第24話 陽菜の家族
遠ざかっていくギイトの後ろ姿を見送り、陽菜に尋ねた。
「アンゼルの片付けって……」
「ああ。ギルニッテイの街でした聖女像のスケッチを誰にも見つからないうちに片付けさせていたんです。ちょっと人目に触れると、あれなんで」
あれ、という単語にすべてが集約されている気がするが、きっと見ないほうがよいものなのだろう。主に聖女像のラインとか、曲線とか。きっとそんなものなのに違いない。
頭に思い出したアンゼルの聖女像に対する目の輝きに呆れて、ついでくすっと笑みがこぼれた。
「ごめんなさい、すっかり励ましてもらったわね」
きっとわざとだ。ここで、アンゼルのあれを出したのは。
思わず笑ってしまったが、ようやく笑顔を浮かべたイーリスに陽菜の顔が輝いている。
本当は自分が陽菜を支えるはずだったのに――。でも、こうして温かく受けとめてくれるのも悪くはない。
自分が陽菜を守って。一方では陽菜に助けられて。いつのまにか、自分たちの関係が、聖姫と聖女というものから、本当の友達になったようで、顔に笑みが溢れてくる。
「イーリス様、私……」
陽菜も同じように感じていたのだろう。イーリスの両手をとったまま、これまでよりも更に砕けた顔ではにかむように笑った。
「私、日本に妹がいるんです」
突然の話題に目を見開く。その前で、陽菜は少しだけ恥ずかしそうに頬をかいているではないか。
「――妹? そういえば、前にもそんなことを言っていたわね?」
「ええ。あの時は、詳しくは話しませんでしたが――」
そして、少し俯くとぎゅっと手を握った。
「妹は……、すごく賢いんです。私が頑張って勉強して、やっとできたことでも、すぐにできるようになって……。小さい頃からずっと……。私は、そんな妹が羨ましくて、同時に少し苦手でした」
「陽菜……」
聞いたこともなかった陽菜の暗い心の部分だ。
「今から思えば、羨ましかったんだと思います。私がたくさん勉強しないととれない点を、妹はいつも簡単にとってしまうので。だから、最初イーリス様のことを知ったときも、話しかけたいけれど、相手にしてもらえるか不安だったんですが……」
一瞬口を止めて、すぐに顔をあげた。
「杞憂でした。だって、イーリス様って、賢いのに、すごく不器用なんですもの! でも、いつも一生懸命で、そんなところがなんかすごくかわいくて!」
「陽菜……。それは、喜んでいいところなのかしら?」
「もちろん! だから、陛下はきっとそんなイーリス様の全部が好きなんだろうなと思ったんです!」
かなり複雑な気分だ。褒められたけれど、なぜかあまり喜べない。不器用なのは認めるが――。
「だから、私も思い出したんです。ああ――、そういえば、いつも私を慕ってくれていた妹も、本当は勉強以外は苦手なことがいっぱいだったなって」
ぱちっと目を見開く。
「変ですよね。側にいたときは、気がつかなかったのに。今から思えば、妹は私がいいねをもらえるのを、いつも羨ましそうに見つめていました。なんでお姉ちゃんは、そんなに手先が器用なのって言って。今考えれば、私と妹はどちらも足りないところがいっぱいで。お互いに持っていない部分を羨ましがっていたんだと思います。もっと、妹と話してみればよかった。もっと、丁寧に触れ合って、色々と教え合っていれば、お互いにきっともっと寄り添い合うことができたのに――」
「陽菜……」
「イーリス様と陛下なら、今からでもきっとできます。イーリス様は、陛下のお側にこれからもいたいのでしょう?」
真っ直ぐに見つめてくる瞳は、少しだけ涙に溢れている。
「ええ――。いたいわ。私は、リーンハルトと……」
「だったら、きっと一緒にいることができます。お互いに話し合って、大切にし合えれば」
少しだけ陽菜の顎が震えている。そして、ぽろっと涙が頬にこぼれ落ちた。
「私も――馬車で話を聞いたときは動揺しましたが……会えるのなら、もう一度家族の側に帰りたいです。そして、今度こそ妹ともう一度色々な話をしてみたい……」
笑う顔からぽろぽろと涙が、月光の中にこぼれていく。
その姿がたまらなくて、今度は代わりにイーリスが陽菜の体を抱きしめていた。なんて、細い体なのだろう。まだ十代の、力をこめれば折れそうなほど華奢な姿だ。
それなのに、こちらの世界の思惑に巻き込まれて、無理矢理大切なもののすべてを捨てさせられた。
「できるわ――! いつか、必ず陽菜が帰る方法を見つけてあげるから!」
だから、泣いてほしくはない。この世界でひとりぼっちでも、せめて自分はここにいるのだから。
その気持ちが伝わったのだろう。陽菜が、鼻を少しだけすすり上げた。
「ありがとうございます。イーリス様だって、こちらのご家族と会うことができないのに……」
私ったら、自分のことばかりで恥ずかしいと呟いているが、その姿に優しく首を振る。
「ううん、会いたいと思うのは、素直な感情よ。私だって、家族は生きている。だから、きっといつかはまた会えると信じているの。北の情勢が安定して、いつか平和になったら。きっと――」
恋しくないわけがない。北の優しい宮殿で暮らした家族との懐かしい記憶。
月を見上げれば、北と異世界と。遠い地に離れた二つの家族の顔を思い出す。それはきっと陽菜も同じだったのだろう。
「そうですね、いつかはきっと――」
月に同じように家族の顔を思い浮かべているのか。
だから、二人で見上げている回廊の後ろで、追ってきたリーンハルトが、暗がりの中で何かを考え込むように俯いているのには気がつかなかった。