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第139話 罠への対抗①

 イーリスがガルデンでヴィリと出会った日の午後、リーンハルトはリエンラインの国境の砦で、牢屋へと向かっていた。


 灰色の石を組み合わせて造られた牢屋は、暗く、日中でも陰が淀んでいるような気がする。その中をカツカツと靴音を響かせて歩く。


「まだ白状はしないようです」


「そうか」


 後ろを歩く侍従のウィルソンの声に頷くと、やがてリーンハルトは案内の者が示した鉄格子の前でその踵を止めた。


 見れば、牢の中には、今でもイーリスの姿をした者が、俯きながら座っている。


 金色の髪が天井近くの細い牢の窓から入る光に、色褪せたように煌めきながら睫を伏せている姿に、一瞬リーンハルトの息が詰まった。


(――いや、別人だ)


 イーリスのはずがないのに、その姿で捕らわれているのを見ると、どうしても微かに心が揺れてしまう。


 それを相手に勘づかれないように心の中で首を横に振ると、一瞬だけ閉じた瞼を開けて、コツという靴音とともに鉄格子へと近づいた。


 すぐ近くで聞こえた音で、自分の牢に用があって誰かが来たと気がついたのだろう。座っていた姿勢から顔を上げると、イーリスが偽物の笑顔で微笑む。


「リーンハルト……」


 いつもならば嬉しいはずなのに、こんなふうにここで笑うはずのないイーリスに、ふだんの行動とのズレが強烈に押し寄せてくる。


(イーリスならば、こんな状況にされたら絶対に怒る!)


 間違いなく、目が合った瞬間に即喧嘩だ。なにをしてくれるのか、なぜこんなことをされなければならないのか。憤懣やるかたないといった様子で、絶対に尋ねてくるだろう。


「お願いよ、出して。昨日の手紙は――少し手首を痛めていたせいで、うまく綴りが書けなかっただけなの。だから、誤解を生んでしまって……」


 白々しい。今になっても、自分が本物のイーリスだと欺き続けようとするところに、吐き気に近い思いがこみ上げてくる。


(なるほど? たしかに偽物だという物証は、あの筆跡だけだ。それを誤魔化せば、どうにかなると考えたのだろうが……)


 あまりにも浅はかな考えに、薄い笑いがこぼれてくる。


「そんな言い訳で俺を誤魔化せると思っているのか? 本物のイーリスをどこにやった?」


「知らないわ! 私が本物のイーリスよ!」


 この期に及んでも、なお騙し通そうとしてくるとは――。図々しい姿に腹が立つ。


「嘘をつくな。お前はガルデンからの回し者だろう?」


「なにを根拠に……」


 わずかに顔色が青くなった変化を見逃さず、わざと観察するように腕を組んだ。


「この街で爆発が起こった直後、お前はイーリスの姿で俺の側へとやってきた。そして、この砦でイーリスの姿で、さらに近づいてきたそのすぐあとに、刺客が俺の命を狙ってやってきた」


「え!?」


 知らなかったのだろう、驚いたように金色の瞳を見開いている。


「本当は、イーリスの格好でした別れ話で、俺を動揺させている間に命を狙うつもりだったのではないのか? もしくは、刺客を俺の側に引き入れるのが役目だったのか――」


「知らないわ! そんなこと! 私はただ――リーンハルト……と、別れたかった、からなだけで」


 一瞬言葉が途切れたのは、そこまでは真実マーリン自身の叫びだったからなのだろう。


 おそらく、そうだと思う。あの狡猾なガルデン王が、マーリンの恋心を利用したのならば、リーンハルトの命を狙っていることまでは告げたりはしないはずだ。


(それでも――おそらく自分の意志で加担した)


 イーリスをガルデンに渡すことに。そして、二人を合法的に別れさせ、やり直させないために。


 そう思うと、利用されたはずの彼女にですら、怒りの気持ちがこみあげてくる。


「お前が誰と組んでイーリスを攫い、俺の命を狙ったのか、おとなしく話すのならば、法に照らした刑罰のみにしてやる。だが、隠すのならば、攫われたイーリスのためにも、容赦をするつもりはない。拷問を科してでも、その口を割らせるが」


