第18話 死の村
皆が早死にしていく村――。
聞いた言葉に、冬の日射しが明るいにも拘わらず、ぞっとした何かが首元を駆け抜けていくような気がする。
まるで、目に見えない死の翼が、この村を覆っているかのような。
(どうして? 今見た限りでは、食べ物や生活水準は悪くはなさそうよ?)
きっとリエンラインのほかの農村と比べても、余裕があるほうだろう。それなのに、住んでいる者の多くが、早くに死んでいくというのか。
ざっと吹き流れた冷たい風が、まるで死に神の鎌のようで、思わず身を竦ませた時だった。
凍える風から守るように、広い手がそっと肩に回されてくる。
「リーンハルト……」
手から伝わってくる温かさに気がついて見上げれば、まるで見えないものからイーリスを守るように、リーンハルトが側に立っていてくれるではないか。
「とにかく、ほかの村人の話も聞いてみよう」
表情が硬く強張っているのは、皆が早死にする村というフレーズが、リーンハルトにとってもショックだったせいだろう。
ただ肩に回されているだけだが、ほかの何者も寄せ付けないようにイーリスを抱いてくれる腕が心地よい。
「うん……」
「では、行ってみようか」
そう声をかけると、リーンハルトが肩を抱きながら歩き出そうとしたところで、はっとした。
「リ、リーンハルト……!」
(しまった! うっかりしていた!)
よく考えれば病気が流行っている村なのだ。しかも、原因がわからず、村人の多くが早死にしているという。
「うん?」
不思議そうに振り返ってくる腕を慌てて掴む。
「あ、あのね。リーンハルトは、ここにいたほうがいいと思うの。もしも病気がうつったら大変だし」
国王が、万が一にでも病に倒れたら国の一大事だ。ましてや、リーンハルトにはまだ後継者もいない。
(ううん、それ以上に危ないところに飛び込んでなにかあったら――)
嫌だ、とぎゅっと服を握りしめてしまう。もし、リーンハルトが不治の病に苦しむようなことになれば。きっと、自分はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。しかし、頭上からは呆れたような声が返されてきた。
「なにを言っているんだ。民が危ない時に、王である俺だけが安全なところにいることなどできないだろう」
「でも――」
見上げた脳裏に、先日リーンハルトが自分を守って矢に射られた時のことを思い出す。
(あの時のようになったら、私――)
ぎゅっと強く服を握りしめた時だった。
「王!?」
「え、国王陛下!? 今、ギルニッテイに来られているっていう?」
(あ、しまった……)
さらっと王自身に暴露された真実に、村人たちが色めき立っている。この状態で、リーンハルトにここにいてと頼むのは無理だ。
だから、急いで耳に口を寄せた。触れかねないほど近寄って、少しだけ赤くなったリーンハルトの耳に、小さな声で囁く。
「じゃ、じゃあ、絶対に病人には触らないで! お願いだから! 咳とかが届く範囲にも近寄らないでほしいの!」
もしうつる病気だったら、この程度でどれだけ防ぐことができるのかはわからない。
でも。
「お願いだから……」
囁きながら震える手に力を込めると、ぽんと頭に手をのせられた。
「わかった。君の言うとおりにするから」
その言葉にほっとする。
「あ、あのひょっとして国王陛下御夫妻様で……?」
「ああ。ここに新たな聖女が現れたと聞いて調査に来た」
すぱっとアイスブルーの瞳で言い切るリーンハルトの姿に、村人が一斉に「おおっ」とどよめいている。
「だから、聖女の治療を受けた者。あわせてこの村の病気についても調査をしたい。聖女の治療を受けたという病人の元へ案内してくれるか」
「まさか王様が直々に調査に来てくださるだなんて!」
「え? じゃあ、この村の謎の風土病も解決するかもしれないということ?」
よほどこの病には悩まされていたのだろう。喜んだ村人たちに案内されて村の奥へと入っていくが、ここだと教えてもらった一軒の家に入ると、中はひどく酒臭い匂いがこもっていた。
年の頃は、まだ四十を過ぎたばかりだろうか。
「失礼する」
窓際のベッドにもたれて本を広げていた男性に、リーンハルトが慇懃に声をかけて入る。
おつきの護衛は三名。それに一人の女性と、村の纏め役たち何人かという訪問者に、男はびっくりしたのだろう。ベッドの上に横たわったまま、驚いたように部屋の入り口を見つめている。
「聖女と名乗る者の治療を受けたと聞いたのだが」
「おい、ハンス。今来られているって噂の国王夫妻様だ。お忍びで、俺たちの村の病気を調べに来てくださったんだと」
「え! 国王陛下が!?」
