第15話 指輪
広場の近くにある店の中では、高級なほうなのだろう。からんとベルが響く扉を開ければ、茶色で統一された内装の店内には、いくつも置かれたガラスケースの中に、たくさんの石達が宝飾品として輝いている。
「いらっしゃいませ。どのような品をお探しでしょうか」
突然入ってきた初見の客だが、身なりでリーンハルトの身分が高いことを見破ったのだろう。一見すれば裕福な平民の息子に見える服装だが、仕立てられた服には一ミリの縫い目のずれもない。上品な服に最高級の仕立て。靴に使われている革は、黒光りするまでになめされて、上流階級への出入りがある者ならば、お忍びできている貴族の誰かと見破るのは難しいことではないのかもしれない。
にこにこと愛想良く出てくる男に、リーンハルトはイーリスの腕を掴んだまま声をかけた。
「今すぐこの店にあるアールサイズの指輪を全て出してくれ。俺の婚約者に指輪を贈りたい」
「リーンハルト!?」
突然の話に驚くが、出てきた男はほくほく顔だ。
「アールサイズですね。すぐにご用意いたしますので、少々お待ちくださいませ」
その間こちらへどうぞと椅子に案内してくれるが、連れてこられたイーリスにしてみれば急すぎて頭がついていかない。
「待って! どうして急に指輪だなんて!」
「どうしてって……」
運ばれてくる指輪を見ていたアイスブルーの瞳が、きょとんと戸惑ったように振り返ってくる。
「君が前にいた世界では、婚約した相手には指輪を贈るんだろう? こっちではそういう風習はないからなにも贈ってはいなかったが」
「そ、それはそうだけど……!」
「ならば、婚約者からの指輪として受け取ってもらいたい。俺は今の期間のうちに、恋人としてできることは全てしておきたいんだ」
(だからって、店をあげて品を広げさせなくても!)
こういうところは、リーンハルトは本当に大国の生まれながらの王族だと思う。イーリスもこちらでは王族だが、前世の考え方がしみついているせいか。これほど堂々とはできない。
(そりゃあ必要な時ならば、やるけれど……)
自分がその姿を装って行っているのにたいして、リーンハルトは明らかに天然だ。ビロード貼りの椅子に座っている姿勢一つをとっても、ゆったりと肩をくつろがせた王らしい威厳を感じさせるもので。どう見ても、平民のただの息子と言うには無理があると額を指で押さえる間にも、二人が案内された席には、様々な箱が並べられていく。
欅の木を磨いた机の上に置かれていく箱は、どれも紺のビロードが敷かれた高級なものだ。手のひらにのるほどの箱の中に収まっているのは、赤いルビー。横に黄色いトパーズが並べられ、その隣にはしっとりとした輝きが魅力の紫水晶がことんと置かれていく。更に海からとれた白い真珠や珊瑚までが狭い机の上に並び、色とりどりにきらきらとした輝きを放っていくではないか。
「いかがでございましょう。いずれも一級品の品ばかりです」
どれを選んでも、店としては損をしないだろう。細工からして繊細さの中に贅沢さを極めた高級品ばかりだ。
「そうだな」
きっと一つが五個以上のゼロがつく品だと確信するが、横でリーンハルトの指はためらうことなく細工物の上を動いていく。
「俺がイーリスに贈るのならば」
いくつか動いて、黄色いトパーズの上でとまった。
「これなんかはどうだろう。君の髪と同じ色だが」
「そちらは当店お勧めの品です! ルゼウス鉱山でとれた一級品の石に、台座をプラチナで作っております!」
「リーンハルト……」
自分への品を熱心に選んでくれる端正な横顔に思わず見入ってしまう。
「それとも、こちらの真珠の方がいいか? 君の好きな幸福草と同じ輝きだが」
「待って、待って!」
確かに自分のものを選んでくれるのは嬉しい。それが、六年間ずっといつかうまくいきたいと願っていたリーンハルトならば尚更だ。
でも。
大事な問題に、思わずぐいっとリーンハルトの耳に顔を寄せた。
「お金はどうするの? 今日は、そんなに大金は持ち歩いていないはずでしょう?」
ひそと囁く。それとも、今決めて、あとで支払いに来た時に交換で納品させるのか。それにしては、今すぐイーリスの指に嵌められそうなぴったりとしたサイズばかりを集めさせているのがおかしいが。
(まさか支払いのことをよくわかっていないとか!?)
