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第87話 ガルデンからの条件②

 金色の瞳が、今までにないほど大きく開き、目の前の情景を見つめている。思わず、ごくりと喉が鳴った。


「死者を交渉役に……? それは一体、どういうこと……」


 思わず声が震えた。だが、見つめている視界の中で、リーンハルトは椅子に座ったまま、苦悩するように眉根を寄せている。


「正確には、六年前に行ったルフニルツの件での停戦協定時に、その調印式で使者を務めた者をだ。だが、当時の特使であったブラント侯爵は四年前に病で亡くなっているし、その補佐を務めたマーティン伯爵も三年前事故に遭い、その怪我が元で、残念ながらこの世を去っている」


「それは……」


 つまり、明らかな遠回しの断り文句だ。


 ガルデンとしては、イーリスの家族を解放するつもりなどないから、交渉を穏便に打ち切るための――。


 それに気がついた途端、イーリスは座っているリーンハルトの前へと駆け寄っていた。


「なにか――ないの!? ほかに、一緒に交渉団にいた人とか……」


 さすがに墓から死体を掘り返して、棺桶ごと特使として送るわけにはいかない。たとえそんなことをしても、ガルデンは特使に交渉の能力がないとして必ず会談を打ち切るだろう。


(でも、折角家族にもう一度会えるかもしれないのに……!)


「イーリス様……」


 駆け寄った必死の形相に、うしろで陽菜とギイトが心配そうに見つめているのがわかる。


 それでも、どうしてもこのチャンスを逃したくはなかった。


 前のめりにテーブルへ手をついたイーリスの姿に、リーンハルトの隣に立っていたグリゴアが、カチャリと片眼鏡を上げる。


「もちろん、陛下もそれで納得して、引き下がられるおつもりはございません。それで、当時の交渉団について、調べ直してみたのですが……」


 こほんと咳払いをした。


「あとひとりだけ、その調印式の時に、リエンラインのテーブルについていた人物がいました」


「それは誰なの!?」


 咄嗟に、グリゴアを振り仰ぐ。その前で、いつも冷静なリーンハルトの補佐役は、静かに言葉を紡ぐ。


「当時、特使たちと一緒にいたのは――ヴィリです」


 その名前に、一瞬息が止まった。


 最後に薄暗い牢屋の中で見た姿を思い出す。捕らわれて髭だらけになり、高位の神官であったとは思えないほど薄汚れた姿をしていた。それなのに、目だけは鋭さを失わず、以前と同じように爛々と輝いていた彼の面影を――。


「ヴィリが……」


 ごくりと息を呑む。


「ガルデンもミュラー教だ。だから、当時、交渉の立会人として、語学に堪能な神官を、両国からそれぞれひとりずつ同席させた。その際にリエンライン側の神殿から選ばれたのが、ヴィリだったんだ」


 眉根を寄せたまま、苦しそうにリーンハルトが言葉を紡ぐ。


 それに、グリゴアが頷いた。


「おそらくヴィリが選ばれたのは、彼が語学に堪能であることやミュラー教内にもつ人脈が広かったからだけではなく、北部の貧民街の生まれなので、ガルデンで使われるスラングにも通じていたからでしょう」


「ああ……つまり、ひそひそ話の対策に……」


 交渉ではなにがあるかわからない。ましてや、当時のガルデンとリエンラインの交渉は、イーリスの家族の命をかけたギリギリの状態でのものだった。


 リエンラインとしては、相手の特使の言葉に裏がないか、そして交わされた文書にほかの意味が含まれていないか、二重のチェックをかけるための人選だったのだろう。


「ヴィリが……」


 久し振りにその名前を聞いた陽菜が、動揺したように呟いている。その近くに立つギイトも、長い間、神殿で共に学んできた相手なだけに複雑そうな表情だ。


「俺としては、君が家族に会える可能性があるのならば、たとえそれが少しでも賭けてみたい。だが、ヴィリは、同時に君の命を狙った男だ。成功した時の特赦を条件にするにしても、君の家族の命がかかった交渉を任せるには、あまりにも危険すぎる相手だといえる」


 それは、そうだ。イーリスは過去に彼に命を狙われた。恨みや復讐などではない。自身の立身出世のために――。


 思い出すだけでも、複雑な感情が渦巻いてくる。


 少しだけ俯いた前で、リーンハルトはぎゅっと強く眉根を寄せた。


「このままでも、君の家族はこれまで同様ガルデンで平和に暮らしていける可能性はある。だが、それが永久的にだという保証はない。だから、俺は、もし君がヴィリを任じてもかまわないと許してくれるのならば、君の家族の身柄について、改めてガルデンと交渉を行いたいと思っているのだが……」


 イーリスを殺そうとした相手を信頼して、その家族の命を委ねる。選択としては、究極のものだろう。リーンハルトが苦悩するのもよくわかる。


「もちろん、ヴィリが変なことを行わないように、使節団には何重にも監視をつける予定です。もし独断でなにか画策しようものならば、その場で手足を切り落とし、身動きをできなくしたうえで、その場にいさせるだけにするつもりですし」


 さりげなく恐ろしいことを言っているのはグリゴアだ。こういうところは、かなり冷徹だ。


 グリゴアの言葉を耳にした陽菜とギイトも、さすがに顔色を青くしている。おそらく死刑になるだろうと聞いてはいたが、実際にヴィリの手足を切り落とす話を耳にすると、平静ではいられないのに違いない。


「――ヴィリを……」


 信じる。まさに、危険極まりない話だ。


(それでも……!)


 脳裏では、過去に別れた時の最後の家族の笑顔が甦る。イーリスを馬車に乗せて送り出してくれた時。そして、花畑でピクニックをしながら、遠い異国に行く娘を案じてくれていた父と母たち。淋しいよと抱きついてきた弟と、何度も頭を撫でてくれた優しい兄。


(また、家族に会えることができるのならば……!)


 今が平穏に暮らせていても、自分がまたリエンラインの王妃に戻れば、いつそれが崩れるかわからない。


 戦乱になった途端、厚遇されていた人質が一転して殺されるのは、歴史上でもよくあったことだ。脳裏に、それらのエビソードが浮かび、すぐに心は決まった。


「ヴィリに命じて! 私の家族の交渉にあたるようにと……!」


「イーリス」


「イーリス様……!」


 リーンハルトに続いて、イーリスの背後にいたギイトも驚いた顔をしている。それでも、賭けたい。


(もし、もう一度家族に会うことができるのならば……!)


 そして、昔にみたいに近くで暮らすことができるのならば。このままなにもせずにいて、いつかなにか事件が起こった時に、家族の命が危険に晒されれば、自分はきっと死ぬまでヴィリを交渉役に認めなかったことを悔いるだろう。


 だから、すぐに心を決めたが、その複雑な胸中の選択は、リーンハルトにもきっと伝わっていたのに違いない。


 一瞬薄氷色の瞳を大きく開き、ジッと泣きそうなイーリスの顔を見つめてから、深く頷いた。


「わかった。では、ヴィリにこの件を任じよう」


 そして、グリゴアへと命じる。


「今すぐ、ヴィリを牢から出し、ここへ連れてくるように――」



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