った。

 そして、そんなに待つことなく、事故処理会社が2台の車で到着した。

 手を振り呼ぶと1人が気付き、すぐに駆け付けてくれた。

 そして、倒れこんだ男の子を一見した後、事務的な感じでヒアリングが始まった。

「あぁこの子が被害者ですか。可愛そうに。この子の処置をしたのはあなたですか?」

「はいそうです。気絶していますが心拍数に問題はないみたいです。見ての通り、腕を骨折しているみたいです。緊急マニュアルに従って、骨折などの処置しようと思ったのですが将来予測に本日死亡予定となっていたため、人通りの少ない場所に寄せました。」

 前回とは違い、要点だけを詰まることなく、言えたと思う。

「そうですか。だから処置が行われてないんですね。わかりました。では、どんな事故だったか見ていましたか?」

「歩行者用信号が青信号に変わり、男の子がお母さんの手を引いて横断歩道を渡っている途中に車がノーブレーキで突っ込んできたって感じです。」

「運転手の表情とかは見れましたか?」

「すみません。そこまでは見れませんでした。」

「わかりました。概ね状況は理解できました。救護等含め、ご協力ありがとうございました。帰ってもらっても問題ありませんよ。本当にご協力ありがとうございました。」

 そういうと事故処理会社の人は、車に戻っていった。

 もっと色々な内容を詰問されると思っていたため、なんだか拍子抜けだ。

 だが、事故処理会社の人も救急隊員同様、対応には慣れている気がした。

 自分の責務を完全に果たしたのを機に再び周りを見回すと、様々なところで状況が進展していた。

 お母さんの姿は既になく、既に救急車の中にいるのだろうと推察できた。一方の車は、どこか別の場所へと動かしている真っ最中だった。

 だが、もう一人の被害者である祐樹君は、人通りの少ない場所に寄せて以来、一切進展がない。

 やはり、将来予測で死亡すると書かれている以上、必然的に後回しになるのだろう。

 そう思っていると、事故処理会社の人が白い布のようなものをこちらに持ってきた。

「何か手伝えることがあるなら手伝いましょうか?」

「本当ですか?ありがとうございます。では、これを広げるので先ほど運んだ要領で真ん中においてください。」

 そう言うと白い布を広げ始めた。完全に広がった頃を見計らい、男の子を静かに持ち上げ、真ん中へと置いた。

 その後は、慣れた手つきで男の子を包み「ありがとうございました。」と言い残し、白い布に包れた男の子を車へと運んで行った。

 驚くことに運ばれた先は救急車ではなく、事故処理会社の後部座席部分に運ばれていった。

 そして、お母さんが乗っているであろう救急車の後をつけるように事故処理会社の車が付いて行き、主な被害者である親子の件は完全に解消された。

 思いかえしてみても、事故からまだ15分程度しか経っていない。

 最適で迅速な対応をした結果がこれなのだろう。気づけば終わっていたという表現がよく理解できた。

 だが、再び車の方を見てみると事故処理会社の人たちが、ああだこうだ言いながら作業をしているのが見て取れる。

 流石に、車の処理には時間がかかるようだ。ただ、車の処理が終わるまで見物したいという気持ちはなかったため、がんばれと思いながら駅まで向かった。


 事故という珍しいものを目撃したものの、何も日常は変わらない。

 事故現場から駅の間、何も変わらないであろう日常が送られていた。

 いつも通りで何も変わることなく、日常は動いている。

 今も駅に着き電車を待つ。といういつも通りの日常を送っている。

 電車が来たらそれに乗る。席が空いていたら座って一息つく。

 席に座ると、緊張が解け一気に疲れが降り注ぎうなだれる。まだ16時台だというの仕事終わりのように感じた。

 ルーティンから外れた行動すると一日が長く感じるというが本当のようだ。

