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第3話 約束

 リーンハルトと話をしてから五日後。神殿で話が出てから一週間以内という、驚異的な速さで、イーリスはギルニッテイ行きの馬車の準備を待っていた。


 王宮前の広場には、王と王妃が揃って出かけるというので、大変な数の騎士団が馬車を囲んでいる。


 二人が乗る馬車は白く塗られた美しいものだが、その周囲を取り巻く人波を見ていると、どうしても溜め息がこぼれてくる。


「やっぱり、こうなるのね……」


 できたらお忍びで気楽な旅を――と行きたかったが、神殿の要請で赴く以上、聖姫としての格を堕とすわけにはいかないのだろう。溜め息をつきたくなるほど、かなり壮麗な隊列を組まれてしまった。


 リエンラインの国章をつけた旗が並び、きらびやかな騎士達が揃う姿は、まさに圧巻だ。


 神殿へ捧げる供物が並び、馬車を中央にして隊列を組む騎士団の姿は素晴らしいが、あまりの長さに大名行列かといってやりたくなる。


「ああ……もっと気楽な旅がよかった……」


 家出していた時とまではいかないが、各地のお店や料理屋を覗き、身分がばれなければ入ってそれらの品々を堪能してみたかったのに。やはり立場的には難しいのだろう。


 ふうと自分に諦めさせるように息をつくと、後ろから陽菜がひょこっと顔を出してくる。


「どうしたのですか、イーリス様?」


「陽菜……」


 あれから少し過ぎたが、陽菜にはまだポルネット大臣のことを話してはいない。


 だから、一瞬迷ったが「いえ」といつも通りの笑みを浮かべた。


「大名行列みたいだなあと思って。各地への公式訪問の時はいつもだけれど、せめて修学旅行ぐらいの列にならないかしら?」


「あはは。それでもバスの数は大変なものになりますけれどねー」


 でも、今の騎馬隊の数よりは少ないですねと笑っている陽菜の顔は、本当に無邪気だ。


 屈託のないその顔を見ていると、少しだけ申し訳ない気持ちが湧いてくる。


「陽菜は……確か、神奈川の生まれだったわよね?」


「ええ。だから修学旅行は、関西でしたね。京都や大阪を巡って、イーリス様の住まわれていた神戸にも行きましたよ」


 神戸――という言葉に、どくんと胸が跳ねてしまう。


 そのせいだろうか。意図していなかったのに、言葉が口から飛び出してしまった。


「陽菜は、どうやってこちらの世界に来たの?」


(あ、しまった!)


 まだ召喚されたことを知らせるつもりはなかったのに。つい口から疑問に思っていたことが出てしまう。


 慌てて唇を手で押さえたが、陽菜はきょとんとした顔だ。


「私ですか? そうですねー」


 思い出したら辛くならないかと心配だったのに、陽菜はてへへと明るくと笑っている。


「秋の休みの日だったんですよ。それで色んなサークルが集まる海の催しで、友人たちと遊覧船に乗っていたら、突然空が暗くなって」


「えっ」


「急に風も強くなって嵐みたいになったんです。船が慌てて岸に戻ろうとしたんですが、間に合わなくて。押し寄せてきた高波で船が横転して、海に投げ出されたから、ああ、もうダメだ。私死ぬのかなあと思って意識を失ったんですが――、気がついたらこちらの世界に来ていました」


「それは――」


 報告で聞いた陽菜の降臨の様子は、突然晴れていた空が割れて、一筋だけ不思議な色に曇る空間の中に雨が降り注ぎ、不意に一人の女性が浮かび現れてきたというものだった。


 目撃者も多く、神殿もすぐに聖女降臨の伝説そのままだと、陽菜が降り立った郊外の丘に急いで神官を派遣したらしいが。


(あの雨は、海の水……?)