慌てて身を起こそうとする姿を、手を伸ばして止める。
「具合が悪いと聞いた。どこがどんなふうに苦しいのだ?」
「へ、へえ。あの物がよくもてなくて……」
それにと言葉をつかえさせながら、発している。
「足や、あ、頭が痛くて。それと手足が震えるせいか、よく転んで……だんだんうまく歩けなくなってくるのです」
ひどく緊張しているのだろうか。ハンスと言われた男は、何度も唇の端に浮かんでくる涎を飲み込みながら、たどたどしく話している。
(手足の震えに、痛み……)
じっとリーンハルトの横から眺めていたが、男の体はひどく痩せ細り、頭部には発疹ができているようだ。
(唇の色も悪いし、それに声もひどく掠れているわ……)
さっきの男も発音が、少しもつれていた。ひょっとしたら、これも病気の症状の一種なのだろうか。
「調子が悪いのは、動きだけか?」
「いえ……」
ぶるぶると男の手は、今も震えている。まるでそれが制御できないものであるかのように。男が自分の左手を掴んで、無理矢理震えを押さえ込んだ。
「よく……体が痺れるんです……。それに、だんだん自分の触っている物がわからなくなってきて……。目も見えにくくなって……」
「その症状に、なにか心当たりはあるの?」
この村でのみ起こっているという。ならば、なにかあるのだろうかと尋ねたが、ハンスは首を振っている。
「心当たりなんかありません。あれば、とっくになんとかしてますし」
「そう」
なにが原因なのだろう。部屋をぐるりと見回せば、ベッドの側にはお酒の瓶が置かれている。
(ここでも、お酒……)
「お酒がお好きなの?」
なにか関係があるのだろうかと尋ねたが、男は首を横に振った。
「好きなわけでもありませんが、飲まないとやっとれませんよ。何時か死ぬ病気だと聞いて育って、自分がそれにかかっている。毎日体がだるくて、重たい。聖女様の薬で、やっとそのだるさと痛みがとれて、少し本を読むぐらいの元気が戻ってきたんですが」
この薬をもらうまでは、自分が生きたままどんどん死んでいっているような気がしていたのです……と、男は俯きながら呟いている。
「国王様!」
ばっと男が顔をあげた。
「どうか、どうか村の者を助けてください! 村には、まだ幼い子供や若い者たちもたくさんいる! どうか、この病気を治す方法を――――」
せめて、女子供だけは墓に行かせたくないと叫ぶ男の声のなんと悲痛なことか。
ぐっとリーンハルトが唇を噛んだ。
「それは、必ず突き止める。今は苦しいかもしれないが、少しだけ待っていてほしい」
ほっと男の顔が弛んだ。
「ありがとうございます……」
そのまま、ベッドの上に体を折るようにして深々と頭を下げていく。
「ごめんなさい、大切なお薬かもしれないけれど、一つだけその聖女と名乗る女性からもらったというお薬を分けてもらってもいいかしら? 治療のヒントになるかもしれないし」
「え、ええ。いいですとも!」
病気を治してくださるのならと話しているが、正直今の話だけでは、この村を覆う病がなんなのか、まったくヒントも掴めない。
(本当に聖女なの?)
なにかイーリスの知らない最新の知識を持っていて、この村を覆う未知の病の正体にも気がついたのだろうか。
挨拶をして、パタンと扉を出たが、明るいはずの村の光景がひどく寒々と見えてしまう。
「あ、国王様だー!」
「一緒に来られているのが、お妃様だって!」
遠くの方で、温かなコートを着た女の子たちが口々に叫んでいるが、二人ともここから見ても、ひどく細い。そして、雪のように白い顔色なのは、今見ると、少し病的な要素もあるのだろうか。
はしゃぐ子供達に手を振って、返してやる。その隣で、リーンハルトが一つ重たい息をついた。
「とりあえず……なにかがこの村にはあるということなのだろう」
「そうね」
そして、そこに新たな聖女はやってきた。二つをあわせて考えるが、皆目見当もつかない。
ほかにも何人かの患者の家を訪ねたが、みんな訴えるのは手足の痺れや痛み。ほかには、胃腸の調子の悪さや耳の聞こえにくさを訴える者。また時折、ひどく疲れやすいことや足が攣ることを訴える者がいたが、みんな住まいも食べ物もバラバラだ。
(壊血病の時みたいに、食べ物が原因かと思ったけれど……)
食事には、不足していないらしい。むしろ、金の余裕があるのか、痛み止め代わりに酒を飲むという話が頻繁に出てくるほどだ。
「妙にお酒を飲んでいる人が多いわね……」
痛み止めかもしれないが、女性でもまるで病気から逃げるかのように、酒場に出入りしている。もしくは、家族のために酒を買いに。
「酒場に出入りしている人が多いわ。ひょっとして、密造酒からのなにかとか……?」
