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第10話 毒の正体

 ハンナが差し出した品を掴んで、イーリスは前世で見慣れた物体を持ったまま、じっと見つめた。


 銀色の金属の箱。いや、前世の言い方をすれば、缶だろう。そこから取り出された一つは、三時の時間によく袋で買って食べていた煎餅だ。醤油を塗って焼かれており、個包装にされたナイロン袋の端が、歯で引っかけたように破れてしまっている。


 そして、もう一つの白い袋は――。


 きっとナイロンが硬くて、子供は歯にひっかけて破っていたのだろう。その時、この白い袋も一緒に掴んで、同じように破ってしまったのに違いない。食べ物と思って一緒に齧ったのか、別々に破いたのかまではわからないが。中から、こぼれてくる白い粉に触れないように気をつけながら、急いで軍医を振り返る。


「わかったわ! これは、毒なんかじゃない――」


「えっ!?」


 驚いたように見つめるハンナとオデルの前で、イーリスは破れた袋をすっと指で摘まみ上げる。


「これは乾燥剤よ!」


「乾燥剤……?」


 こちらの世界にはない名称に、なんのことかわからなかったのだろう。軍医やギイトも、オデルたち同様首を捻っている姿に、丁寧に説明してやる。


「石灰石を高温で焼いて作りだした生石灰という物質なの。水と反応して、高温を発する性質から、あっちの世界では、乾物などを湿気から守るために同封されているの。ただ、強いアルカリ性を持つ腐食性の物質だから――」


 その性質を利用して、過去には兵士を失明させる武器としても使用されていた。近世では、電灯が登場するまでガスマントルという劇場などの照明に用いられたりもしたが、それは石灰のもつこの性質を利用したからだ。


「石灰石を焼いた物――!」


 さすがに軍医は、この言葉でぴんと来たらしい。石灰自体は、こちらの世界でも建築資材などによく用いられる物質だから、心当たりがあったのか。それとも、同じように武器として扱われているのか。


 ギイトの横でぱっと子供のほうを振り返り、再度その口の中をよく見つめている。


「では、これは焼いた石灰による火傷とその腐食作用というわけですな」


 それならばと、急いで持ってきた鞄を開けている。


「なんとかなります。少し治療に時間はかかると思いますが」


 お子さんの命は助かるでしょうと軍医が、騎士たちの妻を慰める時のような笑顔で言うと、ハンナの顔がぱっと輝いた。


「ありがとうございます……! どうか、どうかカイを助けてくださるよう……お願いします……!」


 手を組み合わせて、必死に祈り続けているが、軍医があそこまで断言したのならば大丈夫だろう。


(もともと、火傷や敵の毒物に対する知識は高いはずだから)


 ほっと安心して、家の中を見回せば、さっき机の上で見た鳥が、いつのまにか姿勢を変えて、クルッククルックと歌うようにさえずっている。


 改めてその姿を眺めたが、見たこともない細工物だ。リエンラインの王都でも、こんな珍しい物は見つけられない。


(機械細工――にしては、精巧すぎる気がするけれど)


 現代の日本でも、こんな様々に鳴き、翼を動かす鳥の置物を作ろうとすれば、どれだけの技術が必要になることか。


「初めて見る品ですね」


「ええ」


 ギイトの言葉に、緑の觜にちょんと手を触れて、冷たい感触にエメラルドであるのを確認した時だった。


「ありがとうございます」


 奥で治療中の子供の体を支えているハンナに変わり、父親であるオデルがイーリスに近寄ると、深々と頭を下げてくる。


「聖姫様が、来てくださったお蔭でカイが助かりました。このお礼をなんとお伝えすればいいのか」


「あら? 気にしないで。遠くに行っていて、やっと一緒に住めるようになったお子さんなんでしょう?」


 先ほどハンナがナディナに叫んでいた言葉を思い出しながら尋ねる。何気なく言ったつもりだったが、オデルの顔は急に強張った。


「あ、いえ……。カイはずっと私と一緒にいましたが」


「え、でも」


 脳裏に甦るハンナの姿を思い出しながら、首を捻る。


『やっと一緒に暮らせるように戻ったあの子を失ってしまったら、私達夫婦は――。どうしたら』


 叫ぶように縋り付いていた姿に、嘘は感じなかったが。


「旅の間、少しだけ、妻と離れていたからそう思われるようなことを言ったのかも知れません」


(そうなのかしら?)


