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第27話 離婚状

 ――どうしよう……。


 離宮に帰ってきてから、イーリスは長椅子に座ったまま考え続けていた。


 窓の外ではいつのまにか雨が降り出している。先ほどまであれほど晴れ渡っていたというのに、今はまるで空が泣くかのように窓の外は煙色だ。


 あの後、了承するしかなかった。


「どうしよう……まだ、離婚状がどこにあるのかもわからないのに」


 さっきの大臣とグリゴアとの会話を思い出しながら、ぐっとドレスの裾を握りしめる。


 今、コリンナは席を外したイーリスの代理で購入を決定したドレスや宝石を片付けるために、部屋で、メイド達に指示を出してくれている。


 陽菜の分も合わせて買ったから、かなりな量だ。見立てについては、陽菜の意見を取り入れながら、コリンナが王宮の作法に合うものを選んでくれたので、おかしなことはないだろう。


 むしろ、地味好みといわれるイーリスに、自分では選ばないような派手なデザインも着せられると、生き生きと喜んで色んな布地を見ていたような気がする。


(どんなのを選んだのかは気になるところだけれど……)


 コリンナと陽菜のセンスならば、先ず間違いはない。


 それよりも、今は離婚状だ。


「困ったわ……」


 あと、二日以内に見つけられなければ、離婚をするように強制権を持つ決議をするだなんて。そして、再婚をしたあとで、例の離婚状に勝手に日付を加えて持ち出されればアウトだ。


「どうしよう……!」


 こつこつと指が肘掛けを叩く。


 決議を受けたぐらいで、素直にリーンハルトが離婚を受け入れるとは思えないが、強制権がある以上厄介な事態には変わりがない。離婚状にしても、大臣とのことで一つ手がかりを掴んだと思った途端、また振り出しに戻ってしまった。


「離婚状のことですか?」


 イーリスがついた溜め息に、暖炉の薪を補充していたハーゲンが、火かき棒をもちながら振り向いた。


 新しい薪を投入したからだろう。火は一瞬弱くなったが、少ししてすぐに新しい木も燃え尽くそうと炎の舌を広げ始める。


「ええ……」


 その様子を見ながら、こくりとイーリスは頷いた。その様子にハーゲンが真剣な顔で見つめてくる。


「でも、疑わしいのはグリゴア様では? 王妃様もずっとそう仰っておられましたし」


「そう思っていたのだけれど……」


 今日話したのでわかってしまった。グリゴアは違う。


(あれは、本当に私に対して怒っているだけだった……)


 今日言われた言葉の一つ一つを思い出しても、グリゴアはそもそも離婚状が既に書かれているということ自体を知らない様子だった。


 確かに、これまでイーリスを王妃宮から追い出したり、王妃の化粧料を使うなと言ったり、明らかに王妃として認めない姿勢をとってきた。見ようによっては、反対派の先鋒ともとれるが――。


(違うわね。あれは本当に、リーンハルトとの仲をはっきりとさせない私に怒っていたのよ)


 本当にリーンハルトの気持ちを受け入れる気があるのか。どこまで振り回すつもりなのかと。


(そりゃあ、六年も相談されていたのなら、そう言いたくなるのも当然でしょうよ)


 自分だって、陽菜が結婚して、その相手の男が「やり直したいから離婚したい」と言いだしたら、「なによ、それ! 本気でやり直すつもりなの!?」と考えるのが普通だろう。


(グリゴアが私に怒っているのはわかったけれど――)


 だとしたら、離婚状はどこに行ったのか。いや、今日の様子からすれば、より怪しいのはポルネット工務大臣の方だろう。


 自分の娘を王妃にしようとして、それがならなければリーンハルトの側女として、次の王位継承者を生ませることを企んでいた男。どちらもダメだとわかったあとは、降臨した陽菜に近づき、後見人を名乗りでるほど外戚の地位に未練があったのだとすれば――今回のことでも、疑わしさは十分だ。


「二日以内に私が離婚状を見つけなければ、本気で貴族会から離婚を迫るつもりなのでしょうけれど――」


 弱った。離婚状を探す手がかりが、完全に消えてしまったのだ。


(――せめて、怪しいポルネット大臣を詳しく調べる時間があれば、なにか見つかるかもしれないのに……)


