第28話 繋がる過去
目をそらさず、じっと見つめてくるリーンハルトのアイスブルーの瞳に、イーリスは数秒時が止まってしまったような気がした。
「え、抱きたかった――――って……」
信じられない言葉なのに、肯定しているようにリーンハルトはイーリスから目をそらさない。
「えええええっ!?」
(まさか、そういう意味!?)
やっとイーリスにも理解できたが、頭の中は大パニックだ。
「ど、どうして!? 今のあなたには陽菜がいるじゃない! 昔の私と出会った頃ならともかく!」
思わず叫んだが、リーンハルトは焦ったように瞳を大きくする。
「陽菜とはそんな関係じゃない! 確かに、陽菜に呼び出された部屋で、うっかり眠ってしまったのは俺が悪かった! だが陽菜は――昔、王位についたばかりの頃の俺に似ていて……。何もかもが不慣れな場所で、突然聖女という大役を押しつけられて困っていたから、助けてやりたくなった! それだけなんだ!」
(リーンハルトは、そうかもしれないけれど……)
「でも、陽菜はそう思っていないかもしれないわよ?」
いつもリーンハルトの側に駆け寄り、まるで自分が王妃であるかのように振る舞っていた。いや、公然と王妃になりたいと言い放ってさえいたではないか。
口にしたイーリスの言葉に、リーンハルトは少し焦ったように瞳をさまよわせている。
「陽菜の気持ちは、確かに俺にもよくわからない。だけど、イーリス。俺はお前とやり直したいんだ」
「ま、待って」
「確かに気がつくのが遅すぎた。でも昨日、君がギイトを抱きしめているのを見た時に、血を吐くように苦しくて。『どうして俺がいるのに――』と心で叫んで、やっと気がついたんだ。だから頼む! どうかもう一度だけ! 俺とやり直してくれ!」
「そんなことを言われても……」
なにもかもが今更だ。
「リーンハルトだって、私が聖姫になれば、離婚するって頷いたじゃない? それで神教官様にもわざわざおいでいただいて……。陽菜だって口では色々と言ってはいても、本当は私とあなたが別れると思っているからかもしれないのに……」
困惑しながら話したのに、イーリスの言葉にリーンハルトは少しばつが悪そうに目を動かした。一度、横に逸れ、そしてまたイーリスへと戻っていく。
「実は……聖姫というのは、リエンラインの聖女の中でも、王妃として特に優れた功績を残した者に贈られる称号なんだ」
「え?」
「まあ、王妃の中の王妃というか――――ほら。歴代の聖女のほとんどは、君のように王族の生まれではないだろう? だから王に並ぶ者として、リエンラインの王と同等の尊厳を神があたえるという意味の称号で」
(と、いうことは……だ)
「ちょっと待って! じゃあ聖姫試験なんて持ち出したのは、最初からリーンハルトは私と別れる気がなかったっていうこと!?」
「すまない。……どうしても君と別れたくなくて……でも、まだ、なんでこんなに君と別れたくないのか、自分の気持ちがわからなかったから。咄嗟に、つい口に出してしまって」
「なんてこと――――」
頭がくらくらとしてくる。思わず額を右手で押さえた。
「じゃあ、私は、最初からあなたの手の内で踊っていたってことじゃない」
呆れたが、見ている前で、リーンハルトは座ったまま明らかにしゅんとしてしまっている。
「ごめん……。だけど、必死に聖姫の位を取ろうとしている君を見ていたら、やっぱり君は、俺とこんなに別れたいんだなと思えてきて……無意識とはいえ、俺の小さなプライドのせいで、君をここまで傷つけていたのかと思うと、だんだんと苦しくなってきていたんだ……」
「という割には、しっかりと第二試験では私を聖姫にするつもりみたいだったけれど?」
「それは――――白状するよ。別れたくなくてあがいてしまったことは。でも、あの時、本当に俺には君の料理の方が、ずっと食べていたいぐらいおいしかった……」
(ああーこういう時、どういう顔をすればいいの!?)
今まで頑張っていたのが、騙されていました? 聞いた事実に、さすがに笑って許す気にはなれないが、目の前に座るリーンハルトは、今までに見たことがないほどしゅんと項垂れている。
「それに……約束する。君が、もし聖姫をとれば、あの時の約束通り、きちんと離婚を考えると」
(うん?)
