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第29話 病気の正体

 次の日、アンナの部屋には、たくさんの人たちが出入りをしていた。アンナの部屋と続く隣の部屋には、ほかからも集められてきた同じ症状を持つ人達の白いベッドが並び、出入りする者たちとで、かなり手狭な印象になっている。


「さあ。どんどん食べてね」


 すれ違う人にぶつかって、木の盆に盛られていた果物を落とさないように気をつけながら、歩くイーリスが声をかけていく。


「公爵夫人様、これはいったい……」


 今の今まで書きかけていた小説から手を止めて、顔を上げるアンナの表情は、驚いてはいるがどこかうつろだ。


 その黒い髪をイーリスは優しく撫でた。


「体中痛かったでしょう? でも、これを食べれば治るからね?」


「これ……ですか?」


 アンナがイーリスの言葉に驚いたのも無理はないだろう。


 なにしろ、病室用の細い食事台に置かれた皿の上にあるのは、夏にはよく見るオレンジだ。


「ええ。取りあえず手に入れられるものを、大急ぎで運ばせたの。ほかにも色々あるから、いっぱい食べてね?」


「わあ」


 話しながら、イーリスが後でオレンジの白い皿に加えて置いたものに、アンナの目が輝く。


「私、いちごなんて、久しぶりに見ました。冬なのにとれるんですか?」


「あるところにはあるのよ」


 まさか王宮の温室で、食事用に栽培されているイチゴを大急ぎで運ばせてきたとはいえない。


「だから、苦手かもしれないけれど、こちらも食べてね」


 とんと隣にはピーマンのマリネが盛られた白い皿を置く。すると、明らかにアンナの顔がうへえと歪んだ。


「私、ピーマンは苦いから苦手です」


 しかもマリネ。とげんなりとした顔をしているが、励ますように黒い髪を優しく撫でてやる。


「ごめんね、でもお薬だと思って。頑張って食べられたら、あとでいちごを三つ追加してあげるから」


「それなら頑張ります」


 さすがに好きなものが、かかっていると強い。ご褒美があるなら嫌いなものを先ず片付けていこうと思ったのか。アンナの握りしめたフォークが果敢にピーマンに挑んでいく。


「イーリス」


 隣の患者に配っていたリーンハルトが終わったのだろう。かつかつと靴音を響かせながら歩いてくると、周りの様子を見回して少しだけ不安そうに口を開く。


「本当に、こんなよく食べるもので病気が治るのか?」


「たぶんね。私の知識が間違っていなければだけど――――」


 にこっと笑った時、部屋の入り口で賑やかな声がした。


「きゃっ!? え、なにこの人混み?」


「陽菜様?」


 出入りしているたくさんのメイドや治療師達にぶつかりそうになったのだろう。今日はピンクの花のようなドレスを着ていた陽菜が、慌てて入り口で体を反らしている。


 急いでヴィリ神官が陽菜の体を守ってはいるが、中でなにが起こっているのかはわからないようだ。


「え? いったい、これはなに?」


「陽菜さん」


 振り返ったイーリスが見れば、入り口では陽菜とヴィリ神官、そしてマリウス神教官までもが側に並んで、戸惑ったような顔をしている。


「あの……、たしか今日は聖姫を決める試験の日では……?」


 相当意気ごんできたのだろう。今日の陽菜はお化粧もばっちりで、髪にもいくつかのリボンを編み込み、とても気合いの入った姿だ。


「ああ――――」


 だから、イーリスは少し考えながら入り口に近づいた。


「ごめんなさい。ちょっと――急ぎの用事ができてたてこんでしまったから、次の聖姫試験は、少し延期をしてほしいの」


「延期?」


 さすがに驚いたような表情で三人ともイーリスを見上げている。しかし、いくらなんでも今は試験どころではない。


(もし勝っても、この事態を放って王妃をやめるわけにはいかないし……。それになによりも、あんなリーンハルトの本音を聞いてしまったあとではね)


 聖姫になって王と並ぶ王妃となって残るのか。それとも、約束通り離婚を考えると言ってくれたリーンハルトに頷けばいいのかすら、迷ってしまう。


 どうすればよいのか自分でもわからなくて、少し困った笑みを浮かべると、マリウス神教官が不思議そうに尋ねた。


「これは……病人にみえますが、これだけの数。もしかして、疫病でも起きているのですか?」


「疫病!?」


 隣で聞いた言葉に、陽菜がぎょっとした顔をしている。


 けれど、響いた言葉に即座に奥から近づいてきたツェルガー医師が、丁寧にマリウス神教官の前で身を折った。


「いいえ、違います。私も、同じ症状の患者が相次いでいると知り、最初は疫病を疑ったのですが、王妃様のお考えでは、これは疫病ではないということです」


「ですが、この数は……」


 マリウス神教官の目から見ても、前に置かれたオレンジに奇声をあげて喜んでいる患者達の様子は異様に映ったのだろう。皮を剥いてかぶりつくその腕には、いくつもの紫色の痣が浮かんでいる。