 早期退社して、先輩を病院に届け、事故処理にあたる。明らかに異常な一日。

 おかげで心身ともに疲労困憊だ。

 だが、逆にこれらが将来予測載っていないことが違和感にすら感じる。

 特に事故処理は将来予測に載ってもよいだろう。他にも“疑問に思う”とは何だったのだろうか。

 異常な一日を過ごしてもなお、衝撃的な疑問なんて何も浮かばなかった。

 もし、これから何かが起きるとなると、心の電池がもたないかもしれない。

 だから、これから何も起こらないことを祈りながら今日一日を反芻して、疑問に思うようなことがあったかを思い返す。

 まず、午前中は通常通りだった。疑うまでもない。

 続いては、先輩の骨折と病院までの肩貸し。特にこれといったものはなかったが、タクシーを呼んだ方が効率的だったのではないかと今でも思っている。

 次は、事故が起こるまでの散策。フィクション作品などでよく見る街並み、生で見るのは初めてだったが、疑問に思うようなことは一切なかった。

 最後は大物の交通事故。

 体験したことの全てが初めだった。

 しかも、緊張や焦りから疑問に思ったであろうことも見逃している。ある意味宝箱だ。

 まず、衝撃を受けたもの言えば、車が突っ込んでくるということ自体が衝撃的だった。

 俺も一昨日轢かれかけた身。普通ならば、安全装置が作動するはずだ。そういう意味では、なぜ車が突っ込んできたのかという根本的な疑問が湧く。

 だが、衝撃的な疑問ではない。たぶん、これは違うのだろう。

 次に考察できるのは、祐樹君の救護だ。緊急マニュアルなんてものを使うことがあるとは思ってもいなかった。

 今、思い返してもあの時の気の持ちようはよく覚えている。それに緊急マニュアルの合理性もよく覚えている。

 最初は不安で一杯だった。だが、あの時は緊急マニュアルに従えば良いと自己暗示をして乗り切った。だから、他のことを考える余裕はなかった。

 だから、しっかりと思い出したい。そう思った。

 救助開始時、祐樹君は明らかに助からない外観ではなかった。だから、次のフローに移行し、声掛けをした。ここまでで疑問に思うことはない。心情的には、緊張が徐々に解けてきたところだ。

 次は、祐樹君の将来予測を確認して、救護をやめたところだ。マニュアルで救護不能とされたのであれば、それは救護不能であることには変わらない。疑問にすら思わない。

 心情的には、緊張が一気にほどけてほっとしていたのを記憶している。

 ここで強い違和感を感じ、背筋がスッと凍り、自然と姿勢が良くなった。そして、多量の冷汗が滲み、良くなった姿勢も徐々に崩れ、ももに肘を立て、顔を抑えてうなだれた。


 なぜ、目の前で処置もなく死ぬ人がいるというのに“ほっと”したのだろう。


 これが“疑問に思う”なのだろう。“なぜ”と答えという名の“言い訳”が頭の中で交差する。

 頭が痛くなるほど考え、ほっとした理由が一つ導き出された。それは、救護の必要がなく自分の責任の負担が無くなった、ということだろう。

 無意識化であったとしても、あまりにも冷酷な判断だ。

 例え、祐樹君が医師であっても救護ができないほどの大けがを負っていたとしても、手が空いてるのであれば、骨折の処置をしたり止血をしたりすることができただろう。

 だが、将来予測で死ぬことを確認し、死亡すると選択したのは紛れもなく自分だ。

 そして、緊急マニュアルに従い何の処置もせず、指示に従い祐樹君を端に退けた。

 退けた後は、何もすることなく、放置をしていた。

 詰まる所、俺は何の処置もせずに祐樹君を見殺しにしたのだろう。

 今思い返すと、心ある対応ができなかったことが悲しく、やりきれない思いで一杯となった。

 それに加え「今思っても仕方がない。」「マニュアルに従っただけだ。」「将来予測で予測されてたんだ」「助けられるはずがない」こんな自己の行いを肯定する文言が頭を過る。