今までにないリーンハルトの反応だ。
これまでとは明らかに違うが、今更どういう顔をしたらいいのかもわからなくて、思わず呆れた顔で溜め息をつくと、側の椅子にどさっと身を投げ出してしまった。
「ほかには? 私に隠していることはない?」
どうせなら、今全部聞いてしまった方がよいだろう。思い切って尋ねたが、さすがにリーンハルトもイーリスの質問に困惑した表情を浮かべている。
「いや、ほかにはなにも……」
「本当? この間陽菜が私を突き落とそうとしたときだって陽菜の方を信じたじゃない。それに、隣国から来る特使の話の時だって、急に不機嫌になったし……」
「あ、あれは! 陽菜の姿に、みんなの好奇の目が集まっている状態で騒ぎを続けるのはまずいと思ったんだ! 陽菜が頭を打って混乱している可能性もある! あのまま、あそこで君を非難され続けるよりは、取りあえず場をおさめようと!」
(まあ、嘘を言っている顔ではないけれど)
思い出せば、陽菜からの話でも、同じことを言っていた。ましてや、自分の浮気を囁かれたあの場では、一番リーンハルト自身が焦っていただろう。
「じゃあ、特使の方は? なんで急に怒りだしたの?」
「それは……」
僅かにリーンハルトの瞳が逸らされる。
「銀細工は、この冷害にやられたシュレイバン地方の特産品だ。今、この地域の商業に打撃を与えれば、みんなが飢えることになると思って――――」
「ああ……」
やっと合点がいった。確かに、銀細工は冷害で食料事情が悪いシュレイバン地方の貴重な収入源だ。もし、今隣国との交渉で関税が下がれば、間違いなくこの街の人たちは、隣国から流入する安い銀製品のせいで、食べ物を買うお金にも困ることになるだろう。
しっかりとした理由に、少しだけ金の瞳をしばたたかせてしまう。
「それなら、言ってくれたらよかったのに――――」
「すまない。だけど、俺は君を前にしていると、本当に自分が間違っていないのか、自信がなくなるんだ。だから――――」
(だから――――口に出せなくて、誤魔化したんだわ)
少し俯きながら告げられてくる今の言葉だけで、不器用なリーンハルトの内側が手に取るように伝わってくる。
心を包むかのように、そっと両手を伸ばすと、イーリスは柔らかくリーンハルトの頬を挟んだ。
「いいのよ。どうか言って」
瞳を逸らさず、まっすぐにアイスブルーの瞳を覗きこめば、視界の中ではリーンハルトが驚いた表情をしている。
不安そうで――。だから、わざと王妃の口調で言った。
「この件で、陛下の判断は間違ってはいません。この地方の現状を無視した私の考えでは、きっと大変なことになっていたと思います。ですから、どうか、もっと自信をもって――――」
アイスブルーの瞳に微笑みかければ、リーンハルトの頬が見事な赤に染まっていく。
そして、少しだけ照れたように首を縦に振った。
「あ、ああ……」
「お金は、今この町では飢えに直結する重大な問題ですもの。もし、収入がなくなれば、乾燥野菜どころか、煮炊きに使う炭にも困るし。それに、もしあの病気が広がったりしたら――――」
しかしこの瞬間、イーリスの頭の中では、今言った単語を何かのページで見たような気がした。
(待って。この地域は、昨年からの冷害で、長い間乾燥野菜を使っているわけよね?)
更に、冬の煮炊き。やはり寒い時期ほど温かい物がいいから、どうしても料理は加熱調理が中心になってしまう。
加えて、アンナの体に出ているいくつもの内出血。歯茎からの血。そして、体の異臭と異様なテンション。
(確か――――これらが繋がる言葉を、前世のどこかで見たような……)
「あ……」
「イーリス?」
不思議そうに覗きこむリーンハルトの前で、イーリスはぱんと手をうった。
まるで探していたページが見つかったかのように、脳裏には一つの言葉が浮かび上がってくる。
「わかったわ! この地域で起こっている病気の正体が!」
「なに、本当か!?」
「ええ!」
(そうよ、何度も読んだ名前だったわ)
何故忘れていたのか。思い出した病名に、イーリスは立ち上がると自信をもって笑った。




