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第2話 妨害

 肩より少し長い黒髪に、冷たい片眼鏡をつけた男だ。いや、冷ややかさを感じるのは、彼の眼鏡ではなく、その奥から見つめてくる紫色の瞳にだろう。


 貴族では滅多に見ない色だ。


(誰――!?)


 ごくりと唾を飲み込んだところで、隣に立つリーンハルトが頭を下げたまま窺ってくる男を不機嫌そうに見つめ返した。


「どういうことだ、グリゴア」


「グリゴア……」


 聞いたことがある。たしか貴族達の間でも有力な一派を従えるエブリゲ家の跡取り息子だ。人の口にのぼるほど優秀で、近年は大使として隣国に赴任していると聞いていた。


 その彼が、なぜ今ここで自分が王妃宮に入ることを阻止してくるのか――。


 跡取り息子とはいえ、もう三十路を半ばは過ぎているのだろう。ゆっくりと落ちついた所作で、屈めていた身を持ち上げる。


「イーリス様にはお初にお目にかかります。この度、帰国に伴い家督を相続し、元老院の一席を引き継ぐことになりました」


(今! 王妃ではなく、個別の名称の方を用いた!)


 不遜ではない。貴族社会でも親しくなれば、打ち解けた席ではよくあることだ。


 だが、今ここで家督相続の挨拶と共に用いるということは、彼は自分を王妃とは認めないという明らかな意思表示ではないか。


(帰って来た途端に、これ!?)


「イーリス様!?」


「どうされました!?」


 後ろから、別な馬車に乗ってきた陽菜とギイト、そしてコリンナが急いで駆け寄ってくるが、どうやら目の前に立つ男との緊迫した雰囲気を感じ取ってくれたらしい。


「無礼だぞ、グリゴア! 王妃たるイーリスに礼儀をつくさないとは!」


「そうです、そうです! イーリス様はとても優しい王妃様なんですから、とうせんぼなんて意地悪をしてはいけません!」


 後ろの離れたところから陽菜が援護をしてくれるが、生憎とその声援ではなにが無礼なのか、かえってうやむやになってしまう。一瞬、こめかみを押さえたが、目の前で王妃宮への入宮を阻むように見つめるグリゴアは、ふっと笑った。


「無礼もなにも――イーリス様は、離婚を決意されて王妃ではなくなられたそうではないですか」


「まだ離婚届は書いてはいない!」


(ちょっと! なにいさぎよくないことを堂々と宣言しているのよ!?)


 驚いて振り返ったが、リーンハルトはこちらを見つめるイーリスの視線の意味には気がついていないようだ。


(あ、やばい……ひょっとして、このまま有耶無耶にするつもりじゃないかしら……)


 嫌な予感がしたが、目の前ではグリゴアが長い睫を一度伏せた。 そして、すっと紫の瞳を開く。


「まだ――ということは、やはり離婚は既定の未来。ならば、ここは王妃宮です。王妃でなくなる方を入れるわけにはまいりません」


「つまり――王宮を出て行けということ?」


「なっ!」


 横で、リーンハルトが驚くが、イーリスにしてみれば、突然売られた喧嘩に握りしめた手の先が震えてきそうだ。ぎゅっと眉を寄せてみあげたのに、グリゴアは涼しい顔をしている。


「ご自由に――。と言いたいところですが、イーリス様は聖女。たとえ宮に居場所をなくしたとしても、いくらでも神殿が住まいを用意してくださるでしょう」


 丁寧に言ってはいるが、出て行けと同じ意味だ。


(その神殿の中の者が、今回陽菜に肩入れをして、なにをしでかしたと思っているの!?)


