第18話 探索
翌日、昼過ぎにイーリスはリーンハルトとともに、陽菜の隣の部屋に隠れていた。
(とにかく、アンゼルが隠しているものをはっきりさせないと……!)
もしも、アンゼルが盗んだのだったら、ことは王室と神殿との問題になる。
慎重に――だが確実にと、続き部屋になっている扉の陰からこそっと覗けば、どうやら隣の部屋では、アンゼルを呼びだした陽菜が、なにかを持ちながら賑やかに話しているようだ。
「ねっ! だから、私のいいねのために、ぜひ協力をしてほしいの!」
「は、はあ……いいねとは? あのいったい」
「つまり、皆から『それいいね』と言ってもらえるような物を作りたいの! そのための協力者がほしいのよ――」
いくつかの布をみせながら、強引に頼みこんでいるようだ。
しかし、それに答えるアンゼルの姿は戸惑っている。
「は。はあ……俺は、男ですから。どれくらい陽菜様の参考になるかは、わかりませんよ?」
「大丈夫よ! 私と一緒に並んだら背丈も同じくらいだし」
なにやら残酷な現実を明るく言い放っているが、ふんふんと鼻歌を歌いながら布地を選んでいる陽菜は、これが作戦だとはまったく気取られないぐらい自然な雰囲気だ。いや、自分のいいねの為に、心から楽しんで実行しているのだろう。
その様子をイーリスの一歩だけ手前から見詰めながら、ぽつりとリーンハルトが呟いた。
「これであいつが犯人だったら、また神殿絡みということになるな……」
「そうね。もし今度もだったら、神殿の内部に、私の反対派がいるということになるけれど……」
(でも、それにしては、なんかおかしいのよね……)
顎に手を当てて、首を捻る。
前回のヴィリ神官の件で王宮との確執を恐れて、最速で聖姫の聖恩料を渡してきた大神官。もしも、正面切って神殿の内部に反対派がいるのであれば、聖恩料の件はもっと長引いてもおかしくはなかったはずだ。それに、イーリスの対抗馬となるべき陽菜の側に、ギイトより位の低い者をつけたりするものだろうか。
どちらかといえば、ヴィリの時のように、側近になった者の勝手な思惑。もしくは誰かと内通としての行為な気がする。
(内通しているとしたら、一番怪しいのはグリゴアだけれど……)
「ねえ、そういえば。グリゴアにはなんて言って待ってもらったの?」
思い出した元老院の貴族に、一昨日から気になっていたことを尋ねた。離婚状を待ってもらうとは言っていたが、リーンハルトはなんと言って説得したのか。
「ああ、俺達の気持ちが定まらないから、もう少し待つように言っておいた」
(考えられる中で、一番最悪の答えじゃない!?)
ただでさえはっきりとしない二人の仲に怒っているのに。一体どんな顔でグリゴアは聞いていたのか。
きっと、あの紫の瞳で、イーリスに対して軽蔑のこもった怒りを浮かべながら、リーンハルトだから仕方なくその場は頷いたのだろう。想像すると、それだけで頭が痛くなってくる。
「だが、今回も陽菜絡みか……」
思わず頭を抱え込んでしまったが、隣で呟かれた小さな声に俯きかけていた頭を戻した。
「こうも利用されるとなると――やはり、なにかほかの処遇を考えた方がいいのか……」
考え込んでいるが、見入った端正な横顔からもらされたのは、少し悲しげな声だ。
(リーンハルト……)
だから、わざと少し音をさせて、ぽんと手を合わせた。
「あ、そうだ! その私が面倒をみてあげている陽菜なんだけど」
わざと『私が面倒をみている』を強調してリーンハルトを振り返る。
「こちらに逃げてきたから、あまり物を持っていないみたいなの。かといって、前になにがあったのかもわからないし」
だから、ねと首を傾げるようにして笑いかける。
