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第102話 前哨戦①

 イーリスとリーンハルトたちが、やってきたガルデン王の家臣に案内されて通されたのは、重厚な城の一階にある瀟洒な広間だった。


 城のいかめしさに比べて、この室内の壁には美しい緑が使われており、外がまだ寒々しい気候でも、部屋の中は、どこか夏の梢を思わせる色になっている。


「こちらにどうぞ」


 そう言って案内されたのは、部屋に入ってテーブルの一番奥にある左側の席だった。最も上座になる席にリーンハルトが、そしてその隣側にイーリスが案内されて座る。リーンハルトの向かいの席についたのは、この城へと招いたガルデン王ジールフィリッド。そして、その隣には少し遅れてやってきたイーリスの兄フレデリングが座った。


 かたんと小さな音で椅子に腰かける姿を見ていても、まだ夢のようだ。


(本当にお兄様だわ……)


 小さい頃と同じように、椅子を引いてくれた給仕の者にも爽やかにお礼を述べている。


「ありがとう」


 些細なひと言だが、ふだん貴族からそんな礼を言われることのない使用人たちにしてみれば、驚いたのだろう。びっくりした顔で、頭を下げて恐縮している。


(お兄様ったら、小さい頃と変わらないわ……)


 ルフニルツの宮殿では、みんな顔見知りだったから、兄は些細なことでも、自分のためにしてくれた行為には感謝を示していた。きっと、それはこのガルデンに来てからも変化せずに成長してきたのだろう。


 肩にかかるさらさらとした金色の髪。背は昔よりもだいぶ高くなって、顔立ちもすっかり大人のものになっている。だが、優しくて人を思いやる性格は変わらないようだ。


「イーリス姫は、久々の兄上との再会だったと思うが、話はできたかな?」


 給仕係が料理を用意している間、ジールフィリッド王がイーリスとフレデリングの様子を眺めながら尋ねてくる。


「はい、ご厚意に感謝いたします。おかけで、六年ぶりに兄と話すことができました」


 そうだ、夢のようだが、これは夢ではない。この六年の間、イーリスは夢の中で、何度も現れた兄に話しかけてきた。


『お兄様、ガルデンでは大丈夫?』


『そちらの住まいでは、寒いことはない?』


 夢の中でも、フレデリングはイーリスに心配をかけたくはなかったのか。いつも大丈夫だよ、と笑って頭を撫でてくれていたが、それが自分の願望でしかないことは、イーリス自身がよくわかっていた。


 だけど、本当に今は目の前に、兄が元気な姿で座っているのだ。今の言葉にガルデン王のほうを眺めている兄の顔を見られるだけでも嬉しい。知らない間に、イーリスの顔にその気持ちが表れていたのだろう。


「そうか。イーリス姫のそんな嬉しそうな顔が見られれば、彼をここへ連れてきた甲斐があったというものだな」


「お心遣いに感謝いたします」


 嘘ではなく、心の底からそう言った。


「いやいや、姫のそんな幸せそうな顔が見られると、連れてきた俺も実に気分がよくなる」


「イーリス」


 目の前で、イーリスに対してあまりにもにこにこと笑いかけているガルデン王の様子が気になったのだろう。リーンハルトが、横にいるイーリスに小さく注意を促すように声をかけてきた。


「わかっているわ」


 いくら嬉しくても、警戒を決して忘れてはいけない相手であることは。


 迂闊にここで気を抜いて、相手の思うように交渉を持っていかれては、折角出向いてきた意味がない。


(そうよ、お兄様の無事が確認できたのですもの! それならば、次は家族のみんなが、受け取っていた便りのとおりつつがなく過ごしているのかを、先ず確認して――!)


  元気が出た心で握りこぶしを作った。今目の前に座っている兄の様子では、昔となにかが変わったような気配はないが、家族が捕らえられているのは油断のできないガルデンなのだ。


(それから、なんとしても、家族を解放してもらわなければ――!)


