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第117話 直接対決②

 外に出ると、三月の後半とはいえ、ガルデンの空気はまだ寒かった。


 リエンラインの騎士や兵たちに周囲を守られながら、トロメンの城の外に出て、広がる平地に下り立つと、目の前には一面にミズゴケやツルコケモモなどが生い茂っている。高い木などがないのは、ガルデン王が話していたとおり、ここが不毛の土地だからなのだろう。


 それを見回してから、イーリスは城の外へと一緒にやってきたリーンハルトとガルデン王へ視線を向けた。


 そして、その低い植物たちに包まれた大地を指さす。


「では、ここを掘ってはいただけないかしら? そうすれば、私の言葉の意味をお教えいたしますわ」


「ここを?」


 その言葉にガルデン王は訝しそうに返す。


「ここは、なにを植えても駄目な土地だったが――」


 過去に何度も試したのだろう。不思議そうな顔に、にっこりと笑ってみせる。


「ええ、きっとそうだったと思いますわ。だからこそ、ここを深く――かなり深く掘ってみてほしいのです」


 「そうだったから、掘ってみてほしい?」


 普通に考えたらかなり変な言葉だろう。それでも、イーリスの言葉からなにかがあると思ったのか。


「おい、ここを掘れ」


 周囲にいるガルデン兵たちに首を向けて命じると、すぐに道具を用意ざせて、その植物に覆われた土地をざくりざくりと掘り返していく。


 スコップを入れれば、かなり柔らかな地盤だ。スコップの先端を入れたところから、簡単に土が崩れていく。よく見れば、掘り返された土には、かつてここに生えていたなにかの植物の名残のような細かいものがいくつも混ざっているではないか。


 それらが土とともに、兵たちによって桶に入れて運び出されていく。


 弱い地盤のせいだろう。掘ったところからすぐに周囲が崩れていくので、掘るのは難しくはなさそうだが、中に下りた兵たちの足下も、少しだけ地面へ沈んでしまう。


 掘るにつれて、周囲からは黒い水が出てきた。


「わっ、水だ!」


 てっきり、財宝でも埋まっていると思っていたのだろう。


「水以外、なにも出てこないぞ?」


「陛下、かなり掘りましたが――」


 掘ってもなにもなく、代わりに水が沁み出てきたことで不安になったのか。見上げた兵たちの声に、ガルデン王がイーリスへ視線を向けた。


「イーリス姫、なにも出てはこないが……」


 その言葉に、リーンハルトもイーリスを見つめる。


「もう少し――」


 その二人の視線に、イーリスはぬかるんだ穴の中を見つめながら答えた。


「もっと奥まで掘ってみてください」


 その言葉に、ガルデン王は不思議そうな顔をしたが、「おい、掘る人数を増やせ」と兵たちに命じる。そして、さらに多くの兵たちで掘り進めた。


 掘るたびに、穴の中からは水が出てくる。


 やはり黒い水だ。


 だが、さすがに多くの兵たちで掘ったので、さらに深くまで早くに掘り進んだ。やがて、一階の建物ぐらいの深さまで達した時、急に一番底にいた兵の一人から叫びがあがった。


「土だ!」


 その声に、暗い穴の奥へ金色の目を見張る。


「なんだ、土なんて当たり前だろう?」


 上で土を外に出していた兵が声をかける。


「そうだけど、土が違うんだ! 今までのぼろぼろとしたものじゃなくて――」


 底にいるほかの兵たちも驚いているのだろう。最初に叫んだ兵士の手元を見つめ、上にいるガルデン王へと声をかける。


「陛下、土です! 表面に広がっているのとは別な、ほかの場所で見るのとよく似たような土が出てきました!」


「なに!?」


 その言葉に、ジールフィリッド王が答えながら眉を寄せている。


(やっぱり――)


 予想は間違ってはいなかったのだ。


「イーリス姫、これはいったい……」


 ずっと長い間、不毛の土地だと思っていたから信じられないのだろう。その驚いている緑の瞳を見つめ、イーリスは口を開いた。


「やはり、思ったとおりでしたわ。ジールフィリッド王、ここは泥炭地なのです」


「泥炭地!?」


 こちらの世界では、聞き馴染みのない言葉なのだろう。


 驚きながら尋ねる様子に、イーリスは頷きながら答える。


「そうです。この辺は元々湿地なために枯れた植物が完全には分解されず、それが長年の間に積もって残っている場所なのです」


 前世では、これらは草炭とも呼ばれていた。一見土に見えるが、石炭化の途中なので燃えることができ、そのため燃料としても用いられてきたものだ。前世の世界では、ウイスキーのモルト乾燥で使われているのは、有名な話だ。


