第6話 神様との対面
(まさか、二度の人生を生きてきて、突然神秘体験をしなければならなくなるなんて……)
自慢ではないが、心霊と名のつくものは、テレビの番組以外では縁がなかった。いや、もちろん歴史書の中の幽霊の話や、出ると噂の館の話とかなら、随分と読み漁ったような気もする。気が強い性格と自覚してはいるが、怖くて眠れなくなったことはあるし、あまりに怖かった時は、前世では妹の部屋に。今世ルフニルツにいた頃は、兄の部屋の扉を叩いたこともある。
(だけど! いきなり神様の声を聞けはなかったから!)
もしもだが、聞こえなかった場合はどうすればいいのか――……。
(聞こえたふりをして誤魔化す……では、だめかしら?)
ちらっと周りにいる神官達を見回し、心の中で考えてみる。
「大丈夫ですよ、私達が側で見守っておりますので。神託を聞くといっても、ミュラー神は寛大な神なので、堅苦しいことはありませんし」
むしろ、ちょっといたずら好きなくらいとほほほと笑っているが、この言葉に完全に詰んだと思ってしまう。
「いたずら好きって、気さくに話されるとか……?」
「ええ。とても親しげなご様子で」
(つまり、過去に何度か聞いているんじゃない!)
ダメだ。これは聞こえたふりで笑っても、誤魔化されてはくれないだろう。
「どうぞ。こちらの禊ぎ用の神衣にお着替えください」
箱に入れた白い服を差し出しながら言ってくるのに、完全に逃げ場がなくなった。
(これで、もし聞こえなかったら聖姫の位は剥奪よね……)
ごくっと息を呑むが、ここまでくれば度胸を決めてチャレンジするしかない。
(ええい! ままよ!)
運がよければ、なにか奇跡が起こるかもしれない。たとえダメでも、その場で大きな物音でもすれば、それで自分以外には聞こえなかったと言い張れるかもしれないではないか。
(最悪、時間がかかりすぎれば、リーンハルトが気を利かせて、外に控えている騎士団の一人や二人にこっそりなにかを言わせてくれるかもしれないし)
とにかく、なにか策はあるはずだ。そう決意すると、渡された神衣をもって、着替えのための小部屋に入った。
神殿に入ってすぐに、コリンナは儀式の間、控えの部屋で待つように言われていたので、神女の一人が着替えを手伝ってくれる。白い衣はさらさらとして、本当に神の国の衣装のようだ。
(ああー! ここにコリンナがいてくれたら、いざという時に頼めたのに!)
とは思うが、さすがにイーリスを信頼してくれている侍女にそんな裏工作を頼むのは、忍びない。
しゃっとカーテンが開けられ、せめてギイトは――と見れば、なぜかさっきよりも儀式の間にいる神官の人数が減っているではないか。
「あの……ギイトは?」
「ああ、奴ならば隣の間で待たせている」
「どうして!?」
驚いて尋ねたが、着替えたイーリスの姿に既にリーンハルトは真っ赤だ。
「どうしてって……」
(うん?)
どうして、そんなに顔を赤らめて俯いているのだろう。それに、なんだか言いにくそうに口ごもっている。
「あの……その服で、水に入るのか?」
「そうよ? 禊ぎも兼ねているから薄い衣の方が助かるし」
さすがに、いつものフリフリひらひらでは、水に入ったら溺れかねない。
いや、溺れなくても、確実にあとのドレスの処置が大変なことになるだろう。
(絹って、洗うと大変だものね)
そっと息をついてしまうのは、前世で何回か洗濯に失敗したからだ。
「そ、そうか……」
納得したはずなのに、更にリーンハルトの顔は真っ赤になってしまっている。
どうしたのだろう。首を傾げかけて、それより先にナディナが声をかけてきた。
「では、聖姫様。どうぞ泉の奥に」
「あ、はい」
きたとは思うが、逃げることもできない。
両手を組み合わせ、ミュラー教の円形のロザリオを持ちながら、ゆっくりと泉に近づいていく。
(どうか、なんでもいいから声がしますように!)
この際、神女たちの聞き間違えでも、リーンハルトの裏声でもかまわない。
ロザリオを掲げ、静かに室内に作られた泉に入っていくと、わずかに潮の香りがした。
(これは……薄いけれど、海水?)
