第 27話 告白
「しっかりして! リーンハルト!」
「とにかく、医務室に運びましょう。ここでは、もしまた狙われては危ないですから!」
「ツェルガー先生!」
叫んだイーリスの声を聞きつけてくれたのだろう。それとも、同じ庭で騒ぎがあったから、駆けつけてくれたのか。
急いでリーンハルトの傷の状態を診ると、右側から体を支えて立ち上がらせようとしている。だから、イーリスもツェルガー医師の反対側に回り、痛そうにしているリーンハルトを脇腹から支えようとした。
手を伸ばしたのに、やんわりと断られる。
「大丈夫だ。医務室ぐらいまでは、自分で歩ける」
「でも――」
「それに、王が、人の手を借りて歩いているのを見られては、どんな重傷を負ったのかとあらぬ疑いをかけられかねない」
「わかりました。では、こちらへ」
リーンハルトの言う意味がわかったのだろう。ツェルガー医師が、矢の先を折り、目立たないようにすると、その間に駆けつけてきた護衛の騎士達が、これ以上狙われないように周囲に人で垣を作った。そして、急いで地方官の館の中へと入っていく。
さすがに王が射られたとなっては、大事件だ。
医務室には、リーンハルトが鏃を抜いて、治療を受ける間にも、この館の持ち主であるシュレイバン地方領主が頭を床にすりつけるようにして訪れ、ついで館を守っていた騎士団の団長が、責任は自分にあると処罰を求めにやってきた。
「あとにしてください。今はとにかく、犯人を捕らえて、一刻も早く陛下の傷の治療をしなければ――――」
本音を言えば、怒鳴りつけたいぐらいの気持ちだ。
(今はとにかく治療が優先でしょう!? 責任とか謝罪とかはあとで聞くから、さっさと犯人を捕まえてきて!)
できるなら、腰に手をあてて叫びたいが、一応まだ王妃なのでぐっと我慢をする。
それより、矢を引き抜いたリーンハルトの傷口から流れてくる血に眉をひそめてしまう。まるで氷の人形のように美しかった白い肌が、肩のところで無残に裂かれて、赤黒く割れた肉がみえている。息をのんだが、リーンハルトが傷ついているのだと思うと、どうしても指の先が震えてくる。
(どうしたのよ!? アンナの時は、こんなことなかったのに――)
しっかりしなさい、私! と心の中で叱咤した瞬間だった。
「陛下が怪我ですって!? 大丈夫なの!?」
「陽菜様」
外から聞こえてきた声に、遂に頭の中の血管が一本ぶちんと切れたような気がした。
「そこのあなた! 鍵をかけて!」
「は、はいっ!」
咄嗟にメイドに命じて、部屋の中には医師と自分達数人だけにしてもらう。
しばらく、扉の外は騒がしかったが、兵士達との押し問答で、どうにか陽菜も諦めがついたらしい。ようやく遠ざかっていった声に、医師の方をみれば、さすがに矢傷の治療は騎士達でお手のものだ。赤く開いていた傷口は、素早く縫い合わされて、上に白い包帯を巻かれたリーンハルトの姿を見た時には、イーリスの全身から力が抜けていくような気がした。
「よかった……」
意図せずに、眦からぽろっと涙が落ちてしまう。
(どうして泣いているのかしら? 私はこの人が嫌いなはずなのに――――)
ちらりとリーンハルトが周りに目配せをすると、みんなは心得たように部屋を出て行く。
(なんで、みんなを部屋から出すの?)
不思議には思ったが、
「イーリス」
名前を呼ばれたので、首を傾げながら、リーンハルトの前へと行く。
(こんな泣き顔を見られるなんて、恥ずかしいのに――)
そっと拭ったのに、涙はまたぽろりと落ちてくる。けれど、次の瞬間、ふわりと伸びてきたリーンハルトの逞しい腕に、自分の頭の全てを引き寄せられた。
「なっ……」
思わず慌てるが、リーンハルトは、まだイーリスの上半身を抱きしめたままだ。優しく抱きしめて離そうとはしない。
「リ、リーンハルト、なにを――」
突然されたことに、頭の中が爆発しそうだ。代わりに、自分を抱きしめているリーンハルトは、イーリスの髪の匂いを堪能するように頬をよせ、金の髪の波に唇を埋めてしまっているではないか。
「やっぱりそうだ。さっきされてわかった」
「な、なにが!?」
(わかったというの? まさか私の寸法!?)
もしそれで、次に「太ったな」なんて言おうものなら殴ってやると決意したのに、柔らかく自分を抱きしめているリーンハルトの声は、とても甘い色を含んでいる。
「俺は――――ずっと、君にこうしたかったんだ」
「え? えええええっ!?」
突然何を言い出すのか。ひょっとしたら、矢に毒が塗られていて、それで錯乱しているのかもしれない。
「待って、だったら今すぐ医者を――」
呼びに行かなくてはと焦ったのに、急いでリーンハルトの腕を脱出しようとすると、なぜかリーンハルトは、もがくイーリスの体を更にぎゅっと抱きしめてくる。まるで、絶対に腕の中から、逃がさないと言うかのように。
慌てたが、その感触が甘くて、イーリスはなぜか抜け出せなくなってしまった。暴れるのをやめた姿に安心したのだろう。今までに聞いたことがないほど静かなリーンハルトの声が、イーリスの耳元で囁いた。
「俺は――君が残した手紙を見た瞬間、正直目の前が暗くなるほどの衝撃を受けた」
「え? あれ、でも――私の嫌味はちゃんと伝わっていたのでしょう?」
ふと不思議になってしまう。それで怒るのならわかるのに、どうしてショックだったのか――。それなのにリーンハルトの腕は、今もイーリスの体を離したくないように抱きしめ続けている。
「ああ、きちんと伝わっていた。君がどれだけ怒っているのか。そして、俺に愛想をつかしたのか。だから――気がついたときには、全軍を束ねる軍務大臣を呼び出して、緊急の極秘捜索令を出していた。いや、この時もほとんど正気ではなかったと思う。それぐらい――焦っていた」
「え……? 焦っていた? リーンハルトが?」
言われた言葉が信じられない。
どうして、と思うのに、今は髪に顔を寄せられていて表情を窺うことができない。
「正気を取り戻したのは、『どんだけ奥さんを悲しませているんだよ、お前。陽菜との噂で相当やきもちを焼かせて泣かせたんだろう』と従兄弟に言われたからだ」
「ちょっと待って! 誰がやきもちよ!?」
「うん、そう答えるとは思っていた。だけど、俺は嬉しかったんだ」
「え……?」
ますます言われている意味がわからなくなってしまう。
(どうして? なんで仲が悪かった私に、やきもちを焼かれたら嬉しくなるの?)
