第9話 隠れている村
一時間後、イーリスは暗い森の中をゴトゴトと揺れる馬車に乗りながら、女性の家へと向かっていた。
最初は、王室の馬車を神殿の前に用意させようとしたのだが、女性が嫌がったのだ。
「あ、あの……辺鄙な土地ですし……道が細いので」
震えながら話す様子は、なにかひどくためらっているようだ。
「平気よ。大型の馬車がダメならば、小型のもあるし。なんなら、護衛の軍馬にまたがっていけば」
軍と言った瞬間、明らかに女性の顔が強ばった。
「あの、村は年寄りや子供も多くて、外のことをほとんど知らないのです……。軍を見れば、きっと驚いてしまうので、もしできましたら、護衛は最小限で……」
ここまで護衛のことなど考えてもいなかったという様子だ。おどおどと話す手の先は、肩にかけたショールを握りしめ、わずかにだが震えている。
いや、本当は体中が震えそうなのを、ショールを握りしめることで、手の先だけに止めているのだ。
――なにかが、おかしい。
身分も顧みずに、我が子を助けてほしいと訴えにきたはずなのに。どうしてここまで村に入られるのを警戒しているのか。
どういうことなのだろう。
伏せた瞼の中で考えた時、急に後ろからかつかつと走ってくる足音が聞こえた。
「イーリス様、急にお出かけになると伺いましたが」
夜の突然の呼び出しでも、真面目なギイトは、まだ服を崩した様子もない。慌てて走ってきた姿に、にこっと笑みを返した。
「ええ。この人のお子さんが、異世界の毒を食べたらしいの。小さな村らしいから、ちょっと行ってくるわね」
「そんな! イーリス様お一人でなんて危ない! 私も同行いたしますから!」
「では、私とギイトの二人を案内してくださる?」
穏やかに笑いながら尋ねると、女性の顔が明らかに輝くように笑んだ。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
絶対にこのご恩は忘れませんからと、女性が自分の馬車をこちらに回してくると言って走って行くが、そのあとで隣のギイトが心配そうにイーリスの顔を覗きこんだ。
「イーリス様、いくらなんでもお二人では……。見知らぬ土地ということもございます。護衛をつけていただきたいのですが」
「それはわかるわ。でもなんかあの態度が気になるのよね」
子供を助けたいと涙ながらに迫る様子は、とても嘘をついているようには見えなかった。それなのに、軍と聞いた瞬間のあの明らかな怯え。
「だから、ギイトは騎士団に連絡して、私達から少し離れて護衛につくようにいっておいてくれないかしら」
「わかりました」
ぱっとギイトの顔が輝く。
これならば、万が一相手がイーリスを誘い出して不埒な考えをもっていたとしても、すぐに騎士が駆けつけてくれるはずだ。
一見二人きりに見えても心配はないと思って、馬車に乗り込んだのだが。
もう三十分も山の中を、走り続けている。
のぼっていく道は、細くてでこぼこだ。確かにこれならば、とても王家の大型の馬車では走ることはできなかっただろう。大人数で動くのにも適した道ではなさそうだし。
(杞憂だったかしら……)
使い込まれた木の馬車から外を見て、少しだけ首をひねってしまう。
覆い被さる樹齢百年以上と思われる木々たち。冬なので、木の葉が落ちた梢の隙間から、空の月が見えているが、ほかに灯りらしきものはなにもない。
「本当に、こんなところに人が住んでいるのですか?」
馬車の外を見回したギイトに言葉に、目の前に座っている女性がどきっと顔を上げた。
「あ……私の村は、少し特殊なものを製造しているのです。それで、ほかの村からは離れて暮らしているのですが」
「そうなのね」
「あの、もう着きますので」
遠いところをすみませんと謝っている。見ていると、さっきからそわそわとして御者を急かしたりしている様子は、子供のことが気になって仕方がないようだ。だとしたら。
(なにを隠しているのかしら?)
イーリスに対して害意がなく、子供の話も真実というのならば、女性――ハンナと名乗った――がおかしな様子はほかの理由ということになる。
(でも、異世界の毒ねえ……)
「ねえ」
陽菜が降臨してきた時に手に入れたと言っていたが。それならばハンナは陽菜の降臨時に、その様子を見ていたのだろうか。ふと疑問に思って、首を傾げながら声をかけた。
「ねえ、さっき言っていた異世界の毒だけれど」
「は、はいっ」
驚いたようにハンナがイーリスを見つめてくる。
「陽菜の降臨の時に、一緒に降ってきた品と言っていたわよね? どんな品なの?」
「あ……銀色の金属の箱です。表に、見たこともない美しい模様がいっぱい描いてあって」
ずっと固くて開かなかったが、綺麗な箱なので、子供が宝物のように大事にしていたらしい。だが、親が少し離れた隙に箱が開き、子供が中に入っていたものを、食べ物だと思って口にしてしまったそうだ。
「なるほど」
一つ頷く。
「でも、それだけじゃあ中に入っていたのが、なにかわからないわね。どうやって手に入れたの?」
(ひょっとして、陽菜が降臨してきたところを見ていたのかしら?)
