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第25話 大翼宮

 大翼宮は、さすがに人で溢れかえっていた。


 基本的には、王宮の中で最もメインになる建物だ。王以外の王族が暮らす空間でもあるし、政治的な多くの部署がこの建物に集中している。両棟には、たくさんの貴族が生活する空間。そして、最奥には、王の瑞命宮へと続く建物の中を、イーリスは並ぶ官僚や大臣達の前で、貝細工の扇を翻しながら歩いた。ふわりと扇をなびかせる度に、鮮烈な白い光が手から踊って人の目をひく。


「あれは……王妃様?」


「陛下に追放されたとかいう噂は……」


 その光に気づいた周囲が、ざわざわと騒がしくなるが、イーリスが歩けば誰もが道を空ける。


(まったく! 勝手なことを言ってくれて!)


 いつ、誰が追放されたというのか。


 忌ま忌ましいので、こそこそと囁いている相手をちらりと笑って眺めれば、まだ若い官僚は、恐れをなしたように必死で頭を下げてくる。


「さてと! 今は、外野は問題ではないわ!」


 さっと扇を掲げ、緋色の絨毯を歩き進める。目指すのは、王宮の小広間。大広間に比べれば、規模は小さいが、代わりにすぐ近くに元老院や大臣達の部屋が並ぶという絶妙な位置関係だ。


 だから、人目も気にせずに歩くと、おつきの騎士に小広間の扉を開けさせた。


 中に広がっているのは、一面の絹の波だ。


 赤や青、空色に藤色と、たくさんの絹が会議も開けるほどの小広間の空間に所狭しと並び、部屋の中央には人型に着せられたドレスの見本がいくつも展示されている。どれも最高級の絹で作られた一級品だ。


 緑で作られたドレスは若葉色の優しいフリルと白いレースで彩られ、隣には白地に紫の小花をあしらったドレスが並べられている。その横にあるのは、袖に最高級のレースと金糸で百合の刺繍を施された品だ。どれもが華やかで、イーリスや陽菜の年頃に似合いそうな若々しい美しさを備えたデザインだ。


 更に部屋の奥には、たくさんの装飾品。肩が開いたドレスの首元を埋めるためのダイヤモンドや、胸を飾るためのブローチなどがビロードの上に並べられて、色とりどりの光を放っているではないか。


 開かれた扉の隙間から覗いていた貴族達が、おおっと息をのむのが聞こえた。


「王妃様。本日はお呼びいただき、ギルド組合長、なによりの喜びでございます」


 後ろのざわめきから横を向けば、年をとった男性が少し曲がりかけた腰を慇懃に屈めて、にこやかな笑みを浮かべている。だから、にこっと返した。


「あら、いいのよ。こちらこそ助かったわ。急な頼みだったのに、快く引き受けてくれて」


「いえいえ、ハーゲン様からご連絡をいただきました時は、一同歓喜いたしました。我らとしましては、王妃様から、こうして以前のようにご注文をいただけるなど光栄の至り。お眼鏡にかなうよう、どんな品でもご用意いたしますので」


「そう? ありがとう。では一番のお勧めからみせてもらおうかしら」


「はいっ!」


 高級品から出してこいという暗黙の意味が伝わったのだろう。


 いそいそと仕入れたドレスや宝石から、最上級のものばかりを選んでイーリス達の前に広げていくが、どれも普通の貴族では簡単には手に入らないほどの品ばかりだ。


 波のように繊細なレースが広がり、光る絹地がイーリスと陽菜の前に並べられていく。


「陽菜には、これが似合うかしら」


「さすが王妃様! お目が高い! それは、シュルワルツ地方でしかとれない、一番細い糸で作られたレースです!」


「そう、ステキね」


 次々と出される高級品を吟味していけば、自ずと開いたままの扉には人だかりができる。


「なんの騒ぎですか? これは?」


(来たわね!)


 聞こえた声に、すっと目だけで後ろを振り返った。


 扉のところに立って、人だかりが少しだけ分かれたところから見ているのは、案の定グリゴアだ。


 堅苦しい大臣と連れ立っているところを見ると、きっと仕事の移動の間にこの賑やかさに気がついたのだろう。


 すっと目を流した瞬間、陽菜が隣で「あっ」と声を上げた。


「あの人!」


 隣で、グリゴアの側に立つ工務大臣を見た瞬間、はっと顔色を変えている。


「陽菜?」


「あの人、昔私がこちらに来たばかりの頃に、よく訪ねて来た人なんです! 神殿だけでは心許ないだろうから自分が後見人になって面倒をみてあげようかって――」


「ポルネット大臣が?」


 驚いて後ろを振り返ったが、そう言われてみれば合点がいく。


 リーンハルトの周囲にいて、イーリスが離婚したがるのは逃げるためだけだと吹き込み続けたのは誰なのか。そして、リーンハルトがイーリスの元へ来られず、破談になるように仕向けようとしたのが誰なのか。


「グリゴアだけかと思っていたけれど……」


「ポルネット大臣は、イーリス様が来られる前までは、ご自分の娘を陛下の婚約者にしようとしていた人物ですからね。イーリス様ご降臨の話が伝わり、すべてがなかったことになりましても、不仲が伝わってからは、何度もご自分の娘御を陛下に近づけようとされていましたし」


