第13話 大捜索
「え……っ!」
(あれは、どういうこと……?)
どうして、さっき厳重に蓋をして、離婚状を入れたはずの箱が空になっているのか。
コリンナを膝の上に抱えたまま、信じられないように見つめたが、一緒に駆けつけてきたリーンハルトは、すぐに空になった箱に気づいて手に取った。
「――ない、だと……!」
ばっと立ち上がる。
「ハーゲン!」
「は、はい……っ! どうされましたか!?」
おそらく、コリンナが倒れた音で近くまで来ていたのだろう。下に続く階段から、慌ててのぼってくる姿が見える。
赤毛の姿が見えるや、リーンハルトが叫んだ。
「すぐに警備責任者を呼んで、この離宮を全館閉鎖しろ! 不審者が入り込んでいないかの捜索と、離宮外への許可無しのすべての出入りを禁じる!」
「は、はいっ……!」
突然の命令に、急いで踵を返して階段を駆け下りていく。
「――まずいことになった……」
「リーンハルト! まさか、離婚状が……」
「ああ、何者かはわからんが盗まれた」
盗まれた――二人の、離婚状が。
なぜと思うよりも早くに、二階の奥からは別の物音が響いてくる。
「なにかあったんですか!?」
「イーリス様、一体なにが……コリンナ!?」
走ってきたのは、別室で食事をしていたはずの陽菜とギイトだ。
なにがあったのかまではわからないが、イーリスに抱きかかえられて血を頭から流しているコリンナの姿に気がついたのだろう。
驚いて駆け寄るギイトに、意識を失っている体をそっと渡す。
「急いで、手当てをしてあげて」
「これは、いったい……」
「わからないわ。ただ、誰かに突然襲われたみたいなのよ」
ぐったりとしている体を渡す。意識がない体は、相当重いはずなのに、意外にもギイトはひょいっと抱え上げる。
「わかりました。急いで宮殿の医師を呼び、手当てをさせますので」
「ありがとう。陽菜も一緒にお願い」
「はいっ!」
二人が、慌ててコリンナを連れていく。その間に、下からはハーゲンの命令で急いで駆けつけてきたのだろう。この宮殿を警備している騎士隊の隊長らしき姿が、息を切らしながら階段を駆け上がってくる。
「陛下。何事かございましたか!?」
そもそも、なぜここに陛下がいるのか――――。離宮の警備を担当しているのは、近衛騎士団の第二部隊のはずだか、明らかに驚愕した表情を浮かべている。
きっと、ハーゲンから、ここにイーリス達が逗留することになったという正式な報告はいっていなかったのだろう。
予備知識なしで、突然の王との遭遇には慌てるだろうが、今はそんな悠長なことをいっている暇はない。
「封鎖はしたか!?」
「はい! ただちにすべての出入り口に騎士や衛兵を立たせ、庭にも配置して、扉のみならず窓からも抜け出せないようにしております!」
「誰か出入りした者は?」
「衛兵の報告によると、夜になってからは王宮書司官が一人来たという以外にはないようです!」
ぴっと姿勢を正して、即座に対応できるのは、さすが普段の訓練の賜物だ。
「内部も今確認させていますが、今のところ怪しいものが立ち入ったという形跡はないそうです!」
ちっ、とリーンハルトの口が小さく舌打ちをした。
「わかった。ならば、今後離宮から出ようとする者には、すべてに身体検査を。服の袖、上着、すべての中をチェックしろ。特に、俺の名前が記された紙を持った者は、絶対に外に出すな!」
「はっ! あの、紙――と申しますと」
「――俺の離婚状が盗まれた」
言った瞬間、隊長の精悍な顔が、はっきりと色を変えた。
「国家の大事だ。犯人は、イーリスの侍女を襲い、後ろから殴って箱の中にあった書状を奪った。なにがあっても、犯人を逃すな!」
急いで、離宮内の大捜索が始まった。
そう広くはない離宮だ。外から応援に来てくれた第二部隊の騎士達も合わせて、離宮の隅々まで、誰か隠れている者がいないか、暖炉の煙突や天井裏までも探したが、どこにも見つけることができない。
――もちろん、行方不明になった離婚状も。