「知らないわ。本当に私が本物のイーリスよ!」


 真っ青な顔になって叫ぶ姿には、出された拷問という言葉への怯えが、明らかに滲んでいる。


 それでも、頑なに真実を話そうとはしない姿に、ふっと笑いがこぼれた。


「猶予は明日の朝までだ。もし、それまでに話さなければ、指を潰され、目を抉り出されることになるのを覚悟するがいい」


 ひっとマーリンが小さく息を呑んだ。


 その姿を確認して、鉄格子に背を向ける。


 そして、牢を出ると、しばらく歩いてから、後ろをついてきていた侍従のウィルソンへと振り返った。


 耳に触れるほど近づいて、出された小声の指示を受け取ったウィルソンが、頷くとすぐに違う方向へと歩いていく。その姿を見送り、リーンハルトは護衛とともに使っている砦の部屋へと戻った。




 日が落ち、夜の闇が北の砦を黒く覆った頃、リーンハルトは窓辺に立ち、外の様子を見下ろしていた。


 昨日は爆発があったせいで、多くの兵や騎士たちが慌ただしく動き回っていた庭も、今は静かに闇が包みこんでいる。


 人けの少ない庭を見下ろしながら、リーンハルトは側にいるウィルソンへと問い掛けた。


「伝えたか?」


 その言葉に、数歩分下がった後ろで、ウィルソンが恭しげに頭を下げる。


「はい、騎士団長にお話しして、それとなく隙を作ってもらうようにいたしました」


「よし」


(それならば、おそらく行動を起こすはず――)


 イーリスを助けにもう一度ジールフィリッド王の元へ行くためには、今回の事件をガルデンが引き起こしたという証明がどうしても必要になる。


(イーリス……!)


 攫われたことを公にするわけにはいかない。王の伴侶となる者が攫われたのならば、王が助けにいくのは当然の権利になるが、その場合は、人々がイーリスの名誉を汚す噂を面白おかしく口にすることも覚悟しなければならないからだ。


 ましてや、今側には偽物とはいえ、マーリンの化けたイーリスの姿がある。彼女が間違いなく偽物であり、それがガルデン王の犯行だと証明するのには、筆跡一つではあまりにも根拠としては少なすぎる。


 時間的なことも考えて、この街に戻って打てる手にかけることにしたのだが――。


 窓の外で誰も動く者のない光景を目にしながら、リーンハルトは、腕をぎゅっと片手で握り締めた。


「そういえば、ここに戻ってくる途中でなのですが……」


 その後ろで思い出したようにウィルソンが呟いた言葉に、意識がふとこちらへと戻される。


「イーリス様のお付きの神官であるギイトとすれ違いました。どうやらイーリス様を捜しておられたようなので、陛下とご一緒だとお伝えしておいたのですが……」


「ああ……」


 あの神官かと、視線をやった。


「コリンナには気分転換を兼ねて、イーリスを隠密に安全な場所へ移したと話しておいたのだが、そういえばあの神官には伝えてはいなかったな」


 てっきりコリンナから知らされるかと思っていたのだが、と呟くと、ウィルソンは困ったように苦笑をしている。


「それはご存知なようでした。ただ、慣れない場所でどう過ごされておられるのかご心配で、ご様子をお知りになりたいようでしたが……」


「あいつ……」


 ちっと舌打ちをしてしまう。


「夫の俺が保護していると聞いて、なにが心配だと言うんだ」


 本物のイーリスだったら、そんなに俺との間を邪魔したいのかと思わず呟いてしまうところだ。苦々しいリーンハルトの言葉に、慌てたようにウィルソンが両手を振った。


「たぶん心配性なんですよ。陛下とイーリス様の間にはいろいろとありましたし」


「ならば、いっそ一生心配できないようにしてやってもいいのだが……」


 イーリスが入れ替えられた肝心な時には気づかず、こういう時だけ心配する役立たずがと思わず悪態が口からこぼれてしまう。


「はは、ご無事でお過ごしですと、念のためもう一度お伝えしておきましょうか?」


「そうだな……」


 詮索されても邪魔だと呟いた時、手に持っていた通信装置の羽が輝いているのに気がついた。


「もう一度、気にするなと伝えておいてくれ」


 そう人払いを兼ねて頼むと、ウィルソンもリーンハルトがなにかを気にしているのを察したのだろう、頭を下げて出ていく。


 そして、すぐにパタンと扉が閉められた。


 それと同時にボタンを押し、扉の閉まった部屋の中に、通信装置の光を広がらせる。


「イーリス」


 部屋にふわりと浮かび上がった通信相手の姿に、思わず笑みがこぼれた。


「リーンハルト」


 こちらの姿を見た瞬間、金色の髪を波打たせたイーリスが嬉しそうに微笑む。


(ああ、本物だ――)