 イーリスも死ぬ前に、遠くに海が光っているのを見ながら死んだ。だとしたら、二つの世界の境界には、なにか海が関係しているのだろうか。


「あ、でも、最初は外国に流れ着いたのかと思ったんですよ。なにしろみんな日本人と髪や目の色が違いましたし。それに言葉も違って、半月ほどはなにを話しているのかよくわかりませんでしたから」


 それでも、少しの間に言葉がわかるようになったのって、やはり聖女が授かる神のご加護とやらのお蔭ですかねと明るく笑っているが、本人にしたら大変なことだっただろう。


「知らなかったわ、大変だったのね」


「まあ、異世界に流れ着くとは思ってもみませんでしたから。でも、こちらに来る前に、友達は投げられた浮き輪にどうにかしがみついた姿を見たし、今頃は、皆元気に暮らしているはずです」


 えへへと頬を掻いているが、懐かしくないはずがない。


「陽菜……」


「それより!」


 にこっと陽菜が顔を寄せてきた。


「イーリス様は修学旅行はどこだったんですか? 関西の学校なら、定番は関東ですよね?」


 その顔はわくわくとしていて、どうやら自分の生まれ故郷に来たことがあるのではと期待しているようだ。


 予想していなかった表情に瞬間呆気にとられたが、次いでぷっと笑みがこぼれた。


「ええ、当たりよ。中学では横浜中華街、箱根の温泉。そのあと東京を回って、千葉のネズミの国にも行ったわ!」


「やっぱり!」


 観光名所には自信があるんですと両手を組み合わせているが、それだけで終わるつもりはない。


「ふふふっ、私を誰だと思っているの。私は歴女、就職してからは鎌倉の名所はだいたい回ったし、小田原江ノ島、浦賀と有名どころはほぼコンプリートよ!」


「最後の浦賀ってところが、すごくイーリス様ですよねー」


 若い女性ならたいていそこは、横浜名所や有名遊園地とかが入ると思うんですけどと呟いているが、浦賀を外すなんて論外だ。


「どうして? 絶対に日本史で出てくるし、テストで暗記も必須! しかも激動の時代で面白いという、歴史好きには決して外しては語れない場所なのに!」


「あー確かに教科書での有名さは鎌倉と並びますが」


 でもと、陽菜がうふふと笑った。


「そんなに神奈川を好きでいてくれたんですね。なんだか嬉しいです」


「当たり前よ、私の推しは山南敬助と秀吉様。どちらの時代にも関わっている神奈川を外すなんて考えられないわ」


「秀吉様には、むしろ神奈川はひどい目にあわされましたけれどね」


 うっと詰まってしまう。


「じ、時効じゃダメかしら?」


「四百年以上昔ですしねー。それに私も小田原攻めの伊達政宗のエピソードは好きですし」


 あ、神奈川の人には内緒でお願いしますねとこっそりと耳打ちをしてくる。


「イーリス」


 その時、後ろから響いてきた声に、陽菜がぴくりと体をあげた。


「あ、陛下が来られましたね! じゃあ、私はお邪魔虫になる前に、自分の馬車に行っていますから!」


 もしギルニッテイで時間があれば、一緒に二人で修学旅行のように街を回りましょうねと柔らかな桃色のドレスを翻して、アンゼルが待っている馬車へと走って行く。


「修学旅行……?」


 その言葉に、騎士達からの報告を受けて戻ってきたリーンハルトが不思議そうな顔をした。


「修学旅行とはなんだ? 友達同士で行く旅行かなにかか?」


「うーん、近いけどちょっと違うかな。学校に通っている生徒が、卒業が近づくと全員で行く旅行なのよ。宿や行き先は一緒だけれど、昼間は班ごとに自由行動をしたり好きな場所をみたりして」


「ほう。自由行動」


「ええ、だから私も前世では女の子の友人と一緒に、よく名所巡りをしたわ。人によっては、仲のよい男の子と二人きりで回ったりする人もいたけれど」


 進学や卒業で忙しくなる前の、ほんのちょっとした恋人同士の秘密の行動。目くじらをたてる女子達もいたけれど、今から思えばなんて微笑ましい恋愛だったことか。


 こちらの世界にきて、十代のうちに親に結婚させられる女性をたくさん見てきたからこそ、懐かしく思い出される。


「それはデートというやつか?」


「そうね、デートといったらぴったりね」


 リーンハルトの手にエスコートをされながら、白い馬車へと乗っていく。中は、紫色のビロードが張られた、ふかふかの座席だ。これならば、長い旅でも、お尻が痛くなりそうにはない。


「では、俺たちも今回の旅行先でデートをしよう」


 ぱたんと扉が閉まるのと同時に、向かいに座ったリーンハルトが言った言葉に、ええっと目を見張った。


「デ、デートって……! それは、つまり二人で抜け出すということ?」


「不服か? ギルニッテイはリエンラインの副都なだけあって、古くからの建物がいっぱいあるぞ?」


 オランリア国との戦いで有名なセレツ橋。建築王エックハルトが建てたというガウセンの砦。街の中心にある聖女の広場。神殿以外にも、歴史的に価値のある場所がいっぱいだと言われると、むくむくと好奇心が湧いてくる。