「そのため栄養分が低く、また酸性なため農業には適しない土地です。ですが、私が前世でいたところでは、その土地を改良する方法を見つけました。もしそれをお教えすれば、ガルデンのあちこちにあるというこれらの土地は、人々に豊かな実りをもたらす、素晴らしい大地へと姿を変えることができるでしょう――!」


 地平線の見える広い土地を指さしながら、イーリスは力強く微笑む。


「ガルデンにあるこれらの土地が……!」


 そのイーリスの指さしている先にある地平まで広がる大地を捉えながら、ガルデン王が呟いた。


「そうしたら、我が国の農地は一気に増えるぞ!」


「本当か? それなら、俺の故郷も作物を作れる場所が増えて、生活が楽になるが……」


 周囲で土を運んでいた兵たちが、イーリスの言葉に、興奮したように声を交わしている。


 その兵たちの喜ぶ姿を視界に収め、イーリスは微笑んだ。


「いかがでしょう? これならば、ノルシュバル地方の割譲に代えても、見合うだけの価値があるかと思いますが」


「ふん、たしかに魅力的な話には違いないが……」


 地平を見ていた瞳をイーリスへと動かしながら、ガルデン王が口を開く。


「本当にそんな方法があるのか? 今まで、何度耕し肥料をやっても駄目だった土地だ。それなのに、そこを肥沃な大地に変えるだなどと――」


「ガルデン王、イーリスが前世にいた世界では、様々なことがこちらよりも発展している。それに、これらの土地で作物が作れるようになれば、寒冷な気候で苦労しているガルデンの民たちも飢える可能性が減るのではないか?」


「それはそうだが……」


 側にいるリーンハルトの言葉に、ガルデン王が考えこみながら答えている。その顔を見ながら、イーリスは続けた。


「もちろん、ただ耕して肥料をやっただけでは、この土地で作物を育てることはできません。だから別な場所から土を持ってきて、この泥炭に混ぜ込んでやるのです」


 客土という。昔、北海道の開拓で読んだ話を思い出しながら続けていく。


「馬ぞりなどを使い、表面の土の部分に、少し多めに指先から肘までの深さぐらいまで、ほかの土を混ぜてやるのです。そうすれば、泥炭の成分を減らすことができるでしょう」


「ほかのところの土を……」


 息を呑んだように、ガルデン王がイーリスの言葉を唱えている。


「もちろん、それだけではこれらの場所を豊かな土地へと変えることはできません」


 ごくりと一度唾を飲み、イーリスもガルデン王の表情の動きをじっと見る。


「ほかにもなにかがいるのか?」


「ええ――」


 ここが勝負だと思いながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。その間も、金色の瞳は、ガルデン王の様子を窺うために外しはしない。そして、口を開いた。


「それをお話しするのは、私の家族たちと一緒に、兄もリエンラインに来ることを認めてくれたらです」


 はっきりと口にしたイーリスの言葉に、ガルデン王が目を見開いている。


「フレデリング王子は、俺の娘の婚約者だ。彼も今回イーリス姫と会うのを条件に、ガルデンに残ることを承知している」


「それは、ジールフィリッド王が、ガルデンに残ることを条件に、私たちに会うのを認めたからでしょう?」


 順序が違うと言ってやる。


「兄も今回の交渉の対象であった私の家族、ルフニルツの王族の一人です。兄も一緒にリエンラインに行くことを認めてくださなければ、この方法について、これ以上お教えすることはできません」


 ギリギリの賭けだ。


 ジールフィリッド王は、ずっとこの交渉を打ち切りたがっていた。その面から考えれば、ある意味好機だ。


 だが、以前の会話によれば、ジールフィリッド王にとって、この泥炭地が、長年の悩みの種だったのは間違いないだろう。


 それならば、この地を改良する方法はどうしても知りたいはず――!


 ここで断れば、イーリスの家族を引き渡さない口実にはできるが、そう判断するにはあまりにも惜しい話なはずだ。


 じっと息を詰めて、ジールフィリッド王の顔を見つめる。


 断るか、それとも長年の悩みを解決するために頷くか――。


 そのイーリスの視線の前で、しばらくジールフィリッド王は、腕を組んだまま眉を寄せて考え続けた。


 その間にも、うしろでは兵たちが互いに囁き続けている。


「おい、本当にこの不毛の土地が生まれ変わるのか?」


「だったら、俺の出身の村も、近くがこんな土地ばかりで兵隊になるしか食べていく方法がないから、すごく助かるんだが……」


 ざわざわと兵たちがざわめいている。寒冷な気候で、泥炭地ができやすいガルデンでは、この土地はそれだけ大きな問題だったのだろう。


 腕を組んだまましばらく考え続け、やがてガルデン王はフッと息を吐いた。


「わかった。婚約の解消は許さないが、ほかのイーリス姫の家族たち同様、フレデリング王子もリエンラインに行くことは認めよう」


(やった!)