 柔らかに波を打って流れる金色の髪。強い意志を宿す金色の瞳が、リーンハルトを見た瞬間、はにかむように微笑んでいる。


 幼い頃からずっと見たイーリスの少し照れながら笑っている表情だ。


 その顔を見た瞬間、心の中でなんともいえない安心感がこみあげてきた。


「無事だったか?」


「ええ」


 短い問いかけにも、なにが聞きたいのかわかっているように答えてくれる。


「兄の婚約者であるティアゼル姫が、私を守ってずっと側にいてくれたの。今日の朝は、トロメンからエイリーメに移されそうになったけれど、それには、残してくれていたヴィリが機転をきかして、道に爆薬を仕掛けておいてくれたおかげで、移動させられずにすんだわ」


「そうか、ヴィリと合流したか」


 ガルデン王のことだから、フレデリング王子にティアゼル姫との別れを切り出した時に、素直に帰すつもりはないのだろうと思ってはいた。だから、もしもの場合を考えて、ガルデン王の動きを見張っておくようにと命じていたのだが――。


「どうやって過ごしているようだった?」


「ちゃっかりしているわよ。ガルデンで手に入れた服を使って、貴族のふりをしたり、下僕のふりをしたりして、動き回っていたみたい。顔は、長めの前髪を使って上手く隠していたわ」


「あいつらしい――」


 使者としては顔が知られているのに、なまじ堂々と振る舞っているから疑われなかったのだろう。ガルデンのスラングに通じているというのも、短期間ならば目くらましの効果を発揮したのかもしれない。


「おかげでここからしばらくは移動されずにすみそうだわ。その間に、なんとか脱出できないか方法を捜すつもりなの」


「わかった。ティアゼル姫に協力を頼むことはできそうなのか?」


「姫は協力してくれてるけれど――。たぶん脱出に関しては難しいわ。姫が兄に会うのに一緒に行けないか、方法を考えてくれていたのだけれど、ここで馬車の改造をすればガルデン王に知られてしまうかもしれないし。見張りがついているから、こっそり姫の侍女に紛れ込むこともできそうにないの」


 もし変装するとすれば、誰かをイーリスの身代わりに残すしかなくなる。その場合は、その役を引き受けてくれた女性が、ガルデン王によって処罰されるのに違いないとイーリスは金色の眉を寄せながら、憂うように呟いている。


「わかった。無理はしないでくれ。たとえ脱出できなくても、俺が必ず君を助けに行く」


 触ることはできなくても、そっとイーリスの頬に手を添える。すると、一瞬イーリスの目が大きく開いた。


「リーンハルト……」


「必ず助け出す。そして、君を抱き締めることができたら、再婚して今度こそいつまでも一緒に暮らそう」


 手のひらから体温が伝わるはずがないのに、目の前では開いていたイーリスの目が、その温もりに寄り添うように、そっと細められる。


「うん……」


 微笑むように頷く顔は、瞳が潤んでいる。


「イーリス、愛している。俺が好きなのは、今も昔も君だけだ」


「私もよ。私も……あなたのことだけを……」


 愛しているわとそっと優しく囁くように告げられるのと同時に、イーリスの姿は光の中でだんだんと薄くなっていく。その二回目の告げられた言葉に微笑み、かすんでいく頬に手を添え続ける。


「待っていてくれ。必ず君を取り戻すから」


「ええ。私も――なんとかして、あなたの側に帰るから……」


 そして、手の先で映像はふっと消えた。


 部屋の中に静かな沈黙が広がる。指の先に残っているのは、窓から入ってくる月の光だけだ。


「イーリス……」


 呟きながら、リーンハルトがその月の光の中で手を握り締めた時、後ろで外から扉を叩く音が聞こえた。


「陛下。動き出しました」


「出たか」


 その言葉に、リーンハルトは窓の側に近寄り、外を見下ろした。すると、人けのない庭の端で、建物の陰から茂みの端を隠れるようにしながら一人女性の姿が動いているではないか。


「マーリン……」


 牢や通路の警備に隙を作れば、必ず逃げ出すと思っていた。


「追え。彼女は必ずこの街に潜むガルデンの者たちに接触をするはずだ」


 ――それが、ガルデン王に捕らわれたイーリスを助けに行く根拠となる。


 そう拳を握り締めながら、リーンハルトは逃げ出したマーリンのあとを追うべく窓から身を翻した。

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