 ――歴史の宝庫。


 噂には聞いていたが、それらを間近で拝めるかもしれないだなんて。


「行きたい……!」


 公式の訪問ならば、自由行動はないだろうと諦めていた。だが、もし抜け出してそれらを回れるのなら。


 ドキドキとした目で見つめれば、リーンハルトがふっと笑う。


「ならば、決まりだな」


「いいの!? 本当に!」


 まさか、リーンハルトが自分の趣味にのってくれるだなんて。


「俺も、公式の堅苦しいだけの旅より、そちらの方が楽しみなんだ。それに二人でデートの機会なんて、滅多とないしな」


 デートと言われると頬が赤くなってくる。


「う、うん……」


 どうしよう。俯いて隠したが、すぐ前にリーンハルトがいるから、この頬の赤味を見られてしまいそうだ。


 なにかこれに気づかれない話題はないかしらと探して、ふと思い出したことを尋ねた。


「あ、でもそれだけ有名な場所なのに、どうしてリエンラインは首都を移したの? 歴史書を読んでも、古すぎてあまりはっきりとした理由は書いてなくて」


「俺も詳しく知っているわけではないが」


 こほんと咳払いをしている姿からは、どうやら顔が赤くなったことには気づかれなかったみたいだ。


「その頃、降臨してくる聖女の数が以前より少なくなっていたらしい。そのため、久しぶりに降臨してきた聖女を狙う諸外国と争いになり、より防衛をしやすい今の都に首都を移したと伝わっている」


「なるほど――」


 まさか、ここでも聖女が絡んでいるとは思わなかった。一般的な本に書かれている推測は、諸外国からの防衛と、内地での交易中継点ではないからかと記されていたが。


「当時は、ギルニッテイの民からかなり反発が出たらしい。だが、結局聖女を奪われないためと、街が戦火でやられないようにギルニッテイの民も納得したそうだ」


「確かに首都としての恩恵以上に、戦争の惨禍に巻き込まれないほうが大切だったんでしょうけれど」


 しかし、聖女の降臨が減っていたとはどういうことなのか。


「昔は、今よりも頻繁に聖女が降臨していたの?」


「建国当時は、そう伝わっている。だが次第に減っていき、今の王都に遷都をしてからまた数が増えたそうだ。もっとも、第二十六代ジギワルド王の御代から前は、神話や正史の記述以外に残っている聖女の資料が少ないので、あくまでも言い伝えだが」


「二十六代王って――確か、父親が離婚をして聖女を後妻に迎えたという」


「そう、あのザクゼス王の息子の話だ。もっとも、彼の代から後は、また聖女の降臨が減少し、今では数代に一人出るかどうかになっているが」


 ザクセス王の息子の代から前の聖女の資料が少ない?


「それは――なにかがあって、聖女に関する記録が失われたということなのかしら?」


「詳細はわからん。だが、今のリエンラインの王宮を造ったのも、彼なんだぞ?」


「えっ!?」


「それまでの王宮は、今の建物よりかなり小さかったらしい。だから、中央集権化と軍事力の増強を図るために、かなり拡張して王宮を造営したと伝わっている。実際、かなりやり手の国王だったらしいからな。王権に反対する貴族をねじ伏せ、今日に繋がるリエンラインの王権の礎を築いた人物と言われている」


「そうなの……」


 彼に対する評価が高いことは、歴史書でも知っていた。


(でも、なにがあったのだろう? 遷都と聖女。そして、なぜか消えた聖女の記録)


 歴代が王室に嫁いでいたのなら、かなり詳細な記録があったはずだ。今でも降臨した日や民に授けた知恵などは残されているから、大きな公式記録以外がどこかに失われてしまったということなのだろう。


 なぜ消えたのか。なにかが隠されているような気がするのに、わからなくて、もどかしい。うーんと顔をしかめた時だった。


「あまり考え込むな。陽菜のことについては、今調べさせているから」


「うん……」


 気持ちを読んだように、励ましてくれるのが嬉しい。だから細く笑うと、リーンハルトの顔が、元気づけるように微笑んだ。


「さあ、もうすぐ一番目の街だ。せめて道中は、珍しい食べ物を用意させるようにしたから」


 その声に、イーリスもやっと微笑むことができた。



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