第93話 ガルデンからの返事②
ヴィリが出発してから、イーリスは、毎日そわそわと落ち着かない気持ちで待っていた。
(本当にヴィリがきちんと私の家族について、交渉をしてくれるのかしら?)
何度もその言葉を心の中で繰り返したが、今はヴィリを監視している者を信じるしかない。
(陽菜がこの世界に来たばかりの頃も、すぐにあちこちにかけ合って、次の王妃候補にまでしようとしていたヴィリですもの。交渉能力は低くはないはず……!)
ただ、それが一度ヴィリが命を狙ったイーリスのために使う気になるのかどうかというところが、安心できないだけで。
(ううん、ヴィリだってその場で手足を切り落とされたくはないはずよ。それに、あれだけ野心家なのですもの。自分の望みが叶うのならば、それが私の家族のためになることでもかまわないはず……!)
実際、かつて命を狙ったイーリスに、自分を側近にしてほしいと堂々と言い放ったこともあるほどだ。
己の野心のためならば、ヴィリ自身が言っていたとおり、仕える対象が陽菜でもイーリスでもかまわないのだろう。そう考えれば、グリゴアの配下としてとはいえ、国王の直属の一団に加われるのだから、ヴィリにとってはかなり良い話なはずだ。
(だから、大丈夫だとは思うのだけれど……)
心の中では、何度もそう自分に言い聞かせるのに、気がつけばまた同じことを考えている。
ふうと、小さな溜め息が、唇からこぼれた。
「イーリス」
その様子に気がついていたのだろう。
王妃宮の居間で、目の前の椅子に座っていたリーンハルトが、そっと優しく手を伸ばしてくれる。
「大丈夫だ、きっと君を家族に会わせてやる」
「リーンハルト……」
握られた手に目を上げれば、前に座っていたリーンハルトが、元気づけるようにこちらをジッと見つめているではないか。そして、アイスブルーの瞳が、優しく細められた。
「ずっと君に我慢をさせていたんだ。今度は、どんなことがあっても、必ず俺が家族に会わせてやる」
そう手を握りながら、力強く言ってくれるだけで、どれだけ心が励まされるか。
だから、今まで抱えていた悶々とした気持ちを忘れて、その瞳を見つめ返した。
「ありがとう。そうね、リーンハルトがここまで手を打ってくれたのですもの。それに、リーンハルトの本気を見せられたグリゴアが、ヴィリの監視を怠るとは思えないし」
きっと大丈夫――そう思いながら、アイスブルーの瞳に微笑み返す。
少し表情が明るくなったイーリスの姿に、ホッとしたのだろう。
リーンハルトが、目の前のテーブルに置かれていたデザイン画の中から一枚を持ち上げた。
「ああ、だからここにあるドレスを着た君の姿を、再婚式でぜひご家族に見てもらおう」
――一度目の結婚式には、イーリスの家族は出席できなかったから今度こそ、と元気づけてくれるリーンハルトの言葉が嬉しい。
「そうね。それなら、少しでも用意を進めておかないと――」
結婚式とはいえ、二度目なので国賓などを招く華々しいものにはしない予定だ。だが、国王の結婚という祝典には違いないので、宮廷では披露目の宴などが開かれる見込みになっている。
家族に、神殿の式と、そのあとの披露宴に出席してもらえたら、どれだけ嬉しいだろうか。
そう思い、リーンハルトから渡されたデザイン画を手に取った。
「ここにあるのを見たが、このドレスが一番君に似合うと思う。きっと、とても綺麗だと思うし――」
そう話すリーンハルトの顔は、少しだけ赤くなっている。イーリスもそのデザイン画に目を落とした。
とても美しいドレスだ。白を基調としたドレスに、金色と柔らかな紫の刺繍が施されている。レースの端にまで繊細な花の刺繍が広がり、長くうしろに裾を引く様は、これから幸せになっていく花嫁の姿そのものだ。一緒に対になっている花婿用の衣装も眺め、それを身につけたリーンハルトと自分が神の像の前に歩いていく姿を想像して、イーリスははにかむような笑みを浮かべた。
「陽菜とコリンナも、これが似合いそうだと言っていたわ……」
「ならば、間違いないな。俺もこれを着た君が、側で一緒に歩く姿を見たい」
(リーンハルトが、私の花嫁衣装を選んで、それを見たいと言ってくれるなんて……)
そのひと言で、選び抜いて候補に残したデザインの中でも、このドレスがイーリスにとって、再婚用の特別なものになってくる。
「そうね、私もこの対の衣装を着たリーンハルトの姿を見てみたいし……」
きっと幸せな一日になるだろう。お互いに、この相手の姿を待ち望んで迎える日となるのだ。そして、お互いに自分自身が迎えたかった日であるのにも間違いない。
だから、そのデザイン画を微笑んで見つめながら決めた。
「うん、では再婚の式で着るのは、このドレスにするわ」
「ああ。これを着る君を楽しみにしている」
そう甘く囁くように話しかけてくるリーンハルトの姿に頷いた時だった。
突然、扉が急を知らせるようにノックをされる。そして、廊下からリーンハルトの侍従の声が響いた。
「陛下、ガルデンに出した使者が帰ってきたそうです!」
その言葉で、すぐにリーンハルトが席を立ち上がる。
「わかった。すぐに瑞命宮に通せ」
その声を合図に、王妃宮から壮麗な天井画の描かれた渡り廊下を通り、急いで瑞命宮へと向かっていく。
「イーリス様、ヴィリが戻ったのですか?」
リーンハルトが来ている間は、邪魔にならないようにと別室に控えていたギイトも、イーリスが部屋を出た知らせを受けて、慌てて後からついてくる。
「おそらくそうだと思うのだけれど……」
早足でリーンハルトのうしろについて歩きながら、イーリスの頭の中では不安と期待が渦巻き続けている。
(帰ってきたということは、交渉がうまくいったのかしら?)
