第19話 現れた物
なんなのだろう、これは。
装飾もなにもないただ切り出した木材を組み合わせただけの箱を手に持ったまま、中に入っているものに、じっと目を見開く。
「あったか!?」
低い棚を動かしていたリーンハルトが、イーリスの様子に慌てて駆け寄ってきた。
だが、なんなのだろう。これは。
中に入っていたのは、一体の人形。僅かに緩く巻いた髪、たおやかな顔立ちの女性はどこかで見たことがあるような面影だが、風に服がなびいている設定なのか。人形の薄いドレスは肌に張り付き、豊満な胸が、服のひだから明らかになってしまっている。そして、翻る裾から覗く白い太もも――――。
(え!? ちょっと待って!? こちらの世界で女性の太ももってかなり際どいんじゃないの!?)
焦るが、よく見れば何かを決意したように微笑む人形は、手に神の国のロザリオと幸福を招くと伝わる祝福草を抱きしめている。
(ええっ、まさかひょっとして、この人形――)
もしやと冷や汗を流した次の瞬間、隣から覗きこんできたリーンハルトの瞳がくわっと開いた。
「なんだ、これは!?」
きっとリーンハルトからすれば、足を出した人形など、卑猥きわまりなく映ったのだろう。忌ま忌ましそうに舌打ちをしたが、その人形の側に、一緒に入っている紙にすぐに気がついて急いで手を伸ばす。
「人形はどうでもいい! 問題は離婚状だ!」
かなり焦った顔だ。しかし、一緒に入っていた紙を開いた途端、リーンハルトの動きが止まった。
横から覗きこめば、取り出したのは、離婚状に使ったのよりも少し茶色がかった質の悪い紙だった。
一面びっしりと書かれた文字は、誰かへの密書かと思ったが――。
「なによ、これ!」
覗きこんで、思わず叫んでしまったのは仕方がないだろう。
見れば、茶色がかった紙には、『聖女』と書かれて、大まかな人型の上に細かい文字がところ狭しと綴られているではないか。
人型に書かれた髪の長さは、イーリスぐらいだろうか。清楚な百合と祝福草を胸に持ち、たなびく風にもう片方の手を伸ばすことを要求している。
風が強いことを表すための効果なのかもしれないが、なぜ人型に求める服のデザインでは、二の腕までを露わにするようにと書いてあるのか。更には裾もひらめかせて、膝を少し覗かせてほしいとか、衣を女神のようにして、胸の形がひだで強調されるようにしてほしいとか、とても普通の像とは思えないことを詳細に求めている。
「なっ……これは!」
さすがに、書かれた指示内容に、手紙を読んでいたリーンハルトの体が、ぶるぶると震えだした。
「聖女って――どういうことだ!? あいつ、まさかイーリスにこんな不埒な想いを抱えていたのか!?」
それで、人目を忍んでこんなものを作り、夜な夜な密かに愛でようとしていたなどと――。
「誰か! アンゼルをこの場に引き立てろ!」
完全に誤解したらしい。声を張り上げながら立つリーンハルトの顔は、いまや完全に般若の様相だ。
「わーっ、ちょっと待って! リーンハルト!?」
慌てて背中に取りすがったが、歩き出していくこの勢いでは、怒りのまま首切り役人まで呼びだしかねない。
「これは、違うから! ね、ほら。私の名前じゃないし!」
だから、慌てて図面の端の方に書かれていた小さな名前を指し示した。
「ほら! ここをよく見て! この図面に書かれているのは、私じゃなくて『公爵令嬢の恋人』に出てくる聖女の方だから」
「なに!?」
驚くのも無理はない。
自分だって、人形が抱いているのが、円形のロザリオと小説に出てくる祝福草でなければ、これが『公爵令嬢の恋人』に出てくる聖女だなんて、決して気がつくことができなかっただろう。
(なにしろ、『公爵令嬢の恋人』に出てくる聖女は、前王の晩年に異世界から現れた女性で、聖女と認定されたせいで、無理矢理老いた王の後妻に迎え入れられたという設定だったから……)
二十五代ザクゼス王の御代の聖女をモデルにしたと言われているが、そのために離婚という形で、王室から母を追い出された跡取り息子の王には、冷遇されるというかわいそうな設定の女性だった。そのため、王から同じく辛い境遇に置かれた公爵令嬢と意気投合していくのだが――。
さすがに、咄嗟には思い出せなかったらしいリーンハルトの腕を掴みながら、それを必死に訴える。
「ほら! これはきっと、あれよ! 『公爵令嬢の恋人』で、令嬢が王宮から旅立つことを決意したシーン。二人が互いに持っている祝福草の花もそのままだし!」
「だとしても、アンゼルがなぜこんなものを持っている!? 第一、ファンだとしても、どうして聖女にこんな扇情的な格好を――」
言いながらも、リーンハルトの顔は、二の腕と足首をむき出しにと書かれた聖女のラフ画だけで既に真っ赤だ。『公爵令嬢』の像には、少しも興味を示さなかったというのに――。
(今その頭の中で、顔のない絵に、誰を重ねているのか問いただしたいところだけど……)
訊くまでもない気がする。 思わず頬が引きつりそうになったところで、扉に近づく音がした。
「いや、だから何か音がしましたよ?」
「気のせいよ! まだ仮縫い中なのに――」
きっと二人で騒いでいる声が響いてしまったのだろう。止める陽菜の言葉も振り切ってアンゼルの近づいてくる音がする。開けた小箱をベッドの下に隠す暇もない。
扉が開かれたその瞬間。
「あ――――っ!」
