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第26話 知らなかった六年

 ぱたんと隣の部屋の扉を閉める。豪華な椅子やテーブルはあるが、ほかには人がいない。


 小広間で夜会が行われた時などの休憩用に使われている部屋だ。


(さて――)


 椅子に座って、目の前のテーブルに螺鈿の箱を置けば、前に来たグリゴアがじっとそれを見つめている。


「どうぞ」


 席に座ってもよいと連れだって入ったグリゴアには手で示したが、そもそも部屋には誘ってもいないポルネット大臣にはふりむきすらしないせいか。勝手についてきたが、イーリスの様子にどうしたものかとテーブルの近くでうろうろとしている。


 それでも我慢できなかったのだろう。


「どうして、それをここに……」


 イーリスが置いた蘭が描かれた螺鈿の箱を見つめ、唸るように言葉を漏らした。


「どうして? 私が持っていたから見せたのよ?」


(ふうん、大臣のこの態度……)


 この螺鈿の箱になにが入っていたのかを知っているようだ。まだ、中身がなにとも言ってはいないのに。


 よほど内心は焦っているのか。イーリスが取り出した離婚状が入っていた箱と、イーリス自身とを交互に見比べながら、睨むように様子を窺っている。


(さて、だとしたらグリゴアは――)


 これで尻尾を出すかと見つめたが、彼はなぜか自分よりもポルネット大臣の様子を窺っている。紫の瞳で眺め、かちゃっと眼鏡を持ち上げた。そして、イーリスを見つめてくる。


「つまり、今のお言葉と態度からすると、離婚状は既にこの中にあると?」


「そういうことになるかしら?」


(さあ! ここで、中をみせろと言ってくる!?)


 一通目を盗んで、イーリス達の再婚を反古にさせたいのなら、中にあるのが本物かどうかは気になるところだろう。


 本物の離婚状は、まだ離宮からは出てはいないはず!


 ならば、中にあるのが、自分たちが盗ませた離婚状なのか喉から手が出るほど知りたいはずだ。入っているのが、書き直した二通目であっても、いや二通目ならば尚更、再婚の反対派に与しているのならほしい品だろう!


 どちらにせよ、確かめずにはおられないはずだが――。


「嘘ですね、それは」


「えっ?」


 紐さえ手にかけずに、きっぱりと言い切られたグリゴアの言葉に、イーリスの目が大きく開いてしまう。まだ、中身どころか蓋すら開いてはいないというのに。


「あら、どうして?」


 流れそうな汗を隠しながら尋ねたつもりだったのに、にっこりと笑ったはずの唇は微かに引きつってきてしまう。


 しかし、目の前でグリゴアは紫色の瞳を閉じると、小さな溜め息をついた。


「あの陛下が、そんなに簡単にお書きになるはずがございません。貴女との離婚状を――」


(それは、確かに……)


 書いてもらうまではなかなか大変だった。とにかく逃げだそうとするし、隙があれば引き延ばそうとしてくるし。


「あら? でも私に何度も離婚状を書けと迫ってきたグリゴアの言葉とは思えないわね? 使者だけでも三度も丁寧によこしてくれたのに」


「三度? 私は一度しか使者は送ってはおりませんが」


「え?」


 ――では、残りの二回は。


 誰からだったというのか。ちらりと立ったままの大臣に目をやったが、横を向いてしまった彼の表情はここから窺うことはできない。


(そういえば、グリゴアの時だけ使者が違った……)


 当時は気にも止めなかったが、あれに理由があったとすれば――。


 一瞬考え込んでしまったが、その間にも、グリゴアは溜め息をつきながら話し出す。


「私が知る限り陛下は――」


 少しだけ思い出すように、瞼を伏せた。


「幼い頃から、ずっとあなたに恋しておられました」


「え?」


 どうして、大使として長年外国にいたはすのグリゴアが、自分たちのことをそこまで知っているのか。結婚した時には、既に赴任していたはずなのに。


 じっと金色の瞳を開いて見つめたが、グリゴアは背もたれに背中を預けながら、ゆっくりと息を言葉と共に吐き出し続けている。


「喧嘩をしてしまったと、小さな泣きそうな文字で綴られていました。どうすれば仲直りができるのか。どうすれば、もう一度笑顔を見せてもらえるようになるのかと。何度も何度も、相談を受けました」


「何度もって――」


 帰国した時にだろうか。だが、今グリゴアは文字でといってはいなかったか。


「ただでさえ、幼くして王位について、慣れない政務でお疲れでしょうに。仕事によせて遠い異国に送られてくる手紙には、いつも端の方に貴女とのことがそっと綴られていました。私が六年間、どんな想いでリーンハルト様からの手紙を読み続けていたのか――」


「手紙で……私のことを相談していたの?」


 金色の瞳が、思わず大きく開いてしまう。


 あのリーンハルトが、自分が悩んでいたのと同じだけの歳月を悩んでくれていた!


 驚くイーリスに、すっとグリゴアは瞼を開く。


「はい。ですから六年間苦しまれていたのは、貴女だけではありません」


 ずっとずっと――イーリスが、苦しんでいたのと同じだけ! 出口の見えない夫婦関係に悩み続けて!


「それなのに」


 すっとグリゴアの紫色の瞳が、ガラスの奥で細められる。


「イーリス様は、まだ陛下を振り回しておられます。やり直すならやり直す、それとも離婚されるのなら離婚とはっきりとさせて、そろそろ陛下をこの苦悩から解放してはくださいませんか?」


「それは――!」


 ぐっと手のひらを握りしめて、上半身を乗り出した時だった。


「そうだ! それは、実によい考えだ!」


「ポルネット大臣」


 すっかり忘れていた声に振り返れば、所在なげに立ち尽くしていたはずの大臣が、意気揚々と二人の側へとやってくる。


 そして、良い案を思いついたというように、皺のある手のひらをさしだした。


「確かに、もうはっきりさせてもよい時期だろう。この際どうだろう。元老院と貴族会で、陛下の離婚を決議しては?」


「なっ――どうして、そんなことを!」


 驚いたが、ポルネット大臣は得意そうだ。


「陛下は、民の前で離婚を約束されたのじゃろう? ならば、それが守られるように努めるのも臣下の役目だ。このまま民との公約を蔑ろにしては、陛下の威信が地に落ちてしまう」


 意気揚々と語る大臣に、グリゴアがちらっと目をやった。


「――そうですね」


 頷いて、イーリスへと顔を向け直す。


「確かに、陛下への信頼をなくさせるわけにはいきません。強制権をもつ決議をしたところで、素直に陛下がサインをされるとも思えませんが――――。私としましても、陛下にこのまま進展しない辛い恋を味わい続けさせるのも忍びない。もし、イーリス様があと二日以内に離婚状を提出してくださらないのであれば、私も元老院として、離婚決議案の動議には賛成せざるをえません」


(なんですって!?)


 つまり、あと二日以内に離婚状を出せということだ。よほど失われた離婚状が見つかる自信はないのか。急に機嫌がよくなったポルネット大臣の顔と冷徹なグリゴアの顔を見つめながら、イーリスはぐっと拳を握りしめた。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] リーンハルトの6年間の苦痛は罪悪感由来のものだから彼の覚悟次第ではどうにかできたけど、イーリスの6年間は彼女にはどうしようもなかったし、イーリスは改善しようと努力してたのに同列に扱うの…
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