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第31話 対決

 階段を駆け上がる間にも、後ろの暗がりからは自分を追いかけてくる足音が確かに聞こえてくる。


(どうやら、無事グリゴアではなく私の方を目指してくれたようね!)


 イーリスのやった行為を知れば、馬鹿だと、グリゴアもリーンハルトも口を揃えていうだろう。


 そういうところは、あの師弟は嫌味なほど似ている気がする。


(だけど生憎ね! 私は、目には目を歯には歯をのハムラビ法典の精神には賛同するのよ!)


 確かにグリゴアには腹が立っていた。だからといって、助けられたのを忘れられるほど、自分は健忘症でもない。恩には恩で返してやる! これは、別にリーンハルトの師匠を見捨てたら寝覚めが悪いからではなく、単に自分の矜持の問題だ。


 確実に追ってくる足音に振り返って、急いで階段を駆け上がる。


(まあ、そうは言ってもどこか途中で迷子になっていてほしかったところだけど)


 全てがそううまくいくとは限らない。


 先ほどと同じように、イーリスの走る音で追いかけてきているのだとしたら、遠からずここの出口にも到達してしまうかもしれない。


 だから、イーリスは目の前に現れた白い石の扉の取っ手を握ると、力の限り右へとずらした。石が少し動き、こんという音ともに止まる。


 さすがに、重い扉を一度で開けることはできない。


 もう一度力を入れて開くと、白い石の隙間から、太陽の光が差し込んできた。


 いつのまにか雨はあがっていたのだろう。


 ひょいっと顔を出せば、目の前には白い山茶花の生け垣が広がっている。白い花と緑の葉の上には、宝石のように水滴がのり、西にゆっくりと傾いていく太陽の光を受けながらきらきらと輝いているではないか。


「外だわ……」


 見回せば、今自分が出てきたところは、東の庭園のようだった。出口の上には白い女性の彫像が柔らかく微笑み、少し赤くなりかけた大気の中へ出てきたイーリスに、祝福するように手を差し伸べてくれている。


 陽菜が出てきた、あの抜け道だ。


「もっと走っていたと思ったのに……」


 やはり、気がつかないうちに、何度も同じ辺りを回っていたのかもしれない。


 今までの少しかび臭いような香りではない、冷たい外の風を肺いっぱいに吸い込む。


 だが、後ろから響いてくる足音に気がついて、急いで外に出て扉を閉めた。


(ここまで来て、やられるわけにはいかない!)


 引いた扉はだんと重たい音がして閉まったが、すぐに駆け上ってくる足音が響いてくる。


 だから、急いで背を翻して走り出した。


 ここから一番近いのは東の離宮だが、騎士達が確実にいるのは大翼宮に向かう間にある騎士団の詰め所だろう。


 離宮の警備にあたる騎士達の連絡場所として、第二騎士団の者達が待機しているはずだ。


(そこに行けば、リーンハルトに知らせてもらえるはず!)


 急いで、山茶花の生け垣を越えるが、さすがに王宮は広い。


「待て!」


 後ろから、響いた声に振り返って、ぐっと眉を寄せる。


(まさか、もう追いついてきただなんて!)


 やはり、相手も自分の生死がかかっているだけに必死だ。振り返れば、汗を振り乱しながら迫ってくるハーゲンの姿が見える。


 ここから、騎士団の詰め所までは直線距離にしてもあと三百メートル。


「誰か! いないの!?」


 必死で声を張り上げたが、山茶花の生け垣は高くて、誰がどこにいるのかも見渡せない。


「見つけましたよ! イーリス様!」


 後ろから迫ってくる顔は、もう、言葉も表情も完全に悪役だ。


 あの悪鬼のように歪んだ本性のどこを自分は見ていたのか。


「おとなしく諦めて、これを飲んでください!」


「絶対に御免被るわ!」


 だが、このままでは追いつかれるのは時間の問題だ。裸足でどうしても砂や石粒を踏む度にスピードが落ちてしまう自分に対して、革靴を履いたままのハーゲンの方が足が速い。


 ぬかるみに落ちていた石を踏んだ瞬間、痛みに少しだけ目を寄せた。


 ほんの一瞬だが、スピードが落ちてしまったような気がする。


「さあ、イーリス様! もう諦めて!」


 追ってくる影に、ちっと唇を噛んだ。


 危機だが、諦めるのは自分の性分に合わない。


(ならば!)