いや、まさかとは思うが、生まれながらの王族で、直接自分で買うことが少なかったリーンハルトならばあり得る話だ。しかし、表情で気取られたのだろう。
「どうして、君は俺が金のことを考えていないと思っているんだ。第一、俺の教師はあのグリゴアだぞ?」
(そうだった! あのグリゴアだった!)
おそらく貴族ならば、経験したことがないような平民の底辺の生活を体験してきたグリゴアだ。そこを見込まれて教師に採用された以上、彼がリーンハルトに市中での買い物の仕方を教えていないはずはない。
「金の心配は必要ない」
溜め息をつきながら、リーンハルトが懐の内ポケットに手を伸ばす。そして取り出したのは、為替手形だった。既に幾枚か使った跡があるそれをぱらりと開いていく。
「これならば安心だろう」
確かに、これならば高額を持ち歩かなくても、自由に買い物ができる。
「なるほど……」
(その手があったのね……)
「それで、何色が好みなんだ?」
こちらが安心したのがわかったのだろう。ふわりと覗きこまれると、アイスブルーの瞳が少しだけ微笑んで見つめてくる。
普段あまり見ない笑みに心臓がどきんと跳ねた。
「え、えっと……」
そんな瞳は反則だ。しかも不意打ちでこられたら、どんな顔をしたらよいのかわからなくて困ってしまう。ましてや、昨日はこの顔で甘く囁かれただなんて――。
「イーリス?」
思考がまた爆発してしまいそうで、必死に自分の視線を逃がす。
「え、えっと私の好きな色ね? そうね、えっと、薄い水色かな?」
「水色? そうなのか?」
完全に意外だったという顔だ。しかし、少しするとその顔がだんだんと赤くなってきた。
「う、うん……、そうか。水色か……」
(あ、馬鹿! 私ったら、思わずリーンハルトの目の色を言うだなんて)
しかも、どうやらそれに気づいて赤面をされているようだ。
(穴があったら入りたい――!)
と思ったが、リーンハルトは真っ赤な顔で、指輪の中から水色のものを選んでいる。
「こちらのパライバトルマリンでよろしゅうございますか?」
「ああ、それで頼む」
俯きながらリーンハルトが選んだのは、よほど高価な石だったらしい。
「お目が高い! お客様、こちらは年に一つか二つしか入っては来ない石ですよ! きっとご婚約者様の美しさを一層輝かせますとも!」
早速お包みしますと、ほくほくしているが、男が渡した会計書にリーンハルトが目の前で書いていくゼロの数を見ていると、だんだんとイーリスのほうが引きつってくる。
(なに高価なものをさらっと買っているのよ!)
支配人らしき男性以外、完全に驚いているではないか。明らかに普通の宝石よりも、ゼロが一つ多い。通常ならば、金額を見せられたら躊躇う額だ。それなのに、一瞥しただけでさらさらと為替に綴って、後ろにサインを記していく姿は、明らかに普通ではない。
「ほら」
ぴっと為替の半分を破って、リーンハルトが手形の半分を男に渡した。受け取りに使う為替の半面を、男はにこにことした顔で見つめていたが、発行元に入っている宮中省の文字に視線が辿り着くと、少しずつ顔色が青くなっていく。
「お客様は……?」
(まずい!)