 腑には落ちないが、一人息子だからそんな言い方になったのかもしれない。それとも夫婦間になにかあって離れていたのか。ならば追求しないほうがいいと、相手が何かを言いだす前に話題を変えた。


「でも、こんな山の中に集落があるなんて初めて知ったわ」


 見回したテーブル近くの棚には、使いこまれたカップが四つ。長年、家族で慎ましく暮らしているらしい。


「ここには、珍しい細工物が多いようだけれど、あなたが作ってらっしゃるの?」


 にこっと尋ねれば、側のオデルがイーリスが見ているテーブルの鳥に視線を落とした。


「あ、はい。私達は魔道具を作って生計を立てている一族なのです。それで注文をいただいた品をいくつか――」


「魔道具!」


 言われた言葉に、咄嗟に大きく目を見開いた。太古にはあったが、今ではもうほんの一握りの一族によってしか伝えられていない品ではないか!


「では、リーンハルトが持っている短剣もあなたが!?」


「いえ、それはおそらく王家から発注を受けたご先祖が作った品でしょう。今では、王家とのやりとりはほとんどなくて、私たちのことを知る商人が持ち込んでくる注文を細々と作るだけぐらいですから」


「それでも素晴らしいわ!」


 ぱっと目を輝かせて、手前にある鳥の動きを覗きこむ。どうやって鳴いているのだろうと思っていたが、魔法を組み合わせてあるとは思わなかった。ではと側の棚に置かれている品に目をやる。


「これは? どんな効果があるの?」


 置かれていた仮面を手に取ると、白い材質がほんのりと肌色になっていくかのようだ。


「あ、それは仮面舞踏会などで、顔を変えるための品で。どうしてもご実家にばれたくない遊びをされるご婦人用に」


「秘密のアバンチュール用ということね。では、こちらの花は?」


「それは、定期的に開くようにした花の細工に、香料を中に閉じ込めてあります。花の開く周期にだけ、魔法で細工をしてありますが。魔法といっても、たいした力ではありません」


「謙遜しないで。ここにある品は、どれもすごいわ! 壁にかかっているあの光も、普及できれば、どれだけ民の助けとなることか!」


 目を輝かせて叫んだが、オデルはただ瞳を下げている。


「残念ながら……我が一族の力は、そこまで強くはありません」


「あら、そうなの?」


「はい、昔たくさん仲間がいた頃ならば違ったのでしょうが、今ではここに身を寄せ合うようにして隠れ住んでいる者ばかり。大きな魔法力を使用しようものなら、そのあとしばらくは力が貯まるまでなにもできなくなってしまうのです」


「万能ではないということなのね」


 聞いた内容には、少しがっかりした。


(うーん、魔法って、こう。もっと万能で絶大な力のイメージがあったんだけど)


 おとぎ話のようにはいかないらしい。よく考えてみれば、魔法で全てが解決するのならば、この世界で魔法がとうに普及していただろう。


 残念とちょっとだけ目を閉じたが、その間にオデルはイーリスの前でそっと身を屈めた。


「聖姫様。このたびは、息子のカイを救ってくださりありがとうございました。聖姫様は、私達の子供の命の恩人です」


「あら、そんな大げさな」


 ここに来はしたが、実際に治療をしているのは軍医の彼だ。だが、オデルは深々と頭を下げている。


「お礼を――と思ったのですが、今の私どもにできることはこれぐらいしかございません。私の作った物ですが、いざという時に魔道具の邪気から身を守ることのできるお守りです。どうか私どもの感謝の印として、お持ちいただけないでしょうか」