「まずい……」
刻々と寄せられてくる報告を聞きながら、リーンハルトが顎に手のひらをあてた。
「陛下。あの来られていた王宮書司官の方が、先ほどこちらからの使者と共に離婚状をお渡しするとお伝えしたので、まだかかりそうですかとお尋ねなのですが……」
恐る恐るといったように、扉から顔を覗かせたハーゲンが尋ねてくる。
「もう少し待たせろ」
ぎろっと冷たいアイスブルーの瞳に睨まれて、すぐに「はいっ」と首は引っ込んだ。
「どうしよう……」
まさか、離婚状を盗まれるだなんて考えもしなかった。
イーリス自身、自分たちの付近に何者かが入り込んで隠れていないか、リーンハルトに守られながら探していた最中だ。
使われていない部屋ならば、誰かが入り込んで隠れていてもわからない――と、燭台を持って探し回ったのだが、どの部屋にも人影はない。
余程長い間使われていなかった離宮なのだろう。こまめに換気と掃除はされているようだが、どの部屋も美しいのは調度ばかりで、生活感のある人が隠れられるほどの大型の家具自体が少ない。
空の衣装戸棚を次々と開け、本棚の陰などにも潜んでいないかと、リーンハルトに横を守られながら探したが、どこにも怪しい姿は見いだせない。
「いったい、どうして離婚状なんかを……」
しかも、王宮書司官が三度目の催促に来て、渡すと言った直後にだ。あまりにもタイミングが悪すぎる。
「困ったわ……。取りあえず王宮書司官には、もう一通書いて、そちらを渡すしか……」
そうすれば、取りあえずこの場はしのげるはずと、戸惑いながらリーンハルトを見た瞬間、アイスブルーの瞳がばっと開いた。
「それはできん!」
「どうして? 確かに離婚状を盗まれたのはおかしいけれど、もう一通作成すれば……」
「そうじゃない! 二回離婚すればもう再婚はできない! これは、神殿とも正式に交わしたリエンラインの法律だ!」
「――あ――」
脳裏に浮かんだ法律全集の一文に、金色の目を大きく見開いた。
「リエンライン国法二十五条附則三、同じ相手と二度に渡り婚姻関係を解消した者同士の再度の婚姻は禁ずる。約三十年程前に、破産した商人が財産を守るため、離婚した妻の名義にして財産を隠すという手法が広く行われていたせいで、追加で決められた条項だ!」
「――そういえば」
すっかり忘れていた。いや、覚えていたことは覚えていたのだが、今回のイーリスとリーンハルトの離婚は一回目。この附則には触れないと、そのまま記憶の奥に沈めてしまっていたのだ。
しかし、顎に手を当てたイーリスの前で、リーンハルトはアイスブルーの瞳に焦りの色を浮かべている。
「あの離婚状には、日付が書かれていない! だから、もう一通書いて、もしその後で誰かが日付を書きこんで役所に提出すれば、それで俺たちの仲は終わりだ!」
「え……!」
(つまり――場合によっては、もう私はリーンハルトと再婚できなくなるかもしれないということ?)
「そんな……」
まさか――と息をのみこむ。
やり直すと決めたばかりなのに――。
「いったい、さっきからなにが……。私も身体検査をされましたし。それと、あの、お渡しいただけるといった書状は、いったいいつ頃になりそうなのか……」
離宮内のおかしな様子に気がついたのだろう。階段をのぼって通路から姿の見えた書司官の制服を着た青年が、せめてそれだけでもと食い下がり、止めようとしているハーゲンと言い争いになっている。
ちっとリーンハルトが、舌打ちをした。
「俺が言って、取りあえずグリゴアに待つようにいってくる! だから、その間になんとしても離婚状を探せ!」
「わ、わかったわ……」
「それと、離宮内といえど一人ではいるな。誰が――犯人かわからん」
それは、つまりこの内部に離縁状を盗んだ者がいるかもしれないということなのだろうか。
一体、誰が――。しかし、リーンハルトの背中は、通りがかったメイドにギイトを呼びに行かせると、そのまま書司官と共に王宮に向かってしまった。