だが、先ほどの侍従の知らせでは、そのことについてはなにも触れてはいなかった。
はやるような気持ちで瑞命宮にあるリーンハルトの執務室へ着くと、侍従が扉を開けた中では、グリゴアに並んでヴィリが立っているではないか。
前に会った時とは違い、髭も綺麗に剃られ、伸び放題だった髪も昔のように整えられている。今身に着けているのはギイトと同じ位だった頃の神官服ではないが、似たようなデザインで、長身をゆったりと覆っている。
その姿を見つめ、同じように急いで歩いていたリーンハルトは、イーリスの前で息も整わないまま口を開いた。
「ヴィリ、首だけにならずに帰ってきたか」
(ちょっと、よりによって第一声がそれなの!?)
思わずうしろでイーリスが驚きながらリーンハルトを見つめたが、ヴィリは予想していたかのように悠然と笑ったままだ。
「さすがに死にたくはありませんでしたので。逃げようにも、終始監視をつけられ、一歩でも違う方向に歩こうとすれば、即座に足首を切られかねませんでしたから」
「そうか。狡猾なお前でも、さすがにグリゴアの本気の監視は逃げられなかったか」
そう言いながら、リーンハルトは、執務室の奥にある国王の机へと座っていく。そして、机の上で両手を組んで、ジッとヴィリを見つめた。
「では、ここに無事に戻ってきたということは、ガルデン王には会えたのだな。どうやって、交渉をした?」
おそらく、会えるまでは戻ってくるなと監視たちに命じてあったのだろう。探るように見つめてくるアイスブルーの瞳に、ヴィリはなんでもないことのように楽しげに話しだす。
「ただ正面から正論で突破しただけですよ。リエンラインはガルデン王の指名した交渉役を用意した。それならば、交渉の席につくのが王たる者のすべきこと。それにも拘わらず逃げ回ろうとするのは、リエンラインと正面から話し合うのが怖いからか、とね」
(ちょっと! 人の家族の命がかかった交渉で、なんて挑発をしてくれているのよ!)
もしこれで、ガルデン王が怒り、イーリスの家族になにかあればどうするつもりだったのか。
「ヴィリ、お前イーリス様のご家族があちらに囚われている状態で、なんて方法を……!」
さすがに、後ろについてきていたギイトが信じられないという顔をしている。
その様子に「はん」とヴィリが嘲りの声をあげた。
「だから、お前は世間知らずだと言うんだよ。世の中にはな、戦いが好きで、挑発されたら面白がる人種がいるんだ」
「なっ……! そんなあてずっぽうな理由で」
「当てずっぽうかどうかは、ふだんのガルデンの行動を見ていればわかるだろうが」
実際、挑発すれば面白いというように唇の端をあげていたぞ、と笑いながら、ヴィリはギイトを嘲るように見つめている。坊ちゃん育ちと眼差しで言っているようなその姿に、イーリスは、慌ててふたりの間に入った。
「落ち着いて。ヴィリはこれも面白がっているだけだから」
「イーリス様」
腕を伸ばして慌てて止める。すると、前に座っていたリーンハルトが、やっとギイトを挑発するのをやめたヴィリに厳しい声で尋ねた。
「では、命じてあったガルデン王の返書は持ち帰ってきたのだな。それさえなく、ただガルデン王を挑発して、イーリスの家族の命を危険に晒しただけなら、この国で最も恐ろしい牢へと放り込んでやるが」
鋭い瞳だ。その視線にヴィリは余裕のある様子で答える。
「もちろん、いただいて参りました」
ただ、と取り出しながら薄い笑いを浮かべる。
「こちらが読めるかどうかは、わからないそうですが」