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第83話 発端の女性

 事態がさらに動いたのは、次の日の朝だった。


 ギルニッテイにある副都を司る城館に朝日が斜めに昇った頃、一人の女性が訪ねてきたのだ。


「陛下。昨日捕らえられたポルネット大臣の姉と名乗る人物が、陛下にお目通りを願っております」


「なんだと!?」


 聞いた瞬間、リーンハルトが驚いたのはもっともだろう。


「ポルネット大臣の姉君!?」


 それは、今回のことの発端となった女性ではないか。


 リーンハルトの祖父と婚約し、それを一方的に破棄された。家格が物足りないと言い訳をして。


 実際は、国家間の政略故だったが、誰にもその本当の理由を打ち明けられなかったために、その女性は婚約者の心変わりを嘆いて、家を捨てたと聞いていたが――。


 知らせを受けて慌ててホールへ行くと、罪人の姉だからだろう。部屋にも通されることなく、中庭に通じる場所で、ただ立って待っていた。


 白い衣が風に揺れ、頭を覆っている布も春の日差しの中で優しく揺れている。


 その穏やかな光景に相応しいように、落ち着いた所作を持った女性は、駆けつけてきたリーンハルトとイーリスに向かって、深く頭を下げた。


「あなたが、ポルネット伯爵の姉君……?」


 思わず目を瞬いた。


 女性は、日差しの中で静かに頭を下げたまま、聞き覚えのある声で話しかけてくるではないか。


「はい。世を捨てた身なので、昔の身分についてはお話をせず申し訳ありませんでした」


「いや、頭を上げてくれ。ナディナ」


 リーンハルトも思わぬ女性だったことで驚いているのだろう。上げた顔をもう一度確かめれば、そこに立っているのは、やはり啓示式でイーリスとリーンハルトを案内してくれたナディナではないか。


 ただ、見つめてくる瞳は、あの時とは違い、深い憂いに覆われている。


「陛下、イーリス様。このたびは弟が大変な事件を起こし、深くお詫び申し上げます」


 昨日のポルネット大臣の捕縛と起こした出来事について言っているのだろう。疲れたような表情は、一睡もしていないことを物語っている。


 それでも、もう一度深く頭を下げて膝をついた。


「ですが、このたびのことは、すべて私が原因なのです。弟のしでかしたことの大きさは知っております。陛下に顔向けできるような身などではないのですが、こうして御前にお詫びに参じましたこと、どうかお許しください」


 頭を下げる彼女にリーンハルトが近づこうとして、ふと後ろに立っているイーリスに気がつき、声をかけた。


「イーリス、少し席を外していてくれるか?」


「え、ええ」


 どうして、ふたりきりで話したいのだろう。リーンハルトのことが気になったが、まさか王の言葉を無視するわけにもいかない。少し離れ、ふたりからは見えにくい廊下の奥にある曲がり角で止まり、そっと振り返った。


 すると、人払いをしてほかには誰もいなくなった空間で、リーンハルトがその身を深く折っているではないか。


「祖父があなたに大変申し訳ないことをした――!」


 外からの光を受け、陰になった顔でリーンハルトが頭を下げている。その姿に、思わず目を見開いた。


(――ああ、そうね。リーンハルトにしたら、今回のことは、祖父が婚約を破棄したために起こった事件ですもの……)


