第15話 疑わしい者
重い気持ちで陽菜の部屋にギイトと向かったが、先ずどう声をかければいいのかがわからない。
仕方なくこんこんと白い扉を叩いてみたが、胸にこみあげてくるのは、重たい気持ちばかりだ。
(どうしよう……。やっぱり、疑われていると思うかしら……)
もしそう感じたら、やはり嫌だろう。いくらあんなことがあったとはいえ、陽菜は自分を信じてグリゴアの元を飛び出してきてくれたのだ。それなのに、まさかこちらでイーリスとリーンハルトの仲を引き裂こうとしていると疑われるだなんて……。
(やめようかしら……)
まだ開かない扉を見て考え込んだが、万が一ということもある。
(万が一――陽菜が、既にグリゴアに丸め込まれていて、コリンナを襲ったのだったら……)
馬鹿! そんなはずはないと思うのに、悩むほど脳の中にはぐるぐると嫌な考えばかりが渦を巻いていく。
(自分からグリゴアの元を飛び出してきてくれた陽菜が、グリゴアに言い含められているですって!?)
ないない、そんなはず――と思うのに、誰かが勝手に陽菜の部屋に隠した可能性はある。だから、やはり探させてもらわないといけないのに、あまりに重い気分になってしまったせいで、扉がかちゃっと開かれた時には、咄嗟に声が出なかった。
「あれ? イーリス様?」
どうされたのですかと明るい顔で尋ねてくれるが、どう言葉を返したらいいのかがわからない。
迷っている間に、イーリスの側に立つギイトが、真面目な顔でずいっと一歩前に進み出た。
「昨日、忍び込んだ賊が、今使われている部屋のどこかに、盗んだ離婚状を隠したおそれがあります。念のために、陽菜様の部屋も調べさせていただきたいのですが」
「ギイト!?」
まさか、ここまではっきり言い切るとは思わなかった。
「忍び込んだ賊が、私達が使っている部屋に離婚状を隠した……?」
口に出して反芻していたが、その次の陽菜の顔ときたら。段々と曇り、ゆっくりと泣きそうになっていくではないか。
(あ、これ絶対に、リーンハルトに疑われたらと思っているわ)
ぴんときた前で、更に陽菜はがたがたと震えだしていく。
「つまり……、私の部屋から見つかったら、私が……犯人の一味だと思われると?」
(そして、発想が処刑にまで辿り着いたわね)
「後でだったら、そうなりますね。でも、今ならイーリス様が隠された物だと証言してくださいますから」
陛下に知られる前に無実を証明する方法を考えることもできますという、ギイトの真面目さは武器だと初めて感じた。ひいっと小さく叫んで飛びついてきた陽菜は、そのままイーリスにしがみつくと、必死に命乞いをするように叫んでくるではないか。
「調べてください……! お願いします! 陛下に知られる前に!」
必死の懇願に、ありがたく部屋の中を調べさせてもらったが、白い猫足の鏡台。窓の側に置かれた衣装棚などを兵達と探し始めて五分もしない間に、段々と申し訳なくなってきた。
「なんか……ごめんなさい。色々と……」
家出してきたイーリスとついてきたギイト。その侍女のコリンナは仕方がないにしても、これが年頃の女の子の部屋だろうかと思うぐらい陽菜の部屋には物が少ない。
特にドレス。それに、装飾品や化粧品も少なくて、部屋にはかわいらしい小物の一つもないのだ。これぐらいの年の女の子ならば、かわいい小物や愛らしい小道具が部屋や棚の中を彩っているものなのに。美しいが、殺風景な部屋の様子に、どんどんとイーリスの胸が痛んできた。
(保護したつもりだったけれど……)
「色々と不便をかけていたのね。ごめんなさい、気がつかなかったわ。早めに商人を呼んで、色々と揃えさせるから……」
「そんなこと! 気にしないでください! 第一、私の荷物はほとんど王宮の自室に残っていますし!」
王妃宮と違って閉鎖もされていないので、必要ならば、誰かに頼んで取りに行けばすぐですと明るく笑ってくれているが、さすがに申し訳ない。
