第116話 直接対決①
翌日、太陽が東の空から穏やかに昇り、世界を白い光で包みだした頃、イーリスとリーンハルトは、ガルデン王と対峙していた。
今日二人が案内されたのは、明るい日差しが、壁にかけられた多くの絵を照らす一室だ。
飾ってあるのは、おそらくこのガルデンのいろいろな場所の風景なのだろう。国境すぐ側の城だから、今までに赴任した将軍たちが、故郷を懐かしんで飾っていたのかもしれない。
そこにコの字形に置かれたテーブルの一番右奥にリーンハルトとイーリスが座ると、そのテーブルの左側にガルデン王が着席した。
そして、その席から見て、左側にリエンラインの特使たちが、右側にガルデンの交渉団が座っていく。
全員が揃ったのを見て、ジールフィリッド王が、緑のビロードの椅子に座るリーンハルトへと視線を寄越した。
「昨夜は、よく眠れたかな?」
(隙があれば焼き殺そうとしていたくせに、よくも抜け抜けと――)
さすがにこの発言の図太さには呆れるが、それを聞いたリーンハルトは隣で薄く微笑みながら返している。
「おかげさまで――と言いたいところだが、恋する女と一緒に夜を過ごして、そうはいかないのは、おわかりいただけるだろう」
(ちょっと! どうして、私たちの間に、なにかがあったような言葉を返しているのよ!)
それでは、まるで二人の間に昨夜なにかがあったみたいではないか。確かに、夜遅くまで話し込んでいたのは事実だ。だけど、それは今後のことを相談していたからだったのに――。
焦る前で、リエンラインの副使たちが、なぜか顔を輝かせている。
「ははっ、そうか。ベッドが一人用では、確かに狭くて寝苦しかっただろう。窮屈な思いをさせたのは、申し訳なかった」
(しかも、相手はわざと意味を変えているし!)
絶対に、両方確信犯だと思うが、その前でリエンラインの副使たちは、なぜかそちらかとがっかりしたような顔をしている。
(本当に、この副使たちグリゴアの配下ね……)
こんな状態でも、なんとかして一刻でも早く、二人にきちんとくっついてほしいと考えているのが丸わかりだ。どれだけ、派閥の長であるグリゴアが、そのことについて口にしているのか――。
考えると、思わず頭が痛くなったが、その前でリーンハルトはさらりと返す。
「いや、逆にそのおかげで、イーリスとこのうえなく密着してすごすことができた。ガルデン王の無言の配慮には感謝しよう」
どうやら、リーンハルトもジールフィリッド王に対しては、一歩も引く気がないみたいだ。
一瞬二人の視線の間で火花が飛んだように感じたが、先に面白そうな笑みを浮かべたのは、ジールフィリッド王のほうだった。
「それはなにより――つまり、最低限、ガルデンの寒さで風邪を引くことはなかったわけだ」
ほうほうと頷いている副使たちの顔に、あとでなんと説明をしたらいいのか――。絶対に、少しは進展したかもしれないと喜んでいる。たしかに、寄り添って寝たけれど、それは、夜中に敵襲があるかもしれないから、いつでも互いを守り起こせるようにする体勢だったためだというのに。ましてや、敵襲があったときに備え、天蓋を下ろしたベッドの周囲には騎士たちが立ち、夜通し警護をしてくれている状態だった。
だから、それ以上はないはずなのに――。
(あれ? でも、抱き寄せられていたのは、本当にそれだけだったのかしら?)