 ほかにも、新しい聖女を担ごうとする者がいるかもしれない。いや、それどころか目障りとばかりに殺されるかもしれないところへ、わざわざ自分から飛びこんでいけというのか。


 握った拳が震えてきそうなほど、怒りが全身に広がっていく。震える手を一度強く握りしめて、口を開けようとした時。横から伸びてきた手が身を乗り出したイーリスを制した。


「待て! まだ民には公表していないが、今回イーリスは聖姫の称号を授けられた」


 声に横を見れば、真剣な表情をしたリーンハルトが自分を庇うように立っているではないか。


「聖姫は、リエンラインでは古より特に王妃の中の王妃として認められた聖女だけが賜る称号だ! それを離縁するから放逐するなど! この称号だけでもイーリスが王妃宮に入る資格は十分ではないか!」


「それは、奇跡を行われ、聖姫という王と並ぶ存在と認められた最高峰の聖女を王室から出し、権力の二重構造を引き起こさないために行われてきた慣例です。確かにイーリス様は陛下と離婚されると決められながら、聖姫の位を授けられた。このまま放置しては、陛下の治世の危惧となるのは必定」


「ならば!」


「ですが」


 窺うように、こちらを見つめるグリゴアの紫の瞳が、ゆっくりと不穏な色にきらめく。


「神殿に入られたのち、二度と世俗に関わらないと宣言されるのならば、問題はないかと」


 ふっと笑う。


「これまで慣例として、聖女は神殿に所属しながらも婚姻を認められてきました。しかし、本来神に仕える者は生涯独身を貫き通すのです。幸い、今は神から賜った聖女様はお二人。イーリス様が離婚なされるのならば、剃髪され聖姫のお勤めに専念し、もう一人の陽菜様を陛下の御伴侶に迎えられれば問題はないかと」


 剃髪――!


 がんと頭を殴られたような気がした。


 綺麗に髪を剃り落として、生涯を尼として生きろというのか!


「この……!」


「イーリス以外とは結婚はせん! たとえ、誰がなんといってきたとしてもだ!」


「リーンハルト……」


 自分より早くに叫んでくれる姿に、不覚にも胸がじーんとなってしまう。


「ああ――」


 しかし、その様子にグリゴアはにこっと笑う。少しも穏やかでない、まるで猛禽のような笑みだ。


「もちろん、イーリス様が離婚を取りやめられるというのなら別ですが」


 鼻で笑うように告げられた言葉に、ざっと前に進み出た。


「離婚はするわよ、もちろん」


「イーリス!?」


 庇っていた腕から飛び出して、宣言したことに驚いたのだろう。横で、リーンハルトが焦ったように、目をぱちぱちとさせている。


「その上で百日後に再婚するのかを決めるわ! これは民にも宣言したお前のいう既定路線よ!」


「なるほど――」


 ゆっくりとグリゴアが、顔にかかっていた髪をかきあげる。王たちの前でする仕草としては無礼なものだが、不思議なほどこの男の所作はそれを感じさせない。


「わかりました。ではそのように対処させていただきましょう」


 ぱちんと指を鳴らすのと同時に、後ろに控えていた兵達が走り寄り、両側から陽菜の体を拘束してしまう。


「陽菜!?」


「イーリス様!」


「グリゴア、一体、なにを!?」


 勝手にどこに連れて行こうとしているのか。焦って追いかけようとしたのに、グリゴアは咎めるリーンハルトの言葉にもさらりと笑うだけだ。


「イーリス様の意思を尊重させていただくだけですよ? イーリス様が離婚をされる以上、再婚届に署名をされるまでは、陽菜様はイーリス様と並ぶ陛下の御伴侶候補。万が一のことがないように、こちらで身柄を保護してお預かりします故」


「いつから、この国では拉致を保護と言い換えるようになったの」


「さあ――、一度学者に研究させてみましょう」


 のれんに腕押し。腹立たしいが、その間にも陽菜は両腕を掴まれて、王宮の方へと連れて行かれる。


「陽菜!」


 ただ遠ざかっていく陽菜の背中と、用は終わったとばかりに頭を下げて背を向けるグリゴアの後ろ姿に向かい、イーリスの叫びだけが響き渡った。



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