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第16話 広がる噂

 

 聖女が現れた?


(誰のこと?)


 陽菜が、お忍びで遊んでいるのがばれたのだろうか。それとも、聖姫であるイーリスが、街で買い食いをしている姿を誰かに見られていたのか。


 街に響く声にじわりと汗が滲む。だが、人々のざわめきはまったくイーリスのほうを見てはいない。


「東のトリルデン村に現れたそうだ!」


「トリルデン村!? なんであんなところに」


「それが、不思議な薬で人々を癒やしていっているらしいぞ」


 ――違う。


 陽菜ではない。


 陽菜は、万能かと思うようないいね力をいくつももっている子だが、病気や医学に関しては、普通の女子高生なはずだ。


 壊血病――この世界の皮傷病を治した自分のことかとも思うが、騒ぐ人々の眼差しは自分のほうをまったく見てはいない。


 ましてや、トリルデン村など初耳だ。


 人々が囁く言葉に頭ががんがんとしてくる。瞳を開いたまま、騒ぐ人々を見つめていたが、いつのまに側に行っていたのだろう。イーリスの前に立っていたはずのリーンハルトが、不意に声高にしゃべっていた男の襟元を掴むと、ぐいっと自分のほうに振り向かせた。


「おい」


「ひっ……! な、なんでしょう?」


 まだ若い男は、自分の胸ぐらを掴んで見下ろしているアイスブルーの瞳に怯えたらしい。


 見てあげた声が、少しひっくり返っているが、リーンハルトはおかまいなしに男の首元を締め上げていく。


「今、聖女が現れたとか言ったな? どういうことだ?」


 冷たい声音に嫌なものを感じたのか。男の視線が、困ったようにうろたえている。


「お、俺は噂を聞いただけで……!」


「噂? どんなのだ?」


「詳しいことはしらねえよ! ただ、ガウゼン山地の向こう側にあるトリルデン村に聖女様が現れて、病気の人々を治したっていう話を聞いただけで!」


 必死に言い募る様は、嘘は言ってはいないようだ。


「ほかには? なにか聖女について知っていることは?」


「し、しらねえっ……! 本当だ!」


 俺も人から聞いただけなんだと叫ぶ男の襟を、忌ま忌ましそうにリーンハルトは離す。そして、戻ってくる姿に、思わず駆け寄った。


「リーンハルト……」


 左手には、先ほどリーンハルトがはめてくれた水色の石が輝きを放っている。


 指輪をはめているイーリスの手に一度視線を落とし、リーンハルトは唇を噛んで騒ぐ周囲を見回した。


「どういうことだ。新しい聖女が現れたなどという話は神殿からなにも聞いてはいないのに……」


 この世界にいる聖女は、イーリスと陽菜。この二人だけだと顎に手を当てながら考え込んでいる姿に、思わず水色の指輪を強く握りしめる。


(そうよ、私達だけのはずよ……)


 その二人のうち、陽菜は今日はアンゼルと二人で街を満喫すると言っていたし、自分は朝からリーンハルトとずっと一緒で、ガウゼン山地の向こう側には行ってすらいない。


 自分たちのはずはないのに。


 ――まさか。


 嫌な予感が脳裏に走る。


 咄嗟に頭を横切った考えに、口を開く顎さえもが震えてくる。


「まさか……。ポルネット大臣が、新たな聖女を呼び寄せていたとか……?」


「なっ!」


 リーンハルトも目を見開いているが、ありえない話ではない。なにしろ、自分の野望のためだけに、異世界からわざわざ陽菜を呼び寄せたりした人物なのだ。


(だけど、そんなことができるの? 全然違う世界の人間を、そんなに何度も簡単に呼び寄せるだなんて!)


 わからない。手を口にあてて考える間にも体が震えてくるが、考えてみれば、今が最良の時期なのだ。リーンハルトがイーリスとの離婚を発表して、まだ正式な再婚をしてはいない。側にイーリスがいるとはいえ、どこか王妃の座は空位に近い形だ。


 広場の人々がざわめく声に、思わず頭の中がぐらぐらとしてくる。


 ――もしも、王妃の座を手に入れたいと願う者がいるのなら。


 今以上の好機はない。ふらっと体がした時に、リーンハルトが咄嗟に腕を掴んでくれた。


「イーリス!」


 倒れる前に掴んでくれた強い腕で、どうにか爪先でその場に踏みとどまる。


「大丈夫か!? 顔色が真っ青だ」


「リーンハルト……」


 自分を心配してくれる顔に、一瞬瞳を見開き、そっと薬指にはまった指輪を握りしめた。


(そうだ……。こんなところで想像ばかりをして、不安になっていても仕方がない)


 心配そうに自分を支えてくれるリーンハルトを一度見つめ、その腕をぐっと握り返す。そして、金の瞳できっと見上げた。


「行くわ! そのトリルデン村に! そして、その村に本当に聖女が現れたのか確かめなければ――!」


 ひょっとしたら、たまたま難病を治した治療師や医師の女性の功績が、そんな尾ひれがついて広まっているだけなのかもしれない。


 心を決めて見上げると、リーンハルトのアイスブルーの瞳も同じような決意を秘めて見下ろしている。


「ああ、そうだな。取りあえず、その村に行って噂が本当か確かめてみなければ」


 強く頷くのと同時に、ばちんと指が鳴らされる。


「近衛!」


 城で護衛を呼び寄せる時の声だ。走って三秒の距離を保たせていたとはいえ、耳はこちらに注がれていたのだろう。


「お呼びでございますか。陛下」


 市民に紛れた格好をしていた近衛騎士の一人が急いで駆け寄ると、胸の前に手をあててお忍びの王に略式の礼をしてくる。


「今から、トリルデン村というところに行く。すぐに馬車を用意しろ」


「はっ」


 先ほどから隙があれば、護衛を引き離そうとしていたリーンハルトとは思えない台詞だ。そのことから何かを察したのだろう。近衛騎士の顔が急にこわばると、すぐに体を翻して馬車の手配へと走って行った。


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― 新着の感想 ―
[一言] ふんわりラブラブモードから、急展開! 3人目の聖女とは… いい感じだったので、王妃の座が空位に近い事、すっかり抜けてました。
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