第133話 瞬く希望①
その頃イーリスは、トロメンの城で、手の中の通信装置を見つめていた。
(繋がらないわ……)
教えてもらったとおり羽の一枚を押したけれど、装置はチカチカと通信を求める光を発し続けただけだ。
「近くにいないのかしら……」
「なんじゃ、もう終わったのか?」
少しの間、部屋の外を誰も近寄らないようにしてほしいとお願いしたティアゼル姫が、一度入ってもいいかと声をかけてから、答えたイーリスの部屋の扉を開けてくる。
「いえ、うまくいかなくて……」
彼女をどこまで信頼していいのかわからない。だが、ここでは唯一の協力者だ。それに、本当に兄を愛している様子なので、それにかけて人払いの助力を頼むと、ティアゼル姫は快く承諾してくれた。
(どうしよう、一刻も早く刺客のことを知らせなければいけないのに……)
こうして、ここにいる間にも、リーンハルトの命が狙われているのかもしれないと思うと、心が焦ってくる。
(リーンハルトは、まだ無事なのかしら?)
ジールフィリッド王は、リーンハルトはリエンラインに戻ったと言っていた。
(私たちを引き裂くためだったのでしょうけれど。こうなるとリーンハルトが爆発のためにリエンラインに戻ってくれたのはよかったわ……)
ガルデンにいたままでは、誰がどこから狙ってくるかわからない。
もし、イーリスが襲われたあの時、フレデリングの側にいた騎士が、そのまま一緒にリエンラインに戻っていたとしても、周り中に自国の騎士たちがいる中では、簡単にリーンハルトの命を狙うことはできないだろう。
(きっとまだ無事よ……)
祈るようにそう思わなければ、とてもこの不安に耐えることができない。もし、知らない間に刺客の剣で傷つけられていたら――。今、彼の命がすでにこの世になかったら……そう思うだけで、体が恐怖で冷えてくるのだ。
装置を握り締めた手が細かく震えていたのだろう。
「大丈夫だ」
横から、そっとティアゼル姫が、イーリスのその白い手に、まだ大人にならない指を差し出してくれる。
「リーンハルト王は、六年前にフレデリングの弟の命を土壇場で救ってくれたと聞いておる。遠くの者の命を守れるような者を、どうして周りの者が守らないはずがあろう。刺客については、王とリエンラインの騎士たちを信じておればよい」
ぎゅっと両手で握り、ターコイズの瞳で見つめてくる。
(お……)
その眼差しに、思わず頭の中で言葉が弾けた。
(男前だわ――! なに、この姫君!)
ティアゼル姫がイーリスを見上げている姿勢なのに、思わずきゅんとするほど力強い眼差しなのだ。
女性がかっこいい女性に憧れる瞬間というのがわかった。イーリスよりもかなり年下だが、きっとこの姫は将来カリスマ的な統治者となるだろう。
(お兄様が、この姫君について、ああ語っていたのがわかったわ!)
これは、きっと兄もこの姫のことが好きなのだ。
王女が兄を好きになっての婚約だと聞いていたから、一方的に彼女が慕っているのかと思っていたが、この言動に、きっと兄もティアゼル姫に対して好意を抱いているのだろう。
(だから、婚約を破棄するつもりはなかったのね)
予想よりもよさそうな兄と婚約者の仲に戸惑ってしまう。
(てっきり、ルフニルツを取り返すための政略結婚かと思っていたけれど……)
どうやら、そればかりでもなさそうだ。
(あら、でも、それならば、どうしてティアゼル姫はお兄様に少しでも早く逃げるようにと言っていたのかしら?)
ふと、疑問に思う。
だが、その時人払いをしてあったはずの扉が開いた。
同時にした声に、どきりとして振り返る。
「さて二人きりでいったいなんの密談をしているのかな?」
現れたのは、ジールフィリッド王だ。腕を組み、面白そうな、しかしこちらを観察するような眼差しで見つめている。
「未来の義姉妹の密談とわかっていて、覗きにくるのはお人が悪いのでは?」
焦ったが、ティアゼル姫は泰然としている。動じもしないその様子に、ジールフィリッド王の顔が、ふっと笑った。
「それは悪かった。だが、お前が、なにやらメイドに大きな声を出していたと聞いたのでな。なにか粗相でもあったのかと心配したのだ」
心配と言ってはいるが、本心ではなにがあったのかを確かめに来たのだろう。イーリスがなにか逃げ出す算段をしたのではないか――そう考えているのが、見通そうとしている目からもありありだ。
咄嗟に、持っていた通信装置を装飾品のふりをして腰の紐に差した。そして、本当だったらポケットがついているスカートの切れ目に本体を差し込んで隠す。その間も、ティアゼル姫は、ジールフィリッド王にそのことを気づかれないように、緑の眼差しを、ターコイズの瞳で力強く惹きつけてくれているではないか。
「たいしたことではない」
そう父親を彷彿とさせる口調で言った。
「ただ、私が頼み事があったので、大声で呼びつけたのじゃ」
「ほう。大声で呼びつける頼みごと――それほど緊急のものか」
「女性が言葉を濁したときに踏み込むのは無粋だぞ。だが、勘ぐるのならば話そう。部屋に蟻がいたのじゃ」
「蟻……」
「ああ、列になりかけていて、さすがに不気味だったので、つい」
――蟻。
さすがに、これには追及のしようがないと思ったのだろう。ちらりとジールフィリッド王の視線が部屋の中を眺めた。
「先ほどは気がつかなかったが……」
「そこは女性と男性の苦手の違いじゃ。部屋の端だったからの、頼んで急いで掃除をしてもらったのじゃ」
おかげで今は虫一匹おらんと明るく笑っている。
(すごいわ……。メイドの不手際も話さず、綺麗に隠してしまったわ……)
兄は、この姫がずっと家族を守っていてくれたと話していたが、まさにこんな感じだったのだろう。
これ以上訊いてもおそらく姫は話さないと踏んだのか、ジールフィリッド王はふうと息をつく。
「まあ、それならばいい。イーリス姫を、近くのエイリーメに移すつもりだったが、なにかあったのかと気になったのだ」
その言葉に、えっと目を見開く。
「エイリーメって……!」
父たちが、ここに来る前にいたという城だ。
「ここでは、たいしたもてなしもできん。それならば、少しでも心地よいところに移動してもらったほうがいいだろう?」
(そんな……!)
ぎゅっと手を握り締める。金色の瞳を思わず大きく開いた。
(さては、最初からそのつもりだったのね……)
ここで偽物と入れ替え、リーンハルトとリエンラインに行かせる。その一方で、本物のイーリスはエイリーメに移し、ばれないようにするつもりだったのだろう。
(どうしよう……! エイリーメなんてガルデンの内部に連れていかれたら、もっと脱出が困難になるわ!)
きっと最初から家族と入れ替えにイーリスをそこに連れていくつもりだったのだ。そこに行けば、ますますリエンラインに帰ることが難しくなる。
(それに刺客のこともあるし……!)
なんとかして一刻も早くリーンハルトに知らせなければいけないのに。
握り締めた手に汗が滲んでくるが、その前でティアゼル姫は、父親へ抗議をするように見上げる。
「イーリス姫は、頭に怪我をしておる。それに、もう夕方じゃ。湿地を夜に行くのは危ない」
「もちろん、日が昇ってからにする。怪我人ならば、なおさらエイリーメのほうが静養に適しているだろう」
どうしよう、どうしたら止められるのかわからない。
だが、その時、服の隙間で微かに装置が点滅するのが見えた。
(――あれは!)