わからない。とは思うが、リーンハルトは抱きしめていたイーリスから体を離すと、少しだけ瞳を泳がせている。
「俺は――君がギイトと仲が良いのを見る度に、イライラとした」
「は? ちょっと待って。今、リーンハルトが言っているのは、それこそ――――」
(まさしくそれがやきもちじゃない!?)
とは思うが、リーンハルトも少しだけ瞳を俯かせている。
「なぜ君があの神官に笑いかける度にイライラとするのか。そして、夜、いつも入れなくて帰るだけなのに、どうして何度も君の部屋に行きたくなるのか。自分でもわけのわからない自分の行動について考えてみたんだ」
「夜って――――来ていたの? 私の部屋に?」
(でも、一度も入って来たことはないわよね?)
だったら部屋の前まで来て、帰っていたのだろうか。
何故。少しでも、妻として見てくれていたのなら、尚更。
「最初は――王だから。跡継ぎを心配されているからと、自分に言い訳をして、君の部屋の前にまで行ったんだ。だけど、中から響いてくる君の楽しげな声を聞いていると、王として君を抱くのは、どうしても違っているような気がした」
「リーンハルト……」
「なのに、自分でもわからないのに、またすぐに君に会いたくなる。だから、毎朝の朝食は楽しみで、これだけは王室の夫婦の慣例だからと自分に言い訳をして、君と会えるたった一つの手段だったんだ」
「どうして……そこまで? 王室の慣習として朝食に来るのなら、王の務めとして私の部屋に来てもよかったのに」
戸惑いながら見つめると、リーンハルトはアイスブルーの瞳に、少しだけ困ったような笑みを浮かべている。
「そうだな。――多分、王としてならそれでよかったんだ。だが、君の夫としての俺が嫌がった」
「え?」
「俺は――――君を初めて迎えたとき、なんて明るくて元気な子だろうと思ったよ。しっかりしていて、かわいくて――――だから見知らぬ国で心細い思いをしている君を、支えてあげられる王になりたかった。だけど、実際は君も知っている体たらくだ。即位して間もなく、俺のそんな自信は粉々に壊れた」
「そんな! あの時は、リーンハルトだって必死にやっていたじゃない! ただ、私が口を出しすぎただけで!」
「それでも、君の案の方が正しかった。俺は、本当は君を支えられるぐらい立派な王になりたかったんだ。でも、実際は違って」
一瞬、強くリーンハルトの唇が噛みしめられる。
「――――君は、俺のせいで、故郷も家族も全てを失ってしまった」
「それは違うわ! あれは、ガルデン国が勝手に攻め込んできたからで、リーンハルトのせいじゃないのに!」
「それも全部、俺が王として至らなかったからだ。突然の代替わりに、洪水。いくら大変だったとはいえ、父が君の国に脅迫同然の婚姻の申し込みを行ったことは知っている。無理矢理こっちの都合でリエンラインに嫁がせたのに、俺は引き換えの約束さえ守ることができなかった。だから、俺は――君に、ずっと後ろめたかったんだ」
――そのせいで、正面から向き合うことすらできなかった。
苦しそうに告げられる言葉に、なんと言えば良いのだろう。
まっすぐに見据えた先では、リーンハルトは長年の後悔を懺悔したように、瞳を固く閉じている。
自分は、もう故郷の国のことは気にしていないと伝えるべきなのか。それとも、家族の命だけは助かっているのだから、もう先王が交わした過去の約束は忘れてというべきなのか。
悩んだが、どちらも違うような気がした。
だから座っているリーンハルトの頭に手を回すと、今度は自分から銀色の髪を抱きしめる。
驚いたように見開かれるリーンハルトのアイスブルーの瞳は、今日で抱きしめ合うのは三度目だというのに、どうやらまだ慣れてはいないようだ。
ただ、そっと銀の髪を撫でた。白檀にも似た香りが、ふわりと銀の髪の間から流れてくる。
「泣かないで。私の家族は生きているわ。それに、リーンハルトは、いつも朝食を私と一緒に食べに来てくれたじゃない? あれのお蔭で、亡国の王女と侮られることもなかったし――なによりも楽しかったわ」
そうだ。嬉しかった。どんなに喧嘩をしても、次の日にはまたやり直せるのだというように、訪ねてくれるリーンハルトが。
抱きしめながら、髪を撫で続けたが、リーンハルトにはその仕草がくすぐったかったらしい。腕の中で、困ったようにみじろぐ。
「お前――俺が言っている意味がわかっているのか?」
「わかっているわよ。私を嫌いではなかったということでしょう?」
「違う」
しかし、リーンハルトはイーリスの腕の中から、まっすぐに青い瞳をあげる。
「俺はお前を抱きたかった。心を通わせた夫として――――と言っているんだ」