「王妃様」


「時間が足りないわ」


 心配そうな顔をしているハーゲンを振り返らず、手を握ったままぽつりと呟く。


 たった紙一枚。だが、床板の隙間にでも隠せるし、壁の細い隙間にだって差しこむことができる。これだけ離宮を大探しして、見つからなかったとなると――。


「では」


 心配そうに近づいてきたハーゲンが、顔をそっと寄せてきた。


「いっそ、偽物を用意してみてはいかがでしょうか?」


「偽物? 嘘の離婚状を?」


「はい。この前グリゴア様にしたのと同じように。幸い、私の友人に王宮書司部に勤めている者がおります。その者に偽物を渡し、本物として保管をしてもらうのです。そうすれば記録上は、イーリス様が正式な離婚状を提出したことになりますし、あとで本物が見つかった時にも、こっそりとすり替えることができます」


「偽物を――確かに……」


 ハーゲンの提案通りにすれば、民との公約は守った形になるし、リーンハルトが決議を引かせるのに翻弄されることもない。ただでさえ、仕事が忙しくて目の下の隈がすごいのだ。これ以上、負担をかけたくはないが――。


「でも、いくら偽物でもリーンハルトにもう一通書けとは言えないわ」


 あれほど離婚状を書くことを嫌がっていたのだ。それに、この件についても近々なんとかする考えがあるようだったのに――。


「きっと、書きたがらないと思うし」


 だから、あれが自分たちの唯一の離婚状なのだ。書いてくれた時のリーンハルトを思い出し、ぐっと手を握りしめる。


 しかし、俯いたイーリスに、にこっとハーゲンは笑いかける。


「ですから」


 ぴょんと指を立てた。


「偽物なのです。あのご様子では、とても陛下に二通目を書いていただくのはご無理でしょう。代わりに、私の知り合いに、人の筆跡を真似るのが得意な者がおります。イーリス様から陛下の手跡をお預かりすることができれば、それを元に、そっくりな離婚状をお作りしてみせますので――」


「本物そっくりな離婚状を?」


「はい。なので、どうか安心してお任せください」


 確かに――それならば、取りあえず今をしのぐことはできるのかもしれない。


 偽物を出して時間を稼いでいる間に、大事な本物を探し出し、あとですり替えればいいのだ。


 たとえ見つかるのが遅くても、リーンハルトがなにか考えていることがうまくいけば、この問題は解決するかもしれない。


「そうね――」


 急場の打開案としては、それしかないと頷こうとしたところで、はっと瞳を開いた。


(待って!? 昔、こんな事件がなかった!?)


 離婚や結婚に関することでではない。


 頭の中で、昔見た歴史書達のページが音をたててめくれていく。


 書類、偽造。そして、すり替え。まさに、この言葉に該当する事件がなかったか!


 ぱららと頭の中の歴史書がせわしくなくめくれ、今思い浮かべた単語が並ぶあるページで止まった。


 はっと、目を見開く。


(そうよ! 江戸時代の有名な国書偽造事件――柳川一件!)


 あれがまさに、これらと同じ単語の並ぶ事件ではないか!


 ばんと頭の中に、昔読んだ事件名が浮き上がってくる。


(あれは、確か対馬藩が企てた事件だったわ……!)


 秀吉の朝鮮出兵で、当時交流の途絶えていた日本と朝鮮王朝。両国の交易に依存していた対馬藩は、これに困り、国交が再開されるために、朝鮮から求められた国書を用意しようと家康の名前を用いた国書の偽造へと手を出していくのだが――。


 はっと思い出した事件に口に手を当てる。


(そうよ……。あれは、偽書でありながら、そして本物かどうか疑われてさえいたのに、日本からの正式な国書として扱われた事件だった……!)


 それだけではなく、対馬藩は、返礼で来た朝鮮側の使節が持っていた国書が返書だとばれないために、偽造したものを秀忠との会見当日にすり替えたのだ!


