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第24話 古文書

 次の日、イーリスは準備ができた陽菜とともに玄関に下りていこうとしていた。


 今日、陽菜が身につけているのは、こちらについてからよく着ていた薄緑のドレスだ。日射しにすける新緑のような色が、陽菜の若々しい容貌とよく似合っているが、さすがに何度も着たので少し生地が柔らかくなっているような気もする。


「こちらが、仰っていました離婚状の箱でございます」


 玄関で待ち構えていたハーゲンが、緊張した面持ちで、あの夜に見た螺鈿で蘭が描かれた箱をそっと差し出してくる。


「あの……くれぐれも中を開けて見られないようにしてください。一応、似た紙は入れておきましたが、白紙なので……」


 開けられれば、すぐに離婚状でないことがばれてしまうという意味なのだろう。


「わかったわよ」


 緊張で微かに青くなっている離宮管理官から、その箱を受け取ったが、表面に施された紐の色、そして押された封蝋までもが、あの夜とまったく同じ状態だ。


「では――」


 行きましょうかと、陽菜を振り返ろうとしたところで、奥から歩いてくる人影に気がついた。


「イーリス様、お出かけですか」


「ええ。ちょっと中央の大翼宮に。 最近、あまりギイトと出会えないわね」


 朝夕の食事はリーンハルトとしているから仕方がないにしても、昼間でもゆっくり話せる機会が減っている。少し寂しそうに見上げると、ぽりとギイトは頬を掻いた。


「はは……陛下から言われました全室お祈りに、結構時間がかかっておりまして」


 まさか、律儀に毎日こなしていたとは!


「そ、そう……ご苦労様」


 まさに生真面目なギイト限定で、効力を発揮する嫌がらせだ。見抜いたリーンハルトの慧眼には恐れ入るが――。


(もっとましなことに使ってよ――! その能力!)


 どうしてギイト限定になると、ここまでねちこい発想ができるのか。


「無理をしない範囲でしてね」


「イーリス様に、労っていただけるなど光栄の極み。必ずやイーリス様のために、陛下のご命令は達成してみせますので」


 ――だめだわ、これは。


 咄嗟にそう悟って、脱力してしまう。イーリスの名前を持ち出されたら、きっとギイトは離宮中のゴミ出しでも、二階の外の窓拭きだって体を吊りながら喜んでやるだろう。リーンハルトの悪意など一切気にもせず。


 そして、イーリスのためにと言う言葉で、確実に次の逆鱗に触れるのだ。


「そう……では、行ってくるわ」


 脱力しながら昼過ぎには戻るからと、陽菜と連れたって外に出たが、見上げればとてもいい天気だ。


 離宮の外側の庭には、夾竹桃で生け垣が作られ、その間に可憐な水仙がいくつも咲いている。少し歩けば、秋にはかわいい赤い実をつけるイチイが植えられ、その下にはヨモギだろうか。よく似た草が、冬晴れの光を浴びている。


(あら?)


 昔本で見たことがある植物に、ふと目をとめ、ここが本来は非常時に防衛的な意味をもつ離宮だというリーンハルトの言葉を思い出して納得した。


「良い天気ですね。イーリス様」


 投げられた言葉に隣を向けば、コリンナによって黒髪を美しく巻き毛に結われた陽菜が、楽しそうに空を見上げている。


 本当に冬とは思えない美しい晴天だ。


 のどかな青い空には白い雲がたなびき、優しい冬の日射しが、寒さでも変わらない夾竹桃の緑の生け垣を美しく照らし出している。


 遠くの方で、少しだけかわいい鳥のさえずりが聞こえるのは、餌をさがしている雀だろうか。離宮にはないが、少し離れた王宮の庭の端々には、南天や千両など東方から伝わった冬でも赤い実をつける植物が植えてあるから、食べ物を探す鳥たちが集まってきているのだろう。


「そうね――本当に」


 よく考えてみれば、こんなふうにゆっくりと空を見上げたのは何日ぶりだろう。これから戦場に向かうというのに。その光景にほっと癒やされて、清浄な空気を一度大きく吸い込んでみる。


 グリゴアの真意を探るために、陽菜とコリンナ。そして数人の護衛の騎士達を連れて、離宮から大翼宮に向かって歩いているのに、こんなのどかな日射しを感じると、まるで昼下がりの庭を連れだって散歩している気分になってしまう。


 陽菜もそう感じたのか、空を見上げながら口を開いた。


「この間――アンゼルから話を聞いた後、イーリス様と陛下からお借りした本を読んでみたのです」


「ああ……」


『公爵令嬢の恋人』の。思わず半眼になって思い出したが、どんな話か知りたいと言われて探しても、生憎と離宮には小説本体はなかった。


 ならば代用品としてと、リーンハルトがアンナから送られてきた二次創作まとめをそっと渡してあげていたのだが――。


「すごいですね! あれは番外編みたいでしたけれど! あんなドラマチックな恋愛物、私初めて読みましたよ!」


(違うのよ! あれは、二次創作で本物じゃないのに!)


