第122話 ガルデンからの出発④
イーリスは、リーンハルトの顔とその手に持った装置を交互に見つめる。その前で、リーンハルトは柔らかな笑みを浮かべた。
「本当は、君の誕生日に渡そうと思って、オデルにもう一つ作ってくれるように依頼をしたんだ」
言われてみれば、イーリスの誕生日は三月の終わり。もう間もなくだ。
「リーンハルト……」
いつもならば、王妃の誕生日として宮廷で宴などの予定が入るが、今年は再婚前ということとガルデンとの交渉中なため、すっかり忘れていた。
金色の目を大きく開いて見つめると、リーンハルトは切なくなるような優しい笑みでイーリスをじっと見つめている。
「俺は、ガルデン王が君に求婚する言葉を聞いて、あの時心では本当に焦った――」
「そんな……私が、受けるはずがないのに……」
「ああ。だが彼の君に向ける眼差しが気になったんだ。ジールフィリッド王は、ルフニルツ王家の血に強い執着を持っている。だから、このプレゼントを早い目に渡しておくことにした。君を守れる道具の一つとなるように――」
「リーンハルト……」
言いながら、熱を持った視線で見つめてくる。
「だから、身につけていてほしい。俺は君が好きだ。絶対に彼に奪われたくはない」
真摯なアイスブルーの眼差しが、イーリスの心の奥まで届いてくるようだ。だから、こくんと頷いた。
「そんな……私が、あなた以外を選ぶはずがないわ……。私は、リーンハルトとだけ再婚したいと思っているのですもの……」
ふだんならば、絶対に口にはしない言葉だ。だけど、今はするりと口からこぼれでた。まるで、いつもは邪魔する羞恥心が、今だけはリーンハルトの熱の籠もった眼差しに溶かされたみたいに。
「だから、この品は本当に嬉しいし、なんとお礼を言ったらいいのか……」
頬が赤くなりながらもなんとか紡いだ言葉で、イーリスの率直な気持ちが伝わったのだろう。
そっとリーンハルトが手渡すようにその手を掴む。
「イーリス……」
そして、装置を渡すのと同時に、急に身を乗り出してきた。
「で、では、そのお礼として、俺にその言葉を手紙としてくれないだろうか?」
「え、手紙?」
あまりにも、突然の展開だ。
驚いて金色の目をしばたたくと、リーンハルトはそのすぐ前で、真剣な表情でイーリスを見つめている。
「俺は、騎士たちが、妻と恋人同士の時に交わした手紙を結婚してからも読み返して、その頃の気持ちを思い出すと聞いて、いいなと思っていたんだ。君と再婚しても、今の気持ちを忘れないために、短い言葉でいいんだ! それを書いてくれないだろうか?」
そうすれば、再婚しても今の気持ちを思いだして、二度と失敗しないようにできるとリーンハルトは迫っているが、イーリスにすればびっくりする提案だ。
(それって、ひょっとしてラブレターがほしいということ!?)
まさかの言葉だ。だが、考えてみれば、確かに王妃宮の女官たちも、恋人との手紙は頻繁に交わしている。結婚してからも大切に持っていると知ってはいるが――。
(でも、それを書けって……!)
突然言われた内容は、自分にはあまりにも難易度が高すぎる。
「ダメだろうか? 俺も君に書くが……」
ぴくりと耳が動いた。
リーンハルトからのラブレター。それは、恋人時代のものとしては、今しかもらえないような気がする。
(これって……まさに今しかない貴重品!? リーンハルトからのラブレターって……!)
ラブレターを書いてくれるということに、頭の中ではたくさんの天使たちが「ラブレターがもらえる」「恋人時代では唯一」と誘惑するように囁きながら舞っているが、条件は交換だ。
(ほしいけれど……! でも、代わりにって……!)
「でも、私、ラブレターってどう書いたらいいのか……」
(あああー! どうして、聞きようによっては、嫌そうな言葉になってしまうのよー!)
うまく書けるかわからないというのが、照れてうまく言えないだけだ。
焦ってしまい、余計にすごく顔が赤くなってしまったのかもしれない。その顔にリーンハルトは気がついたのか、急にじっと見ている。だから、しばらく黙っているのに、やはり止めようと言い出すのかと思ったが、逆に愛おしそうに笑った。
「俺が書いた手紙に答える文を書いてくれるだけでいい。そうしたら、それを生涯大切に持つから」
「それぐらいなら……」
きっとなんとかできる。そう思って、こくんと頷くが、そのイーリスの顔はきっともう林檎よりも赤くなっているのに違いない。
それなのに、リーンハルトは、なぜかイーリスの姿をひどく嬉しげに見つめている。そして、馬車に備えつけられた緊急の書簡をしめたためるための携帯ペンと紙を取り出すと、さらさらと書き綴った。
『愛している。生涯、俺は君を大切にすると誓う。だから、俺と再婚して、これからの人生も側にいてくれるだろうか』
短いが、熱烈な文句だ。
(しかも、これからの人生もと入れているし……!)
もう――と頬がさらに赤くなってしまう。狡猾なガルデン王と会談で渡り合えただけあって、リーンハルトも結構いい性格だ。
以前ならば、確実に躊躇したが、今は気持ちが定まっている。
だから、短く返事を書いた。
『ありがとう。ええ、いいわ。私もよ』
最後の一文を悩む。返事ならば、これだけでいいはずだ。
だけど――ともう一度携帯ペン入れに備え付けられたインクをペン先につけた。そして、『愛しているわ』と付け加える。
最後の綴りを書き切った瞬間には、顔はもう爆発するかと思うほど熱くなっていた。
こんなこと、以前の自分ならば決して書かない。馬車の床を掘っても書かないだろう。
それなのに、書いた文を見て、リーンハルトは信じられないように目を見開いている。
「イーリス……」
そして、渡せないまま固まっている姿を、前から優しく抱き締めてくれた。
「ありがとう。俺は、これを一生の宝物にする。なにがあっても、今この文面を見た時の気持ちを忘れないようにするから――」
好きな人から愛の言葉を告げられて、どれほど嬉しいか。
抱き締めてくる腕の温かさに、恥ずかしさで小さくなりそうだった自分が、こくんと頷けているのがわかる。
「私も……あなたからのこの手紙を大切にするわ……」
もらって嬉しかったこの愛する気持ちを、同じように返せるように。
温かい思いが、少しずつイーリスの中の羞恥心を溶かしていく。
それを感じながら、馬車は目指していた岩山の側の砦へと着いた。