 きっとリーンハルトは、その孫として、ナディナに謝りたかったのだろう。


 それは、これから彼女の一族を、罪人として裁かなくてはならない国王という立場からすれば、決して誰にも見せてはいけない姿だ。


 だから、イーリスは止めていた踵を持ち上げると、コツコツと奥の庭へ向かって歩き始めた。




 奥の庭には、春になり始めたばかりの優しい風が吹いていた。首都よりも副都ギルニッテイはかなり南にあるので、感じる日差しも柔らかだ。


 早咲きの薔薇の前で庭にあった椅子に座り、香りを楽しんでいると、しばらくしてリーンハルトが通路のほうからやってくる姿が見えた。


「話は終わったの?」


「ああ。――ナディナは、陽菜の召喚が行われるまで、自分が吹っ切れているから、弟ももう恨んではいないだろうと思っていたらしい。話しながら、謝っていた」


「そう――」


「ナディナは、祖父がかなりポルネット家を取り立てていたことを知っていたようだ。出家してからそれを聞き、彼女への謝罪の気持ちだと受け止めていたらしい……」


「きっと――あなたのお爺様が後悔していたことが、伝わっていたのね……」


 実際、ポルネットは若くして大臣になったようだった。それは、本人の才覚もあったのだろうが、きっとリーンハルトの祖父が、ポルネット家の汚名をすすぐために、謝罪もこめて彼女の弟を抜擢したからだろう。実際、要職を兼任した彼の経歴は華々しいものだった。新興の家門の中では、頭ひとつ飛び抜けた存在として、宮廷で一目を置かれる存在だった。


 遠く離れた地でリーンハルトの祖父による支援と、それによる弟の活躍を聞いていたナディナからすれば、もうポルネット家が過去を忘れたと思っていてもおかしくはなかっただろう。


 さらりと柔らかな春風が流れた。それが、リーンハルトの銀色の髪を揺らしていく。


「それと、隠された民についても謝っていた。神殿でオデルの妻と知り合い、久し振りに会った弟に話してしまったのは、ナディナだったと――」


「ああ、それであんなにも彼らのことを気にかけていたのね」


 それは、久しぶりに会った姉弟のなにげない会話で出たのかもしれない。ナディナが珍しい魔道具を作れる民たちに出会ったことを話し、それが過去に聖女の召喚術を行っていた一族の生き残りだと気がついたポルネットが、彼らを利用することを思いついたのだろう。


 平穏に暮らしていた隠された民たちにとっては、災い以外のなにものでもなかったのに違いない。


 春の風の中で頷き、イーリスはオデルの家族の顔を思い浮かべた。ポルネット大臣が捕まり、これで彼らもまた平和に暮らしていけるはずだ。それだけはよかったと心から思う。


 ふと隣で、言葉を途切れさせたままのリーンハルトに気がついた。見れば、その表情は、どこか辛そうだ。


「リーンハルト?」


 尋ねると、ハッとしたように顔を上げた。


「どうしたの? ほかにも、なにかあったの?」


 顔を見つめながら訊くイーリスに、少しだけ迷っているように瞳が動く。


 そして静かに口を開いた。


「……ああ……。ふたりの今後について尋ねられた」


 その言葉に、思わず目を見開く。


「だから、都に護送されることと、ふたりとも、犯した罪によるそれぞれの法律で、裁かれることになるだろうと話した。一族については、改正した刑法による判断になるだろうが……」


「そう……そう、なるわよね」


 淡々と話しているが、リーンハルトの瞳はひどく悲しそうだ。そして、同時にひどく心配そうにイーリスを見つめてくる。そのアイスブルーの眼差しで、やっと気がついた。


 リーンハルトが、先ほどイーリスを遠ざけたのは、ナディナへの謝罪だけでなく、この話についても、詳しく聞かせたくなかったからなのかもしれない。


(ああ、そうよね……)


 ナディナは政略のために、リーンハルトの祖父から婚約を破棄された。それは、リーンハルトが国の掟でイーリスを選び政略結婚をしたために、婚約者候補ではなくなったマーリンにもどこか似ている。


 そして、幼い恋心を忘れられなかったマーリンが、そのために今回の事件を起こした。姉を捨てられたポルネット大臣の主導のもとに。


(――きっと、リーンハルトは、この件について私がどう受け止めるのかを心配しているのね……)


 だから、マーリンとポルネット大臣を裁く件について、イーリスには今詳しく聞かせたくなかったのかもしれない。


 ましてや、イーリスには前世の記憶があり、誰の命も等しく大切だと考えているから、なおさら。


(だけど――)


