第14話 怪しくない者
夜を徹して離宮内を大捜索したが、離婚状は見つからなかった。
まるで、箱から取り出されたあと、そのまま霧になって消えてしまったかのようだ。
(この離宮から持ち出されるもの、持ち出す者はすべて騎士達が検閲をしているから、まだ離宮内のどこかにあるはず……)
目の前のベッドに横たわるコリンナを見つめながら、イーリスはこつこつと肘掛けを叩いた。脳裏では、昨夜からのことを反芻する。
(離宮内で働くメイドは五人)
宮殿一つを切り盛りする人数としては少ないが、普段使われていない建物だ。なにか催しなどで必要な時には、宮中省から特別に応援がきてこなしていたのだろう。
(この宮では、常時生活している者もいないから、食事も東の宮殿の厨房で作られて、ここまで運ばれてくる物だった)
だとしたら、あの夜にいたのは、自分たちも含めて十二人。もちろん、護衛にあたっていた兵士達は入れていないから、正確な数字ではないが――。
(いったい、誰が私とリーンハルトを再婚させまいとしているというの!?)
ぎゅっと膝でドレスを握る。
昨夜にいた中で一番怪しいのは、あの時に来ていたグリゴアからの使者だ。しかし、離宮を出る前の身体検査で、ほかの者以上に念入りに全身を調べさせたが、疑わしいものはなにも見つからなかった。思い出した事実に、強く唇を噛む。
その後に、コリンナの手当てに医師が来たのもあったが、こちらも離宮に入る時と出る時の検査で何も見つかりはしなかった。
(だったら、誰かがこの宮の中に隠した? すべての部屋を探したのに?)
――まさか、共犯者がいるのだろうか。
ここでこっそりと隠し、あとでグリゴアに渡して、二度とイーリスが、リーンハルトの側に立つことができないように。
もしそうだとしたら、誰が――。戻ってきたリーンハルトも、朝はかばかしくない進展に眉をよせていたのを思い出したところで、不意に前から声をかけられた。
「見つかりましたか、イーリス様」
こつこつと叩いていた指に、考え込んでるのを気づかれていたのだろう。目の前では頭に包帯を巻いたまま横たわるコリンナが、心配そうに白い枕の上からイーリスを見上げている。
その目頭に、僅かに白い涙が光った。
「申し訳ありません。私が襲った者の姿を、少しでも見ていればよかったのですが……」
「そんなこと!」
目頭に涙を浮かべるコリンナの姿に、慌てて叫ぶ。
「気にしないで! 突然後ろから襲われたんですもの。なにも見ていなかったとしても、仕方がないわ」
そうだ。むしろ、突然の不意打ちで、頭から血を流すほどの怪我を負わされたのに、気がついてからずっと、自分の心配ばかりしてくれている。
「あなたが無事でよかったわ……」
「イーリス様……」
そっと手を握って伝えたのは、嘘偽りのない気持ちだ。だが、彼女にしてみれば、信頼して託された仕事を成し遂げられなかったのが、心苦しいのだろう。
「申し訳ありません……私が、しっかりしていれば、今こんなにイーリス様が苦しまれることもなかったのに……」
気の強い彼女にしては、珍しく涙を浮かべている。転んだ時に欠片で切ったのだろう、絆創膏を巻かれた手で、まだ濡れたままの伽羅色の瞳を気丈に拭った。
「それでですが……あのあと、なにかせめて手がかりになることだけでも見つかったでしょうか?」
「残念だけど……」
責任を感じている彼女にいうのは、心苦しいが、これに関しては首を横にふるしかない。
「リーンハルトが、すぐに離宮の周囲を兵達に包囲させたから、犯人は外には逃げられていないはずよ。でも、残った部屋と、メイド達の持ち物も調べさせたけれど、どこにもそれらしい物は出てこなかったし――」
そうだ。忽然と消えてしまったかのように、離婚状の行方だけがわからなくなってしまったのがおかしいのだ。
あの夜。この離宮内にいた者などしれている。ましてや、外からきた者など、もっと少なかったというのに――。
離縁状だけ、どこに消えてしまったというのか。
「なるほど。使っていない部屋と、メイド達の持ち物もすべて調べたと。ならば――」
意を決したように、横たわったままのコリンナがイーリスを見上げた。
「イーリス様、どうかこの部屋を調べてください」
「えっ!」
それは、考えたくない可能性として頭の隅に浮かんでは消えていたことだった。
怪しい者が見つからない――ならば、怪しくない者が、本当は怪しいのではないか。
だが、そんな親しい者を疑うような言葉を口にするだなんて――。
冷たい汗が額に滲んだが、見つめた先でコリンナは、イーリスのそんな心の葛藤をまるで見破ったかのように笑っている。
「調べてください。それに――私が、手当てを受けている間に、誰かが部屋にこっそりと隠した可能性もあります」
本当は、イーリスを安心させるためになのだろう。ほかの者にも使えそうな言い訳を用意してくれている。
「ありがとう、コリンナ……」
本当に、機転のきく彼女になんといって感謝をしたらいいのか。握った手に力をこめてありがとうと伝えたのに、コリンナはふっと笑うと、すぐに握りしめ返してくれた。
「当たり前です――私が、イーリス様を裏切るなんてありえませんから……」
そして、くるっと振り返る。
「ほら! ギイト! あなたもすぐに立候補しないと! 今度こそ難癖をつけて、陛下から処刑の口実にされるわよ!?」
やりかねない――。
咄嗟に、そう思ったのは、どうやら自分だけではなかったようだ。
「言われるまでもない――私だって、イーリス様一筋なのに……!」
「お前ね……その台詞が陛下に聞こえたら、その瞬間断頭台にのぼることになるってまだ理解していないのね?」
うわっ、また自分から死亡フラグをたてているとコリンナが引きつっているが、悲しいことにそれは否定できない。
「どうして、私がイーリス様をお慕いしただけで、処刑だなんて――」
「そのことに陛下は一番腹を立てているんでしょうが? いっておくけどね、あの陛下に神の国の博愛なんて言葉は、一切縁がないんだから!」
取りあえず、陛下に疑われる言葉はすべて禁止と、コリンナが念を押しているが、どちらかといえば、コリンナの目にこそリーンハルトがどう映っているのかを訊いてみたい。
(いや、さすがコリンナ。当たってはいるけれど……)
当たっているからこそ、確かめるのが怖いというのだろうか。
冷や汗を垂らしながら聞いていたが、二人が押し問答をしている間にも、連絡をした兵達が、二人の部屋の中をくまなく探し、どこにも離婚状がないことを確認してくれた。
元々、イーリスの家出のせいで、ここに持ち込んできた荷物は少ない二人だ。私物など数えるほどで、どちらかといえば、部屋に置かれていた箪笥の裏や、元から部屋に置かれていた彫像や花瓶の裏を探して、どこかに隠されていないかを確かめる作業だったが、それらしい物は、どこにも見つけることができなかった。
(そうなると……、残るのは、陽菜かアンゼルの部屋だけど……)
うっと言葉をのみこむ。気が進まない。なまじ、この間まで敵対してばりばりに疑っていた間なだけに、陽菜にどう切り出せばよいのかがわからないのだ。
(どうしよう……こんなことをお願いしたら、また私が陽菜を敵だと思っているって感じるかしら……)
そんなつもりはないのに――。
気の進まない作業に、イーリスははあと溜め息をついた。