第29話 交換条件
暗闇の中で、ヴィリはじっとこちらを窺っている。見つめてくる鳶色の瞳は、肉食獣のようだ。今のイーリスの言葉が、飛びかかるのにふさわしいかどうか、暗闇の中からただ吟味をしている。
闇から窺う瞳に、ごくっとイーリスの喉が鳴った。
(さて、飛びつくかどうか――)
ヴィリだって、人の子ならば自分の家族を殺したいとは思わないはずだ。助かりたいと願い出た相手の言葉を受け入れられないのは、正直に言えば、自分にとっても苦いものではあるが――。
王妃としての立場からも、これ以上を譲ることはできない。
取り引きに対する相手の様子を金色の眼差しで見つめると、暗がりの中で、ヴィリはくっくっと笑い出す。
「王妃様。貴方は恵まれたお育ちのようですね」
言葉のとおりだ。確かに、イーリスは王族として生まれ、王族として育った。更に温かい家族に包まれて育ったのだから、どこもおかしくはないのだが――。
妙に皮肉げな言葉に、顔をしかめてしまう。
「ですが、私は、自分に辛い仕打ちしかしてこなかった親戚など、どうなってもかまわないのですよ?」
「え?」
親戚? 家族とさえ出なかったヴィリの言葉に、ふと目を眇める。
「聞いていなかったのですか? 私は、貧民街の生まれです。頭の良さで買われるように神殿に入りましたが、親を亡くしてからそれまでの日々は食事がもらえないのなんて当たり前。引き取られた伯父が賭け事で負けると、毎日殴ったり蹴られたりして育ちました」
「それは――」
知らなかったヴィリの過去に、一瞬息を呑む。
「食事だって、何度飯屋の残飯をもらいに行ったことか。いつも飢えて、破れた靴を冬に紐で縛って歩いていた私の惨めさなど、貴方には決してわかりはしないでしょう」
どきんと心臓が跳ねた。
言われてみれば――自分は、前世でも今世でも、恵まれたほうの生活だったのだろう。陽菜の天真爛漫さも、妹とのすれ違いがあったとはいえ、大きな不足のない生活の上に成り立っていたものだった。
境遇の違いを言われれば、自分にヴィリの野望を非難することができるのか――。
わずかに唇を噛んでしまったが、その様子にヴィリはまた鼻で笑う。
「まあ――いいでしょう。交換条件としては、いささか物足りないですが、自分のことは自分でなんとかします」
「え?」
あまりの呆気なさに逆に目を開く。もっと粘るかと思っていたのに。しかし、ヴィリはそんなイーリスの様子を面白そうに見つめている。
「代わりに、私の従姉のケリーを牢から出していただきたい」
「ケリー? 仲がよかったの?」
今まで、あれほど権力に固執していたのに。不意に挙げた名前を不思議に思って尋ねれば、ヴィリはふんと鼻を鳴らしている。
「べつに。昔、食事抜きにされたとき、よく近所の木からとってきた林檎を半分くれただけですよ。あの半分この礼を、最低限返しておきたいだけです」
「半分この礼――」
ヴィリの口から出るには、あまりにも意外な言葉にぽかんと口を開いてしまう。
(どうして、親族なんてどうでもいいと言いながら、ここでそれが出てくるのかしら?)
じっと暗闇にいるヴィリの様子を見つめたが、相手は少しだけこちらの返答が気になっているようだ。まるで、それだけが気がかりで、暗闇の牢屋に留まっていたかのように――。
(たった、半分この礼――)
きっとそれは、辛いことばかりが多いヴィリの子供時代の中で、数少なく温かな記憶だったのだろう。半分この礼といいながらも、ヴィリの様子は、そんな自分をどこか忌ま忌ましく感じているかのようだ。これさえなければ、とっくに脱獄していたのにとでも言いたげな表情に気がついて、イーリスの顔に笑みが広がった。次いで、強く頷く。
「わかりました。必ずや、そのケリーという娘の命は助かるようにしましょう」
「さすが、慈悲深い王妃様だ。話が早い」
一瞬ヴィリの顔が弛んだ。
「ならば――」
暗闇の中で、座り直したヴィリの鳶色の瞳が、正面からイーリスを見つめてくる。
「約束通りポルネット大臣の手口をお教えいたしましょう。大臣が利用したのは、歴史の中で、隠された民と呼ばれている彼らの魔力です」
――隠された民!
