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第25話 潜んでいるもの

 外に出ると、冬だが、昼過ぎの空気は日差しに満ちていて穏やかだった。今日は、普段よりも暖かいのだろう。冬枯れた木立には、何羽もの雀が止まって、地面に食べるものが落ちていないか見回している。


 青い空が広がる爽やかな天気だ。同じように爽快な気分で、イーリスは頭上に広がる天を見上げた。


「うーん、良い天気」


 ようやく陽菜に一矢を報いだのだ。気分がよくて、当たり前なのに。


(だけど、なんだろう。この気持ち)


 なんとなくだが、もやっとしてしまう。


 勝ったはずなのにと首をひねりかけた時、後ろから不意に声をかけられた。


「イーリス様」


 振り返れば、陽菜がなぜかこれまでにないきつい表情をして歩いてくる。


 そして、かつかつと小道に響かせていた靴音を止めると、イーリスの前で姿勢を伸ばして睨み上げた。


「イーリス様! 今回は負けましたけれど、絶対に私も王妃になってみせますから!」


「王妃に――そう。やはり、それがあなたの狙いなのね?」


 わかっていたはずだ。陽菜がリーンハルトを好きなことなんて。二人で王妃になんていってはいるが、やはり本音では違ったのだろう。そうでしょうね――と、今は勝利の余裕で少しだけ口元を微笑ませながら尋ねると、侮られたと思ったのか。陽菜の黒い瞳がきっと厳しくなる。


「ええ! だって私のいいねが負けるなんて絶対におかしいですもの! 次は必ず私が勝ってみせます!」


「え? いいね?」


(リーンハルトではなく?)


 思わず固まってしまうが、陽菜はその前で精一杯頬を膨らませている。


「そうです。たとえ、陛下がイーリス様をお好きでも、私は負けませんから!」


「え? ちょっと!?」


 何を勘違いしているのだろう。


「リーンハルトが好きなのは、あなたでしょう……?」


 わけがわからなくて、怒って背を向けていく陽菜に呟く声は、ひどく小さくなってしまう。


 そのまま違う入り口から館の中へと戻ってしまった陽菜の背中を見つめて、はあと溜め息がこぼれてしまった。


「なにを勘違いしているのだか……」


 自分が勝てたのは、最後の決定でリーンハルトがイーリスに軍配をあげたからだ。


 リーンハルトが陽菜を好きなのなら、自分を勝たせて聖姫とし、王としての面目を保った上で別れる。これが最良の方法だから、とっただけの行動だろうに――――。


「ふんだ! 全部リーンハルトのせいなんだから!」


 そうだ。陽菜の肩を素直に持てばよいのに、わざわざ五分五分のところでイーリスを支援してまで勝たせようとしたから、こんないらない誤解を受けてしまう。けれど、自分で考えておきながら浮かんだ答えに、なんだが気持ちががっくりときてしまった。


(やっぱり……リーンハルトも本音では別れたいんだわ……)


 わかっている。離婚は、自分が望んだことだ。それに今受けているのも、リーンハルトが離婚を頷くために必要な聖姫試験であることも。


(私だって、心に決めていたはずなのに……)


 それなのに、どうして今頃になってリーンハルトが離婚に前向きになっただけで、こんなにも気持ちが塞いでしまうのか。


(ううん。あと一回勝てば、私は離婚できるの)


 悩みを追い払うように、思い切り首を振った。第一、今牢に閉じ込められているギイトのこともある。


 絶対に勝たなければならないのに――――。


 なんだかふっきれなくて、青い空を見上げた。空を漂っている白い雲を、ただぼんやりとなにも考えずに眺める。


「王妃様」


 意識が虚空をさまよっていると、引き戻すような声がした。頭の角度を下げれば、先ほど自分が歩いてきた赤煉瓦の道から、アンナを診てくれているツェルガー医師が走って来る。


 息せき切っている様子に、イーリスは眉を寄せた。


「なにかあったの?」


 まさかアンナの具合が急変したのだろうか――――。朝は元気だったのに。


 急いで走って来るツェルガー医師の様子に、嫌な予感を抱きながら尋ねると、ようやく追いついた彼は汗を滲ませながら首を振った。


「アンナは大丈夫でございます。ですが――――」


 言葉を濁すのに、ただごとではないものを感じてしまう。


 不安に先を急かすように金色の瞳で見上げると、ツェルガー医師は、王妃への礼ももどかしく言葉を続けた。


「街で、同じ症状の患者が三人見つかりました――――」


 三人。言われた数字に、思わず目を見張ってしまう。


「それは――――偶然とはいえない数字ね?」


「はい。ですが今のところ、発症した五人の関わりあいは不明です。居住地区自体は、それぞれ離れておりますので」


「わかったわ。私は、すぐに王に対処するように進言します」


 聞くやいなや、急いで着ていたドレスの裾を翻した。側に植えられていた椿の生け垣に、夜明けのような薄い空色のドレスが広がる。


 突然走りだすなんて、淑女らしくないのかもしれない。ましてや、王妃としては――――。


 それでも、今この瞬間に、誰かが苦しみながら死の翼につかまっているのなら。そして、更に誰かほかの者をも捕まえようとしているのなら、走りだすことは止められない。


(まさか、本当に疫病が起こっていただなんて――――)


 ただでさえ、冷害で弱っている地域だ。


(もし、そこを疫病が襲えはどうなるか!)


 きっと、街に商人の姿は消えるだろう。道を行く人たちも、この小さな街を避け、食べ物に窮しているこの地域は、あっという間に生死の境に追い込まれてしまうのに違いない。


「リーンハルト!」


 そうなる前に、なんとしても被害を最小限に食い止めなければ。


 踵の高い靴が転びそうになるのもかまわず、赤煉瓦で舗装された小道を一気に走り抜ける。


 そして、先ほど自分が出て来たところから、少し庭に歩いたところで、銀色の髪を靡かせて早足で歩いているリーンハルトの姿を見つけた。


「あのね、きいてほしいことがあるの!」


 けれど、イーリスの声に振り返ったリーンハルトの目は大きく見開かれる。


 次の瞬間、イーリスが近づくのよりも早くに飛び出した。


「危ない!」


「えっ!?」


 瞬く間もないほどだった。イーリスの細い体が、リーンハルトの腕の中に包みこまれたのは。


(なに……?)


 どうして、今自分がリーンハルトの体温を全身で感じているのか――――。


 しかし、次の刹那だった。空気を切り裂く鋭い音がして、どすっという鈍い音がリーンハルトの肩を射貫いたのは。


「リーンハルト!?」


 自分を守るようにして、目の前で矢に刺されたリーンハルトに、イーリスの金色の瞳は大きく開いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ、じれじれの両片想い……。 リーンハルトがイーリスに一言「君が好きだ」と言えば良いと思うのですけどね。
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