 中には、青白い顔で、歯茎から血を流しながら黄色い果実をむさぼり食う者もいる。その様は、さながら地獄に落ちた亡者のようだ。


 しかし、イーリスは静かに首をふった。


「違うわ。これは壊血病よ」


「壊血病?」


 マリウス神教官が不思議そうに首を傾げている。その様子に頷いた。


「前世住んでいた世界でもあったの。野菜などに含まれるビタミンC欠乏症から起こる病気なのだけれど、普通は長期間海に出る船乗りぐらいしかかからないのよ。だけど、この街では二年続きの冷害のせいで、長く乾燥野菜を使用してきたわ。だから――――」


 加えて、北方に位置するゆえの冬の長さ。乾燥野菜は本来は栄養が豊富な食材だが、干す間に、残念ながらビタミンCだけは失われていってしまう。そしてただでさえビタミンCが少なくなった乾燥野菜を、更に加熱したために、栄養としてとれる分が極端に減ってしまっていたのだ。


「では、これは船乗り達がかかる皮傷病だということですか?」


 ツェルガー医師が、驚いたようにイーリスに尋ねている。


「皮傷病? こちらでは壊血病のことをそういうのね? 陸地で発生するのは滅多とないから、私もまさかと思って考えつかなかったけれど。確かに条件さえ揃えば、発生すると聞いたこともあるし……」


「なんということ……」


 驚いたように、マリウス神教官が持ち上げた両手をわななかせている。


「皮傷病は、毎年何百人という船乗り達を殺している未解明の病です。ずっと、土から長く遠ざかるせいだと言われていたのですが……」


「土に生えている新鮮な野菜から遠ざかるという意味では、間違いがないわね」


「だったら、これは大発見ですよ!? これで一体何百、いや何千人の船乗りの命が救われるか!?」


 あまりの興奮ぶりに、イーリスの方が目をぱちくりとさせている。


「私も、今回の臨床実験を、克明に記録しておきます。もし、これで治れば今まさに希望のない病と闘っている船乗り達に、病気を治す光明となるのに間違いありません」


 普段は穏やかなツェルガー医師も、興奮したようにマリウス神教官に応じている。


「そうしてくださったら、嬉しいわ。もし少しでも誰かのお役に立てるのなら……」


(まいったなあ。そんな大事(おおごと)にまでは考えていなかったのだけど)


 だけど、考えてみれば、この街の人々が助かって、更にほかの場所でも苦しんでいる人たちの助けになるのなら悪くはない。


「ほかに取り寄せる物はあるか? この病を治すために」


 隣に立つリーンハルトも意外だったのだろう。いつもと違い、少し驚いたように目を開いているが、イーリスに自分の劣等感の全てを告白したからか。今は、見つめてくれる瞳が、ひどく温かくて心地よい。


「うん。じゃあ、もし壊血病なら、この街のほかの人々にも、栄養不足が起こっている可能性があるの。だから、悪化する前の予防に、みんなが毎日飲めるぐらいのオレンジジュースを取り寄せてほしいわ」


「オレンジジュース? それだと、かなり南方からの輸送になるが」


「頼んだわよ、陛下?」


 少しおどけるように言うと、金色の髪をくしゃくしゃっとかき回される。


(もう! 折角、朝コリンナがセットしてくれたのに)


 とは思うが、くすぐったいだけでなく気持ちもよいから、もっと撫でてほしいのも本音だ。


 そのせいだろうか。一緒にオレンジを配っていたコリンナも最初は驚いた顔をしていたが、だんだんと温かい瞳で見つめてくる。


 代わりに、扉の側で見ていた陽菜はひどく戸惑った顔になった。


「あれ? なんか、陛下とイーリス様が仲直りしたみたいなんだけど……。だとしたら私はどうしたらいいのかな」 


 後ろで、困惑したような陽菜の声が聞こえる。ひどくうろたえているようだが、ヴィリ神官が陽菜の隣から必死に拳を握って励ましている。


「ご安心ください。私が必ず陽菜様を王妃にしてみせます。決して、負けたりなどさせませんから――――」


「だけど、私の勘では、多分陛下はイーリス様が好きよ? イーリス様の髪と同じ色にしたいって言っていたもの」


「だとしてもです!」


 聞こえてきた会話の意味はわからない。ただ今は髪から手を離しても、そっと寄り添っていてくれるリーンハルトが頼もしくて、なぜか側を離れる気にはなれなかった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 病気の正体も解り、リーンハルトとも良い雰囲気。 このままハッピーエンドになればいいなあと思います。
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