第113話 六年前のもう一つの事実②
ダン、とガルデン王の前の床に、フレデリングの体が叩きつけられたのは、捕まってから何日もがたった後だった。
「ふん、そいつらが報告のあったルフニルツの兄弟たちか」
響いた傲慢な声に目を上げれば、投げ出された床の前では、燃えるような赤い髪をした男が、豪華な緋色の椅子に座り、こちらを面白そうに見下ろしているではないか。
「はい、ルフニルツの宮廷を過去に訪れたことのある者たちで首実検をしたところ、ルフニルツの王太子とその弟で間違いがないということです」
「フレデリング! ニックス!」
捕らえられた二人の姿を見て、先に部屋に連れてこられていた父と母が、真っ青になっている。
おそらく二人が捕らえられたことは、今まで両親には知らされていなかったのだろう。ここに連れてこられるまで、フレデリングとニックスは、共に窓のない塔の部屋に長く閉じ込められていたので、捕まってから何日がたったのかは、兵士の交代のタイミングぐらいでしか推し量れなかったが――。
それでも少なくない日数に、急いで父と母を見ると、最後に会った時よりも、かなりやつれているみたいだ。逃げ出せないように手かせをはめられ、周囲を騎士たちに囲まれている。だが、今見た限りでは、大きな傷などはないようだ。それでも、二人の着ている服が別れた時のそのままで、薄汚れていることからも、今まで両親に与えられていた境遇が察せられる。
「父上、母上……」
しかし、両親の姿に気がついたニックスは、泣きそうな声で、フレデリングに縋っていた後ろからそちらを見つめた。
その前で、侵略してきたガルデンの王は、緋色の椅子に座ったまま、じっとこちらを見下ろしているではないか。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ふん、金色の瞳と金色の髪を持つ子供という話だったが、ルフニルツの王位継承の条件である真正の二重の金を持っているのは、兄のほうだけか」
そして、壁にかけられていた幼い頃の王家の家族の肖像画を見つめた。
「ああ、あと娘も、二重の金を持っていたのだな。――惜しいことをした」
その瞬間、なぜかガルデン王の緑の瞳が、じっとイーリスの姿を見つめたような気がした。その姿に、側にいた将が声をかける。
「どういたしましょうか? ルフニルツには、王を慕っている民たちも多いようですが」
その言葉に、咄嗟に、自分たちがこの場になぜ引き据えられたのかを悟る。おそらく、今これからルフニルツ王家に属する者たちの処遇を決めるのだろう。
思わず父と母と、弟の姿を見つめた。
「そうだな」
その前で、征服者の男は、ゆっくりと緋色の椅子に背中を預けていく。
「ルフニルツの地方の領主たちも、ほぼ制圧した。ならば、生かしておくのは、二重の金を持つその男と長男のほうだけでよかろう」
その言葉が、誰のことを指しているのか――。咄嗟に、自分と同じ髪と瞳の色を持つ父親の姿を見つめめる。
(では、ニックスと母上は――)
目を開き、息もできないほどの緊張に、幼い弟の姿をぎゅっと抱き締める。同時に眼差しを動かし、ニックスと同じ金の髪と緑の瞳を持つ母の姿を見つめた。
「では、王妃と弟のほうは――」
将の声に、座ったガルデン王が傲慢な眼差しで声を放つ。
「不要だ。確実に真正の二重の金を持つ者を産めるのならばともかく、そうではないのなら、スペアは一人いればいい。残りはすべて処刑しろ」
その言葉に、腕の中の弟をさらに強く抱き締める。
どうしても弟を奪われたくはないのに、抱えた幼い温もりは、側にいた騎士たちの荒々しい手の動きによって、強引に体から引き離されていくではないか。
「ニックス! 母上!」
「兄上!」