「後見人として、陽菜の日用品を揃えてあげたいの。ほら、やっぱりそれって保護者の私が切り出さないと、陽菜だって言い出しにくいと思わない?」
後見人、保護者という言葉に力をこめて、今度は前と同じ失敗になる心配はないと伝えようとする。アイスブルーの瞳が驚きに開き、「ありがとう」と呟いた。そして、少しだけ困ったように微笑む。
「君の気持ちは嬉しいが……。今は、この離宮に多くの人や物を出入りさせるのは……」
「あ、そうか……」
誰かが、なにに紛れて持ち出すかわからないということなのだろう。
思わず、がっかりとしてしまったのは、同じ年頃の女の子とショッピングなんて前世以来で、少し楽しみに感じたからかもしれない。俯いてしまった頭に、礼を言うように、ぽんと広い手が置かれた。
「王宮内のほかの場所でなら、考えてみてもいいだろう。君が、陽菜を守ってくれるのなら――」
リーンハルトの言葉に、ぱっと顔をあげる。その前で、リーンハルトは更に困ったように笑っている。
「それに、ここに出入りしているものの検閲を厳しくしたせいで、今朝とんでもないものが俺の元へ届けられてきたしな」
「とんでもないもの?」
なにが届いたというのだろう。不思議そうに目をぱちぱちとさせると、言いだした肝心のリーンハルトの顔は、真っ赤になっているではないか。
「アンナから、今までに書きためた作品のまとめが送られてきたよ。出版前の確認ということらしいが――うん、まあ……その、なんだ。そこらの恋愛小説よりすごくドラマチックだったよ」
「ああ――」
『公爵令嬢の恋人』の。朝から王が令嬢を熱烈に口説く様を読ませられたリーンハルトとしては――ましてや、それが自分をモデルとして書かれたと知っているだけに、いたたまれなさは相当なものだっただろう。
「やっぱり――……女性には、あれぐらいの言葉を囁かないとだめなんだろうか……」
(しかも、違う方向に感化されているし!)
まさかの事態だが、アンナの二次創作が、リーンハルトの教科書になりそうで怖い。
(いやー、やめて! 以前ちらっと見ただけだけど、あんな熱烈な口説き文句を毎日言われたら、私の心臓がもたないから――!)
どうか、もっと控えめなかわいい初恋の小説から始めてほしいと思わず悶絶してしまったところで、隣の部屋から声が響いた。
「ほら! 服を脱いで、着てみて! そうでないと仮縫いのサイズがわからないし!」
「で、でもこれ以上脱ぐと下着だけになってしまいますよ!?」
「平気よ! それぐらい中学の部活の男子でいくらでも見たわ!」
(うわー、陽菜。こちらの世界ではなんて誤解を呼びそうな発言を……)
「部活? 中学とは学校だったな? なんで男の裸を見る科目があるんだ?」
「ははは……」
焦るが、言えないと思わず唾を飲みこむ。
(実は私も、水泳部の男子の裸ぐらいなら見たことがありますだなんて)
言えば、今パッチワークされた布地のサイズを確かめるために、下着一枚にされたアンゼルの姿が決してイーリスの目に入らないよう、盾となって前に立っているリーンハルトを激怒させることになってしまう。
「はは……たまたま、特別だったんじゃないの?」
「なるほど。学校によって違うのか」
それなら騎士とかの体力作りに重きを置いていたのかなと呟いているが、その間に上のシャツも手早くもぎ取ってしまった陽菜は、さっさとアンゼルの体に長く縫い合わせたパッチワークをあてている。
「うん、左側はこれでいいわね。じゃあ、後右側と袖を」
どれだけ器用なのか。一晩で、仮縫いレベルにまで仕上げたパッチワークを素早く身頃としてあてている。
「うん、やっぱりアンゼルにはこの色ね」
いいながら腕にかけている布は、紺を基調とした灰色と水色で作られた布地だ。こちらの世界では、幾何学的に組み合わされた模様がモダンな印象さえあるが、決して派手でも奇抜でもない。むしろ――おしゃれだ。
