第16話 聖姫試験
間もなく聖姫試験が始まるとの知らせが届き、イーリスは取りあえずコリンナと別れると、告げられた二階の客間へと向かった。
灰色の壁には、赤い布に一角獣を描いたタペストリーが掛けられ、ここが賓客をもてなすための部屋だと告げている。
普段は、長椅子やテーブルが置かれているのだろう。葡萄の蔦を描いた絨毯の上には、今はいくつかの机と鏡が置かれて、中央に立つ五人の人物がイーリスが入ってくるのを、今かと待ち構えている。
「お待たせいたしました。イーリス・エウラリア・ツェヒルデでございます」
入ってすぐに、正面になった人物へと礼の姿勢をとる。黄色い僧服は高位神官の証し。おそらく、今回の聖姫試験のために、中央の神殿から派遣されてきた人物なのだろう。
しかし、イーリスが最初に王妃と称号をつけて名乗らなかったことで、奥にいたリーンハルトの眉がぴくりと上がった。
「どうぞ。お待ちしておりました。私は中央大神殿より派遣されてきました神教官のマリウスと申します。この度、大神官様から、二人の聖女様のどちらを聖姫とするのにふさわしいかの試験を任されました」
神教官――大神官に次ぐ位の中で、神殿でも上から三番目になる高位だ。
告げられた位に敬意を表すため、イーリスはもう一度深く身を折り曲げたのに、陽菜はきゃぴっと顔を上げている。
「それで! 試験ってどんなことをするのですか?」
(ちょっと! それ、たとえあっちの世界の試験でもやってはだめだから!)
きっと年齢的に、まだ大学試験の面接なんかも受けたことはないのだろう。怖い物知らずの強さで、陽菜は無邪気に尋ねている。
これにはさすがに神教官も苦笑するしかなかったようだ。咎めることもなく、むしろ聖女の子供のような素直さを見て、父親にも似た笑みを浮かべている。
「はい。聖姫を定める試験には二種類ありまして、一つは民草に広く奇跡の業を行うことです。それが聖女の奇跡と神殿が認めれば、すぐに聖姫の称号が贈られます」
(無理よ! そんなの――)
自分は、こちらの世界に転生してきてから十七年になるが、一度も奇跡の業など使えたことはない。
(歴史うんちくを語れと言うのなら、何十時間でも、人間離れした耐久レースをこなす自信はあるけれど……)
さすがにこれは無理だ。
しかし、それはどうやら陽菜も同じだったらしい。
「ええー? 奇跡? そんなのできないわよ?」
(素直すぎる!)
そこまで簡単にできない宣言してよいのかと驚いてしまうが、そう感じたのはどうやら陽菜の後ろにいるヴィリも同じだったらしい。
「ひ、陽菜様……」
慌てて駆け寄っていくが、陽菜はあっさりとしたものだ。
「だってできないものは、できないもの」
(うん! まさしく!)
腹のたつ敵だが、ここだけは完全な同意だ。だから心の中で頷くと、神教官が笑いながら、手をあげた。
「もちろん、すぐに奇跡の御業を起こせるとは思ってはおりません。だからこそ、奇跡なのですし」
(よかった。どうやら相手も、奇跡を見せろなんて無理をいうつもりはないらしい)
ほっとしたのもつかの間、神教官はすぐに別の笑みを浮かべる。
「代わりに、これまでの聖女の奇跡を再現していただきます。過去に聖姫と認定された大聖女の御業に、どこまで等しいことを起こせるか。これが聖姫試験となります」
(やっぱり無理難題が来た!)
がんと頭を殴られたような気がしてくるが、陽菜は少し首を傾げている。
「大聖女の御業って……、試験内容は何ですか?」
「お二人で、これまでの聖姫の奇跡を再現してもらい、三つの試験でより多く合格を出された方、もしくはそれまでに奇跡の業を起こした方を聖姫と認定させていただきます」
やはり神教官も内容を告げるのは緊張しているようだ。一度咳払いをすると、判定人として、二人へとかっと挑むように目を見開く。
「ちなみに第一試験は――――染毛です!」
(はっ?)
思わず、聞いた言葉に頭が固まってしまった。
(染毛って……あれ?)
「それに必要な道具は全て用意してあります。では、どうかここで、お二人には偉大なるミュラー神の名にかけて、聖女としての御業を再現してください!」
瞳をこれ以上ないほど大きく開いて告げられるが、二人の前に置かれている道具は、どう見ても、櫛と鏡。そして、白い壺に入ったいくつかの薬品だけだ。
(やっぱり染毛って、毛染めのことじゃない――――! なんなのよ、聖女の奇跡って!)
予想とはあまりにも違う課題に、イーリスは思わず頭を抱えて悶えてしまった。