 いや、だからこそ、と深呼吸をして目をゆっくりと開く。


 今回は、リーンハルトの気持ちに寄り添ってあげたい。きっと、マーリンが幼い頃から自分に恋をしていたために、罪を犯したと知ったリーンハルトが、一番辛いのだろうから。


 リーンハルトにしてみれば、祖父の婚約破棄だけが原因だったのなら、後ろめたくてもずっと気が楽だったのだろう。


 それなのに、その件が発端となって自分に恋心を抱いたマーリンがしでかしたことを、その父親の罪とともに、これから大神殿と一緒になって裁いていかなければならないのだ。


 平気な振りをしていても、やはり辛くも思っているのだろう。


 だから、俯きながらこちらを見つめているアイスブルーの眼差しに、イーリスは優しく微笑みかけた。


「私は……今回は、あなたの考えに寄り添うわ」


 そう言えばリーンハルトが、驚いたように目を見開く。


「イーリス……!?」


 その反応は、刑法が改正されたとはいえ、判決次第で厳罰が視野に入っているからだろう。


 それがわかってはいても、腕を伸ばして立っているリーンハルトの手を取った。


「あなたと一緒に歩いていきたいと思ったのですもの。あなたは私の考えを大切にしてくれたわ。だから――私も、リーンハルトが国王としての決断をするのなら、その考えを尊重するわ」


 見つめるとリーンハルトは、驚いたまま見つめている。でも、と腕を取りながら、そっと見上げた。


「もしその考えが、あなた自身にとってはとても辛いものなら、どうかその時は言ってね? 私は――、ほかの誰よりもあなたの心を守りたいのだから」


 まさか、イーリスがそんなふうに言ってくれるとは、思わなかったのだろう。ジッとイーリスの顔を見つめ続けている。


 だから、優しく微笑んだ。


 きっとこれから、リーンハルトはこの件を裁くために、国王としての立場と、幼い頃からの知り合いだったマーリンへの個人的な記憶の間で苦しむことになる。


(だから――本当に辛い時は、助けてあげたい)


 そう願いを微笑みにこめながら見つめると、自分の苦しい立場に気がついているとわかったのか。


「……ありがとう……」


 薄氷のようだといわれるアイスブルーの瞳がわずかに緩み、優しい眼差しでイーリスを見つめた。


 だから、持っているリーンハルトの手をもう片方の手で、上からぽんと優しく包み込む。


 一人ではないのだと示すように。彼の進む道が辛いのならば、一緒に歩きながら考えて、その苦しみを少しでも軽くしてあげたい。


 だから、リーンハルトの瞳を見つめ、励ますように笑いかけた。


「さあ。では、そろそろ今日の仕事へと向かいましょうか。昨日の被害調査の続きと、村人たちの脚気の治療、それと畑の修理もしなければいけないから、大忙しだし」


 明るく言うと、リーンハルトも微笑んだ。


「ああ、そうだな。やることが山積みだ」


「そうよ。それに昨日の知らせが都に届いたら、きっとグリゴアがあなたの無事を確かめたくて、うずうずとしだすわよ。それこそ、迎えと称して騎士団を派遣しかねないぐらい。だから、早くに終わらせて帰らないと」


「それは困る。だが、やりそうだから急ごうか。それに知らせが届いたら、陽菜も君を心配するだろうし」


 早く帰って安心させてやらないとなという笑みに大きく頷く。


「そうね。それに陽菜には良い知らせがあるし!」


 だから頑張って早く終わらせて帰りましょうと立ち上がって腕を組むと、リーンハルトが笑いながら一緒に歩きだした。


 だんだんと深まっていく春の気配を感じながら。



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― 新着の感想 ―
[一言] 私も一緒に驚きました。「えっ!今度はポルネット大臣の、姉!?」…急に登場したと思ったら、啓次式の時に出てきてた方だったんですね。 ポルネット大臣も、色々、想いがあったんですね…。 イーリスた…
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