どうして、室内に作られた泉に、海の水が入れてあるのか。ひどく不思議な気がしたが、泉の中にある階段を下りていくたびに、白い衣は水に浸され、ゆっくりと浮かびあがっていく。
もう膝の上ぐらいまで水に浸されただろうか。水を吸い込んだ白い布は、少しだけ裾が浮きながら、大半は肌にまとわりつき、イーリスの白い腕や足の形を露わにしていく。袖が長いからだろう。泉に漂う部分から水を吸い上げ、肌に触れている衣がしっとりとしてくる。
(なるほど――直接、水に触れなくても禊ぎを行えるようにしてあるというわけね)
冬だから、あまり寒くないようにとの配慮もされているのかもしれない。ゆっくりと体を浸していく水を感じていたが、それを見ていたリーンハルトが後ろで突然ナディナに声をかけた。
「おい。この中で、アンゼルみたいに女同士の関係を喜ぶ奴はいないだろうな?」
思わず水の中でこけかけた。
「ほほほ、さすがにこの神女達の中にはいませんよ」
「本当だろうな? 嘘で、イーリスの肌を見たいがために、こんな禊ぎをさせているのなら、今すぐ全員を縛り首にしてやるが」
「リーンハルトっ!」
このまま暴走しそうな勢いについ叫んでしまう。
(まったく――なにを心配しているのだか)
それでさっきから赤くなったり、ギイトを外に出したりしていたのかと納得した時だった。
フフフフフ……
楽しそうな声が、神像の前で手を組み合わせていたイーリスの上から降ってくる。
驚いて、女性の姿を象ってある神の像を思わず見上げた。石像は、少しも動いてはいないのに、まるで面白いものを見たかのように、笑い声がきらきらとした光の雫と共に降ってくる。
ホホホ……
フフフ……
楽しくて仕方がないという声だ。
「ミュラー神……?」
この声が――――。呆然と呟くと同時に、声がさらさらと降ってきた。
『聖姫イーリス、おめでとう』
そして、虹色の光の波がふわっと舞うように下りてくる。楽しげに、光りながら波打ちまるで空間が笑っているかのようだ。
その瞬間、神女達が、わっと歓声をあげた。
「おめでとうございます! 聖姫様!」
「ミュラー神も、ことのほかお喜びでお認めになりました!」
「え……今のが?」
あまりに突然のことで、言葉を出すことすらできなかった。
「これで聖戴祭では、なにか女神様の力を授かることができますわ!」
「おめでとうございます!」
(よかった)
思わずほっとして振り返ってしまう。
見れば、後ろでリーンハルトも驚いた顔をしているではないか。ひょっとしたら、リーンハルトのあまりの熱愛ぶりに、たまらなくなった神が笑い声をこぼしてしまったのかもしれない。それでもよかったと思う。
「でも、どうして私のことをご存知だったのかしら?」
今日初めて来たのに。これが神の力? と思うが、ナディナは体を覆う布を用意しながら、にこやかに笑っている。
「ああ、それはマリウス神教官が、この方が聖姫ですという祝福を光で授けられていますから」
「待って。まさか、あの時の秘術って、マーキングだったの?」
聖姫として、神様への目印の。
意外なことに目を見開いてしまうが、ナディナはほほほと笑っている。
「さあさあ。では、啓示の儀式も無事終わりました。まずは聖姫様の濡れた御衣装を替えられて」
急いで体を温めていただかねばといそいそと歩いて行く。その後ろ姿は、どうにも事実だったので誤魔化したような気がしてならない。
「よくやった、イーリス」
「リーンハルト」
声とともに、自分のマントを差し出してきてくれたリーンハルトの温かい手にほっとしてしまう。
「すぐに、隣の部屋で温まっていただきますから」
濡れた服を急いで控え室で脱いで、元のドレスに着替えたが、やはり冬に水に入るのは体に堪えたようだ。服を元通りにきても、まだかたかたと指先が震えてくる。
「大丈夫か? すぐに体を温めよう」
「ええ」
さすがに旅先では、風邪をひきたくない。
(折角のリーンハルトとの旅行だし……)
少しでも早く温まって、元気を取り戻そうと神殿が用意してくれた隣の部屋で、冷え切ってしまった体を温めた。ナディナが手伝ってくれたお蔭で、すぐに服も、濡れた神衣から着てきていたドレスに着替えることができてほっとしたのだが。
一服しただけで続く祝賀の席や、再びやってきた神殿長のパエラや戻ってきたギイトを交えての夕食などですっかり疲れてしまった。
やっと全部終わった――と、宿泊所に案内されたのは、もう夜の八時近くになっていただろうか。
「やっと全部終わったわね」
はああと息をするのに伴い、肩から力が抜けていく。
「これであとの日程は自由だ。明日は、ギルニッテイの街を見に行こうか」
「えっ! いいの!?」
「約束していただろう?」
横でリーンハルトが微笑みながら、頷いてくれる。
(約束を守ってくれるんだわ――)
そう思うと、嬉しくなる。
「うん! 明日は一緒に街を見て回りましょう!」
きっと、色々な建物が見られるから楽しみと、神女達が先導してくれる部屋へと歩いていく。
「こちらになります」
「ありがとう」
さて、これであとは明日のために体力を回復するだけと、既に暖炉に火を灯されている部屋に入って、思わず足を止めた。
(待って!? どうして、部屋にベッドがひとつしかないの!?)
目に飛び込んできた光景に、思わず体が固まった。