 自己の行動を肯定し、なかったかのように修正するという自己保身の本能が恥ずかしく感じた。

 自然と目が潤み、零れ落ちそうになったとき、電車が最寄り駅に到着した。

 覆い隠すかのように顔に重ねていた手を離し、顔に腕を当て下車をした。

 恐らく、目が充血し、顔に手の跡が付き、何とも言えないような情けない表情をしているだろう。

 だが、体裁を整える余裕はなく、醜態を晒しながら自宅を目指した。


 自宅の前に着くと一度大きく息を吐いた。

 考えに整理が付き表情もマシになったと思う。

 ただ、この悩みは家族にバレたくなかった。

 だから平然を装うため、自宅に帰ると「ただいま」と一言言って、すぐに洗面所で顔を洗った。その後は、母に会わないように急いで自室へと急いだ。

 運よく母に会うことなく、自室に入れた。

 入室後、椅子に座って机に突っ伏し、多少整理のついた考えを反芻した。

 まず、思い起こしたことは「自分の全般的な対応が正しかったのか」という正当性についてだ。

 答えは、正当だったという回答に着地した。

 これは、主観を大いに混ぜた保身的恣意的自己弁護した結果だといえる。

 だが、これを否定してしまうと何が正しいのかわからなくなってしまう。加えて言えば、緊急マニュアルに従ったということは、少なくとも正当ではないとは言えない。

 だから、消極的な弁明。逃げの一手として、正当であるとした。

 あの時の対応は正当だった。これは絶対に曲げることの無い。

 でなければ、精神も持たないだろう。

 続いて思い起こしたのは「車はなぜ突っ込んできたのか」という根本的な原因だ。

 帰宅途中、整理の一環として、考えたが何も浮かばなかった。

 出てきたことと言えば、何らかの不具合があったんでしょ。という抽象的で、全く役に立たない答えだけ。

 ただ確実に言えることが一つだけあった。それは、この事故を自分の力だけで防ぐのが不可能であったということである。

 事故が起こったことは、仕方のないこと。当然のようなことを再確認しただけに終わった。

 帰宅中に整理できたのは、ここまでだった。この2つしか整理できてはいなかったが気持ちは幾分、楽になっていた。

 もしかしたら、今置かれている状況に慣れただけなのかもしれない。だが、慣れることも必要だ。

 この後、考えなくてはいけない「冷酷な対応について」は、今までよりも重く心に負担が掛かるはずだ。

 逃げたいとも思ったが、考えから逃げたとしても、脳裏に焼き付き一生まとわりつくだろう。ならば、一度考えを巡らせ、答えを出す。それが最善に思えた。

 一度、立ち、伸びをしながら母に聞こえない程度の声で奇声を上げた。

 すると、更に心も体も楽になった気がした。

 再び椅子に座り、法杖をつきながら「冷酷な対応をした」という事実について考えを始めた。

 やはり、はじめに浮かんだ言葉は「マニュアルに従っただけ。」だった。

 そう言えば聞こえはいいが、何の処置もせず、邪魔な障害物を退かすかのように祐樹君を端に除けた。やったことはただそれだけ。

 それに「最大限の処置をしよう。」などとは微塵も思わなかった。

 このことが一番、悲しかった。

 確かにどんなに完璧な処置をしても祐樹君は死んでいるかもしれない。だが、腕があらぬ方向に向いた姿のまま放置する必要があったのだろうか。

 移動させた後に、別件で骨折の対処マニュアルを開き、骨折に対して最善の処置をする。それぐらいはできたのではないだろうか。そして、なぜやらなかったのか。

 これらから察するに、心の奥底では「将来予測で死ぬことはわかってるんだし、処置しても意味がない」と思っているだと強く感じた。

 そして、祐樹君を人ではなく、直せない大きなおもちゃぐらいの認識しかしていなかったのだと気付いた時、悪寒が走った。

 たぶん、これは他の人にも同じことがいえる。

 救急隊の人は、将来予測で死ぬことを確認すると、すぐに他の人のところに行き見向きもしなかった。

 野次馬の人もそうだ。死ぬことを聞かされると「かわいそうだねぇ」と一言いうだけで、処置がされていないことに関しては気にも留めなかった。

 事故処理会社の人に至っては、未だ死んでいないにもかかわらず、白い布で包み、まるで荷物を運ぶかのように後部座席に積み込んだ。

 誰も、祐樹君が助かるとは思っていないだからこんなことが起こったのだろう。

 これも仕方の無いことなのかもしれない。なぜなら、誰一人として将来予測が外れたところを見た人がいないからだ。自分の人生を思い返しても、将来予測が外れたということは聞いたことも見たことも当然、体験したこともない。

 将来予測に死ぬと書いてあるなら必ず死ぬ。それを信じて疑わない。

 だから、将来予測で死ぬと予測された人を見たら死んだものと判断し、考え処置すらしない。

 すると、恐ろしいことが脳裏をよぎった。

 俺は、17日後に死ぬ。

 死ぬ原因は火事だという。当然このことは、両親ともに知っているし、他の人も調べればすぐに出てくる。

 つまり、自分が炎に身を焦がされているとき、誰も助けてくれないということだ。

 それを考えた途端、死ぬのが怖くてたまらなくなった。

 ただただ単純に、死ぬのが怖い。

 息が詰まる。

 体の内側から何かが込み上げ、気持ち悪さを感じ、体が少し震え始めた。

 そして、再び目が潤み、我慢をする間もなく零れ落ちた。

 それからは涙が止めどなく流れ、収まる気配がない。

 ここまで感情が制御できなかったことは一度もない。死ぬのが怖くてたまらない。

 思い出、挫折、後悔、好きなこと、嫌いなこと、今まで生きた証が走馬灯かのようにフラッシュバックする。

 俺は17日後に火事で死ぬ。それは確定された未来で、誰も助けてくれない。

 このことに直面した、瞬間から身動きが取れないほどに悶え苦しんだ。

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