第5話 啓示式
石段をのぼり、荘厳な雰囲気を醸す神殿へと入っていく。カツンカツンと歩いて行く神殿は、全体が灰色の石で造られた古代の様式だ。
「かなり古い建物なのね」
「はい、こちらはミュラー教最古の造りと言われております」
「最古!」
聞いた瞬間、どきどきとしてきた。素早く辺りを見回せば、柱は巨大な石を切り出して組まれ、どこかギリシャの建築を連想させる。
(建築方法とか訊いてみたいけれど、今はダメよね)
むずむずとしてしまうが、今はそれよりも尋ねておかないといけないことがある。
「あの、こちらが初めての聖姫が現れた場所だと聞いたのですが」
なにか、聖女の降臨についても知っているのだろうか。そう思い尋ねたが、ナディナは経た年にふさわしい落ちついた風情で振り返る。
「はい、そうでございます。そして、初代の聖女様がリエンラインの国王陛下と出会われた土地でもあります」
「えっ!? 初代の聖女が!」
(本では、聖地シュプールに降り立ったあと東に向かい、その地の困った人々に救いの手を差し伸べている時に、出会ったと書いてあったけれど)
では、ここがその伝承の土地なのだ。昔のことすぎて、地名までは本には書かれていなかった。
「それは、本には載っていなかったわ」
「神殿に参詣された方にはお話しする伝説になっております。実際、神殿内部の資料にしか残ってはおりませんし、聞かれた方は、たいてい喜ばれますから」
どうやら、外部の聖女の資料がなにかで失われたというのは本当らしい。
神殿は知っている。しかし、一般にはその伝承は忘れ去られ、神殿も知りながら具体的な地名までは、積極的に広めてはいない。
――聖女を信仰の支えの一つとしながら。
「広く知らせないのは、聖女と初代の王との間になにかあったからなの?」
こつこつと鳴り響く靴音を聞きながら尋ねれば、隣でリーンハルトが一瞬ぎょっとした顔をした。なにか王家にまずいことが出てくるかと焦ったのだろう。
だが、ころころとナディナは笑い飛ばす。
「まさか! 今でこそ聖女様はリエンラインの王室に王妃として迎えられる慣習になっておりますが、初代の聖女様と当時まだ小国だったリエンラインの王との出会いは、完全な恋愛だったのですよ。それも、当時の陛下の情熱的な片思いで。身分が違うと身を引こうとされる聖女様を、どこまでも追いかけて、ついに結婚を承諾してもらったという熱い愛の話が残っております」
思わず、ちらっと隣を見上げてしまう。
すると、どうしたことだろう。まるで身に覚えがあるかのように、リーンハルトが突然むせているではないか。
「リエンラインのご先祖様って……」
その先祖にして、この子孫あり。じとりと見上げてしまうが、ナディナは楽しそうだ。
「熱烈な恋で結ばれたお蔭でしょうか。その後、聖女様はリエンラインの人々のために尽くされ、リエンラインは急激に発展の道をたどりました。その前例を参考にされたのでしょう。二代目の聖女様が降臨されてから、リエンラインの陛下が歴代求婚されるようになったのは」
「なるほど。初代の聖女の例を参考にしたというわけね」
「はい。ミュラー神は人々のために、初代の聖女様を異世界から呼びよせられました。聖女様の持たれるこちらの世界にはない知識や知恵は、苦しかった人々の暮らしを徐々に豊かに変えていきました。ですが、それ故聖女様はやがて諸外国から狙われる存在となり――」
「えっ!?」
まさか、ここでそれが絡んでくるとは思わなかった。
「異世界から渡られた神の使者とはいえ、こちらでは神殿以外なんの庇護も身分ももたない女性。次第に諸外国が聖女様を狙う方法も手荒なものへと変わり、聖女様の身が危険となったのです」
「それは……まさか、死にかける目にあったということ?」
「いえ、命と意識さえあれば、あとはどんな体になっていてもよいというような。加えて、この頃には国として大きくなったリエンラインの内部でも、異世界からの女性というだけで王妃に迎えることを反対する勢力も現れました。当時は、ミュラー教も急激に勢力を伸ばしたとはいえ、今ほど盤石ではございませんでしたし。それ故そもそもこの世界の者ではないと色々いう者も現れ、聖女様は外国だけではなく貴族の目からも苦しまれました」
それでもと、ナディナはにこりと笑う。
「聖女様は奇跡を起こされたのです。その功績をミュラー神に報告したところ、神も大変喜ばれ、聖女様に聖姫の名前をお与えになりました」
この称号は、自分の娘も同然ということ。各国に広がったミュラー神教の地上の王として、違う世界の生まれでも、リエンラインの王に並ぶのにふさわしい存在であると。そしてどの国の王とも対等に肩を並べ、膝をつく必要はないと。
「各国の王とも並ぶ位となれば、当然歴代のどの貴族の姫達よりも高位の王妃ということになります。よって、リエンラインでは聖姫と認められた聖女様を王妃の中の王妃として扱い、それ以降は貴族たちも決して粗略に扱うことはできなくなったと聞いております」
「なるほど――」
聖女と聖姫の間にそんな関係があったとは。初代聖姫が、奇跡を起こして認められたから、二代目からも聖姫には奇跡が必須となった。おそらく認定試験が導入されたのは、そんな貴族からの揉め事が起こった時に必要となったからなのだろう。
「イーリス様が聖姫試験に臨まれたあらましは聞いております。伝承とは別で、なんでも陛下と別れたくて挑まれたとか」
隣で、更にごほごほという音が大きくなったような気がする。
「あー、まあ。なんというか、勢いで……」
(仕組まれましたと言ってもいいかしら?)