その名前に、はっと目を見開いた。
ギルニッテイの街で、イーリスに助けを求めに来ながらも、どこかおどおどとしていたあの夫妻のことではないか! あの時のハンナの様子がまざまざと脳裏に甦ってくる。
――どうして、あれほど怯えていたのか。
その答えに金色の目を見開くイーリスの前で、ヴィリは口元に薄い笑みを浮かべている。
「彼らは、大昔神殿に所属していて、降臨が少なくなった聖女を呼ぶために、その魔力を用いてきました。どこで彼らの住まいを知ったのか――。ポルネット大臣は、その一族の主立った者達に良い仕事を与えてやるといって都に呼び寄せ、有力な術者のいなくなった村を焼き討ちにすると脅かした――」
「村を焼き打ち……!」
では、ハンナがあれだけ怯えていたのは、過去のことだけではない。今も軍勢を村に連れて行かれれば、どうなるかわからないと思ったからこそ、あれほど怖がっていたというのか。
ごくりと息を呑んで見つめる前で、ヴィリは滔々と続きを話し出す。
「もちろん、彼らは拒んで帰ろうとしたそうです。しかし、村の長は、物見遊山をさせてやるからと、家族を都に連れてくるようにと言われていた」
はっと目を見開いた。
(では、あの子供がどこかに行っていたというのは……!)
「故郷では村を、そして都では家族を人質にとられては、どんな魔力の持ち主だって逆らうことなどできません」
ごくりと息を呑む。脳裏には、カイという子供をやっと取り戻したのにと叫んでいたハンナの姿を思い出す。
「ポルネット大臣は、今でも彼らが秘密を漏らさないようにさせていると言っていました。彼らは、男性は魔力が強いが、女性のほうはそれほどでもない。男ばかりを呼び寄せて、残った村の者を狙ったのも、その辺りが理由なのでしょう」
「どうして、そこまで警戒をしているの?」
純粋に疑問に思ったことを口にのせた。陽菜を呼び寄せた。それが独断であったとはいえ、この世界に歓迎されている聖女の降臨ならば、隠す必要はどこにもないはずだ。ましてや、過去に同じ方法で、聖女の召喚は何度も行われていた。ならば、むしろ新たな聖女を呼び寄せた功労者として堂々と振る舞えば、ポルネット大臣も陽菜の後見がしやすかったはずなのに――。
しかし、ヴィリはにやりと笑う。
「それこそが、国の掟に触れるからですよ」
「え?」
聖女について、なにかそんな取り決めがあっただろうか。神殿の細かなところまでは知らないから眉を顰めたが、ヴィリは冷笑を浮かべている。
「その昔、神殿はミュラー神の威光を広めるために、聖女を神の使者として、困ったことが起こった時には、繰り返し異世界から召喚を行ってきました。その結果、ザクゼス王の妻が離婚されて王室を追い出されることとなり、息子であるジギワルド王の深い恨みを買ったのです」
暗闇の中から呟かれる名前に、金色の瞳をはっと開く。
「当時のジギワルド王の怒りは凄まじく、神殿で召喚を行っていた者たちと隠された民との大弾圧に踏み切りました。当時、聖女召喚に使われていた魔法陣の迷路は、新しく造られた王宮の庭の地下深くに埋められ、隠された民たちは、一部を除いてほとんどが粛正されていった」
「それは――!」
まさにリーンハルトが、話していた通りの歴史だ。リエンラインの王室の中で、なぜか消された聖女の記録と、理由の伝わっていない隠された民たちへの大弾圧。
それが一本の糸で繋がっていく。
(だとしたら――王宮の地下に埋められた聖女召喚の迷路の魔法陣とは、あの隠し通路のことだろうか)
歴史の中で由来が消され、ただ抜け道として使われ続けた。それならば、まさに聖女召喚は、昔この地で行われていたことになる!