 一か八かだ。


 山茶花の生け垣を抜けて、次に夾竹桃の生け垣が広がるエリアまで来ると、その枝を折って後ろを振り向いた。


 伸ばした手の先で、ぱきんと枝の折れる激しい音がする。


 手で折り取ったとしては、まあまあの長さだ。


 武器としては、素朴極まりないが――と振り返ると、ナイフを片手に走ってくるハーゲンに向かい振りかざす。


 折れた方を先端にして。


 そして、ざっと周りの様子を窺った。


 前に見たとおりだ。このエリアは。


「おっと、こんな枝程度」


 怖くもないとハーゲンがひょいっとかわすが、イーリスだってこれで致命傷を与えられるとは思ってはいない。


「そうかもね! 当たっても痛くはないし、たいした怪我にもならない!」


「おわかりなら、これだけでどちらが勝ちか既に決まったも同然でしょう!」


 叫ぶと、枝など怖くもないと言うように、更にハーゲンはイーリスに向かって踏み込んでくる。


 振りかざしたナイフに、ばらりとイーリスの袖のレースが切り裂かれた。


「そうね、確かに武器としてならお前の方が確実に殺せるわ」


 にっと笑って、枝を振り上げる。


「でも、これは毒草なの! 触れたぐらいならともかく、その樹液が目に入ればどうなるか!」


「なに!?」


 切り取った先端を目に向かって振りあげるのに、一瞬ハーゲンの体が慌てて後ろ向きにのけぞった。


 この瞬間を待っていた!


 だから、咄嗟にハーゲンの足を蹴ると、ぬかるんだ地面でバランスを支えられなくなった体は、仰向けのまま背中から濡れた草の上へと倒れていく。その上に、膝で馬乗りになる。


 はっと目を見開いたハーゲンと視線が合った。


 相手が、側に落ちたナイフを探して視線を動かすのが見える。


 だが、ハーゲンの手がそれを掴むのよりも早くに、イーリスは袖から切れて垂れ下がっていたレースごと側に生えていたヨモギに似た草を掴むと、驚いて開いている唇の間にねじ込んだのだ。


「なっ……!」


 なにをするのかと叫びたいのだろう。しかし、手は緩めずに、金色の瞳で自分を騙していた男をじっと見下ろす。


「動かないで。これは、附子(ぶす)よ」


「ぶ……」


 附子とはなにかと尋ねたいのだろう。しかし、口に入れられているのでうまく話せないのか。


 少しだけ困惑している表情に、丁寧に説明をしてやる。


「そうよ、飲み込めば、間違いなくお前は死ぬわ」


 イーリスの言葉に、驚愕したようにハーゲンの動きが止まった。その姿を見下ろし、イーリスの瞳が夕日に金色に輝く。


「こんな植物の植えてある離宮が、ただの空き家? 毒のある植物や武器庫のある離宮という時点でおかしいとは思わなかったの?」


 なにを言っているのかと見つめる瞳に、イーリスはゆっくりと種を明かしてやる。


「お前が使ったイチイの木は、歴史でも弓の材料として重宝されてきた木材だわ。その毒矢の原料となったのがさっきの夾竹桃。そして毒矢の中でも、私がいたところで最高の材料として活躍したのが――」


 ごくりと口を開けたままのハーゲンを見下ろし、非情に告げる。


「この附子――つまり、トリカブトよ」


 ひっと声を出し、必死に舌を植物からよけようとするのが伝わった。


 なにしろ、日本三大有毒植物とも言われる猛毒の植物だ。附子は根の部分の名前だが、毒性はその草全体に宿り、日本でも、アイヌがヒグマを狩る毒矢として用いてきた。


 それらを揃えておいてある離宮が、どうしてただの空き家としか思えなかったのか!


「た、たす……け……」


 草に触れないように声を出すので精一杯なのだろう。


「私を陥れようと離婚状を盗み、ポルネット大臣と画策したと証言する?」


 そのイーリスの言葉に、一瞬伸ばしかけていたハーゲンの手が止まった。


 そして、側に落としたナイフを掴んだ瞬間だった。


「そこまでだ!」


 周りを、いつのまにか駆けつけた騎士団に囲まれていたのは!


 

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