とは思ったが、どうも身に覚えのあるリーンハルトは本気で慌てているようだ。顔が赤くなるまで咳き込み、苦しそうなのは嘘ではないようなので、口には出さないでおく。
「そうですか。ですが、私はイーリス様のお話を聞いた時に、なんとあっぱれなと思いましたのよ?」
「えっ!?」
(あれのどこが!?)
染毛の成績は陽菜に負けたし、肉じゃがでは勝ったが、見た目ならば陽菜に一歩リードされていた。それとも牡蠣醤油の使い方を新しく見いだしたことだろうかと考えたが、ナディナは胸の前で両手を組み合わせて、目をきらきらと輝かせている。
「陛下の仕打ちに我慢ができなくて、王宮を飛び出すとはなんという度胸の持ち主! 更に追いかけてきた王に頑なに離婚を申し入れ、奇跡を起こして、ついに離婚を認めさせたというではありませんか! やはり、世の中の女性はこれぐらいの行動力をもつべきですわ!」
「あ――そっちの……」
思わず引きつるが、隣ではリーンハルトが薄氷色の瞳をくわっと開いている。
「この神殿は、離婚推進派かなにかか?」
もし、今回の儀式で俺とイーリスを離婚させる気なら、今すぐ騎士団を突入させてやるからなと言っているが、さすがにそれはまずい。
「あ、失礼しました。私、普段は離婚を希望する女性の縁切り活動をしているものですから」
ええ、王妃様の勇気に感動しただけですわと笑っているが、それもどうなのか。
「なんでそんな人選をした!? これでイーリスとの仲が悪くなったら、確実に攻撃対象に加えてやるからな!?」
「まあまあ」
宥めるが、どうもリーンハルトは本気のようだ。
(リーンハルトは怒ると、本気でなにをするかわからないから……)
話を変えるためにも、今の内に訊いておこう。決して、騎馬隊が神殿を蹂躙して、訊けなくなった時のためではない。一応。
「昔は、たくさんの聖女様がいらしたのですね。では、こちらに聖女を召喚したり、向こうの世界に帰られたりした方などもおられますか?」
その瞬間、笑っていたナディナの表情がぴくっと固まった気がした。
(あら?)
とは思ったが、すぐに柔和な笑みの中に消されてしまう。
「さあ――遷都されるまでは、たくさんの聖女様がおられましたが。残念ながら、耳にしたことはございませんね」
(やはり、なにかを隠している?)
ここで聖女とリエンラインの王は出会った。そして、後年別人への聖姫の託宣も、この地であった。
(聖女をめぐる争いの熾烈さに残酷な要素が絡んでいる気配はあるけれど……)
ほかに、どこにもこの件を隠さなくてはならないような気配はない。
「聖姫様は、新しくご降臨された陽菜様とは、仲が良いそうですね?」
「え、ええ。年も近いし、元の世界の話が通じる友人だと思っていますわ」
「そうですか」
少しだけ、ナディナの顔がほっとしたように緩んだ。
「それならば、安心いたしました。なにしろ同時期に、二人の聖女様がご降臨なされるのは異例のことですので」
話しながら、神殿の奥にある泉へと連れて行く。
「特に、今からイーリス様には聖姫として、お一人で儀式に臨んでいただきます。二人の聖女様の間に、上下が出来てしまうのが心配だったのです。が、杞憂なようで安心いたしました」
笑いながら、泉の前へと立ち、礼をする。
「これより聖姫の啓示式を行いたいと思います。こちらの泉で、禊ぎをしていただき」
にこっと手を持ち上げる。
「そのまま奥の神像へ進んで祈祷をしていただければ、神が認めた聖姫には、ミュラー神の声が聞こえると言われています」
私ども神官も見守っていますのでと笑っているが、言われたことに頭を殴られたような気分だ。
「えっ!?」
(ちょっと待って!)
今まで、こちらの世界で十七年、前世でも二十年以上生きていたが、そんなスピリチュアル体験とは縁がない。
「どうぞ、神の声が聞こえれば、聖姫として神も承認なされたという証しになりますので。そして、声が聞こえれば、聖戴祭で神が聖姫となる方に、贈り物として力を授けると伝わっております」
ナディナは微笑みながら続けているが、聞いているイーリスとしては内心焦りまくりだ。
(それ、聞こえなかった場合はどうするのよ――!)
自慢ではないが、霊の存在すら半信半疑なのだ。神にいたっては、民俗学や歴史的な見地からしか興味はなかった。
(とても、私に聞こえるとは思えないのに……)
どうしようと、目の前に広がる泉を見つめながら心で呟いた。