「なるほど」


 コリンナの言葉に、今回のからくりの一端が見えた気がした。


 だから、殊更優雅にグリゴアと大臣に近づいていく。


「ごきげんよう」


「お、王妃陛下!?」


 どうやら、まだこちらに対して王妃の敬称を用いるだけの礼は持ち合わせていたらしい。下げた顔はひどい渋面だが、敢えてにこりと笑ってやる。


「陛下ではなく、元老院の方と一緒とは。ポルネット工務大臣、なにか難しい案件でも入りました?」


 さりげなく手を組んでいるのかと匂わせたが、相手は強ばったまま頭を下げている。


「いえ、王妃陛下を悩ませるほどのことではなく……」


(王妃陛下ね……)


 本心からその敬称を用いているのかはわからないが、巧妙に隠しているところは、さすがいくつもの部署の大臣職を渡り歩いてきた老獪と言うべきか。


 できることならもう少し探りたいが――と思ったところで、グリゴアが一歩イーリスの前へと進み出た。


「ところで、イーリス様。これはなんの騒ぎですか?」


(こちらは隠すつもりもないし!)


 大勢の目があるのだから、せめてもう少し言動に注意を払いなさいよと思うが、グリゴアはさらっと髪をかきあげている。


(その態度だけでも不敬だというのに!)


 ふんと鼻で笑って返すと、さらっと近くの絹地を持ち上げた。まるで黄真珠のように美しい光沢が、イーリスの髪と共鳴するようにして流れる。


「ええ。陽菜に新しいドレスを作ってあげようと思って」


「陽菜様に? ですが、これは全て一級品ですが?」


「ええ! 陽菜は私が面倒をみることにしたのですもの! 金に糸目はつけないわ!」


 宣言するように笑えば、並んだ貴族はみんな扇の陰で息をのんでいる。


「これだけの品に糸目をつけない……?」


「では、王妃様が追放されたという噂は、やはりデマなのでは」


 ざわざわと人波が揺れているが、今になってみれば、その噂も誰が流したものなのか――。


 はっきりとポルネット大臣の眉に皺が寄せられた。


「ははっ……王妃様、悪い冗談ですぞ? あなた様は王妃宮を出られて、離婚されるという話ではございませんか。今王妃の化粧料で散財されるのは、あまり好ましくはないはず」


「あら? それは離婚したから? それとも離婚をするから?」


 少しだけ追い打ちをかけてみたが、相手はすぐに表情を改める。


「どちらでも同じでしょう。王妃ではなくなる――ならば、化粧料を私的な財産として使うことは許されないはずです」


 イーリスには、実家からの支援はない。国庫以外どこから贅沢をする金がでてくるのかと明らかに睨みつけた眼差しが語っている。


 だから、にっこりとわらって間違いを正した。


「生憎だけれど――これは、王妃の化粧料とは関係ない私のお金なのよ?」


「えっ!」


 ポルネット大臣が面食らった顔をしているが、隣に並ぶグリゴアはかちゃりと片眼鏡を指で持ち上げている。


「私は聖姫よ? だったら聖姫として、私とその庇護者を彩るのには、最高級品が似合うとは思わなくて?」


 じっと見つめる金の瞳に、片眼鏡の奥で紫の瞳が鋭く光った。


「――――なるほど。金の出所は、聖姫の聖恩料というわけですか」


 さすがに悔しいのだろう。グリゴアがかけた経済的な手段は、すべてその一手によって封じられてしまった。隣に立つポルネット大臣の顔も、明らかに悔しさが滲んでいる。


 その前で、わざと華やかに笑ってみせる。


「そうよ、あなたも知っているでしょう? 聖姫の聖恩料がどれくらいのものなのか。少なくとも、一つの領国分。今は何年間もため込まれていたから、この国の三分の一の税収にも匹敵する金額が、今は私のものだわ。王妃の化粧料がしばらくの間使えなくても、生活にはなにも困りはしないの」


「だから、陛下の元にもまだ戻られず、かといって離婚もされないという宙ぶらりんな状態を続けておられると」


 かちゃっと、紫の瞳の手前で、持ち上げられたガラスが冷たい光を放つ。


「私としましては、そろそろ区切りをつけていただきたいのですが? 本当に離婚してやり直されるのか、それともこのまま離婚されないのか。延び延びになっております離婚状をそろそろ提出して、この離婚劇にも決着をつけていただけませんかね?」


 ちらりと隣のポルネット大臣に視線を向けながら、イーリスに決断を迫ってくる。


(来たわね!)


 ――来ると思っていた。もし、グリゴア達が離婚状を盗んで、イーリスの再婚を無効にする二通目のを待っているのなら尚更。


 だから、笑って答える。


「いいわ、私もあなたに話があるの。ここではなんだから、隣の部屋で話しましょうか」


 言いながら、コリンナに一つの箱を持ってこさせる。


 取り出したのは、螺鈿の箱だ。重要書類を示す封蝋まで、前回とまったく同じ。――ただ中に入っているのが、なにも書かれていない白い紙だということを除いては。


(それでも、もし離婚状についてなにか知っているのなら、なんらかの反応が返ってくるはず!)


「いいでしょう。では隣室に行きましょうか」


 答えるグリゴアの眼差しを受けながら、イーリスはごくりと唾を飲み込んだ。


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