「あなた!」
互いに叫びながら見つめれば、止めようと手を伸ばしたフレデリングと父の前で、ニックスと母が、騎士たちによって無理やり連れ去られていこうとしている。母の腕にはめられた手かせの鎖が引っ張られて、騎士たちの足取りとともにじゃらっと鳴った。それと同時に、弟の泣き声も部屋中に響き渡る。
「兄上、父上!」
ガルデン王の言葉で、幼いながらニックスは、これから自分に訪れる未来がなにかわかったのだろう。泣いて叫びながら、必死で足を床へと突っ張り、連れていかれるのを少しでも阻止しようとしている。そして、手を開き、こちらへと伸ばしてきた。
「助けて、兄上、父上!」
「お願いです! 私はどうなってもかまいません! だから、どうかこの子だけは……」
弟と一緒に連れていかれる母が、腕の鎖を騎士たちに引っ張られながら必死で振り返り、ガルデン王へと嘆願している。
「この子は、まだ幼いのです! 反抗することなどとてもできません! だから、どうか――」
新緑色の瞳を開き訴えた母の言葉にも、ガルデン王はゆっくりと薄い笑みを浮かべていく。
「ふん、今は幼くても、十年後には成長するだろう。不要な者を、災いになるかもしれない可能性があるのに、わざわざ生かしておく必要はない。それに、それだけ幼い者でも、ガルデンには容赦なく首を切られると示せば、征服したルフニルツの民たちも震えあがるだろう」
そう話すと、残酷に騎士たちに命じる。
「弟の首から切れ! そして、ここの門に吊り下げろ!」
「ニックス!」
「父上、兄上!」
処刑方法を告げられたニックスが、泣きながら必死でこちらへと手を伸ばしている。その姿に、フレデリングは、弟を連れていかれるのをなんとか止めるために駆け寄ろうとした。しかし、すぐ側にいる騎士たちに前を塞がれて、追いかけることができない。
なんとか抵抗している弟の側へ行けないかと、騎士たちの隙間を必死で探し、その体の間をくぐりぬけようとする。
だが、あまりにも歩かない弟に焦れたのだろう。フレデリングがそこを突破するよりも早く、ニックスの手を引いていた騎士が、その幼い体を抱え上げると、そのまま大窓から庭へと連れだし、置かれていた木の台に、ぐいっと頭を押さえつけたではないか。
少し中央をくぼませて作られているその台は、まだ新しいのに赤く染まっている。雨上がりでも落ちない黒みを帯びたその色が意味していることはなになのか――。
「ニックス!」
このままでは、弟が殺されてしまう。
すでにここで行われていたことを悟り叫んだが、木の台に押さえつけられた弟は、その冷たさに一瞬泣くのを止めた。だが、目の前を染めている赤いものの正体に気がついたのだろう、ふただひ、火がついたように泣き出した。
「兄上、父上っっ……助けてっっ……!」
もう一刻の猶予もない!
「お願いです! なんでもしますから、どうか弟と母の命を――。いや、見せしめが必要ならば、私の首を門に飾ってください!」
方向を変えて、身を投げ出すようにして、今も椅子に座ったまま処刑を眺めている男に頼み込む。
だが、そのフレデリングの姿に、ガルデン王は薄い笑みを浮かべた。
「なんでもというのは魅力的だが……。あの弟では、王太子の代わりにはなりそうにはないからな」
ふむと考えこんでいる。
だが、その間にも、弟の側に立っていた騎士は、処刑を執行するために、兵士にニックスの体を委ねると、庭の端に置かれていた斧を持ってくるではないか。騎士が一歩弟に近付くたびに、雨で濡れていた地面が、ぴちゃりと音を立てる。まるで血だまりの中を歩くかのように――。その音に、再度ガルデン王を見つめた。
「お願いします! なんでもいたしますから――!」
(嫌だ、ニックスを殺されたくない!)