「特に王の公爵令嬢への気持ちが切なくて! ああ、もうなんでこの二人すれ違っているの!? もう、神官様なんてさっさと追放して、二人でやり直したらいいのにとどれだけ思ったことか!」


「そ、そう……」


(そして、陽菜。あなた確実にリーンハルトの術中に嵌まっているから!)


 公式カップルを不人気にしようという――。


(あ、でもこれで陽菜の処刑フラグは一つ遠ざかったのかしら?)


 リーンハルトにしてみたら、自分たちの関係に似ていると噂された『公爵令嬢の恋人』で、王×令嬢派が増えるのは、嬉しいことなはず――。


「でも」


 不意に、熱弁していた陽菜が、顎に指をあて考えこんだ。


「私、昔これに出てくるのと似た話を読んだことがあるんですよね――……」


「似た話?」


 それは、なにか公爵令嬢の恋人のモデルになった作品や逸話があったということなのだろうか。


(まあ、聖女に関してはそう言われているし、作品全体にそういうモチーフがあったとしてもおかしくはないけれど……)


 とはいえ、こちらの世界に来て、まだ日の浅い陽菜がどこで知ったというのか。不思議に思って横を振り返ると、うーんと陽菜は考えこんでしまっている。


「どこで読んだの?」


 だから尋ねたが、また陽菜は顎を手のひらで抱えたままだ。


「それが、こっちじゃなくて来る前の世界でなんですよー」


「前の世界?」


 それは、リエンラインではなく、日本でということだろうか。僅かに眉をよせて尋ねると、陽菜は「ええ」と首を縦に振っている。


「なにかね、いいねの材料になるものはないかなと思って、夏休みに本を百冊読む計画をたててみたんです。あ、これはまだ始めたばかりの中学生の頃なんですけどね。それで県立図書館に行って、色々と古いのから新しいのまで借りまくって」


 その中の一冊にあったらしい。ひどく古びた古文書が。


「こんなの借りたかなと思いながら読んでいたら、思っていたよりもずっと古くて。文字は今と書き方が違うし、細かいところははっきりとはしなかったんですけれど……。確か、ある日気がついたら違う世界に行ってしまった女の子の話だったんですよ。最初はお伽噺か神隠しについてかなと思ってめくっていたら、女の子が聖女と言われて。無理矢理老人に近い王の嫁にされてしまうところなんかがそっくりで……」


(昔の日本の記録で、聖女?)


 それは、キリスト教とかの概念で書かれたのでなければ、かなり珍しい話なのではないだろうか。


 歴史好きの自分でも聞いたことがない。余程の稀覯本か、土地の民間伝承の記録か――。


「それで、その話はどうなったの?」


 急に興味がわいて尋ねると、陽菜はかなり渋い顔をしている。


「ひどい話でしたよ。言葉もよくわからないのに、無理矢理妻にされて。おまけにそのせいで離婚されたという、前の王妃様からは冷たい仕打ちを受けるし。最後は、身一つで王家を飛び出して、涙ながらに元の世界に帰ってくるという内容だったと覚えていますが――。『公爵令嬢の恋人』に出てくるキャラと、ちょっと似ていますよね?」


 笑いかけられて、どきっとした。


「そうね――なんだか似ているわね」


 そんな偶然があるのだろうか。過去の聖女をモデルにして書かれたという『公爵令嬢の恋人』の聖女。そして、日本の過去で、異世界へ神隠しに遭い、同じような目に遭ったという女性の記録。


(まさか――世界を渡って、帰った人がいるの!? 来た時と同じように!?)


 そんな記録はリエンラインには残ってはいない。だけど、もしあるのならば――。


 思わず振り返って陽菜を見た。


 ――まさか。


「陽菜は……やっぱり、帰りたい? 日本に?」


「そりゃあ、生まれ故郷ですからね。帰れるのなら帰りたいですけれど」


 父も母もいますしと、ははっと指で頬を掻きながら笑っている。だが、気を遣わせてしまうと思ったのだろう。すぐに前を見ると、近づいてきた玄関に手を伸ばす。


「あ、つきましたよ、大翼宮に!」


 言われて見上げれば、ついこの間までは毎日のように出入りしていた大翼宮が、青い空の中にくっきりと緑色の壁を浮き上がらせている。


 名前の通り、宮殿には王室の紋章である鷹を模した翼の装飾がいくつも施され、そこに描かれた羽根で、リエンラインの強さと人材の多さを表している。一つ一つの羽根が、優秀な騎士や貴族を意味するのだろう。


 それにふさわしく、ここには、多くの官僚が勤める部署や、貴族達が出入りをする広間などもある。もちろん、王の生活空間にももっとも密接しており、この大翼宮の一番奥まったところに続いて造られているのが、瑞命宮という王の私的宮殿だ。



「さてと――」


 近づいてきた戦場に、今考えていた内容は一度頭の隅にやって、もっている貝殻細工の扇を構え直した。


「では、行きますか! 敵陣に!」


「はいっ!」


 その言葉と共に、イーリスと陽菜は意気揚々と大翼宮へ向かって歩き出した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] いやったね!イーリスとリーンハルトの熱い抱擁が最高でした。それにしても陽菜ちゃんの見た本の存在が気になります。
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