「え……。まさか、最初から俺の為に……」
「そうよー。私が着るのなら、やっぱりおつきのアンゼルもお揃いにした方が、かわいいでしょう?」
いいねもたくさんもらえそうだしと、脱がせたアンゼルの服を踏みつけないように、手早く纏めている。
「さすが、陽菜……」
あの万能センスは羨ましいと、こそっとリーンハルトの腕の隙間から見つめていると、リーンハルトが慌てて隠すのより先に、さっと隣からアンゼルの服が差し出されてきた。
「仮縫いの糸くずがついたら悪いから、隣に置いておくわね。ここからまだ時間がかかるから」
そう言って、ハーゲンに用意してもらった裁縫セットからしつけ糸を取り出しているが、今がチャンスだ。
ばっと脱がれた服を手に掴むと、急いで、ポケットの中を探り裏返してみる。
「何かあったか?」
「ないわ!」
裏地の間に縫い込まれて隠されていないかと、布の上から丹念に触ったが、袖にも身頃にも離婚状が隠されている気配はない。
「こっちもだ!」
裳裾のように長い神官服の下を投げ捨てたリーンハルトの眼差しが「ならば」とアンゼルの部屋の方を見つめた。
「また、部屋の中のどこかに隠したということか!」
それならば、探すのは今がチャンスだ。幸い、こういう事態も考えて、陽菜にはアンゼルを足止めしてくれるように頼んである。
(陽菜の神官を疑うのは、申し訳ないけれど……)
公式に騎士の手が入って尋問という形式になれば、神殿との仲には、覆せない傷が入ってしまう。今は、イーリスの件で王室が神殿に一つ貸しのある状態だが、場合によってはこれが逆になりかねない。いや、それだけではなく、二度も自分の側近が反イーリスに動いたとなれば、確実に陽菜の立場は危うくなってしまうだろう。
――ましてや、離婚状が盗まれたなどと。権謀術数の蠢く宮廷で公にするには、あまりにも危ない案件だ。
(だから! なんとしても、今の内に見つけなければ!)
決して誰にも悪用されないようにと――アンゼルの部屋に駆け込んだが、中は相変わらずがらんとしていた。
持ち物が少ない部屋の鞄を開けて、先日と同じ状態だと知る。違うのは、入っていた紙と封筒の枚数が少しだけ減っていることだろうか。
(誰かに手紙を書いた!?)
だとしたら、いったいどこに――。
慌てて、机の引き出しを開けたが、それらしいものはない。
「リーンハルト! 紙と封筒が減っているわ!」
「なに!? 兵士からは、手紙のやりとりがあったなんて一言も聞いてはいないぞ!?」
「出そうとして、出せなかったのかも!」
隠したのなら、どこへ――。
ベッドの中に隠されていないか、布団をめくり上げて、シーツとの合間も探す。その間に、リーンハルトは再度家具と壁の隙間に隠されていないか、重い家具を少しだけ動かして確かめてくれている。
(早くしないと……!)
いくら王と王妃とはいえ、勝手に家捜しするなど明らかにいきすぎた行為だ。神殿を疑っていますと明言しているのにも等しい。
「だいたい、前世なら普通の男の子は、たいていこういうところに……」
さすがに、隠された物のレベルが違うとは思うが、念のためにとベッドの下を覗きこんでみた。
目を眇めるが、暗がりの奥に置かれている小さな箱に、次の瞬間目を見張る。
「えっ――!」
あった!?
以前の捜索では見つけられなかったものだ。
簡素な細い木の箱。紙一枚なら簡単に入るような――。
では、やはりアンゼルが盗んでいたのか。急いで箱を引き寄せ、蓋を持ち上げるのさえもどかしいように急いで開ける。
そして、中に入っていたものに――――。
「え……ええっ!?」
覗きこんで、一気にイーリスの金色の瞳は見開かれた。