 その言葉に、心の中で拳を握り締める。


(これで、お兄様も一緒に助け出せるわ!)


 これでみんなリエンラインへと来ることができる。


 思わず、リーンハルトを見つめた。


「リーンハルト……!」


「ああ、やったな!」


 そして、すぐに前にいるシールフィリッド王へと向きを変える。心からの喜びが、イーリスの顔に素直に喜びとなって広がっていく。だから、満面の笑みで、イーリスはジールフィリッド王を見つめた。


「ありがとうございます! それならば約束どおりお教えいたしますわ」


 そう言うと、昔読んだ本のページを頭の中に思い浮かべながら言葉を紡いでいく。


「ほかの場所からの土を入れる前に、先にこの土地の水を抜く排水路を作るのです」


「排水路を?」


「はい。ここはもともとは湿地なのです。そこに分解されない植物がたまって、泥炭地となりました。だから、まずは素焼きの管を地中に通し、排水路を作って、土地の水分を抜いてやる必要があるのです」


「地中に管を……!」


 思いもしなかったという顔だ。


「そのうえで、先ほど話した客土という土を加える作業を行ってやるのです。もちろん、これでは農地となった時に、必要な水がなくなるので、同時に作物を育てるための水を運ぶ新たな用水路も作ってやらなければなりません」


 そうすればとイーリスは微笑む。


「ここを作物の実る土地へと変えることができるでしょう――!」


 そう話せば、周り中の兵士たちの顔が明るくなっていく。


「ガルデンにたくさんある不毛の土地が、作物が育つものに……!」


「そうなったら、俺の両親ももう少し生活が楽になるかも……!」


 実際、これを行うとすれば、大工事になるだろう。だが、これならば、ガルデンに直接の軍事力となるものは与えずに、民の生活を豊かにできるはずだ。それに、これだけの工事を行う期間、ガルデンは他国へ頻繁に攻め入る余裕もなくなるだろう。


 そのイーリスの話を聞き、ガルデン王は腕を組んだまま小さく息をついた。


「なるほど。今まで思いもしなかった方法だ」


「では、約束どおり私の家族を渡していただけますね?」


「約束だ。仕方がないだろう」


 その言葉に、喜びが満ちてくる。


(やっと、お父様やお母様、ニックスに会えることができる――!)


 そして、優しかった兄を取り戻すことができる喜びが心に溢れてくる。


「あ、でも行うのは、本当に民たちが耕していくことができる土地だけにしてくださいね。この土地は、食料を作ることはできなくても、目に見えない形で私たちに貢献してくれていますので――」


 温暖化の面からだが、心配して口にすると、ガルデン王は少しだけ目を瞬いて、頷いている。


「心配しなくても、行うとしたらガルデンで農業ができる南だけだ。作物が育ちにくい場所までそんな大工事をしても意味がない」


 それよりも、とジールフィリッド王が口を開く。


「もう少し、工法についての詳しい話を聞きたいのだが」


 その言葉に、リーンハルトが二人の間へと進み出る。


「それについては、イーリスの家族と会わせてもらってからお伝えすることにしよう」


 話だけ聞いて、家族の身柄をやはり引き渡さないなどとは言われないように、リーンハルトが牽制をしている。


 リーンハルトの言葉に、ガルデン王が忌ま忌ましそうに眉根を寄せた。


「わかった。では、そのあとでなら、イーリス姫も教えてくれるな?」


「ええ、それは必ず――」


 この泥炭地の土壌改良についての詳しいところは、もう少しある。だけど、それを教えるのは、家族の身柄を取り戻してからのほうがいいとリーンハルトに事前に伝えられていたとおりに、その言葉に頷く。


 その返事を聞いて、ガルデン王も諦めたように頷いた。


「ならば、近くまで連れてきているイーリス姫の家族を、早速ここへと迎えにやろう」


 ――ついに家族と会うことができる!


(お父様、お母様、ニックス!)


 六年前に別れた懐かしい面影が脳裏に甦ってくる。


 背を翻していくガルデン王の姿を見つめ、リーンハルトが泣きそうな顔になっているイーリスへと声をかけた。


「イーリス」


「ありがとう……! 全部、リーンハルトのおかげよ」


(まさか、また家族と会うことができるなんて――!)


 いつか会えたらと念じていたが、こんなに急展開で叶うとは思わなかった。


 あまりの嬉しさに、頬にぽろぽろと透明な涙がこぼれてくる。


「ありがとう……!」


 どれだけ嬉しいか――。


「ああ、本当によかった……」


 思わず抱きついてしまったイーリスの背中を、リーンハルトはいつまでも優しく撫で続けてくれた。


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― 新着の感想 ―
イーリスの前世知識、役にたつなぁ!泥炭地って、そういうものだったんですね!こちら世界の私も、勉強になりました!(笑)
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