床の上に引き出され、開いている箱を見たアンゼルが、がばっと箱の上に被さり、中身を必死で体の下に覆い隠した。
「ど、どうして陛下とイーリス様が、これを……」
顔色が赤くなったり青くなったりしているのは、本気で焦っているからだろう。
たが、その次の瞬間有無を言わさないように、上から刃物が下りてきた。
持っているのは、もちろんリーンハルトだ。しかも、なぜかアイスブルーの瞳は、怒りを湛えたように冷たい光を放っているではないか。
「言え。お前が、この間捜索の時にトイレに隠したと言うのは、その人形と書状か?」
「リーンハルト!」
最早、怒りで神殿とのことなどなにも気にしていないらしい。いや、リーンハルトにしてみれば、神官が、イーリスの膝を全国民の目に晒させようとしたのなら、それだけで十分に死刑案件なのだろうが。
「ひっ!」
しかし、突然剣をつきつけられたアンゼルにしてみれば、わけがわからなかったのだろう。少し動いただけで肌に触れそうな冷たい切っ先に、がたがたと体が震え出す。
「おとなしくここですべてを吐け。特にその聖女――到底陽菜には見えないが、まさかイーリスではあるまいな」
(どうしてもそこが気になるの?)
思わず呆れたが、うつ伏せのまま死刑宣告を受けたアンゼルの顔色は真っ青だ。
「ち、違います! これは『公爵令嬢の恋人』に出てくる聖女様の方で――……」
やっぱりと思ったが、リーンハルトの瞳が和らぐ様子はない。
「なんで、そんなものを持っている?」
「それは……」
一度、ごくりと唾を飲んで口を閉じたが、リーンハルトのぎろりと光る瞳で、慌てて口を開いた。
「わーっ! 言います、言いますよ! 金になるからです!」
「金……?」
銀色の眉が、訝しげにつり上げられる。そしてアンゼルの喉にかかりかけていた切っ先が、僅かに持ち上げられた。
「金に困っているのか?」
「いや、そうじゃなくて。ほら、『公爵令嬢の恋人』って、今ベストセラーですごくファンが多いじゃないですか?」
だからと、渋々床に座ると、アンゼルは隠した物を体の下から取り出しながら話す。
「寄付を集めるのに、チャリティーでグッズを作れば、人がたくさん来てくれるかなと思ったんです。それで作者の方が、神殿に来られた時にお願いをしてみたら、快く承諾してくださいまして!」
(作者……)
アンナの時といい、今回といい。少し気前が良すぎないだろうかと思ってしまう。
いったい、この作者は自分の二次創作に対してどこまで寛容なのか――。
(いいの? 自分の創作した人物が、王に愛を囁かれたり、市井の人々に太ももを愛でられたりしていても――)
たしか、公式の恋人の神官様とは、まだキスも碌にない純愛関係だったはずなのに。
思わず引きつったが、その前でアンゼルは覚悟を決めたのか。座り直して、どんと人形を目の前に置いている。
「やっぱりチャリティーなら、人が多い方がいいじゃないですか! それには、人寄せ! ここでしか手に入らない一般市民垂涎の品が必要でしょう?」
だからと、開き直った顔で笑う。
「試しに、公爵令嬢人形を置いてみたら大売れで! それで新たな二弾として、新作の作成に着手していたところなんですよー!」
見てください、これ! 衣の靡きかたといい、令嬢のしなやかな表情といい絶品でしょうと、さっきまで恥ずかしがっていたのが嘘のようにまくしたてている。
「いやあ、苦労したんですよ。この衣の靡かせ方。少し露出を多くした方が、買う人も喜んで寄付を弾んでくださいますしね」
夢中で説明しているが、その顔は完全にオタクの造形師だ。
「やっぱり原作とは違った角度からキャラを愛でられるのが、いいんでしょうね。第一弾を出してから、自分もほしいという人からの問い合わせが、後をたたず」
「だったら、なぜ隠した?」
「それは――……」
ぎろりとリーンハルトが睨んでいるが、さすがにそれを正面切って尋ねるのは可哀想だ。
(いや、だってこの造形。リーンハルトが感じたとおり、明らかに不純な動機をもったお客様を対象にしていそうだし)
さすがにチラリズムを売りにしていましたとは、アンゼルも言葉にはだせなかったらしい。
「で、では。これまでにも公爵令嬢や神官様の人形で、チャリティーを募っていたということなのね?」
「どうして、神官像を!?」
慌てて尋ねたが、『公爵令嬢の恋人』で一番人気の組み合わせは、アンゼルにとってはどうやら心外だったらしい。
「じゃあ、ひょっとして、あなたも王×公爵令嬢派?」
あまりに驚いている様子に、意外にもこの組み合わせのファンが多いのだろうか、とアンナを思い出しながら尋ねたが、アンゼルは更にきょとんとしている。
「なんで、王と令嬢? 一番ない組み合わせでしょう!?」
(あ、やばい。死刑台が一歩近づいた)
「だったら、単体での売り物なのね?」
慌てて誤魔化したが、アンゼルはひらひらと手を振っている。
「そんなわけないじゃないですか――! 令嬢には聖女様! もう、これは原作を読んだ者なら、決定の推しですよ!」
「えっ!?」
いつのまに原作でそんな推しができあがっていたのか。焦るが、いくら頭の中を探してもそんなシーンは出てこない。
「だいたいね、女性二人が清らかな友情を育んでいる話に、男は不要! 王とうまくいかない! ならば、令嬢は神官になど走らず、このまま神の国で聖女様との清らかな関係を育む方が全人類の男にとっては幸せなんですよ!」
(って、まさかの百合推しが来た――――!)