「念のため、行ってみよう」
ひょっとしたら、なにかヒントが見つかるかもしれない。そう思い、村人に案内してもらって夕暮れ近い酒場に向かってみた。小さな村の一角で、古い屋根の下に酒樽とグラスの看板が折からの夕風に揺れている。
ぎいっと、使い込まれた扉を開けた。人が少ない村だから、この時間ではまだ閑散としているかと思ったが、意外と中は混んでいる。
「ここは、私が」
既に酔っている者がいる様子に、騎士の一人が代わりに行こうとする。だが、イーリスは手で制すると、カウンターに向かって声をかけた。
「お仕事中ごめんなさい。少しだけ教えてほしいのだけれど」
「あら?」
どうやら、酒場の客からイーリスたちのことは伝わっていたらしい。
「まあ、嬉しいねえ。国王陛下ご夫妻がご来店なんて、末代までの誉れになるよ!」
かかかっと笑う女将は四十代後半らしく、笑い声から気っ風がいい。
女将の後ろに並ぶ酒瓶のボトルをざっと見回しても、どれもきちんとラベルを貼られた正規品のようだ。
「この村の病気について調べているのですが……」
「だってねえ! わかることなら、なんでも教えてあげるよ!」
きいっとカウンターの扉を押して出てくる姿の、背の高さに圧倒されてしまう。多分、リーンハルトと並ぶほど、背も胸も女性の平均よりはかなりの大柄だ。
「あ、あの……。ご気分を害さないで聞いてほしいのですけれど。この村の病人の方はよくこちらのお酒を飲まれているのですか…… ?」
「うーん、うちの酒になにかあるということ?」
「い、いえ。そうではなく」
慌てた途端、女将はからからと笑い出した。
「そりゃあ飲まなきゃやってられないよ。手足が震えだしたら、たいてい普通より早くに死ぬんだ。手足が痛くたって、毎回山を下りて薬を買いに行くのも大変だしさ。それに――家族がそれで死んだら、残された方だってたまんないよ」
だから、この村は多分ほかより飲んだくればっかさという言葉が、重く響く。
「心配なら、酒の購入先も全部教えるよ? 病人に酒飲みが多いのは事実だし。それで、病気の原因がなにかわかればめっけものだしねえ」
笑って、さらさらと余り紙に、ギルニッテイの酒問屋の名前を書いてくれる。ありがたく受け取ったが、酒瓶を見る限り、きっとここからはなにも出てこないだろう。
「ありがとうございます」
「嫌だ、お妃様に丁寧な言い方をされたら照れてしまうじゃない」
普段なら気分を害する――商売の信用を落とす気かいといわれそうな内容なのに、女将は笑って片目を瞑ってくれる。
それだけ、この村ではこの病気は深刻な問題なのだろう。
「すまない」
万感の思いで、礼をいうリーンハルトの胸中もどんなものだったのか。
「まあね、私が知っていることなんてこれぐらいでね。こんな病がある土地なら引っ越せばいいのにと思われるかもしれないけど、これでも三代ほど前にここに引っ越してきて、病人が少なくなったほうらしいんだよ」
昔は低地のくぼみに住んでいて、もっと多かったらしいからねえという言葉の意味は、どういうことなのか。
「昔は、もっと違う場所に住んでいたんですか?」
「ああ。だが、村でバタバタと死人が出るんで、みんな怖がって窪地から引っ越してきたんだ。これでも、当時よりはだいぶましらしいよー」
はいよっと、前にいる客に大きなジョッキを渡している。
「飲み過ぎだよ、ジョン。これじゃあ、折角療養のために仕事を休んでいるのに、更に口内炎がひどくなるよー」
「なに。どうせこの病気は、ひどくなったら震えがおさまるまで仕事を休むしかないんだ。みんなそうなんだから、親方もわかっているさ」
「はは。聖女様が薬をくれたお蔭で、歩けるぐらい元気になったっていうのに。いいわけできるのかい?」
笑っている男の下唇は、ひどく赤く腫れている。
「うまい! っててててて!」
「ほら、口の中もやられているくせに! 聖女様の薬で元気になったら、すぐに酒かい!」
呆れながら豪快に笑っているが、ふと男のいった言葉が気になった。
「あの――仕事を休んだら、少しよくなるのですか?」
「うん? ああ、体を休めるからかな。しばらくの間は震えがおさまるよ」
その言葉にはっとした。
「ありがとうございます!」
そして、リーンハルトの腕を掴むと、急いで飛び出す。
この村特有の産業――。ひょっとしたら、そこになにかがあるのかもしれない。
急いで夕暮れの村を走り、辿り着いた工房を見て、あっと声をあげた。
(これだったのだ……)
この村を覆う死の翼の原因は。
「イーリス?」
不思議そうな顔をしているリーンハルトの腕を掴みながら、イーリスはじっとその光景を見つめた。