だとしたら、陽菜をどうやってポルネット大臣が呼び寄せたのか。なにか手がかりが掴めるかもしれない。尋ねたが、ハンナは少し迷っている。
「それは……実は、もらったんです。その場にいたという人が、空から降ってきた鞄を聖女様からの賜り物だと持ち帰ったらしくて」
「ああ――そういう……」
つまり、聖女と一緒にこの世界にやってきた異世界の珍しい品を秘匿したということなのだろう。
(それならば言いたくはないわよね。それが、もし陽菜の品だった場合には、聖女から泥棒したことになるし。人からもらったと言っても、余計な嫌疑を受けるかもしれない)
とは思うが、それにしては前に座るハンナの様子はおかしくはないか。
自分の子供を脅かしている毒のことなのに、話すのにひどく緊張している。本音では、もう少し詳しく当時の状況や、その場にいた人たちについて知りたいところではあったが、どうもこの様子では、それ以上の情報を引っ張り出すのは無理なようだ。あとで、改めてその場で拾ったという人について、なにか聞けたらと思ったところで、馬車はがくんと山の中の道を曲がった。
「あ、着きました!」
外を見れば、入った横道の奥には、いくつかの灯りが点り、何軒かの家屋がひっそりと寄り添っている。
暗いせいで、馬車の窓から覗いてもはっきりとはしないが、木陰に浮かぶ灯りの数からおそらく十軒にもいかないぐらいだろう。
その内の一軒、村の入り口からほど近い比較的広い家の前に着くと、馬車はぎっという音と共に車輪を止めた。
その瞬間、ハンナが急いで、馬車から飛び出していく。
「カイ!」
呼んだ名前は、きっと毒を飲んだという子供のものだ。馬車の車輪が止まるのももどかしいように下りると、そのまま暗闇に浮かぶ家へと走り、イーリスを急いで手招いている。
「こちらが私の家になります」
どうか診てやってくださいと小走りに案内していくが、暗闇に佇む家に一歩入って、イーリスは思わず足を止めた。
民家というよりは、造りは現代のログハウスに近い。大きな丸太を組み合わせて壁が作られ、開けた最初の部屋は、どうやら居間兼仕事場のようだ。
机の上には、ネックレスの細工にかかわる図面が散らばり、その隣には組み立てられたばかりに見える金色の鳥が、機械仕掛けで鳴いている。
緑の觜でクルックーと鳴く声は麗しいが、この世界の機械細工で、ここまで精巧な物が作れるのだろうか。それだけではなく、羽根をゆすり、羽ばたくような仕草までしている。
「ここは……」
ぐるりと部屋を見渡すと、壁には蝋燭ではない灯りが点り、まるで小さな太陽が中で燃えているかのようにして火を瞬いている。
棚の上には、舞踏会に使うような仮面。更には、自然に閉じたり開いたりする花が置かれて、部屋の中に柔らかな香りを振りまいている。
「これはいったい」
一緒に入ったギイトや軍医も言葉をなくしているようだ。
「カイ!」
しかし、先に飛び込んだハンナは、奥から出てきた男の手に抱かれた我が子を見るなり、真っ青になった。
「お母さんよ、どうして何も答えないの!?」
「ハンナ」
「オデル! いつから、こんな状態なの」
おそらく出てきた男が、父親なのだろう。落ちついた栗色の髪の持ち主だが、腕に抱えた四、五歳ぐらいの子供を見る目は悲痛に満ちている。
「お前が出かけたすぐ後ぐらいからだ。それまではずっと泣いていたが、今は泣く元気もなくなったのか、ひどくぐったりとしている」
「カイ!」
慌ててハンナが、子供を父親から受け取ったが、自分を抱いている手が母親に変わったことに気がついたのだろう。掠れる声で泣きながら、必死に母親の胸に縋りついてきた。
「聖姫様、お願いです! どうか、カイを助けてやってください!」
涙ながら訴えられては、この夫婦にどんな事情があるにせよ助けてやりたい。ただ、子供の姿は少し見ただけでもただごとではない。
「取りあえず、診せて」
横に軍医を招きながら、 抱えられている子供を奥のベッドに下ろしてもらった。側に座り注意深く毒を飲んだというまだ丸い頬を持つ幼子の顔を覗きこんだが、明らかに唇の状態が異常だ。
「これは――真っ赤に腫れていますね」
軍医が、冷静に症状を分析しながら、顎を少し押した。開いた口の中は、外よりも悲惨だ。
先ず、歯茎も赤く腫れてしまっている。更に口の中は、爛れて赤くなり、所々変色したように白くなってしまっているではないか。
「これは……」
「明らかに異常です。これだけ腫れた状態で泣き続けていれば、相当息も苦しかったでしょうに」
幸い気管は無事なようですと軍医が冷静に話しているが、なにを食べればここまでひどくなるのか。
(異世界の毒?)
「せめて、毒物の種類がわかれば対処法があるのですが」
軍医の言葉に、イーリスは急いでハンナとオデル夫妻を振り返った。
「この子が食べたという毒を持ってきて!」
毒物には詳しくなくても、せめて日本語で書いてあれば、過去の化学の授業で習った知識で、なにかわかるかもしれない。
慌てて、ハンナが別の机の上に置いていた銀色の箱を取り出してくる。
「これです!」
箱に施された美しい模様は、日本の青海波だ。その上に施された伝統的な意匠は、竹紋様や梅紋様だろうか。慶事の贈答品にも使えそうな品だ。
(これが、毒!?)
咄嗟にそう思ったが、中からハンナが取りだした物をみて、あっと声をあげた。
「目を離した隙にいくつか、中に入っていたのを食べたらしくて……。泣いているのに気がついた時には、子供の手にこれとこれがあったので、咄嗟に口から出させて側にあったミルクで口をゆすいだのですが」
(これだわ!)
子供が食べた毒――。そして、ここまでひどい症状をおこさせた品はと、急いでイーリスはその品に手を伸ばした。