第3話 まさかの提案
「ふざけないでよ!」
怒りが頂点に達して、思わず側にあった樫の幹を拳で殴りつけてしまった。
「イ、イーリス様……」
後ろから慌ててギイトが駆け寄ってくるが、さすがにこれは自分でもやりすぎたと思う。
「馬鹿、なにをやっているんだ!」
慌ててリーンハルトが赤くなった手を取るが、今更痛いなんて顔は見せられない。
「なによ、あの男!?」
ひりひりする手をリーンハルトにとられたまま、泣きたくなる気持ちをぐっと抑えつける。
「男――グリゴアか?」
「そうよ! 私に王妃宮に入るなと言ったり、剃髪をしろといったり! そりゃあ、勝手に飛び出した私が悪いのもわかるわよ! ……だけど」
(折角、リーンハルトとやり直そうと思って戻ってきたのに……)
最初から、自分は最早王の伴侶候補の一人に過ぎないのだと釘を刺されてしまった。確かに、前とは違い、今では自分に故国の政治的なバックアップがないことは知っている。むしろ六年という長い不仲があったせいで、睦まじそうに寄り添いあったリーンハルトと陽菜のこれまでの姿を見ていれば、イーリスを新しく出直す伴侶としてふさわしくないと思われるのも無理はないだろう。
(だけど……私だって、好きでうまくいかなかったわけじゃないのに……)
だめだ。今まで我慢してきたのに、まさかここまで情けない扱いをされるとは思わなかった。行くあてがないと知りながらも、王宮を出て行けと言われる。もしくは、神殿に行って、陰謀によって殺されてもよいだなどと――。
「誰が、あいつの思い通りになんかなってやるものですか!」
死ねと言われて死んでやるほど、お人好しではないのだ。
「すまん、あいつは昔から石頭で……」
どこか戸惑ったように弁解しているところをみると、どうやらリーンハルトはグリゴアと面識があるらしい。
「まるでよく知っているような口ぶりね」
外国に長くいたのに――と、すっと目を細くすると、少しだけリーンハルトの視線が慌てた。
「ああ。それは幼い頃、俺の指導役だったから」
「なるほど。それで、王の前でもあれだけ不遜な態度というわけ」
「ああ、だから、あいつが俺の意向を無視するはずはないんだが――」
腑に落ちないというように顔をしかめている。しかし、向こうからすれば、リーンハルトは最高の玉座に着く存在であるのと同時に、その座に座らせるために自ら教え導いた存在なのだろう。それが六年もの間の冷えた結婚生活。更に、今回の離婚騒動とくれば、面白くなくても無理がない。
(だったら、いっそ陽菜と再婚させたいと思うのも道理よねー)
なにしろ、公然と恋人と囁かれるほど気の合っていた二人だ。誰が見ても、やり直すのなら陽菜との方が幸せになれると思うだろう。
苦虫を噛みつぶしたように納得してしまったが、その前でリーンハルトはこほんと咳払いをしている。
「それで……どうするつもりだ?」
前にも、よく似た台詞を聞いたことがあるような気がするのに、なぜか今回は前とは違って、少しだけ頬を赤らめている。
「うるさいあいつのことだ。本当に元老院や法令を駆使しても、王妃宮からは閉め出すつもりだろう」
「そうね。腹が立つから、ここで野宿といってやりたいところだけど、さすがに冬に百日はきついし。かといって、神殿に行って剃髪なんてもっとご免だし」
「あ、ああ……! そうだな」
「仕方がないから、街で部屋でも借りるわ! 持ちだした宝石の一つか二つを売ればどうにかなると思うし」
「なんで、そうなる!?」
王家由来だからって、盗品扱いしないでねという意味で明るく告げたのに、なぜかリーンハルトはくわっと目をむき出しにしている。
「君は自分の立場をわかっているのか! 俺の! まだ離婚していない妻で、しかも百日後には再婚をするというのに! そんな周り中男がいるようなところで生活をするだなんて!」
「え、でも。今日には離婚をする予定だし。それに再婚するまでは、妻じゃなく婚約者候補の扱いなんだから……」
(わかりにくい)
相変わらずのこの反応。だが、先日告げられたリーンハルトの気持ちと合わせて考えると、要するに『俺というものがありながら、ほかの男と親しくなりそうところでの居住は許さん』という意味なのだろうか。
(もっと素直に、立場を考えろとか言えないのかしら?)
それはそれで腹がたつが、今の難解な態度よりは、ずっと意味が通じると思う。
(ひょっとして、このまままた喧嘩?)
いつものパターンならばそうなると覚悟を決めたのに、なぜか今日のリーンハルトは少しだけ顔を赤らめているではないか。そして、こほんと咳払いをした。
「だから……王妃宮に入れないのなら、俺のところで生活をしないか?」
「え?」
(それは、まさか一緒に暮らしたいということ?)
「ほら! やはり、女が街で一人暮らしというのは物騒だ! その点俺の宮なら、君がいた王妃宮とは渡り廊下一本で繋がった近さだし、王妃としての格も保たれる。利便性もよく、衣食住を心配する必要もないし」
(こいつ……! さては、それが狙いでさっき王命を使っても止めなかったわね?)
王妃宮を強引に開けさせなかったのも、陽菜が連れて行かれるのを黙認していたのも、二人で過ごすチャンスと踏んだから!
確かに、幼い頃の指導役が相手で、信頼している上に、口では簡単に勝てないということもあるのだろう。それにしても姑息な方法に、さすがに素直に頷く気持ちにはなれない。
「うーん」
(というか、本当に離婚する気はあるのかしら? 機会があれば、これ幸いと逃げ切るつもりなような気がするのだけれど……)
なにしろ、一王二妃制度まで言いだして離婚を拒んだ相手だ。
(温かい寝床は助かるけれど、なしくずしに離婚を反古にされそうだし)
第一、数日前まで本気で怒り狂い、悲しい思いをさせられてきた相手だ。やり直すと決めたとはいえ、急に毎日朝も夜も顔を合わせて、どんなふうに接したらいいのかなどわからない。
自分も頑張ると決めはしたが――。
(待って! それにリーンハルトは私を抱きたいといっていたわよね? これは、つまりそういうこと?)
たとえ、離婚届にサインをしてくれても、夜中まで一緒にいればそのままそういう関係になりかねない。いや、むしろ好きな相手と一緒にいて、ならない方がおかしいだろう。
「だめか……?」
顔を染めて初々しく尋ねてくるが、とても二つ返事で了承というわけにはいかない。
(うわーん、どうしよう)
まさか、いきなり同居を求められるとは思わなかった。恥ずかしさと困惑で頭がぐるぐると回り出した時、側の茂みががさっと音をたてた。
「あのう……」
そして、おずおずと一人の青年が声をかけてくる。
「よかったら、私が管理をしております離宮に入られませんか?」