「どうして、そんなことまで知っているの?」
辻褄は合う。だが、まだこの狡猾な男の言葉をすべてそのまま受け入れてよいのかどうかが判断できない。
だから警戒しながらも尋ねれば、ヴィリはくっくっと笑っている。
「それは、私が陽菜様の側付きとなって、ポルネット大臣のことを話したときに、大神官様が話してくださったからですよ。陽菜様には、決して近づけるなと。歴史を繰り返したくなければ」
ああ、だから神殿も陽菜には有力な貴族の後見を誰もつけなかったのだ。
あくまで聖女として。神殿を弾圧させる二の舞を演じないために。
「つまり――神殿は、聖女の召喚を今は認めてはいないということ?」
「召喚されても、聖女は聖女。陽菜様は、召喚術で喚ばれましたが、選定は神によってなされた立派な聖女です。ですが――神殿には王家との取り決めがあります」
「取り決め――つまり、聖女を召喚しないという?」
じっと見つめてくるイーリスの金の瞳に、ヴィリの眼差しが面白そうに細くなる。
「そうです。召喚が行えるという事実ごと消したかった王家の意向で隠されてはいますが、当時の王が神殿へ聖女召喚を禁じた命令書が存在するはずです。そして、これを破れば、王室への反逆罪として厳罰に処すとも記した書類が」
――それだ!
ヴィリの言葉に、金色の瞳を大きく開ける。
(やっと、ポルネット大臣を罰する方法を見つけた!)
ハーゲンや陽菜。そしてその家族たちをも巻き込んで、自分の利己的な欲求を叶えようとしたあの男に、鉄槌を与えることができる!
「わかりました、協力に感謝します」
「はん。王妃様に、協力することになるなんてね。散々俺が、神殿の上層部に、陽菜様は無理矢理召喚された哀れな存在。せめてこの世界ではイーリス様に劣らぬ扱いをと、言い続けて同情票を集めていたというのに」
「お前――」
どこまでも小賢しい男だ。道理で、当時陽菜とイーリスを同格に扱おうとする雰囲気があった。
油断のならない相手に、じっと金色の目を眇めるが、ヴィリはふんと笑っている。
「ここまで話したのです。最低限でも、騒乱罪には持ち込んで、私の苦労を無駄にはしないでくださいよ」
「言われるまでもないわ」
(必ずや、これでポルネット大臣の罪を暴き出してやる――!)
薄暗い牢の中で、狡猾な笑みを浮かべているヴィリに背を向けると、急いで今来た道を戻っていく。
かつかつと煉瓦に靴音が響くが、その音は行きに来たときよりも速いものになっていく。やっと――やっと、見つけたのだ。
陽菜を帰す方法! そして、ポルネット大臣を追いつめる方法が!
「イーリス様!?」
先ずは、ハンナ夫妻にもう一度連絡をとらなければ!
そして、同時にポルネット大臣の次の手を阻止するために、やるべき手段としては。
走るようにして地下牢からあがるやいなや、法務省で手続きをしていたグリゴアが驚いて部屋から出てくる。きっと響く足音と、イーリスの様子に驚いたのだろう。
「イーリス様!?」
なにしろ死刑囚への面談だ。話を通してもらうのも、かなり厄介だったのだろうが、今は国でも有数の秀でた頭脳をもつその姿へと叫ぶ。
「探して! ジキワルド王の命令書を!」
「ジキワルド王!?」
グリゴアが驚いて紫の目を開いているが、どこかにあるはずなのだ。
「そうよ! そこに、ポルネット大臣を追いつめる方法があるはずなの!」
まさに、今いるこの重厚な建物のどこかに――。
きっと、聖女召喚の方法と共に隠されたジキワルド王の聖女召喚を禁じた命令書があるのに違いない!
(これで、ハーゲンと陽菜の敵をとってやれる)
まさか、隠された民がヒントだとは思わなかった。
(そして、陽菜! これで、あなたを日本に帰してあげる方法が見つかったわ!)
ようやく、陽菜を家族に会わせてあげることができると、イーリスは笑みを湛えながら前を見つめた。




