第7話 これからの計画
翌日、イーリスは王都から遠く離れた道を走る馬車の中にいた。
午後の陽が傾きかけた外では、ゆっくりと黄昏の光が降り始めている。
周囲に点在する畑は、冬だからだろうか。今は覆う雪で作物の姿がなにも見えないが、耕されているように畝が盛り上がっているところを見ると、耕作されていないわけではないようだ。
「これからどうするのですか? イーリス様」
自分と一緒に王宮を出てくれたギイトが、向かいの席から訊いてくる。
彼のお蔭で、王妃の用で街に出る神官と女官という体を装い、なんとか王宮の城門を守る衛兵も誤魔化すことができた。
「どうするとは?」
しかし、イーリスは突然訊かれた内容に不思議そうに首を傾げる。
「いえ、王宮から出て、この長距離用の馬車に乗りましたが、これからの行く先というか……」
「そうねえ」
確かに、昨日は突然の事態に王都を脱出するので精一杯だった。ましてやギイトにすれば、国境へ向かうことを考えるのに必死で、それ以上の余裕はなかっただろう。
昨夜、王宮から先ず都に脱出すると、疑われないように大きな商家の前で宮殿からの馬車を降りた。王宮で急に必要になった物や、都の商業についての相談をしたい時に、イーリスが何度か訪れたことのある建物だ。だから、時間がかかるので終わったら送ってもらうと言って馬車を返すと、すぐにそこから急ぎ足で貸し馬車用の駅に向かったのだ。
(とにかく急がなければ!)
抜け出したことがわかれば、今度こそ痛くもない腹を探られることになりかねない。
(だからって、このまま自分の運命を人に託すのなんてまっぴら!)
ましてや、陽菜の言葉に騙されて、自分を信じようともしないリーンハルトになんて。
(あ、まずい。思い出したら、またムカムカとしてきた)
今頃は邪魔者がいなくなったと陽菜と二人で仲良くやっているのか。それとも、あの書き置きを見て、激怒しているのか。
後者だったらいいのにとは、悔しさからくる心の叫びだ。
(いや、多分後者だわ。あのプライドの高いリーンハルトが、私からの嫌味を受けて、そのままスルーするなんてありえないもの)
今頃は、自分の面目を保つために、イーリスの捜索をさせているのだろう。どうせいらない王妃なのだ。だったら、プライドだけの捜索なんてさっさとやめて、好きな陽菜と幸せになればいいのに。
それなのに、今頃はイーリスをどう処罰して二人で幸せになろうかと考えているのかと思うと、ますます腹が立ってくる。
(絶対に! あなたに捕まって、思い通りになんかさせてやらないんだから!)
「イーリス様?」
けれど、向かいから不思議そうにかけられたギイトの声に、自分が無意識に百面相をしていたのに気づく。
(いけない、いけない)
どうやら相当怖い顔をしていたようだ。その証拠に、ギイトの背中が少しだけ後ずさりをしているではないか。
だから、イーリスはできるだけ穏やかな笑みを浮かべた。
「そうねえ……取りあえず、国境を越えて、あとはどこかで働くつもり」
「働く!?」
余程意外だったのか。がたんとギイトが立った勢いで、馬車の中でバランスを崩しそうになっている。慌てて手を座席について支えたが、ギイトの表情はまた信じられないかのようだ。
「働くって――――まさか、イーリス様のその白い手で!?」
「まあ、日焼けしていないから生っ白いけれどね。洗い物や洗濯ぐらいならできると思うのよ」
うんと首を縦に振りながら答える。
「なりません!」
けれど、ギイトは恐ろしい言葉を聞いたように、わっと顔を伏せた。
「そんな! 偉大な聖女で、誰よりも強く美しいイーリス様が! その手は民のもので、洗濯や皿洗いなどに使うには、あまりにももったいないのに!」
「いやいや。私、これでもこちらの世界に来るまでは普通に働いていたからね? 料理は苦手だったけれど、一応自炊もしていたし」
それなのに、どうにも神格化して見られているような気がする。
「だめです! それぐらいなら、私が代わりに働きますから!」
「だからって、二人で生きていくのに、ギイトだけ働かせるわけにはいかないでしょう? これからは一緒に助け合って生きていく、言わば仲間なんだから」
「仲間……」
何が琴線に触れたのかはわからないが、どうやらギイトの心には達したようだ。急に顔が嬉しそうになると、少し照れたように俯いてしまっている。
納得してくれたことに安心すると、イーリスはがたんと車輪を止めた馬車の扉を開けた。
「ほら! 国境を越えてからのことはあとにして! 先ずはこの街で、ご飯を食べましょうよ」
昨夜、この長距離馬車に乗ってから食べたのは、途中の駅で馬の交換の間に買ったドライフルーツやサンドウィッチぐらいだった。
だから、貸し切りの料金で後払いになっていた分を御者に払うと、鳴りそうなおなかを我慢ながらイーリスは黄昏の降りだした街を歩き始めた。
「小さいけれど、割と華やかな街ね……」
王都から北行きの馬車に乗って来たから、さすがに風は冷たい。ひんやりとはするが、郊外よりは雪も少なく、残っている分も道ばたに綺麗にかかれているようだ。おそらく、今歩いているのは、この街の中心通りなのだろう。石畳で舗装された通りの両側に並ぶ店は、磨かれた飾り窓にいくつもの銀細工品を陳列している。
銀食器に銀製の茶器。更には、銀で作られた花瓶やペン入れなども並び、ショーウインドウの中で金色の日差しをあびて輝く様は、まるで夢の国のようだ。
「綺麗ね! こんなにたくさん売っているなんて、ここらは銀細工が盛んなのかしら」
「そうみたいですね。あちらには、どうやら工房が並んでいるようですよ」
答えながら、ギイトは路地から一つ奥の通りを眺めている。
「なかなか見事な細工揃いですし、王都から一日の距離でこれだけのとなると……ここは、ワリテルゼの街なのかもしれません」
「ワリテルゼ?」
「はい。シュレイバン地方の一都市です。小さいですが、一流の銀細工品を制作することで有名な街です」
「ああ、だから」
小さな街にしては、出入りしている商人が多いと思った。おそらく、銀細工の買い付けや注文に来ているのだろう。道を行き交う人も多く、細工物による商業が盛んな街なのに違いない。
「終点まで乗ると、リーンハルトに見つかりやすいかもと思って、途中で下車したけれど、綺麗な街ね」
けれど、何故だろう。今見回せば、街を歩く人々の顔が、ひどく白いような気がする。
(冬で寒いせいかしら?)
陳列されている銀細工は華やかなのに、広場に並ぶ露天には活気がないような――。
(どうして、こんなに商品が少ないのかしら?)
肉や魚。干し野菜。どこの市でも並ぶ商品に首を傾げながら、イーリスは突然鳴った音に、思わず両手でお腹をおさえた。
「さ、さあ! 先ずは食事を取りましょうか!」
(腹が減っては戦はできぬ! まさに昔の名言よねー)
だから、ギイトを連れると、お腹の音と寒さに背を押されるようにして、駅馬車からほど遠くないところにある料理屋が並んだ一角へと向かった。