いくらお忍びでも、今国王夫妻が神殿に来ていることは、もう民には知れ渡っている事実だ。
「ありがとう! 大切に使うから!」
このままでは正体がばれる。直感でそう思ったから、急いで箱を受け取ったリーンハルトの手を握ると、店を飛び出した。
かららんとドアを開ける音が、来た時と同じように涼しげに鳴る。その下をくぐると、呼び止める声にさえ振り返らずに走って行く。
先ほど歩いてきた広場の噴水の前まで急いで戻り、はあはあと息をついてしまった。
「見た? あの顔! あれ、絶対にリーンハルトが王族だと気がついたわよ」
危なかったと思うのに、どうしてか笑いがこみ上げてくる。
「ああ、おかしい!」
真面目でインテリっぽかった男性の顔が、ゆっくりと青ざめていく様子といったら! 王族としては不謹慎かもしれないが、なんだか秘密のいたずらが成功したような気分だ。
「別に俺はばれてもよかったんだが」
「ダメよ、そんなことをしたら今頃仰々しい見送りをされて、こっそり立ち食いなんてできないぐらい街で注目をされることになっていたわよ」
「うーん、それは……」
折角の二人きりのデートには邪魔だなと、心の底から忌ま忌ましそうに呟いている。
青い空の下、ひとしきり笑ったあとだった。
「あー、おかしい」
少なくとも、このできごとだけでも、今日お忍びでリーンハルトと出かけてよかった。まさか、二人でこんなにわくわくとした気分を味わえるだなんて。
「また、都に帰ってからも、二人でこっそりと街に出かけましょうね?」
都は、こちらより国王夫妻の姿が民に知れ渡っているから難しいかもしれないが。涙を拭いながら提案してみれば、隣に立つリーンハルトも笑っている。
「ああ、そうだな」
そして、白い手を捧げ持つようにとられた。
「イーリス」
そのまま手を掲げる姿勢は、まるで騎士が姫に忠誠を誓うかのようだ。
「な、なに?」
驚いて尋ねたが、リーンハルトは、先ほどの店で買った指輪を取り出すと、そのままイーリスの捧げ持った手に嵌めていく。
薬指で、アイスブルーにも似た光がきらりと光った。
「イーリス・エウラリア嬢。どうか俺と結婚してください」
言われた言葉に、目を見開く。
「リーンハルト……」
「初めて会った時から、ずっと好きだった。だから、どうかもう一度俺と結婚してほしい」
「あ……」
答えなければ。
目の前でイーリスを見つめたままリーンハルトは、そのまま愛を乞うように指輪を嵌めた薬指に口づけを落としていく。
答えはもう決まっている――と思うのに、声はなぜか喉から出てこない。
「あ……」
(どうして? 私は、リーンハルトと再婚してもよいと思っているはずよ?)
好きで、再婚することにも頷いた。百日間――毎日、来てくれれば、本当に約束通り再婚をするつもりだ。
それなのに、どうして、今言葉が出てこないのか。
(言わなくちゃ。そうよ、イエス。それだけでいいのに)
どうして、喉が張りついたように動かないのか。
「イーリス?」
立ちつくす姿に、少しだけ、リーンハルトの瞳が怪訝げに細められていく。
(言わなくちゃ! そうよ、『約束を守ってくれたら、するわ』。それだけで良いはずよ)
なのに、なぜ言葉が今喉から出てきてくれないのだろう。ずっと約束を守ってくれている。きっとこれからも守ってくれるだろうに――。
「あ、あの……」
ごくっと唾を飲み込んで見つめた瞬間だった。
「聖女様が現れたらしいぞ――!」
人混みの中から聞こえてきた声に、思わず「えっ」と振り返ってしまう。
「聖女様? 今神殿に来られているっていう?」
「いや、それとは別に新たな聖女様がご降臨されたらしい! 今、人々に奇跡を与えて回っているとか」
「なんですって!?」
思わず、喉から叫びがほとばしり出た。
「リーンハルト」
「うむ、どういうことだ?」
ざわめく民衆から守るようにリーンハルトがイーリスの前に立つ。だが、イーリスは周囲に広がっていく人々のざわめきに、金色の瞳を大きく見開いた。