第5話 反撃開始
「どうしましょう、イーリス様!?」
顔を下ろせば、床に体を投げ出すようにしてコリンナが叫んでいる。
「このままでは、またイーリス様のお立場が危うくなってしまいます!」
確かに――それが狙いなのだろう。
はっきりと見える相手の狙いに、顎に手を当て、ふっと笑う。
「馬鹿な……陽菜を王妃宮になど! 俺は、一度でも陽菜が王妃宮に入ることを認めたことはないぞ!?」
側で憤ってくれる声は、逆に冷めていく頭への声援になる。
「ねえ、リーンハルト」
だから、ゆっくりと手から顔を持ち上げると、金色の瞳で、まっすぐに側に立つ姿を見上げた。
「確か、王妃宮の人員は、ほとんど入れ替わったといっていたわよね? それは管理職も?」
「それはもちろんだ! 下の者に罰を与えて、上の者の責任を問わないのでは本末転倒だからな。降格か、減俸をされても残りたいと希望した者以外は、全て部署異動をしている!」
聞かなければよかった――と心の中では冷や汗が出るが、今はそこにつっこんでいる場合ではない。
「そう……でも、それだったら責任者は不在ね」
ならばと、笑みを浮かべながら急いでテーブルに向かった。
「ハーゲン。急いで、便箋とインクを持ってきてくれるかしら?」
ああ、あと羽根ペンもと笑顔で言うと、手渡されたそれらで急いで文字をしたためていく。
そして、もう一枚別の紙を取り出すと、さらさらと書きつけて、リーンハルトに見せた。
「これでどうかしら? よかったら、ここにあなたのサインをいただきたいのだけど」
突然渡された紙に驚いていたが、覗きこんだアイスブルーの瞳が、くすりと笑う。
「なるほど」
面白そうに頷くのと同時に、イーリスの手からペンを取り、さらさらと名前を記していく。
「では、ハーゲン。あなたを王妃宮の準備ができているかの視察に任命するわ」
「は? 私がですか!?」
突然の指名に驚いたのだろう。そばかすの中の目を何度もぱちぱちとさせている姿に、先ほど書いた手紙を差し出す。
「そうよ。そして、王妃宮を見て回り、探し出した陽菜にこの手紙を渡してほしいの」
「では、イーリス様……!」
ぱあああっと心配そうだったコリンナとギイトの顔が輝く。
「陽菜は、私と仲良くなりたかったと言っていたわ。それに、彼女を保護するのは、私がした約束だもの」
こんなところで勝手に誰かに利用させたりなどはしない――。
その意思が伝わったのだろう。
「王妃様……」
手紙を受け取ったハーゲンは、しばらく感動したかのように見つめていたが、すぐに両手を伸ばして、イーリスから封筒を受け取っていく。
「はい――! 必ず、任務を全うして、この手紙を陽菜様に渡してみせます」
「頼んだわよ」
にこっと少しだけ人の悪い笑みを浮かべて、部屋を出て行く後ろ姿を見送った。
「さてと! じゃあ、あとは生活費の方ねー」
いくら王宮の中とはいえ、普段人が住んでいないこの宮殿に、何人もの人間が百日間滞在できるだけの余分な予算があるとは思えない。
「王妃の化粧料を使えば、王妃ではなくなるのに使うつもりかと言われるのは目に見えているし……でも、最低限食費は必要よね」
顎に指をあて、うーんと考えこむ。
「だから、俺の宮で生活をすれば! 君のドレスや化粧品ぐらい、王の私有財産でいくらでも……!」
「それは、なし」
それこそ、離婚するのにおかしな話だ。ましてや、離婚をすれば、自分はリエンラインの王族ではなくなるのだからと否定したのに、アイスブルーの瞳はくわっと開く。
「なにがなしだ!? 俺では君の物を揃えるのに好みがわからないとでもいうのか!? それとも、俺では心配だと――」
「そうじゃなくて! 離婚するのに、養ってもらっていたら、それは愛人関係と同じでしょう!?」
始まりそうになってしまった喧嘩に、慌てて言い訳をした。
(あ、またやってしまったわ!)
このままいつものように喧嘩が勃発するかと思ったのに、アイスブルーの瞳はどよんと明らかに落ち込んでいく。
「愛人関係……」
それは嫌だ……ほかの人と再婚されるかもしれないじゃないか……と呟いているところを見ると、どうやらこれ以上にはならないらしい。
続かないことにほっとして、ギイトの方を向き直った。
「だから、ギイトにお願いがあるの。これを神殿の大神官様にお渡しして、今の私の状態を話してきてくれないかしら」
「イーリス様の御状態を……ですか? それは、かまいませんが」
いつになく歯切れが悪い。それでも手紙を受け取ると、少しだけ下を向いた。
「少しだけ……帰りが遅くなるかもしれません……。神官として、この度のことを大神官様に報告し御裁可を仰がねばなりませんので……」
「あっ――!」
言われて、ようやく思い出した。そうだ。リーンハルトに牢屋から解放されて全て終わった気になっていたが、神殿からすれば、補佐につけた神官が聖女を止めもせずに、一緒に国外への逃亡を図ったなど不祥事そのもの。なにもなくすむとはいかないだろう。
「待って……! でも、あれは私が無理を言ったから」
「いいえ。私もお止めはしませんでしたから。神殿の決まりに従えば、罰を受けるのは当然です」
「そんな!」
ゆっくりとギイトは笑っているが、そんなのは嫌だ。自分を守ってくれた大好きな人が、自分のせいで罰を受けるだなんて――。
「それならば、いかなくてもいいわ! コリンナか誰かを代わりにやるから!」
「いいえ。どうせ、いつかは報告しないわけにはいかないのです。ならば、今このイーリス様の書状を預かって行くのが、神のご意志なのでしょう」
「そんな……」
自分のせいで、ギイトが神殿から罰を受けるかもしれない。心に冷たい影が覆った時だった。
「仕方がないな」
隣で落ち込んでいたはずのリーンハルトが、かたんと席を立ち上がる。
「俺が神殿に口添えをしようじゃないか。神殿もお咎め無しとはいかないだろうが、王妃を連れ出された当の王である俺が口添えをすれば、神殿も重い罪にはできないはずだ」
「ええっ!?」
(どうしたの、急に!? 今まで、なにかあればギイトのことを目の敵にしていたのに!)
「それは……ですが、陛下御自ら足を運んでいただくだなどと……」
申し出られたギイトですら驚いているのに、歩いて行くリーンハルトはどこまでも上機嫌だ。
「気にするな。今回のことで、イーリスとやり直すきっかけになった」
ぽんとギイトの肩に手を置き、振り返る。
「大神官との話し合いで今日は遅くなるだろう。疲れているだろうから、イーリスは早くに休むといい」
「え……あ、はい……」
珍しいいたわりの言葉を笑顔で言われて、目をぱちぱちとさせてしまう。そのままリーンハルトは、ギイトを連れて扉を出て行ったが、ぱたんと音がして静まりかえったところで気がついた。
「あ――――っ!」
肝心の離婚届けを書いていないではないか! あれだけ約束をしたのに!
(まさか、この後に及んで逃げ出すなんて!)
やっぱり書きたくないのだ!
往生際が悪いーっとイーリスは金色の髪の中に、手を差し込みながら身もだえた。