「でも、今のままでは不便でしょう?」
「だから! こんな時こそ、いいねのチャンス! この宮でも使っていない細かい布がいっぱいあったので、パッチワークで小物やドレスを作ってみようと思っていたんです。昔の人もやっていましたよね?」
「ああ、確か残り布を有効利用するために……」
残った布地をつぎはぎにして、服に役立てたのがパッチワークの起源だといわれている。昔は布も高価だったから、生活の知恵だったのだろうが、それが時代と共に、美しい模様の文化を創り上げた。
「ああーやっぱり。昔の人って偉いですよね。いざという時のいろんな知恵を残しておいてくれたんですから」
これならこっちでも、たくさんいいねと言ってもらえますと笑っているが、今の陽菜の言葉にはイーリスもなるほどと考え込んでしまう。
確かに、先人の知恵は偉大だった。そして実用で始めたことが、時の移り変わりとともに、現代ではたくさんの人が親しむ文化となったのだから、やはり先人の教えは見ならうべきものなのだろう。
(歴史なら、私の得意分野だけれど……。なにか今回のヒントになりそうな似た事件ってあったかしら?)
手紙にまつわる歴史的なことといえば、飛鳥時代の随への国書。赤穂浪士の神文返し。柳川国書事件に、南御堂割腹事件。と頭の中で列挙してみるが、南御堂の割腹事件は、薩長で起こった争いを美談で誤魔化そうとしたものだし、国書偽造は他国を巻き込んで徳川幕府に衝撃を与えた事件で、どれも今の離婚状問題には、ピンとこない。
(あーだめだわ。我が推しの秀吉様が、淀君に実はあつあつのラブレターを残していたことぐらいしか思い出せない……!)
いや、意外な書状は秀吉だけではない。伊達政宗だって、なかなかのものだったし、毛利元就もと考えたところで、室内を捜索し終えた兵達が、イーリスに敬礼をした。
「それらしいものはございませんでした!」
「ああ、ありがとう……」
あれだけ緊張して切り出しただけに、逆に呆気にとられてしまう。
(やっぱり私の気のせいだったのかしら?)
実は、誰の部屋にも隠されてはおらず、ほかの気がつかないところだという――。
(そうかもね)
だったら、あくまでこの行為は確認にすぎないのだ。
「さて、じゃああとはアンゼルさんとハーゲンさんの部屋を見たら終わりだけど――」
「あ、アンゼルなら、今ちょうど部屋にいますよ?」
呼びましょうかと陽菜が、自分の二つ隣の部屋に進み、こんこんと扉を叩いてくれる。
「アンゼルー? ちょっと部屋の中をみせてもらいたいのだけど」
しかし、中からは返事が返ってこない。代わりにひどく慌てたような、バタバタという音が扉から響いてくるではないか。
「アンゼル? 部屋の中をみせてもらいたいのよ? ほら、昨夜泥棒が入ったでしょう? その時に盗まれた物が知らない間に隠されていないかどうか」
どんどんと叩くが、返事がない。
「アンゼル!?」
何回目になるかわからない拳を、陽菜が扉に向かって振り上げた時だった。
まるで息を切らしたように来たばかりの神官が、扉から飛び出してきたのは。
「お待たせしました」
どうして、こんなに慌てているのか。
不審に思うが、アンゼルは人なつこい姿に、汗を垂らしながら笑みを浮かべている。
「持ってきた荷物を散らかしたままにしていたものですから。あの、では私はちょっと腹を壊しているので、捜索の間お手洗いに行ってきます」
そう言いおくと、小走りで振り返りさえせずに歩いて行く。
だが、その少しだけ丸まった背中に、嫌な予感が走った。
(まさか――!?)
前屈みの姿は、まるで何かを隠すようではないか。その神官服を着たアンゼルの背に、イーリスの脳裏では、前に陽菜の側にいたヴィリ神官の後ろ姿が重なり、もしや――という思いが走り抜けた。