 心で作った握りこぶしに力をこめ、眼差しを上げる。


 すると、こちらを眺めていたガルデン王と視線が合った。


 その瞬間、にこっと笑いかけてくる眼差しは、本当に今イーリスが喜んでいる姿が嬉しいかのようだ。


 投げられてくる雄々しい笑みは、世間の多くの女性ならば見惚れてしまうものだろう。


 しかし、その凜々しい笑みに、思わずイーリスは引き攣ってしまった。


(危ない……。ひょっとして、こうやって気を緩ませて安心させようとするのも、ガルデン王の作戦のひとつなのかしら)


 ――こちらを油断させた隙に、懐に飛び込み好意を得て、これからの交渉を有利に運ぼうという……。


 まさかとは思うが、交渉前のやりとりからして、この王は油断ができない。


 実際、今の時間行っているのは、一見すると両国の和やかな会食のようだが、実務を担っている交渉役は、すでに別室に入り、互いの主張を戦わせている。


 交流を深めるためのものにも見えるこの会食は、真実は、国のトップ同士が会談するにあたっての前哨戦のための時間。だらだらと終わりの見えない会談を、忙しいトップ同士で繰り広げるわけにはいかない。そのため、ある程度事前に双方の交渉役で折衝して、折り合える点を見つけるために設けられている、この世界での外交慣例の時間だ。


 その故、一緒に来ているヴィリは、ほかの折衝を担う者たちと共に、すでに交渉役として別室へと入っていっている。


(だけど――本当に、外交経験の少ないヴィリで、大丈夫なのかしら?)


 ふと頭をよぎった不安に、先ほどここへ来る前に、案内の者が教えてくれた交渉役の部屋のほうを、ちらりと見つめた。


 もっとも、その経験値の低さを埋めるために、グリゴアが外交交渉に手慣れた者たちを何人も今回副使としてつけてくれている。それにヴィリの性格を考えれば、相手に、簡単に手玉に取られるようなことはないはずだ。


 実際、燭台が灯されたその部屋を今窓から眺めれば、少しずつ暮れていく夕闇の中で、盛んに議論を交わしている人影がガラスに映っている。


(先ずは、この交渉の結果を聞いてから――というところね……)


 ガルデンが、イーリスの家族の解放について、どんな条件を出してくるのか――。


 あれだけ念入りに交渉を挫折させようとしていたのだ。先ず、簡単にはいかないだろう。


 目の前に座っているジールフィリッド王に直接ガルデンとしての条件を聞いてみたいところではあるが、そうすればリーンハルトにも王としての正式な返答が必要となる。考える時間もなしに、この場で、大きなリスクを背負うことはできない。


 それは相手も同様だからこそ、この時間が設けられている。実務者を交えた水面下の第一折衝で、互いに相手がどんな言い分を持ち出してくるのか――。


(どうにか、こちらの提示する条件を呑んでくれればいいのだけれど……)


 そう素直にいくかどうか――。


 ガルデン王の顔を見ながら、そう考えを巡らしていると、その間に給仕がイーリスたちの席へと料理を運んできた。


「失礼いたします。リエンライン国王陛下とその御婚約者イーリス姫様の給仕を勤めさせていただきます」


 ふたりの女性が、カートを奥へと置き、ぺこりと頭を下げる。


「ああ、ありがとう」


 気がついて、イーリスも兄と同じく気軽にその女性たちへと礼を述べた。すると、顔を上げたふたりの女性たちが、ひどく驚いた顔をしている。


 まさか、敵国リエンラインの者からお礼を言われるとは思ってもいなかったのだろう。


「い、いえ、これが私どもの仕事ですので」


 驚きのあまり、相手が慌てたように言葉を返している。余程意外だったのか、リーンハルトの席に運んできた料理を先ず用意しようとしているが、手が少しうろたえているようだ。


 今回は、最初にテーブルにほぼ全種類の料理を並べるガルデン式だから、置く場所があらかじめ和食のように決まっているのだろう。


 まだ少し焦った顔をしながら、ひとつひとつの食器を確かめるようにして、女性が、美しい銀食器をカートから持ち上げ、リーンハルトの前に並べようとしている。その時だった。


「ところで、リーンハルト王」


 リーンハルトの斜め前に座っていたフレデリングが、急に口を開く。


「君は、六年前にイーリスと結婚して、今度またもう一度結婚するそうだな?」


 突然ふられた話題にドキッとする。


「その予定ですが」


 急な話題に、リーンハルトも少しだけ当惑しているようだ。答えるアイスブルーの瞳が、探るようにフレデリングを見つめる。


 すると、その瞳に、にこっとフレデリングは笑いかけた。


「それならば、過去においても、未来においても、私は君の義兄になるというわけだ。では、リーンハルト王。義兄としてのお願いだが、その皿を、先に年長者である私の席へ並べてはもらえないだろうか?」


「お兄様!?」


(王であるリーンハルトよりも先にお兄様に!?)


 フレデリングの突然の無礼極まりない申し出に、驚いたイーリスの口からは思わず言葉が飛び出していた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 毒かな?
[一言] 「お兄様!?」 …イーリスと一緒に、思わず、言ってしまいました…。(笑)
[一言] 毒ゥ!
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