「えっ!? ちょっと待って! それって、つまり――」
あまりに慌てすぎて、言葉が出てこない。しかし、リーンハルトは目をぱちぱちとさせて、アンゼルを見つめている
「神官より、聖女……?」
「そうです。だから、俺は陽菜様とイーリス様の友情を壊す気もありませんよ。こんな尊い関係、壊すだなんてもったいないじゃないですか!」
(これか……。神殿が、アンゼルを選んだ理由……)
まさかの百合推し。お蔭で、自分に危害を加えようという気がないというのはわかったが、これから陽菜との友情をそんな眼差しで見つめられるのかと思うと、内心ではとても複雑だ。
「うーん、よくわからないけれど、つまりアンゼルは私とイーリス様が仲良くなるのを、邪魔するつもりはないということ?」
「当然じゃありませんか! そんな尊いこと!」
我が神の使者といわれる聖姫様と聖女様が、共にきゃっきゃっうふふ。どうして、これを妨害する必要があるんですかと叫んでいるが、側で聞いているリーンハルトの顔は、完全にうつろだ。
「では――お前は、今回の離婚状の件に関してもなにも関与していないと?」
「もちろんです! むしろ、お二人が並んで暮らしておられるこんな夢のような環境! どこにぶち壊す意味があるというんですか!」
「そうか……」
すっとリーンハルトの剣が、アンゼルの首から離れていく。一瞬だが、なぜかほっとしているように見えた。
どういうことなのだろう?
(今、なぜかリーンハルトがほっとしていたように見えたけれど――)
肝心の離婚状が見つからなかったのに。
たが、ついでちらりとイーリスの方を振り返って告げられた内容に、頭の中をしめていた考えが飛んでいく。
「イーリスも……。男よりも、女同士の清らかな友情のほうがいいのか?」
「はあ!?」
なにを頓珍漢なことを訊いてくるのか。呆れたが、こちらを見つめているリーンハルトは心の底から心配そうだ。
(あ! まずい、これ陽菜に死亡フラグが立ちかけている?)
「そうねー。私は、友情も大事だけれど、やっぱり一途に愛してくれる男性と添い遂げたいかな」
咄嗟に誤魔化したが、聞いたリーンハルトの顔は明らかに嬉しそうだ。
「そうか……ならば、よかった」
(あら?)
微かに微笑んでいるところを見ると、やはりイーリスとやり直したいのだろう。
(そうよね。離婚状がなくなって、安心しているなんてありえないもの――)
きっと、自分と同じように早く探し出して、きちんとやり直すことを考えてくれているはず。ほっとして、後を陽菜にまかせると部屋を出た。陽菜ならば、アンゼルにきっとうまくフォローしてくれるはずだ。
廊下に出て、陽菜が巻き込まれなくてすんだのにはほっと息をついたが、離婚状は相変わらず見つかっていないままだ。それならば、失われてしまった離婚状は一体どこにあるのか――。
「メイド達の交友関係から洗い直した方がいいのかしら……」
折角手がかりを掴んだと思ったのに、また消えてしまった。
(どうしたら、安心してリーンハルトともう一度前を向いて、やり直して行くことができるのかしら――)
そのために必要な離婚状だったはずなのに。
(――あれで、自分の全てに区切りがつけられると思ったのに……)
やっとそのための離婚状を手に入れたと思ったら、まるで霧のようにイーリスの前から消えてしまった。考えながら、ぐっと手を握りしめる。そして、廊下を歩き出した時。ふいに後ろからかけられた声に足を止めた。
「そのことなんだが、イーリス」
重い声に、リーンハルトを振り返る。しかし、リーンハルトはひどく思い詰めたような顔で、イーリスを見つめたままだ。そして、口を開いた。
「離婚を――とりやめないか?」
「なっ……!」
咄嗟に言われた言葉が信じられなくて、イーリスは衝撃を受けたようにアイスブルーの瞳を見つめた。