第16話 協力
「待って!」
思わず、前屈みになって小走りで去って行くアンゼルの姿を呼び止める。
しかし、小柄な灰色の髪の持ち主は、すぐに角を曲がると、そのまま突き当たりにあるお手洗いへと向かって行くではないか。
「ギイト! 急いで、何か服に隠していないか確かめて!」
まさか――とは思う。だが、アンゼルがヴィリと同じように神殿にいながら野望を持っていたとしたら。いや、本人に権力欲などなくても、誰かに頼まれてやったとしたら!
まったくないとは言い切れない。
「はいっ!」
さすがに、男子トイレではイーリスも入ることはできないので、今は同じ性別のギイトが頼りだ。
その間に部屋を兵達に調べさせたが、持っている私物といえば、使い込んだ聖典が一冊と、大量の紙。
持ち込んだ服や、ほかの日用品に比べても、鞄に入っていたのは、圧倒的に紙が多い。そして、神殿の印章が入っていないたくさんの封筒――。
いったい、誰に出すつもりだったのか。
(あああああっ! あのままトイレで二時間も粘られなければ、何かを隠していなかったか訊き出すことができたのに!)
だんと、両手の拳をマホガニーのテーブルの上に振り落とした。その衝撃で、目の前にあったカップから、少しだけお茶がこぼれる。
(あの時! 絶対に部屋から何かを持ち出していたのよ!)
だから、出てくるまでが遅かったのだ。しかも、盗まれたのは紙一枚。服の下に巻いておけば、部屋の捜索の間ぐらい隠すのはたやすい。
(前屈みで歩いて行くぐらいだから、服の下になにかを入れていたのは間違いがないのに……!)
さすがにトイレの個室にまで踏み入ることはできなくて、二時間も粘られたギイトが少し兵に交替をお願いしに行った隙に、また部屋に閉じこもって鍵をかけられてしまった。
くうっと眉根を寄せる。
「すごく怪しかったのに……!」
「誰がですか?」
向かいに座っていた陽菜が、きょとんと目を開いている。
(あ、しまった! つい、声に出していたわ……)
もし、アンゼルがヴィリ神官と同じ考えを持っていた場合、陽菜はまた危険になる。だから、はっきりするまでは、できるだけ側にいた方がよいと思って、夕食後のお茶に誘っていたのだ。
じっと驚いている陽菜の顔を見つめた。だが、よく考えたら陽菜は信用すると決めたのだ。ならば、アンゼルが敵だった場合も考えて、いっそはっきりと言ってしまった方がよいのではないか。
そう決意すると、薔薇色のソファにぽすんと座り直した。
「ええ、さっきのアンゼルの行動がね。まるで、何かを隠しているみたいに見えなかった?」
「言われてみれば、そうですよねー」
「あ、でも別に陽菜の神官だけを疑っているわけではないのよ? 部屋の探索は、コリンナやギイトはもちろん、ハーゲンさんだってしてもらったはずだし」
「はい。私のも先ほど、離宮の警備をされている近衛騎士団の方々にやっていただきました。特に怪しいものはなしとお墨付きをいただいたので、安心できたのですが……」
横からこぼれたお茶を拭き終えたハーゲンが、恥ずかしそうにぽりと頬を掻いている。
「故郷の恋人からの文も全部見られてしまいましたね。ははは……なかなか精神的にきつかったので、逃げ出したいのはわかりますが」
「そういうパターンもあるわよね……」
よく考えてみたら、恋人との手紙を咄嗟に隠した――というのは、神官だからないとは思うが、全員がギイトのように清廉潔白とは限らない。
考えたくはないけれど、花街の情人とかからなら、見られては困ると思った可能性もある。
(でも、それであんなにも必死に隠すものかしら?)
なにしろ物が物だ。もし疑われたら、最悪反逆罪にさえ問われかねないというのに――。
ただ、まずいのは、一度アンゼルの部屋を捜索してしまったということだろう。これでアンゼル一人だけ、もう一度捜索をと言いだせば、明らかにイーリスが神殿を疑っていることになる。
(さすがに、証拠もないのに正面から切り出すのは、まずい……)
ならば、もう一度なにか口実をつけて、全員の部屋を捜索するか、それともこっそりと探るか――。
(だとしても、どうやって……)
こくんと、コリンナが入れ直してくれたお茶を飲んだ。
爽やかな香りのお茶が、喉を通っていくにつれて、目の前の陽菜が少し困ったように微笑んでいるのに気がつく。
「ごめんなさい。あなたの神官を疑って。ただ、あの時の様子が、あまりに怪しかったから、はっきりとさせたいのよ」
「仕方がないですよ――……私の側近絡みでは、前回のことがありましたし」
「そうそう。一度あることは二度あるといいますものね」
「コリンナ!」
慌ててとめたが、頭に包帯を巻きながら働くコリンナは、しれっと持ってきたお茶請けを机の上に並べている。
「そういえば、今日は陛下が遅いですね。こんなことが陛下の耳に入ったら、今度こそ陽菜様の幽閉は確定なのに」
「幽閉!?」
「ああ。もう面倒くさいから、一気に首切り役人のところにまで送られるかもしれませんね。なにしろ陛下の苛烈さは、ギイトへの言動で証明されていますし」
がたがたと陽菜の体が震え出す。
「コリンナ!」
慌てて止めようとしたのに、それよりも早くに陽菜が引きつった笑みを浮かべながら、イーリスの手を取った。
「やりましょう! イーリス様! ぜひ、私にアンゼルの真意を確かめる手伝いをさせてください……っ!」
「えっ……いいの?」
確かに、直属の上司である陽菜が力を貸してくれれば、ずっと楽に探ることができる。
本当に、アンゼルがイーリスの離婚状を盗んだのかどうか。
だが、陽菜は引きつった笑顔のまま、イーリスの右手をしっかりと握りしめているではないか。
「私もこれ以上、勝手な周りの思惑で振り回されるのはご免なんです! 私の人生の目標は、いいねと言ってもらえるプチ幸せ!」
だから、これ以上周りに利用されたりはしませんとまっすぐにイーリスを見つめている。
「ありがとう、陽菜」
嬉しくて強く手を握り返した。陽菜が味方についてくれるのなら、一緒に作戦を練ることもできる。
「だから……アンゼルが今度は隠せないように、こんな感じでしたいのだけど……」
「それなら、私にまかせてください! 良い方法がありますから!」
明日までに、用意をしておきますねと協力者の笑みで、陽菜はにっこりと笑った。