生まれてから今まで、ずっと一緒に育ってきた。イーリスと三人で大きくなってきた記憶は、フレデリングにとって宝物だといっても間違いはない。だから叫ぶように頼んだが、そのフレデリングの姿に、ガルデン王は酷薄に眼差しを寄越す。
「なんでも? それならば、死んだ者と話すことができるか?」
「そんなこと――できるはずが……」
返された言葉に、一瞬詰まった。だが、その言葉にガルデン王は、冷たい笑みを浮かべていく。
「ふん、ならば、それが本当にできないのかどうか、お前の弟で試してみることにしよう」
そう告げると、もう話すことはないというように、再度処刑の場を見つめていく。その緑の視線の方向に、フレデリングの眼差しも動いた。
もし、あの斧が掲げられ合図をされれば、弟の命は次の瞬間に終わってしまう。それだけに、口からは血を吐くような叫びがほとばしり出る。
「ニックス!」
台の上に押さえつけられている弟の姿に、父も側で目を開き血の涙を流すような眼差しを向けた。
暗い雲間から出てきた日差しに、持ち上げられた斧が金属の鈍い輝きを放つ。ぎらりというその灰色がかった輝きのなんと禍々しいことか。
そして、騎士が振り下ろすための最後の確認として、ガルデン王の姿を眺めた時だった。
突然、ダンという音が響く。
だが、それは庭ではなく、視線とは反対の入り口の扉の方角からだった。驚いて視線をやれば、開け放たれた扉からは、汗を流した騎士が大急ぎで駆け込んでくるではないか。
「陛下! 国境にリエンラインの騎士団が現れたという知らせが――!」
「なに!?」
突然の報告に、ガルデン王の緑の瞳が大きく開く。それだけ驚いたのだろう、同時にガタンと椅子から立ち上がった。
「リエンラインは、国内が洪水でごたついているのではなかったのか!?」
「そのはずですが……」
答える騎士の声も、思わぬ事態に戸惑っているかのようだ。だが、その背後からはまた別の騎士が駆け込んでくる。
「陛下! トロメンやリンゼルツ、レンニルツの方角からも、狼煙で国境に敵軍が現れたという知らせがきました!」
「なんだと!?」
次々と飛び込んでくる知らせに、今まで悠然と構えていたガルデン王の瞳に、明らかに愕然とした色が浮かぶ。
「どういたしましょう!? これだけ多くの場所で、同時に戦が起こるとなると、物資の補給が追いつきませんが……」
いくらガルデンが強く、あちこちの国から領土をもぎ取っているとはいえ、それは戦闘時の補給の体制がきちんと整っていてこそだ。
同時に多くの場所で戦闘となり、そこに絶え間なく兵士や物資を補給し続けることとなれば、あっという間に国内は枯渇してしまう。
「くそっ!」
だんとガルデン王の拳が、さっきまで座っていた椅子へと叩きつけられた。
「処刑は中止だ……!」
苦々しげにその言葉が唇から出てくる。
「リエンラインが絡んでいるのなら、やってきた目的はルフニルツとその王族についてだろう。結果が出るまで、逃がさないように閉じ込めておけ!」
そう叫ぶと、この事態に対応するために、急いで周囲の者たちを引きつれて、忌ま忌ましそうに部屋から出ていく。
その姿に、今までフレデリングを阻止していた騎士たちが、弟の側へと駆け寄るのを許してくれた。
「ニックス!」
窓から急いで外へと飛び出る。そして、少しぬかるんだ地面の泥を跳ね上げて、雲間から差す光の中を必死で弟の側へと走っていく。
「兄上……」
「聞いたとおりだ、処刑は中止だ!」
そう叫ぶと、まだ断頭台に押さえつけられていた弟の体を、騎士たちから全力で奪い返した。
ぎゅっと抱きしめると、弟の体は、今も血が通っていて温かい。心臓が、トクントクンと抱えた腕の中で打っている。その響きが、どれだけ嬉しかったか――。
「兄上ぇ……!」
泣きながら、呼びかけてくれる声さえもが嬉しくて堪らない。
だから、さらに強くぎゅっと抱き締めた。
「もう大丈夫だ! 来てくれたんだ、約束どおりリエンラインが――!」
「イーリスお姉様の国が……来てくれたの!?」
イーリスへの呼び方は、昔のままだ。しかし、聞いたその言葉に涙を流しながら何度も頷く。泣いている弟の体の温もりを感じながら、フレデリングの涙のこぼれ続ける頬に、切れた黒い雲の間から優しく太陽の光が降り注いだ。