今になって、ふと疑問に思うが、少なくともイーリスはそのつもりだった。
「しかし、それならば本題に入っても問題はなさそうだ」
そのジールフィリッド王の言葉で、一瞬で机に並んでいた双方の者たちの表情が変わる。
「リエンラインからの申し出は、ガルデンで過ごしていただいている故ルフニルツ王国の王族の引き渡しだったな」
「そうだ」
間髪を置かず、リーンハルトが返す。
「ならば、ガルデンとしての回答は昨日伝えたとおりだ。ノルッシュバル地方の割譲――これならば、一国の王族の身柄ともひけは取るまい」
その言葉に、リーンハルトがアイスブルーの瞳で、燃え上がる炎のような髪をした男の顔を見つめる。
「ノルッシュバル地方は、リエンラインの鉄鋼業の要衝だ。あいにくだが、頷くことはできん」
「ほう――」
一歩も引かない眼差しに、面白そうにガルデン王が笑みを浮かべる。おそらく、断ることなど、予想どおりだったのだろう。
「代わりに、こちらで捕らえている戦争捕虜の解放に加え、現在一部でしか行われていない皮革製品と医薬品材料の輸入枠拡大ではどうだろうか? 長い目で見れば、両国の産業の発展にもなる提案だと思うが――」
戦いがあったために、両国の商工業の行き来は、本当に限られたものとなっている。現在は、北部の商人たちが、互いの国を行き来した際にもたらしているわずかな量しかないが、これをもっと大規模に行うことを認めれば、ガルデンの経済にもリエンラインの民たちのためにもなるだろう。
戦争のための資金とはならずに、経済的な効果を上げさせるためだったが、それにガルデン王は面白そうに微笑んでいる。
「悪くはない提案だが――イーリス姫の家族と引き換えにするには、少々物足りないな」
そして、ガルデンとしての答えを返す。
「我が国としては、故ルフニルツ王国の王族を引き渡すのならば、ノルッシュバル地方の割譲。もしくは、それに見合うだけの土地か金額との引き換えを要求する」
(言った……!)
今、ガルデン王の口にした言葉に、側にいるリーンハルトと目で見交わす。
「もっとも――」
だが、そのあとに続けられた言葉に、すぐに瞳はジールフィリッド王の緑の目へと引き寄せられた。
「ご家族に代わり、イーリス姫がこのガルデンに残り、俺の妻になってくれると言うのならば、話は別だが?」
「なっ……!」
咄嗟にそれを聞いたリーンハルトが、顔色を変える。
「それはイーリスを妻にしたいということか!?」
「そうだ。独身に戻られるのならば、別に俺が伴侶に立候補しても問題はないだろう? そうすれば、ルフニルツの民たちにも、元王家の者を大切にしているという姿を見せることができるしな」
「イーリスは渡せん! ルフニルツの民にというが、貴様が言っているのは要するに民たちへの人質だろうが!」
「おや、異なことを。俺は今回会って、心の底からイーリス姫を妃に迎えたいと思っている。できれば六年前――結婚される前に出会えていれば、一番よかったのだが。実に残念なことをした」
「よくも、イーリスにそんなことを……!」
椅子から立ち上がりそうになっているリーンハルトの姿に気がつき、慌てて右手でその左腕を押さえた。
「リーンハルト……!」
その声にハッとしたように、リーンハルトがイーリスへと振り返る。
「乗っては駄目よ」
これは、きっとこれまでと同じように挑発をしているのだろう。今までにも惑わすようなことを言われてきたが、きっと目的はこの話を終わらせるためなのだ。
だから、金色の瞳をジールフィリッド王へと向けると、真っ直ぐに見つめた。
「ジールフィリッド王、私はたしかに一度離婚することにしました。ですが、次の伴侶はリーンハルト王と決めております」
だからと、その緑の瞳を見つめながら続ける。
「結婚をし直すと決めたとはいえ、新たに別の誰かの許へ嫁ぐという考えはもってはおりません。ですから、光栄なお申し出ではありますが、お断わりさせていただきますわ」
きっぱりと言い切った。そう言うと、なぜか副使たちの顔が、いっせいに明るくなっていく。
だが、その返事にジールフィリッド王の眼差しは、明らかに鋭くなった。
「残念だ。姫が妃になってくれれば、すべてが丸く収まったものを――」
そう話す瞳は、なんと不穏な輝きを持っていることか――。
見ている前で、ゆっくりとその唇の端がつりあがっていく。断らせるのが目的なはずなのに、どうしてそこまでこちらを突き刺すように見つめているのか――。
「では、交渉は決裂ということだな」
「いえ、そうではありませんわ」
終わらせようとする相手の言葉にかぶせるように、急いで否定の声を続ける。
そして、リーンハルトを見つめた。
「先ほど、ジールフィリッド王は、リーンハルト王にノルシュバル地方の割譲に見合うほどの土地か金額とおっしゃいましたわね?」
事前に打ち合わせて、おそらく相手がこう考えているだろうと予測したことを、リーンハルトが明言させるように仕向けた言葉を確認する。
その姿に、ジールフィリッド王が、わずかに不思議そうに首を傾けた。
「確かに言ったが……。だが、それを用意できると言うのか?」
もちろん、相手の戦力とされるようなものを渡すわけにはいかない。だが、これならば――。
家族を助け、そしてガルデンの民たちも助かることになるはずだ。
だから、イーリスは笑った。
「ええ――もちろん、それに見合うだけのものをガルデンにお与えいたしますわ」