 後に、対馬藩の柳川調興の訴えで、偽造と改ざんが明らかになるのだが、当時の情勢や国際秩序、そして対馬藩主宗氏の人望などにより、大罪であるはずがお咎めなしとなった事件だ。


 そして、偽書でもたらされた国交は、その後も二百年近く江戸時代で続いていく。


 偽書が、本物と同じ効力をもたらした世にも稀な事件だ。


(偽書でも、場合によっては本物と同じ力をもつ――)


 まさかと、ごくりと側にたつハーゲンの顔を見つめた。


 今自分が偽書を渡せば、書司官はそれを本物と記録するだろう。もし、将来偽書と発覚しても、書司部には一度本物が預けられたという記録になる。


(そうなれば、たとえ後から誰かが最初の離婚状を持ち出してきても、記録上は有効だ)


 むしろ、偽物にすり替えられたのは、書司部に届けられてからということになるだろうし、いくらなんでも王妃が偽書を記録させたとは公言できない――。


(まさか!)


 浮き上がってきた怪しい存在に、イーリスは金の瞳を開いてハーゲンを覗きこんだ。


 今、確かにハーゲンは、自分の前で王宮書司部に友人がいると言っていた。だが、自分のところにグリゴアからではなく送られて来た離婚の催促の使者も、また王宮書司部からではなかったか。


(そうよ……だいたい、なぜハーゲンは私と今ここにいるの?)


 王妃宮を追い出されるまでは、宮中省にいても顔すら知らなかった。ただ、自分が王妃宮を追い出された時に助けてくれたから、信頼したが――。


 その助けに従って入ったこの離宮で、離婚状が行方不明になったのだ。どこを探しても出てこないほど。


 思わず見慣れた顔を見つめ、ごくりと息をのみこむ。


「王妃様?」


 敬称で油断をしていた! ハーゲンは自分を支持してくれている人間だと!


 だが、もし最初から罠だったのだとすれば――。


(そうよ、今から思えば、ハーゲンは最初、私とリーンハルトの食事に陽菜を同席させようとしていたわ)


 まさか!


 ぎりっと指を握りしめる。


 ずっと側でイーリスのグリゴアが疑わしいという言葉に頷く姿に騙されていた!


 それに思い出した。


(そうよ! 要職の長いポルネット大臣は――!) 


 今の工務省の前は、商務省の大臣だった。丁度イーリスがギルドを解体した頃だ。


 そして、今回のポルネット大臣の決議案が、承諾するかもわからないリーンハルトに狙いを定めたものではなく、偽書でもかまわないからイーリスに二通目を出させるためのものだったのだとしたら。


 ――ならば、なくなった離婚状は。


 あの時、最後に離婚状に触れ、箱に入れたのが誰だったかまざまざと思い出される。


 立ち上がり、急いで側の棚に置いていた螺鈿の箱に近づいた。


「あっ!? イーリス様、なにを!?」


 敬称ですら完璧ではなかったというのに――。


 ハーゲンが側で慌てているが、かまわずに封をといて、蓋を持ち上げる。


 中に入っていたのは、白い紙。今日のグリゴアのために用意されていたものだ。


 その紙を持ち上げ、急いで下の黒塗りの板に触れてみた。ぐいっと指で押して、目を見開く。


 僅かだが、板が動くではないか。ほんの一ミリほどだが。


 だが、動くのならば。思い切り押して、僅かにできた隙間に爪を差し込み、板が持ち上がらないかと試してみる。


 その瞬間、息をのんだ。


 底板が外れ、その下からもう一枚の紙が出てきたのだ!


(まさか二重底になっていただなんて!)


 どこを探しても見つからなかったはずだ。誰も最初に盗まれた場所に、そのまま離婚状が入っているなど思いもしない。ましてや、中が空で、王が一度確かめたのなら尚更。


「ハーゲン、あなた!」


 よくも裏切ってくれたと振り返ったのに、瞬間目に入ったのは、鬼のように変貌したハーゲンの顔だった。そして振り上げられた火かき棒と、がっと頭を打つ音。


 痛いと感じる間もない。ただ、頭の中に火花が散ったと感じた瞬間、イーリスの意識は、真っ暗な闇の中へとのみこまれていった。

 

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