 見れば、手の中には小さな赤い房のお守りがついている。これならば、女性の扇子につけてどこにでも持ち運べるだろう。


「いいの? 貴重な品なのに」


「これぐらいしか、私どもは感謝を表明できません。本当は聖姫様に、もっとお礼をすべきなのですが」


 恐縮している姿に、逆に申し訳なくなってしまう。だから、差し出された房飾りを受け取った。


「ありがとう、これで十分よ」


 子供も助かって、魔道具を作っているという一族の居場所まで知ることができた。


 もともと報酬をもらうつもりなどなかったのだ。


「美しい品ですね」


 側のギイトの言葉に、にっこりと返す。


「そうね、これなら扇子につけておいても大丈夫かも」


「あの……できたら、もらったことは陛下に内緒にされておいたほうがよいかと」


「どうして?」


 くるんと目を開いたが、こそこそと話すギイトは真剣な顔だ。


「よくわかりませんが、コリンナいわく、もし私がイーリス様になにかを差し上げたのを知られたりしたら、しかもそれを気に入られたら死亡フラグがたつそうです。彼らの一族のためにも、もらった相手は内緒か奥様ということにしておかれたほうがよいかと思いますが」


 思わず転びそうになった。


「まさかリーンハルトも、そこまでは!」


「私もそう思いますが、コリンナと陽菜様いわく『やる』だそうです」


(どうしてそこまで断言するの!?)


 心の内で焦るが、なぜか自分よりリーンハルトのなにかを理解している二人だ。


(ひょっとして本当にするのかも……)


「聖姫様?」


 きょとんとオデルの目が瞬いているが、どうやら今のひそひそ話は聞かれずにすんだらしい。


「あ、いえ、こっちのことよ! 大切にさせてもらうから!」


 そして、今リーンハルトをどういう状況で放ってきてしまったのかも思い出した。


(まずい……さすがに、今回は怒っているかもしれない……)


 よりによっての場面で飛び出してきてしまったのだ。このあとどうしたらいいのかなんてわからなくて、頭がぐるぐるとするが、取りあえず帰るしかないだろう。


「で、では私は帰るわ。軍医は」


「処置は終わりましたので、明日改めて具合を確認して、これからの薬などを処方しようと思います」


 手を拭きながら言われる言葉に、頷く。


(ううっ、どうしたらいいの!?)


 悩むが、これ以上することがないのなら、リーンハルトを怒らせる前に、帰らなければならない。


 見送りに来て感謝を述べるオデルとハンナの前で、挨拶をして馬車に乗ったが、がたごとと遠ざかっていく村を見ていると、ふと首を傾げてしまう。


「でも、どうして魔道具を作って、そこそこ裕福そうな一家があんな森の中で暮らしているのかしら」


「そうですね、あの暮らしなら医者に診てもらうお金もありそうですし。嫌がる理由もわかりません」


 ギイトも前に座って頷いているが、なにか別な理由があるのだろうか。


「まあ、あとは軍医にお任せするとして。イーリス様のお帰りは、陛下も首を長くしてお待ちでしょうし」


「うっ」


 馬車が揺れた途端、思い出したリーンハルトの姿に、頭を抱えた。


(そうだった……。でも、これ帰ってからどうすればいいの――!)


 まさかの続き続行だろうか? それとも遅くなったから、もう寝ているかもしれない。


(どうか寝てくれていますように――!)


「イーリス様?」


 目の前に座るギイトの不思議そうな声にも、イーリスは目を開けたり閉じたり、ひたすら百面相を続けた。



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― 新着の感想 ―
[一言] なるほど、乾燥剤!納得!石灰が発熱するのは知ってましたが、腐食性もあるんですね。食品までたどり着いたのに、乾燥剤は思い浮かびませんでした~!
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